第3話 歯が痛いですわ!!
その日もいつものようにライオネル様が迎えにきて、馬車に乗り込んだ瞬間だった。
小枝を踏んだようなパキッという音ともに、突然言葉を発することができないほどの激痛がわたくしを襲った。
ズキズキと痛んでいるのは、口の中のようだ。とりあえずライオネル様をお待たせしたくなくて、馬車に乗り込み痛む元凶を探し出す。
痛いのは……左側ですわね。頬かしら? いえ、違うわね。 これは、歯が痛いのだわ!
でもどうして歯が痛むのかしら? 毎日口の中もしっかりケアしているし、今までこんなことはなかったのに。
ほんの少し舌先で触れてもズキズキと痛みが増すので、これでは話すこともままならない。今日の授業はどうしようかと考えていると、強い視線を感じた。
こんな狭い馬車の中でわたくしを見つめるのは、ライオネル様しかいない。痛みを堪えて顔を向ければ、バチッと視線が合う。
歯は痛いけど、滅多にないことで心臓がドキッと跳ねた。
まっすぐにわたくしを見つめるアイスブルーの瞳は、なにかを窺っているようだった。
絡まる視線を堪能していたら、馬車がガタンッと揺れてほんの僅かな振動を受ける。それだけでズキーンと痛みが響いて、思わず俯いてしまった。
なんてことなの!
せっかくライオネル様と視線が絡んでいたのに、わたくしから逸らしてしまうなんてありえませんわっ!!
でも、振動が伝わって、ズキーン、ズキーンと痛んで口が開けない。
ライオネル様に心配をかけたくないので、俯いたままなんとか痛みに耐え続けた。話すこともできなくて無言のまま馬車は進んでいく。
かつてないほど静まり返った馬車の中には、なんとも言えない空気が流れていた。
学院に着いて馬車から降りるときもそーっとそーっと足を下ろす。いつものように手を差し伸べてくれるライオネル様に話しかけることもできず、完璧な淑女の微笑みを浮かべて誤魔化す。
ひぃぃぃぃぃっ!! 足をついただけですのに、痛いですわ——!!
いったいなんですの!? わたくしになにが起こってますの!?
しかも表情筋を動かすだけで激痛が走る。今まで叩き込まれてきた貴族令嬢魂で、アルカイックスマイルを貼り付けたまま校舎へと向かった。
普段話しまくるわたくしがひと言も話さないから、ライオネル様はまだわたくしをジッと見つめている。
こんなに見つめられたのは初めてではないかしら。
歯は痛いけど、これはこれで嬉しくてたまらないわね!
「ハーミ——」
その時、校内がにわかに騒がしくなった。
わたくしもライオネル様もそちらに視線を向けた。どうやら誰かが倒れて保健室ではどうにもならずに、王都の大きな治療院へ運ばれていくようだ。
「おい、大丈夫か?」
「クァwせdrftgyふいじこ!!」
「え? なんだって?」
「あqwせdrftgyふじこ!!!!」
まともに歩けないようで女生徒が担架に乗せられて過ぎていく。
女生徒は涙を流しながら、両頬をパンパンに腫らした状態でゆっくりと進んでいった。どうも早く歩くと顔が痛むらしく、そろりそろりとしか進めないようだ。
それでも痛みに耐えかねるのか、まともに話せないのに必死になにかを訴えていた。
わたくしも女生徒の気持ちがほんの少しだけ理解できる。あんなに顔が腫れてはいないけど、今だってズキズキと歯が痛いのだ。
可哀想にと思って見ていると、なぜか女生徒はわたくしを憎悪のこもった目で睨みつけてきた。
あら、あれはドリカさんよね? ああ、ジッと見つめてしまったから、気を悪くされてしまったのね。ただでさえ注目を浴びてお恥ずかしいでしょうに、申し訳ないことをしたわ。
ピンクブロンドのふわふわの髪が可愛らしい、何度も嫌がらせをするくらい活発なご令嬢だ。さぞおつらいことだろうと心を痛めた。
ちなみに嫌味ではなく本心である。嫌がらせなどという小さいことに興味はないのだ。
「まあ……男爵令嬢など役に立たないわねぇ……」
後ろでポツリとつぶやいた声が聞こえたけれど、生徒たちのざわめきにかき消されてしまう。
痛みを堪えて振り返ると煌めく金髪の後ろ髪が見えた気がした。だけどその髪色の生徒はたくさんいるので、すぐに見失ってしまう。
「行こう」
ライオネル様に促されたのと、また歯の痛みに襲われてそんなことがあったのをすっかり忘れてしまった。
いつものように校舎に入ってからは、ライオネル様と別行動になる。
ずっと気になっていたのは、馬車での無言の時間だ。なんとなくライオネル様の様子もおかしかった。
私が俯いていたから、心配されたのかしら?
嫌だわ、わたくしのことでライオネル様のお心を煩わせたくないのに。
ドリカさんがいなくなっても、嫌がらせがなくなることはない。移動教室の時に教科書が隠されてしまったので、予備のものをカバンから取り出した。
日常茶飯事なので常に予備を持ち歩いているから、わたくしにはノーダメージだ。
さらにいつも突っかかってくるシルビア様まで様子がおかしかった。
「ちょっと、あなた。どうしたの? その貼り付けたような笑顔は。なにかおつらいことでもありましたの?」
「…………」
わたくしは返事ができないので、コクリと頷く。
シルビア様は話しかけにくいところがあるけれど、心根は優しい方だ。なにより陰口を叩かない。しかもわたくしが心から笑っていないと、ひと目で見抜いた。
当然、シルビア様は早々にライオネル様に紹介済みである。貴族としては素直すぎるところがあるけれど、公爵家のご令嬢ならば家の力である程度のことはどうとでもなる。
できることなら家がどうこうは関係なく、わたくしも友人になりたいものだ。
「どうなさったの? 私でよければ話くらい聞いて差し上げるわよ」
ツンとすました横顔なのに、話している内容は温かい。そんなシルビア様の魅力に気付いている人はどれくらいいるのかしら?
でも、困ったわね。歯が痛すぎてなにも話せないわ。
「勘違いしないでよ!? ライオネル様の様子がいつもと違っていたのは、あなたが原因なのではなくて!?」
「…………」
なんと、シルビア様もライオネル様がいつもと違うと感じ取っていた。ファンクラブの会員番号一桁は伊達じゃないようだ。
しかしどうやっても、歯が痛くて声を出せない。そこでノートとペンを取り出して、筆談することにした。
【ご心配いただきありがとうございます。実は、歯が痛くて口を開けられないのです】
わたくしの書いた文字をチラリと見て、シルビア様は保健室まで連れていってくれた。最後の最後まで「ライオネル様のためですからね!」と言っていたけど、わたくしはやっぱりシルビア様と友人になりたい。
素直じゃないのはまったく気にならないし、むしろあの必死な感じがかわいらしく見えるもの。
保健室では治癒魔法を使える先生がわたくしの状態を見てくれた。
筆談を交えて状況を伝えると、まずは治癒魔法をかけてくれる。温かな白い光に包まれて身体がぽかぽかして心地よかった。
「どう? 痛みはよくなったかしら?」
表情筋を動かそうとして、やはりズキーンと痛みが走る。
わたくしはゆっくりと顔を左右に振った。
「そう、うーん困ったわね。今使った治癒魔法より上の魔法だと、専門機関でないと受けられないわ。もしくはお屋敷に上級治癒魔法の使い手はいらっしゃる?」
「…………」
伯爵家の領地まで戻れば確かにいるけれど、この学院に通うため暮らしているタウンハウスにそこまでの治癒魔法の使い手はいない。
でもお父様もお母様もちょうど社交シーズンでタウンハウスに滞在しているから、帰ったら相談してみよう。
それにしても治癒魔法でも消えない痛みとは、原因がさっぱりわからない。
【屋敷に戻ったら父に相談してみます。授業だけ受けて帰ります】
そう書き記して保健室を後にした。
保健室の先生が教科ごとの先生に周知してくれたので、授業で当てられることもなく静かに過ごすことができた。
教室に戻ってからシルビア様にお礼を伝えると「そんなのはいいから早く帰りなさい!」と叱られてしまった。
でも帰るつもりはない。
なによりもライオネル様を心配させてしまう。心優しいライオネル様は例え嫌いな婚約者だとしても、気にせずにはいられない方だもの。
それにライオネル様と過ごせるランチタイムと帰りの馬車の時間を失いたくなかった。
そう、わたくしは呆れるほど、この愛に盲目なのだ。
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