第4話 ライオネル様の視線が突き刺さりますわ!
やっと待ちに待ったランチタイムがやってきた。
ほんの少ししか口を開くことしかできないので、昼食は野菜ジュース一択だ。無理やり飲んで紛らわした。
「…………」
「…………」
ライオネル様の視線が痛いほど刺さってくる。
毎日欠かさず婚約者の義務として、昼食を一緒に摂ってくださるライオネル様がなにか言いたそうにしている。
こんな律儀な婚約者も珍しい。どんなにわたくしが嫌いでも浮気の心配はなさそうだ。
あまりの気まずさから、二本目の野菜ジュースに手が伸びる。さすがに固形物を口に入れられないので、多めに用意してあった。
だけど……こんなに見つめられるなんて、あああ、今日は何て素敵な日なの!!
ライオネル様の鋭く怜悧な瞳がわたくしに向けられてるなんて、こんな感動を味わえるなんて思わなかったわ!!
けれどわたくしから言葉を発することができず、昼休みの時間があっけなく過ぎていく。
ああ、もう至福のランチタイムが終わってしまうのね。ライオネル様がなにか言いたそうになさってるのはわかるのだけど、どうされたのかしら?
婚約者の気持ちを推し量れないなんてまだまだ修行が足りませんわ。
なおもジッと見つめてくるライオネル様に、どうしたのかと尋ねたかったけど、紙もペンも教室に置いてきてしまっていて筆談もできない。
クラスが違うから次にライオネル様にお会いするのは帰りの馬車になる。
そうだわ、帰りまでにお手紙を書いてお渡しすれば、わたくしの気持ちはお伝えできるわね。そうすれば余計なご心配をおかけしなくて済むわ。
結局最後までお互い無言のまま、それぞれの教室へと戻ったのだった。
帰りの馬車の中は、重苦しい沈黙に包まれていた。
つい先ほど予想外の出来事に見舞われて、わたくしの精神状態は限界を迎えようとしている。
いつも意地悪の一環だろうけど、ある女生徒がすれ違いざまにわたくしにぶつかってきたのだ。しかも歯の痛みがある方の左肩にだ。
その衝撃で、一気に痛みが倍増して一瞬意識が飛びかけた。ここまでの痛みを乗り切った自分を褒めてあげたい。
すでに帰りの時間で、ライオネル様が待つ馬車へと向かうだけだったのが幸いだ。
保健室へ行って治癒魔法をかけてもらったけどまったく治らないし、いったいどうしてしまっというのか。
もうすぐ屋敷に戻れるからと自分を奮い立たせて、なんとか馬車に乗り込んだのだ。
だけど、先ほどの痛みが尾を引いていて笑顔を貼り付けることしかできない。
「ハーミリア。なぜ、いつものように話さない?」
「…………」
確かにいつものわたくしなら、婚約者である貴方へ嬉々として話しかけまくっておりましたわ——でも、どんなにお話ししたくとも、今は無理ですの。
「……具合が悪いのか?」
「…………」
ああ! せっかくこんなにもライオネル様が話しかけてくださってるのに、返答できない自分が恨めしいですわ!!
「ハーミリア?」
いつもの怜悧な瞳は不安げに揺れて、わたくしを見つめている。
あー、ダメですわ。
もう痛みのあまり頭が朦朧としてきて、なにも考えられません。
朝からずっと歯が痛くて口も開けませんし、なあーんにも話せませんわっ!!
朝から続く痛みと衝撃を受けるほどの激痛に、淑女教育もぶっ飛びそうだった。でもここで私が痛みに泣き喚いたらライオネル様にご迷惑がかかってしまう。
こんな密室で嫌いな女に泣かれたら、地獄以外のなにものでもないだろう。ライオネル様に迷惑だけはかけまいと、必死に痛みに耐えていた。
それきりライオネル様も口を開くことはなかった。
馬車を降りるときはもう立ち上がるのもつらかったけど、なんとかライオネル様を見送る。
頭がうまく働かず、事前に書いておいた手紙の存在も忘れてしまった。最後の気力を振り絞っていたけど馬車が見えなくなったところで、わたくしはその場に倒れ込んだ。
次に目を覚ますと、オレンジ色の光が窓から差していた。
喉がカラカラで飲み水がほしい。ゆっくりと起き上がると、歯の痛みは少しマシになっている。
「お嬢様! 目を覚まされたのですね! お水でございますか? すぐにご用意いたします」
そう言って、そばに控えていたメイドが慌ただしくベッドサイドの水差しから、適度に冷やされた果実水を差し出してくれる。
「ああ、よかった。今奥様をお呼びします。旦那様ももうすぐ戻ってこられますから、お待ちくださいね」
メイドが部屋から出ていって、すぐにお母様がやってきた。
「ハーミリア! よかったわ、とても心配したのよ。どこか具合が悪かったの?」
「…………」
痛みはマシになっていたものの、口が開けられない。やはり話すことは難しいようだ。
わたくしはゆっくりと頷いた。
「ハーミリア? もしかして話ができないの?」
もう一度ゆっくりと頷く。
「治癒魔法をかけたのに治らないなんて……まだ痛みはある? どこ?」
優しいお母様の声にそっと左頬を指差した。さすがお母様だ、わたくしを理解してくれるのが早い。
「わかったわ、お父様にも相談するから待っていてね」
優しく頭を撫でられ、その手の温もりに痛みで引き攣っていた心が緩む。思ったよりもダメージが蓄積されていたようだ。
一日中痛みが続くのは拷問を受けているのと同じだと理解した。
その後お父様とお医者様がやってきて問診を受けた。お父様の伝手で懇意にしている伯爵家に上級治癒魔法を使える医者がいたので、特別に派遣してもらったのだ。
「うーん、この治癒魔法でも痛みはなくなりませんか……ではせめて痛みを軽減する治癒魔法をかけましょう。お役に立てず申し訳ない」
「いや、無理を聞いてくれて感謝している。家令が治療費を用意しているから受け取ってくれ」
「あ、いや、なにもできなかったから受け取れません。それでは」
お医者様はとても誠実な方で、本当に治療費を受け取らず帰ってしまった。
痛みを軽減する魔法のおかげで少し楽になった気がする。でもやっぱり痛みはなくならないので完治はしていない。
「仕方ないわね。痛みがなくなるまでは、学院はお休みよ。ライオネル様には知らせを出しておくわ」
こくりと頷いて、夕食に用意してくれたスープを口に流し込む。ポタージュやゼリー、プリンなら食べられるので、そういった食事だけでなんとかやり過ごしていた。
* * *
婚約者の様子がおかしいと気が付いたのは、学院に一緒に通うために馬車で迎えにいった時だった。
いつも「ライオネル様」と嬉しそうに声をかけてきて、さまざまな話をしてくるのに、口を開かなかった。
いつもと明らかに違うハーミリアの様子に、普段は決して視線を向けることはないのに思わずじっくりと観察してしまった。
もしかしたら体調がすぐれないのか? そうだとしたら、早々に送り届けて休ませないといけない。
そうなれば僕の婚約者なのだから、当然送っていくつもりだった。
でもハーミリアはまるで完璧な淑女のようにアルカイックスマイルを貼りつけて、静かに座っている。
僕の視線に気づいて目が合ったけど、すぐに逸らされてしまった。
どういうことだろう。今までまともにハーミリアの顔を見てこなかったから、なにか気付かぬうちに見落としたことでもあるのだろうか?
そうだとしたら、本来不器用な僕には気付くことができないだろう。
授業などまったく耳に入ってこなかった。
学院で学ぶ内容はすでに履修していて、ここでは人脈づくりや王太子殿下の側近としての役割がメインだから、そこは問題ない。
大問題なのは、僕が婚約者としての役割を果たしていない可能性があるということだ。
しかもその原因に気付けない。原因がわからなければ対処もできない。
八方塞がりだ。
ランチの時間もハーミリアはアルカイックスマイルを貼り付け、野菜ジュースを飲んだだけだった。
いろいろと聞きたいのに、うまく言葉が出てこなかった。
帰りの馬車でもなにも話さないから、思い切って声をかけてみたけど、朝から一ミリも変わらない笑顔を返されただけだった。
これは、まずいかもしれない。
婚約者としての役目すら果たせないとなると、今後の僕の未来は明るいものではないだろう。今でさえすでに危ういというのに。
僕はハーミリアを送り届けた後、タックス侯爵邸に戻ってきて真っ先に侍従のジークに声をかけた。
「ジーク、頼む。力を貸してくれ」
僕の真剣な様子に、侍従はしっかりと頷いてくれる。
まるで暗闇の中を手探りで進むような感覚に、不安が込み上げた。
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