第14話 ライオネル様がとんでもないことを言い出しましたわ!


 その日もいつものようにライオネル様のエスコートで迎の馬車に乗り込み、最近では定番になった婚約者の膝の上に腰を下ろした。


「ハーミリア、今日も薔薇のようにあでやかで華やかだ」

「ライオネル様も……いえ、少しお疲れのようですけど、ちゃんと眠れましたか?」

「ああ、昨夜はちょっと練習をしていて……いや、それよりも大事な提案があるんだ」


 いつになく真剣なライオネル様に、わたくしはなにか大切なお話かと身構えた。


「その……僕たちもそろそろ愛称で呼び合わないか?」

「……! ついに、愛称呼び……っ!」


 なんてことでしょう! 夢にまで見た愛称呼びでございますの!?

 あああ、こんなに優しいライオネル様だけでも天にも昇る気持ちなのに、愛称で呼ばれたら本当に天国へ行ってしまいそうだわ!!


「ラブラブバカップルを目指すのに欠かせない要素だと思うんだ。ぜひ協力してほ——」

「はい! 喜んで!!」


 いけませんわ、思わず食い気味で返事をしてしまいましたわ。たとえ目的のためであっても、ライオネル様を愛称呼びできるのであれば、このチャンスを逃すわけにはいきませんわっ!


「では、僕は……リ、リアと呼ぼう」

「っ!!!!」


 なんてこと! なんて破壊力なのっ! 照れながらわたくしの愛称を呼ぶライオネル様が、尊すぎるわ——っ!!!!

 

「リア。リアにも僕の愛称を呼んでほしい」


 なんですの! 頬を染めながら、なんなら耳まで赤くしながら、控えめにかわいくお願いしてくるライオネル様を今生こんじょうで目にできるなんて、想像もしてませんでしたわ!!


「ライ……ああ! どうしましょう! ちょっと心の準備をいたしますので、お時間をいただいてもよろしいですか!?」

「え……もしかして嫌だった? いや、それなら今まで通りで……」


 それはもう悲しげに眉尻を下げるライオネル様も、麗しくて素敵と思いながら全力で否定する。


「違いますの! あまりにも夢に見ていたことですから、興奮しすぎてしまって身体がついてこないだけですの。心の準備ができれば問題ありませんわ!」

「嫌では……ない?」

「もちろんですわっ!!」


 それはもう力強く肯定する。わたくしから攻めるのは得意だけど、ライオネル様からグイグイ攻められると心の準備ができてなくて狼狽えてしまう。せっかく素晴らしい提案をしてくださったのに、本当にもったいない。


「よかった、実は僕も昨夜練習したんだ」


 ふにゃりと笑うライオネル様に胸を撃ち抜かれ、息も絶え絶えになりながら馬車から降りた。わたくしの寿命が日々縮まっているような気がする。

 ダメよ、ライオネル様と一緒に過ごすのなら、なんとしても長生きしなければ。


「ライオネル様。わたくし心の準備をしますので、今日のランチは別々にしていただけませんか?」

「そうか……ランチの時間は残念だけど、仕方ないな。それなら魔法練習場にいるから、なにかあったら来てくれ」

「わかりましたわ! 必ずや、己の心身を整えてまいります!」


 これは、なんとしてでもランチの時間でライオネル様を愛称で呼べるようにしなければ……!!




「それで、どうして私のところに来るのよ!?」

「わたくしにはシルビア様しか頼れる方がおりませんの。それに、このミッションをクリアしませんとライオネル様が悲しまれますわ」

「ライオネル様がっ!? そ、それなら仕方ないわね。私が付き合ってあげるわ」

「シルビア様! ありがとうございます! さすがわたくしの唯一の友人ですわ」

「いつ貴女の友人になったのよ!?」


 心優しいシルビア様のおかげで、わたくしはランチタイムを特訓の時間にすることができた。

 シルビア様は素直ではないけれど、裏表のない方なのでとても扱いやすいのだ。しかも人情に厚く根はとても真面目なシルビア様なら、きっとわたくしの特訓にも最後まで付き合ってくれるはずだ。


 わたくしはシルビア様を中庭の一画に連れ出して、ランチを口に運びながら事情を説明する。


「ちょっと……まさかそんなことで私をわざわざ呼び出したの!?」

「わたくし、どうしてもライオネル様の喜ぶ顔が早く見たくて、シルビア様に頼るしかないと思いましたの」

「なんで私が、ライオネル様を愛称呼びする特訓に付き合わないといけないのよ!?」


 怒りながらもランチを召し上がるシルビア様は器用だなと思いながら、正直な気持ちを打ち明けた。


「わたくしはこんな性格ですし、ライオネル様に嫌われている婚約者の立場でしたので、仲良くしてくださる女生徒はおりませんでした。でもシルビア様は陰口は決して言わず、わたくしに正面から意見をぶつけてくださいました。そんなシルビア様の清廉潔白で真っ直ぐなところが、とても好ましいと思ったのです」


 わたくしがこんなことを言うと思っていなかったのか、シルビア様は驚いて頬を染めた。なんともかわいらしいお方だ。


「そんな……私は……」

「わたくし、ずっとシルビア様とお友達になりたかったのです。今この時間だけでも結構ですので、友人として付き合ってくれませんか?」

「し、仕方ありませんわね! 私には期間限定の友人などおりませんのよ! 私の友人として恥ずかしくないように精進なさいませ!」

「ふふっ、ありがとうございます」


 つまりはずっと友人でいてくれると言いたいのだ。

 ライオネル様のおかげでシルビア様とも友人になれた。なんて幸せなんだろう。


「それでは、わたくしの特訓にお付き合いいただけますか?」

「わかったわ。それで、ライオネル様をどのようにお呼びするの?」

「そうですわね……やはりライ様でしょうか?」


 ずっと頭の中で想像していた愛称を口にする。たったこれだけでも胸がキュンキュンと切なくなり、頬は熱を持つ。

 ダメだわ、ライオネル様が好きすぎて愛称ひとつでこの体たらく……!


「ちょっと! それではご家族様と同じじゃないの!」

「ええ、ライオネル様のお父様やお母様がそうお呼びしていたので、真似してみたのですけれど」


 シルビア様が、両目をこれでもかと見開いて睨みつけてくる。何か失敗してしまったのだろうか?


「ありえないわー! いい? 貴女は婚約者なのよ! この世でただひとり、ライオネル様をどんな愛称で呼んでも許される存在なのよっ!?」

「はい、確かに」

「それなのに、そんな平凡な愛称で呼ぶなんてライオネル様を馬鹿にしているの!?」


 シルビア様の言葉に衝撃が走る。なんてことだろう、愛称で呼びさえすればいいと、わたくしは考えていたのだ。これではライオネル様の婚約者として、完璧に役目を果たしていると言えない。


「そういうことですのね! これはわたくしの怠慢ですわ!」

「そうよ! まずは特別な愛称を考えないと!」

「では、こう言うのはどうでしょう。ネル様とか」

「うーん、悪くないけど、ライオネル様っぽくないわ。やっぱり獅子のような凛々しさを愛称に入れたいわよね」

「そうですわね……」


 休憩時間の終わりを告げる鐘が風に乗って中庭まで届く頃には、なんとかライオネル様の愛称を決めて特訓までこなすことができた。結構な精神的ダメージが蓄積したけど、これで、ライオネル様をわたくしだけの特別な愛称で呼べる。


 教室に戻るとライオネル様はすでに席についていて、花が咲くような笑顔で出迎えてくれた。


「リア、ほんの少しの時間なのに、ずっと会ってなかったみたいだ」

「ふふっ、もう大丈夫です。これからは一緒にいられますわ」


 ライオネル様がソワソワとした様子でわたくしを見つめてくる。言いたいことはわかっている。シルビア様相手に何度も特訓したのだから、問題ない。


「ライル様、わたくしのライル様」

「リア! ああ、もう今日はなんて素晴らしい日なんだ……! リアが僕を愛称で、しかもリアだけの愛称で呼んでくれるなんて……!」

「ライル様、ほら授業が始まってしまいますわ」

「うん、わかってる。リア、僕の女神。これからもずっとそばにいて」

「はい、もちろんですわ」


 とてもご機嫌なライオネル様の笑顔のおかげで、午後の教室は春の陽だまりのような温かい空気が流れていた。


 生徒たちの空気は微妙だったし、マリアン王女はなぜかキリキリ怒っていたけれど、まあ、ライオネル様が幸せならそれでいいと思った。

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