第8話 男爵令嬢の誤算


 痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!!!


 わたしは気が狂いそうな痛みに耐えるしかできなかった。


 やっと眠れたと思っても、すぐに痛みで目が覚める。

 ベッドで横になってジッとしていても痛みが引くことはない。終わることのない痛みに正気を保っていられなかった。


 どうして、私がこんな目にあわなければいけないの?

 わたしがなにをしたっていうの?


 全部あの方のいう通りにしたのに、ちっともうまくいかなかった。

 あの女に呪いをかければ、私はライオネル様に選ばれるはずだった。


 どうして、どうして、どうして——!!




 あの方に声をかけられたのは、ほんの一週間前のことだ。


 いつものようにハーミリアはライオネル様の隣にふさわしくないとわからせるために、黒板に書いたり机の上からバケツの水をかけてやった。

 それなのに、なんでもない顔で「まあ、ちょうどよかったわ。机が汚れてきたから綺麗にしたかったの! どなたかしら? お礼を言いたいわ」なんてわけのわからないことを言った。

 その言葉で馬鹿にされているのだと理解した。


 一気に頭に血が昇ってすぐさま怒鳴りつけたかったけど、相手は伯爵令嬢だ。いくら学院の中とはいっても身分の問題はゼロにはならない。

 わたしが名乗り出たところで、処罰を受けるのは目に見えていた。だから悔しくて悔しくて、ギリギリと奥歯を噛みしめた。




「貴女、モロン男爵家のドリカさんね」

「……えっ? はっ、失礼いたしました。マリアン王女様!」


 意外な人物から声をかけられて、慌てて慣れないカーテシーを返す。

 男爵令嬢の私に声をかけてもらえるなんて思ってもみなかった。第三王女のマリアン様は国王陛下と王妃殿下から深い寵愛を受けている末王女だ。そんな雲の上の方がいったいなんの用で声をかけてきたのか。

 マリアン王女の後ろには、トライデン公爵家の令嬢ローザ様と、シュミレイ辺境伯の次男テオフィル様が控えている。


 しかも、わたしの名前までご存じだなんて……なにか失敗してしまったのかしら?


「頭を上げてちょうだい。同じ学院の生徒なのだから、そんなにかしこまらないでほしいわ」

「はい、ありがとうございます……」


 そろそろと顔を上げれば、輝く金色の波打つ髪は腰で揺れ、翡翠のような澄んだ瞳は吸い込まれそうだ。気品に満ちた佇まいに、自分との格の違いを見せつけられる。


「ねえ、貴女。ライオネル様をお慕いしているの?」

「えっ、いえ、そんなわたしがライオネル様をお慕いするなんて、とんでもないです」

「そう? 残念ね。とてもお似合いのふたりだと思ったのに」

「……えっ?」


 マリアン王女がなにを言いたいのかよくわからない。わたしとライオネル様がお似合いだと、確かに言ったけど本当に認めてくれたのか?


「だって、黒板の落書きや、お水を校舎の中で運ぶのは大変だったでしょう? そんな頑張り屋さんですもの、ライオネル様にピッタリのご令嬢だわ」


 確かにライオネル様への想いは隠していたなかったけど、ハーミリアへの嫌がらせは誰にも見られていないはずだった。もしかしたら、王族だからなにか伝でも使って調べたのだろうか。これは、答えを間違えたら処罰を受けてしまうかもしれない。


 目の前のマリアン様は優雅に微笑んでいるけれど、背中を冷たい汗がつたっていく。


「貴女、ライオネル様を自分のものにしたくないの?」

「それは……」


 そんなの、当然自分の婚約者になってほしいに決まってる。でも男爵令嬢のわたしでは侯爵令息のライオネル様とは身分が違いすぎる。そんな簡単に頷けるものでもない。


「貴女が本気でライオネル様を自分のものにしたいなら、私が協力してあげるわ」

「ほ……本当ですか?」

「もちろんよ。でも、失敗する可能性もあるから、無理強いできないの」

「や、やります! ライオネル様の婚約者になれるなら、わたしなんでもします!」


 マリアン王女が味方になってくれるなら、こんなに心強いことはない。


「そう、よかった。実は私陰ながら貴女を応援していたのよ。もしうまくいったら悪いようにしないから、その時は私に任せてもらえる?」

「は、はい! ああ、ずっとライオネル様をお慕いし続けてきてよかったです! こんな風に報われるなんて思ってもみませんでした!」


 急に開けた未来に心が躍る。

 ずっと無理だとあきらめていた恋が叶うかもしれない。


「それでは、まずはこの魔法誓約書にサインしてもらえる? 特別な魔道具を貸してあげるから、他言無用にしたいのよ」

「はい、承知しました!」


 わたしは誰かに話すつもりもなかったから、喜んで魔法がかかった誓約書にサインした。そしてマリアン王女から受け取った魔道具は、憎い相手を呪う魔道具だった。


「いい? 思いっきり憎い相手を思い浮かべて魔力を流すのよ。そうしたらこの古代の魔道具が貴女の望みを叶えてくれるわ」

「それでは、思い浮かべる相手は、ハーミリアですね!」


 マリアン様は優雅な微笑みを浮かべたままだ。間違いない、この魔道具でハーミリアに呪いをかけて、婚約者の座から引きずり落とせばいいのだ。そうすれば、その後はわたしがライオネル様の婚約者になれるようマリアン様が整えてくれるのだ。


「今日はタイミングが悪いから、明日の朝にしてほしいの」

「はい、承知しました!」

「そうね、明日の朝に生徒会室の鍵を開けておくから、そこで試すといいわ」

「はい、任せてください! 必ず成功させてみせます!」


 マリアン王女は生徒会の副会長でもあるから、その方が都合がいいのかもしれない。家で試して家族に見つかっても、話すことができないから面倒なことになる。


 わたしはマリアン王女に言われた通り、翌朝かなり早く登校して生徒会室にこっそりと忍び込んだ。




 マリアン王女から渡された魔道具は手鏡の形をしている。見た目は黄金で装飾されて、赤い宝石が淵にかめ込まれていた。持ち手の部分は黒い布で巻かれている。


 わたしは朝日が差し込む生徒会室で椅子に座り、ゆっくりと魔道具に魔力を流した。

 想像以上に魔力を吸われていく、でもこれでライオネル様がわたしのものになるならどうってことない。


 わたしは憎むべき相手であるハーミリアを頭に思い浮かべた。


 あの女がいなければ、わたしがライオネル様の婚約者になれるのよ!

 あの女なんていなくなればいい! ハーミリア・マルグレンなど、この世から消えてしまえ——


 ありったけの憎しみを込めて魔力を流し切った。


「……あれ? ちゃんとできたのかしら?」


 不安に思ってもう一度魔力を流し込んだその時だ、息もできないほどの強烈な痛みに襲われた。


「——っ!!」


 椅子に座っていられなくて、大きな音を立てて転げ落ちる。でも早朝の生徒会室の近くには誰もいなくて、わたしの惨状に誰も気がついてくれない。


 痛い! 痛い! 痛いぃぃぃぃっ!!

 どうして!? これは、もしかして失敗したの!?


 激痛は容赦なくわたしの精神を削り取っていく。なんとか床を這って扉に手をかけた時だ。

 ガチャリと扉が開かれた。そこに立っていたのは、マリアン王女の取り巻きである、ローザ様とテオフィル様だ。


「……やはり魔道具を使ってしまったのね」

「学院の保健室じゃ手に負えないだろう。街の治療院に伝手があるから、手配してくる」

「ええ、お願い。治療費はこちらで持つわ」


 テオフィル様は駆け足であっという間に姿を消した。ローザ様は、膝をついてわたしの様子を見ている。


「あw瀬drftgyふ……!」

「ああ、顔が腫れてとんでもないことになっているから、無理に話さない方がいいわ。今治療院に連れていくから待っていて」


 ええ!? か、顔が腫れているってなによ!?

 なんでこんなに痛いの!? 今どうなっているのよ!?


「亜w瀬drftgyふじこっ! あwせdrf……っ!!」

「ほら、無理してはダメよ」


 あまりの痛さと腫れ上がった顔のせいで、言葉にならない。

 痛みで涙を垂れ流し、動くこともできずにその場でうずくまっていた。


 やがて担架を持ってきたテオフィル様と手伝いの男子生徒に運ばれて、治療院に向かうが運ばれる際の振動で激痛が走る。目の前で花火が散るような痛みに、声にならない声を上げる。


「おい、大丈夫か?」

「クァwせdrftgyふいじこ!!」

「え? なんだって?」

「あqwせdrftgyふじこ!!!!」


 ふと見れば、あの憎い女がわたしを嘲笑うように見下ろしていた。

 あの女のせいで、わたしはこんな目にあったのだ。憎しみを込めて睨んでも、眉ひとつ動かさない女に、さらに苛立つも痛みで思考がまとまらない。


 やがて興味を無くしたように視線を逸らすあの女に、なんとしても仕返ししてやると心に誓ったのだった。

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