第2幕第9話 アローラ

1188年6月14日


 メリエルはアルマスを離れ、ただ一人で東進列車に乗り込み分岐路線で北海沿岸の小都市セスタに向かっていた。

 厳密には一人ではない。

 エンプレスガードとしてトリエル・シェンバッハとマリアン・ラムジーが離れた席でメリエルを見守っていた。

 マリアン・ラムジーは元女官頭らしく分を弁えていて、最初に出会った時以外は個人的なことはなにも話そうとはしない。

 むしろその夫たる陽気で残忍なトリエルが話相手になろうとしてきたらどうしようか悩んでいたメリエルは、トリエルが日頃の疲れで居眠りしている様子に安堵していた。

 どうも「新女皇家」の人間たちの心は判らない。

 傍若無人で人を人とも思わなかったエセル・メイヨールこと女皇エクセリオンの子孫たち。

 その意味ではトリエルはさながらにエスターク公王の再来ではないかという程の俺様中年小男だった。

 メリエルの便宜上の母たるアリョーネの方がまだ分かり易い。

 表向きのアリョーネはメリエル自身外側から客観的に見てきた。

 その上でディーンが主にして師匠としてアリョーネのやんちゃぶりをそれとなく話していたので、赤の他人だという気がしない。

 あるいはメロウがそうありたいと望んでいた「素直な女性」なのかも知れないし、メルが本当に愛していたフィンツの母親らしい人物なのかも知れない。

 フィンツを愛していた者同士としての「絆」をメリエルはアリョーネに感じていた。

 本当の愛情に溢れているから、甥っ子のディーンも、息子の伴侶になる筈だったメルのことも、その深く広い愛で受け入れようとしている。

 むしろアラウネ・メイデン・ゼダ皇女こそ、メリエルには全く判らなかった。

 世に知られているのは才女だということ。

 エルシニエ大学の先輩であり、偉大な改革者であり、元摂政皇女。

 なによりあのディーンの実の母親だという。

 いまは「アローラ・スターム」と名乗っているのだとディーンは話していた。

 アラウネの影武者だったエリーヌ・デュランの死後、アラウネは名目上の義父だったアルベオ・スタームの養女となり、結果的に連れ子たるディーンがスタームを名乗るようになった。

 フェイルズ・スターム姓は一族全員が名乗れるものではない。

 一族筆頭の最も優秀な騎士だけが有事に際して名乗れる姓だ。

 出発前に幹部会主催で行われた剣皇就任の席でもディーンは表情一つ変えなかった。

(ねぇ、メロウ。ディーンはシンクレア・エクセリオンに似ているの?)

 メリエルの中にいるメル・リーナが囁きかけてくる。

(似ているもなにも生き写しよ。少し神経質なところも、他人を引き付ける魅力もね)

 思えばシンクレア・エクセリオンは不思議な男だった。

 孤高を気取るわけでもないのに一人を好んだ。

 にもかかわらず、何故だかいつも人に囲まれていた。

 産まれながらに人の上に立つ資質を身につけていた。

 とても真面目で饒舌。

 そして語る言葉の端々になにか強い引力のようなものを持っていた。

 黒髪で小柄。

 ボサっとした髪をそのままにして野暮ったい印象。

 何処か元となった自分とは距離を置こうとしている様子だったが、少し寂しそうに微笑む様子に女性騎士たちは籠絡されていった。

 プロトタイプの騎士たちは本能的に強い血を求める。

 そのせいで、母性本能をくすぐりながらも突出した戦闘力と瞬発的判断力もつシンクレアはとてもモテた。

 戦いにあっては自らが先陣を切り、何者も寄せ付けない。

 愛機としたのは慈愛の雨を意味する《フォーリングレイン》。

 一方、後にシンクレアの子を宿すルイーゼ・ランスロットは大柄な女性騎士たちの中でも頭一つ抜けて背が高く、シンクレアと並ぶと全くアンバランスだった。

 極めて内向的でシャイな女性。

 聞こえていたという神の言葉が聞こえなくなり、それらはすべて自分自身が世界に対してどうしたいかという「願い」がもたらした「幻聴」だったと割り切った。

 だからこそ桁外れに強かった。

 「神への甘え」と完全に決別した最初の人間であり、人としての欲望を抜きにした自分の意志とは「自分を創り出した者の真意」だと受け止めて割り切っていた。

 始祖女皇メロウに対しても「王に相応しいから王なのだ」という極めて明確な忠誠心を持っており、「メロウの次となる王を王位につけるのが自分の役目」だと考えていた。

 その点に関しては全くブレていない。

 どれだけ追い込まれても自分以外の誰かに安易に助けを求めたりはしない。

 むしろ「背中で引っ張る役」だと考えていてリーダーとしての資質も高い。

 頼るべきは自身も愛している美しく儚いセカイそのものだった。

 ある意味、《嘆きの聖女》はメロウが考えていた本来の意味での神と一体化していた。

 つまり神が創った人こそが神の真意の具現者であるという強い信念。

 「原罪」などはじめからない。

 創られたなら創られた意味があり、成すべき役割、期待された役目があって創られた。

 実際問題、プロトタイプの騎士として彼女を創ったメロウの真意は正にその通りだ。

 そして、はじめシンクレアを毛嫌いしていた。

 だが、味方の多くが敗走した「マルガの戦い」でシンクレアとルイーゼは正に獅子奮迅の活躍を見せ、互いの背中を守ってマルガを守り抜いた。

 そのときからルイーゼのシンクレアに対する態度が変化した。

 初期の真戦兵たちはすべて飛行能力を持っていた。

 メロウ自身が隠しておいた中都市ミュルンで発見された使徒。

 そのときから使徒素体を《ミュルンの使徒》と呼称するようになった。

 戦いのたびに自身の機体を壊していたルイーゼは自身の機体を発見した使徒素体で再構築した。

 それが最初の使徒真戦兵である《ナイトオブラウンド》。

 命名したのは博学なシンクレアだった。

 ルイーゼの姓たるランスロットがかつてのグレートブリテン島に居たとされるアーサー王の円卓の騎士の一人だったので、それに準じての命名だ。

 天翔る巨大使徒真戦兵という《ナイトオブラウンド》は初期の龍虫たちを圧倒した。

 そうして掴み取った勝利と僅かな安息の日々。

 だが、それはそう長くは続かなかった。

 戦いの後、シンクレアとルイーゼが正式に夫婦となり、ルイーゼが二人の男の子たちを産み落とした後、再襲来した龍虫たちの学習能力と分析力は凄まじく、《虫使い》たちが龍虫の扱いについてコツを摑んだせいもあって、《フォーリングレイン》と《ナイトオブラウンド》は戦場で疲弊させられ干された。

 遠巻きに包囲され、間断なく攻撃を受ける二機が自由に身動き出来ないうちに味方機が次々と落とされる。

 そうした劣悪な戦況を見かねたメロウは皇女アリアドネを戦場に送り込んだ。

 厳密にいうと親子でなどない。

 アリアドネは現実世界に居たメロウの姉のコピーだった。

 不愉快な言い方をすればメロウの「先行試作型」ということになる。

 単なるコピーではなく、メロウが与えた超常戦闘力持つアリアドネの《テンプテーション》または「聖戦(ジハード)」能力。

 アリアドネはその美しすぎる詩のちからで、個別に戦う騎士たちを半ば強制的に制御支配下に置いて統率し、龍虫たちを寝返らせて同士討ちさせた。

 シンクレアとルイーゼはアリアドネの口から零れ出すアリアの影響を全く受けなかった。

 戦争の道具となって死んでいく戦友たちの惨たらしい戦いが、シンクレアとルイーゼに離反を決意させたのかも知れない。

 愛する幼子たちがマルガに居るので二人が戦死することはあっても離反することだけはあるまいとメロウは思っていたが甘かった。

 再度の勝利の後、メロウが女皇の座をアリアドネに譲り渡したのを見届けると、二人は揃って姿を消した。

 メロウは二人の幼子たちを親の罪で裁き、生贄にしようとしてやめた。

 それでは憎んでいた別世界人類となにも変わらない。

 戦いに傷つき修理を重ねてもボロボロになっていた《フォーリングレイン》を格納庫に残し、《ナイトオブラウンド》と共に二人は完全に行方をくらませた。

 セカイにある限り、メロウの監視からは逃れることなど出来ない。

 だが、二人はセカイの何処にも居なくなった。

 用意周到に二人は離反に際して必要な措置をすべて講じていた。

 長男にはエクセリオン姓を与え、二つの人類史の編纂を命じていた。

 それが残酷で不愉快なる《真史》と人の歩みとして理想的な《偽典史》。

 それと共に残したのが「特記第6号条項」。

 最初の生贄となるファーバの最高司祭たるイスルギ法皇の後継者たちに異種族たちとの戦闘の全指揮権を託させるための第六の掟。

 次男にはフォートレス姓と《命名権》を与えていた。

 モノに名を宿らせ、その名がモノの本質を定める。

 まだ10歳になるかならないかという幼子たちは、消えてしまった両親たちの教えを忠実に守り続けた。

 やがては《真実の鍵もつ者》と《砦の男》としてネームドの人々の尊敬を集めた。

 セカイを構成するナノ・マシンたちは二人を愛した。

 「聖典」に登場する最初の男女、そして二人の産んだ兄弟たちは「聖典」に記された内容とは全く異なる存在になった。

 メロウの想定外はそこから始まり、それから彼等がなにをどう考えてきたか判らない。

 「楽園」を追放されるのでなく、両親達は自らの意志で出て行き、残された子たちはその実「楽園」ではなく、「絶望に満ちた地獄のようなセカイ」を守るためにそれぞれの戦いを始めた。

(そして「楽園」を意味する《エリシオン》をルイーゼの影だったルイスが使う事になったというのだから皮肉な話よね)

 メルはさもおかしげに笑う。

 そう最初に罪を犯し、「楽園」を追放される切っ掛けとなったのは最初の女性だった。

 だが、《嘆きの聖女》はその因果律を変えてみせた。

 その行為は正に「倍返し」だ。

 彼女は元となった勇敢な女性と同様に「王位に相応しい者を王位につけるため、王になりかわって激しい戦さを戦う」という。

 王位に相応しい者とは現状ではあるいはメリエルのことだ。

 今はゼダ女皇アリョーネがそれと認めた全権代理人。

 だが、最終的には戴冠したメリエルが望む全権代理人として勝利の女神になろうというのか?

 「我に続けっ!」と叫んで戦旗を掲げ、戦いの先頭に立つことはやめていない。

 むしろそのままだった。

 《黒髪の“冥王”》、《“嘆き”の聖女》・・・。

 なんという皮肉なのだろう。

 ディーンは《冥王》とは真逆の「聖王」たろうとしている。

 ディーンは「ボクはイヤだけどね」と前置きしながら拒否はしていない。

 《真史》を知り尽くしたディーンは「聖王」としてなにかを成そうとし、退くべきタイミングを慎重に推し量っている。

 ルイスは「嘆いて」などいない。

 むしろ「生の歓び」を同胞たちと共に声高に叫んでいる。

 愛する者たちがいて守るべきセカイが在る。

 其処には憎しみも我欲もない。

 戦いの日々が終わったら終わったで、成すべき仕事をあらかじめ設定して戦いに臨んだ。

 二人ともいのちにそれほど執着していないが、軽んじてもいない。

 その上で二人にとって「苦しみ」も「痛み」もあるその人生を堂々と完結させるつもりなのだ。

 その人生半ばで共に終えねばならなかった「宿命」を乗り越えて天寿を全うする生き方をずっと追い求めてきたのだろう。

 辛抱強く待ち続けて遂にそのチャンスが来たのだと、そのチャンスを掴み取るつもりなのだ。

 メリエルは僅かに身震いした。

(ねぇ怖い?怖いでしょうね貴方は)

 傍観者として《観測者》などと嘯いてきた自分に対し、当事者として常にセカイと共にあり続けてきた二人は既にメロウの考えてきた人の域を超えている。

(なんのために其処までするつもりなのだろう?)

(貴方にもまだまだ分からないことがあるって事だと思うよ)

(アタシを憎んでいるから?)

(いいえ、その逆でしょうね。もう一度、いえ二度でも三度でもやり直す機会をくれた貴方にはとても感謝しているでしょうね)

(感謝?どういうことなの、メル)

(勿論、畏れてはいるわよ。だけど、ディーンにいさんはとても優しい人だもの。いついかなるときだって、自分以外の人のために「生きる覚悟」と共にある人だからね)

(メル、貴方はどうしてそこまでディーンを信じているの?)

(アタシとフィンツを引き合わせてくれたのはディーンにいさんだもの。アタシがフィンツを識らなかったとき、とても純粋でとても繊細でとても思慮深くてとても正義感に溢れた自慢の弟で、陛下の本当に愛する「殿下」なのだと。だから、地位も名誉も財産もなんにも望んでいない。ただ欲しいのは「生きていて、生まれてきて本当に良かった」と思う実感だよ。だから、フィンツはそれを実感させてくれるキミのことを一生大事にしてくれる筈だよっていう内容の手紙を貰ったの)

 メルの指摘したそのことに重大な矛盾があることにメロウは気づいた。

 年端も行かない若い二人の恋愛話など、検証するのも馬鹿らしくてメルの記憶を確認したときに見落としていた。

 ディーンの真意に繋がるとても重要な情報だったというのに・・・。

(ディーンはフィンツの母親がアリョーネだと知っていて、それでもフィンツの婚約者としてメルを次期女皇に推したの?アリョーネの子だという触れ込みの私を皇太子皇女だと認めた?)

(別にいいじゃない。ディーンはセスタスターム家の連れ子養子よ。つまり、現一族の血縁者じゃない遠縁だけど、一族筆頭を意味するフェイルズ・スターム姓を受け入れたのだし、アタシとフィンツが無事でいつかアタシたちが予定通り「夫婦」になっていたなら、アタシはアリョーネ陛下の義理の娘になっていたのだもの)

 「やられた」とメロウは感じた。

 ローレンツの暴挙やトワントの嘘も、ディーンとアリョーネは知っていて見て見ぬフリをした。

 最終的に辻褄は合うのだからそれでいいじゃないか。

 だから、あんなにも「フィンツ・スターム」の名誉と存在とにこだわり続けた。

 ディーンは義弟のためになら、その身を犠牲にすることも少しも厭わなかった。

 単なる甥っ子じゃなくて自分と同じ位に「フィンツ・スターム」を愛し、その身を案じ、どうにかして助けたいと心から願っていたディーンだったから実の息子と同じように愛せた。

 もし、あのときディーンがパルムに居て憔悴し逸るフィンツを止めてくれていたならとアリョーネは何度も後悔したのだろう。

 メリエルは静かに落涙していた。

 義弟が「敵」に回ったかも知れないと知っていながら、ディーンは「フィンツを止めなければならない」と心を鬼にしていた。

 フィンツを愛する母アリョーネや、メリエルの中にいる最愛のメルと戦わせたくはないから、かわりに自分が戦う。

 フィンツはこれから先、幾度となく自分を殺しに来る。

 だが、フィンツに「殺されてやる」ことだけは出来ない。

 それは結果的に「フィンツのこころを永久に殺す」ことになってしまう。

 もしそうなれば、ディーンは立場を変え姿を変えてまたこの時代のエウロペアに生まれてくるだろうが、フィンツは人の形を成せない怨霊となって無意識の悪意としてセカイを覆う。

 ディーンに与えられた難題はほぼ不可能に近い。

 だが、不可能を可能にするその覚悟でディーンはメリエルとアリアスの絶対的な味方であり、二人がなにを考えてなにを実行に移そうとも、それも「審判」だとして受け入れると宣告した。

(ねっ、わかったでしょ、メロウ。ディーンにいさんは「嘘つきで正直な人」なの。自分のことは必要に応じて偽るわ。だけど、自分のこころにはとても正直な人。出来ない事は出来ないし、やれることはやる。賭けてもいいわよ。ディーンにいさんは絶対に自分のこころや貴方を裏切らない。貴方を裏切るとしたら貴方の想像の遙か上を行って、貴方の心のつかえを取り去るためよ)

 でも、だとしたらどうやって「敵」として自分を殺そうとしている「おとうと」を殺さずに止めるのだろう。

 「対話」と「無力化」という自身の得意技が通じない相手に対して、「分からず屋」と化して「敵」に回り、全滅するか全滅させるかしなければ決して終わることのない戦いを終焉させるというのだろう。

 ベリア諸国に続いて、ゼダ女皇国やフェリオ連邦がなくなったくらいでメロウのさだめたセカイの真理に対するフィンツの怒りが収まるとは到底思えない。

 それにフィンツがいまどんな姿をしているかすら、まったく分からないのだ。

 それがフィンツの行方を散々探し回ったメリエルの結論だった。

 今もひっそりとパルムの何処かに居るのだろう。


 セスタ駅に到着するとスターム家が用意した馬車が出迎えていた。

 四人乗りの馬車の前列にトリエルとマリアンが乗り込んで座る。

 メリエルは一人後席に腰を据えた。

(アラウネさまってどんな人だろうね?)

 メルは興味津々といった様子だ。

 史学を習い、改革者アラウネの治績はその目で幾つも確認してきた。

 大陸横断鉄道、トレド要塞、最大拠点都市アルマス、ホテルシンクレア・・・。

(全く分からないわ)

 周囲に対龍虫戦争国土強靱化計画遂行委員会こと《13人委員会》が居たとして、摂政皇女だった彼女に僅か数年の短い期間で一体なにが出来たというのだろう。

 トワント、ローレンツ、パトリック、パトリシア・ベルゴール。

 《13人委員会》はアラウネの指示と思惑で動き、多大な犠牲を払いつつも、龍虫戦争における布陣を概ね完成させた。

 だが、既に想定外なまでに「敵」の蹂躙を許しているし、ネームド人類の結束も破綻しかかっている。

 「敵」は外にも内にも居た。

 計画の一端でもあった《剣皇機関計画》はディーンとトリエルとで現状は回しているし、《メリエル計画》は完全に失敗した。

 むしろ、《メリエル計画》の本来の候補者たちは別にいたとディーンは指摘していた。

 だが、何故か皇室吟味役のトワント公爵は「メル・リーナ」をメリエルに指名した。

 それこそ「敵」の思う壺だ。

 目に見える形、それと狙える形でメロウがメリエル役に指名されて、現に何度も狙われていた。

 《13人委員会》の計画の想定外の存在は、メンバーの一人だったダリオ・レンセン中尉の遺児たるアリアス・レンセン中尉だろう。

 当時の父親と同じ階級扱いの「スレイ」は父が担う筈だった参謀役、後方指揮官となったが、その心の内は誰にも読み解けない。

 頼もしいには違いなかろう。

 だが、ダリオの龍虫戦争参戦時には「大佐」として参加させる予定だった筈だ。

 同じ「大佐」のフィーゴやセダン、アルバートを所定配置で迎撃作戦を担当させる役をアリアスは「中尉」としてやらざるを得なくなっている。

 いつかそれが破綻の契機となるかも知れない爆弾だった。

 スレイは仮面を取り替えつつ、陽気でチャラけた道化役として与えられた役目だけは果たそうとし、その能力を疑う者はいない。

 だが、皆に「死んでこい」というには階級的にも年齢的にも足りないし、それを面白く思わない者もいるに違いない。

 人のいのちも戦争で消費される資源の一つに過ぎないとスレイは考えていたし、スレイは残忍ではないが冷酷無比だった。

 幸い『剣皇ディーン』役のディーンもトリエルもスレイの作戦立案能力の高さを認めているし、頼りになる相棒だと思っている。

 もともとが《龍皇子》アリアスなのだ。

 だから、的確に戦況を判断するし、戦いの最中に常に逆の立場ならどうするか考えている。

 スレイは騎士たちと《虫使い》の「共倒れ」を狙っているかも知れない。

 あるいはかつての仇敵ディーンを補佐してネームドを勝たせる。

 『剣皇ディーン』はそうした「諸刃の剣」であるスレイを何処まで使いこなせるのか?

 「敵」にとっても厄介な障害であり、だからすみやかに殺そうとしている。

 今はスレイにも隠しているがメロウには《ナノ・シールド》という切り札がある。

 つまり、遠目から狙撃で狙われていようが着弾時に防御する術がある。

 それに加えて感覚索敵能力。

 《鷲の目》よりも高度かつ正確なナノ・マシン配列配置確認能力だ。

 そしてメルの能力を取り込んだことで得られた擬態や変装能力。

 もともとメルのいたリーナ家とは新女皇家皇分家の一つだった。

 つまり、メリエルはその気になれば騎士として真戦兵を操ることも出来る。

 ある意味、それをさせないための措置がルイスを全権代理人として送り込んだアリョーネの真意かも知れない。

 騎士由来能力を使い、敢えてメルだと認知させながら「だからなんだ」と認知を誤らせ、フィンツを探すため貧民街にも出入りしていた。

 そして《惑いの回廊》という《筺》由来のトラップを仕掛けてセーフゾーンをパルム内に作り出していた。

 「敵」の侵入を不可能にするセーフゾーンをパルム街区に作ったことに関してはディーン、ルイス、スレイも知らない情報だ。

 大人しくリーナ邸に居たなら、本来ならそんなものは必要ない。

 だが、現にリーナ邸内で慎ましく暮らしていたセシリアと本物のメルは一服盛られて殺されていた。

 パトリックも危ないところだった。

 仕事で多忙ゆえに自宅での食事の機会が少なかったので、たまたま難を逃れただけの話だ。

 そして同様だった筈の「タントおじさま」もなんらかの方法でやられていた。

 だからこそ、メリエルは絶対安全領域をパルム内に作り出さねばならなかった。

 このことを知るのはエーベル・クライン少佐たちと彼の同僚かつ部下でもあったエリーシャ・ハラン。

 アルマスで女皇正騎士だったというエリーシャと再会し、街区の話をした時に顔色がサッと変わったので確認した。

 いざとなったらパトリックとメルも含めた家人全員を逃がすための街区だと、造った当人がメルだとも知らずにエリーシャは理解していたに違いない。

 そしてセーフゾーン内に辿り着けない者も居るに違いない。

 だが、誰か居たような気がする者は居てもそれが誰だったかは誰にも特定出来ない。

 エウロペアの民こと敬虔なファーバ教徒しかセーフゾーン内には入れないし、入ろうとしたら《惑いの回廊》の罠に存在を消される。

 リーナ家にハウスメイドとして雇われたエリーシャの正騎士着任後、エリーシャは毒味係としてメルやパトリックに提供される食事は自分かメルが作ったもの以外は全てチェックしていた。

 エリーシャがメルお嬢様に「料理」を教えていたのは毒物によるパトリック暗殺を警戒し、その口に入るものに関しては極めて慎重になっていたせいだ。

 だからこそ、料理人たちの誰かでなく、メルが調理した夜食をパトリックが口にするよう仕向けていたのだ。

 改めて考えるとゾッとする。

 「リーナ家ではそういう習慣なのだ」とメルやパトリックが家人達に思わせていたので、暗殺者やあるいは暗殺者に弱みを握られた家人たちがおかしな真似が出来ないようにされていた。

 その「おかしな真似」をしていたマリア・ハファスを、マリアを大切な家族の一人なのだと信じていたフィンツが「誅殺した」とディーンから聞いて戦慄した。

 あるいはディーンよりも優しく繊細で聡明な貴公子フィンツはその手を家族の血で汚した。

 メロウの「敵」とはメロウにより真の信仰を奪われたと憎んでいる「ルーマー教団」であり、彼等は見た目だけでそれと分からない。

 メロウの感覚索敵能力でも相当絞り込んだ上で、慎重に確認しないと分からない。

 そして、メルにとり頼もしい味方の一人である「キタさん」こと、エーベル・クライン少佐の上司であるエイブ・ラファール少将。

 彼もエーベルから街区の情報は聞き知っているだろう。

 ルイスの父親たるエイブだがルイスには思いも寄らない別の貌を持っている。

 そもそも「切り札」の一つはパルムの地下施設にひっそり格納されていて、エイブはその「切り札」の担当者だった。

 本来、《虫使い》たちは地下が苦手だ。

 思念信号波が乱反響するので通常ならほとんどやり取りが不可能だった。

 「切り札」の正体については「敵」に回ったフィンツも存在自体知らないだろうし、搭載されているモノについても知らないだろう。

 メリエル誕生の秘密を知る「タントおじさま」がそれとなく話してくれた。

 いずれセカイを守る「救世主」が現れるが、その「救世主」を手助けするための組織の一員がエイブだという。

 おかしな話で、そもそもエイブたちが所属する「そのとある組織」はメロウに敵対するためのものだと彼女自身に思われていた。

 なにしろ「救世主」だ。

 だが、《筺》の存在を知り守り手たるトワントが、メロウの逆鱗に触れかねない話なのに笑いながら「ルーマー思想とは無関係で、実際はその逆だ」と話していた。

 「『救世主』とはディーンのことか?」と尋ねたらこれも笑われた。

 「倅にも『救世主』と呼ばれる程の力などないよ」と言ったのち、「あるいは倅の計画とはその『救世主を創る』ことなのかも知れない」と真顔で言われた。

 メリエルの身の安全の為に「ルーマー討滅令」を出したトワントを全面的に信じるメロウは「彼等」は「味方」であるか「中立」だろうと考えている。

 少なくともメリエルを排除しようとは考えない。

 だが、「彼等」はどういう基準で選ばれ、なんのために存在するかに関しては全く分からない。

 「キタさん」も構成員ではないので知らなかった。


 馬車に揺られるうちにスターム家に到着していた。

 大きいには大きな屋敷だが外観はどうということない。

 だが、メリエルは感覚索敵能力を用い、横合いを通り過ぎた農夫の乗り物を見て驚愕した。

(どうしたのメロウ?)

(嘘でしょ。なんなの此処?)

(驚かれるのも無理はありませんな。つまり、貴方が見ている此処は「共生」についての答えの一つです)

 別の信号思念波が割り込んできていた。

 いわゆる《虫使い》のものだ。

 穏やかな表情の中年男性が立っていた。

 ハイブリッド種?

 つまり、ネームドとネームレスの混血種をハイブリッド種と呼ぶ。

(私たち三兄弟はそうです。母がネームレスのまま私たち三人を産みましたから。便宜上、マヘリアと呼ばれていましたが、昨年亡くなりました)

(それじゃ、貴方が・・・)

(オーギュスト・スタームとお呼びください)

 かつて《太陽の騎士》と呼ばれた女皇騎士団元司令たるオーギュスト・スタームはハイブリッド種だった。

(そして、私は義姉さんのエンプレスガードです。つまり、私はアラウネ姉さんの義弟。私の本当の妻は貴方もよくご存じの筈だ)

「アリョーネ・・・」

 思わずメリエルが口走ったのを誰かが聞き咎めた。

「メリエル、不敬ですよ。たとえ仮初めの母親とはいえ公の場では敬称をつけなさいっ!義弟から厳しい教えを受けた者だとは思えませんよ」

 妙齢の婦人からの叱責にメリエルは震え上がった。

「義弟?」

「貴方がトワントあるいはタントと呼んでいるのは私の義弟の一人です」

 アラウネはメリエルへの叱責を終えると馬車の前列から降り立った二人に相好を崩した。

「本当に久しぶりね、トリエル、ジョセフィン。貴方たちを此処に迎えられることを喜ばしく思うわ」

「相変わらずアラウネ姉さんは真面目で手厳しいや」とトリエルは苦笑しつつアラウネと再会の抱擁を交わした。

「お久しぶりです、アラウネお義姉さま」

「“マリアン”貴方も本来の役目を忠実に守っているようだわね」

 ジョセフィン・シェンバッハは夫さえ知らないアラウネからの「密命」を帯びている。

 それはルジェンテ一族として夫や義姉たちを厳重に監視しつつ、その身にかえてもその身を守ることだった。

 Rの血族。

 剣聖リュカイン・アラバスタの末裔として分岐したRの血族たちはゼダ女皇家の身勝手など許さないことを目的として存在していた。

 剣聖である《霧のソシア》は再誕して超一流の騎士として、比翼連理の相手たる『剣皇ファーン』を導いている。

 亡国のマルゴーを「オラトリエス」として再興したルジェンテ一族とてそうだ。

 父アンドラスを誅殺した実兄で父殺しの騎士王『剣皇カール』に対し、父の潔白を証明するためにジョセフィンは夫のトリエルを心から愛し支え、その上で「監視監督役」となってきたのだ。

 Rの血族の同志ルカ・クレンティエンと共に己を磨いたのもそのためだ。

 だが、Rの血族たる「アストリアの盾」は《ナイトイーター》にされてしまった。

 やはりひた隠されていた秘密は「敵」にある程度漏れた。

 ルカは討たれ、その娘リリアンは迷っている。

 バルドも討たれ、その息子は・・・。

 アラウネの問いかけに黙り込んだ愛妻にかわり、トリエルが調子良くつとめて陽気に振る舞う。

「セリーナもディーンも元気にやってるよ。まぁ、セリーナの方はもうやりたい放題で、姉さんが見たら卒倒するだろうけどな」

 アラウネはため息交じりに頭を抱えた。

「はぁ、本当にあの娘は私とあの人の悪いところばかり似てしまった」

「えっ?」とトリエルが面食らっている。

 セリーナはトリエルとジョセフィンの長女だ。

「ああ、久しぶりに親族と会って少し混乱してるのかも。姪っ子だけどあの娘の事はあんまりにも気がかりだったんで。紫苑の事はなにも心配じゃないけど、あの娘やイセリアのことは心配で心配で」

 久しぶりに親族と会ったというのも嘘だ。

 昨年あったマヘリアの葬儀でディーンとは再会していたのだ。

(オーギュスト、どういうこと?)

(イセリアとシャナムはアラウネ義姉さんが乳母なのさ。自分のおっぱいやって育てた子供さ。ディーンは産まれた頃からとにかく手が掛からなかった分、イセリアたちはねぇ・・・)

(あっ、そういうことね。セリーナはアラウネさまの・・・)

(トリエルには絶対に秘密だ。実子だろうが姪っ子だろうが今じゃほとんど関係がない)

 トリエルは父親不在のディーンに対しても「叔父さん」という父親がわりをしている。

(それに貴方がディーンの父親じゃなくてフィンツの父親ならアラウネ様の旦那様って?)

(そのうち分かるだろう。だが、俺はアイツを赦していないし、義兄と認めていない。兄さんを誅殺したアリョーネがアイツを野放しにしているのは「国家の狗」として便利だからだろうさ)

(兄さんを誅殺したってどういうこと?)

(「オーギュスト・スターム」は端っから二人いた。つまりカイル兄さんと俺ことサンドラ。俺たちは双子だよ。そして、弟がエルビスだ)

 メリエルはフッと気が遠くなっていた。

 敵地に乗り込む感覚でずっと張り詰め、仮眠もとらずに思念信号波でメルとずっとやり取りしていたせいもあったし、使い慣れない信号波同調能力を用いオーギュスト・スタームの正体を知ったせいでもあった。



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