第2幕第7話 凪の季節


 メリエルの予想通り、最終的な席次はナファドの左右両隣が空席で、残る7人がそれぞれ座るという形になった。

「なにが始まるんだろうな」とイアン・フューリー少佐は何食わぬ顔で弟弟子のスレイに尋ねる。

 ディーンの話す内容は女皇正騎士でも知らないのだとスレイ・シェリフィスは確信した。

「なんか相当重要な内容らしいですよ」とスレイは緊張の面持ちで隣に座るメリエルを一瞥する。

「それより師兄。ハサンの戦死は本当に・・・」

 語尾を濁し、まるで自分に責があるかのようなスレイの言い様にイアンの顔が曇る。

「レーグニッツ曹長の戦死は聞いた。ブラムドのクルーたちも落ち込んでいるがあまり気に病むな。軍人なんだ。アイツだって覚悟はしていたろう。お前でなくて良かったなんて言いたくはないが、レウニッツ大佐に後任の人選はお願いしている」

 ハサン・レーグニッツ曹長の早すぎた死にはイアンにも思う処が大きい。

 目端の利く有望株だから弟弟子につけてやったのだ。

 そして、戦死そのものよりもその手段と本来の目的とにイアン・フューリーは戦慄した。

 おそらくはスレイの想像通りなのだろう。

 トリエルも絶句していた。

 あるいは「味方の弾」だったかも知れないと察しの良いトリエルはすぐに状況と配置を再確認調査させていた。

 実際のところ、階級がさほど高くないスレイ・シェリフィス中尉が幹部に選ばれたことを良く思っていない者も多い。

 疑い出せばきりがない。

 そして、味方を疑わせることもの狙いであるかも知れないとまで考えていた様子だった。

 そのうち他の出席者が勢揃いし、最後にナファド法皇とディーン、そしてトリエル・シェンバッハが連れ立って入室した。

 法皇ナファド・エルレインの号令で会議は始まった。

「少し長い話になるので皆様、ごゆるりと。噂にはご存じでしょうが私の右隣にいる青年が女皇正騎士フィンツ・スターム少佐なのとトリエル卿が女皇騎士団の副司令であり、《剣皇機関》を構成する一人であるのはご存じかと」

「はい。『アークスの騎士』だということも。我々テンプルズの団長にいずれなるやも知れぬということもですが」

 ミシェル・ファンフリート神殿騎士団副団長が応える。

「ああ、やはりそうでしたか」と無骨なひげ面だが、温厚そうな中年男が応じる。

 レウニッツ・セダン大佐。

 国家騎士団西部方面軍ゼダ国家騎士統括も納得顔をする。

「では、スターム卿の剣皇就任と理解すれば良いのですかな?」とメルヒン《西風騎士団》のアルバート・ベルレーヌ卿もセダンと同様の反応をする。

 年齢はセダンと変わらないが細面で優男だ。

「まぁ、我々の中にアンタがたの高名と実力を知らんヤツもいませんわな。現にあっという間に戦況を変えた」

 ナカリア《銅騎士団》臨時代表で、飛空戦艦マッキャオ艦長のフェルナン・フィーゴ大佐は興味なさそうに剃り損ねた髭を引っ張った。

「違います。今回の幹部会に関しては彼にエクセイル家新当主ディーン・エクセイル・ゼダ公爵として出席して頂きました。はっきり申し上げるとその役割を終えた後でないと、皆様のご指摘のように彼は剣皇ディーン・フェイルズ・スタームとしての職責に就けないのです」

 どういう意味だということで全員がザワついた。

「法皇猊下、後は私からかいつまんで」

 ディーンは学生たちを教える史家エクセイル家の人間としての顔を見せた上で皆に向き直った。

「これから私が語る内容は最重要機密事項だと理解した上で絶対に他言無用だと肝に銘じて下さい。事は史家エクセイル家で密かに伝えられてきた我々の祖先たちが辿った真実の歴史です。そしてナコト写本の内容でもあります」

 その言葉にメリエル以外はにわかに動揺した。

「真実の歴史って・・・?」

「つまりそれはゼダだろうがメルヒンだろうが嘘の歴史を教えられてきたという意味ですか?」

 ディーンは毅然と言い放った。

「そういうことになります。それにファンフリート卿すら知らないテンプルズの本来の役割と存在意義です。まずミロア神殿騎士団というのは団長不在時の仮の呼称です。本当の名は《剣皇騎士団》。創設者にして初代の団長は剣皇ファーン・フェイルズ・スターム。初代の副団長は《光の剣聖》エドナ・ラルシュです。すなわち特記第6号の示す最高指揮権とは剣皇騎士団長に与えられるものです」

 前章での「ボルニア戦役」で剣皇ファーンとエドナはゼダ禁門騎士団に勝利し、ボルニアにミロア法皇国を作った。

 やがて抑止戦力としての神殿騎士団が法皇国に残る形にし、ファーンとエドナはラムザール・メイヨールから租借地セスタを得て隠棲した。

「なんですとっ!?」

「剣聖エドナがテンプルズの副団長だった?」

 異口同音に皆が動揺する中、メリエルだけはやはりそうだったかと顔を伏せて言った。

「『剣皇ファーン』の最大の偉業は旧ボルニア王国領をミロア法皇国として成立させたことですね?」

「ええ、おおむねその通りです。メリエル皇女殿下」とディーンは史学生メル・リーナに教える口調になる。

 その話自体が聞き捨てならない。

 ここに居る幹部だけでなく、中原に生きるすべての人間たちにとってだ。

「旧ボルニア領は大戦後のパルム講和会議でゼダに編入される筈だった。しかし、剣聖エドナは大戦での敗戦後も祖国で除染活動と抵抗運動をしていたのではないですか?」

 通常ならそう教えられる。

 だが真相はもっと複雑だった。

「違います。《パルム講和会議》の内容そのものも実際に知られている内容とは違います。そもそも、《光の剣聖》エドナ・ラルシュというのは、この前の龍虫戦争の“前半戦”だった《龍虫大戦》では《虫使い》側の最高司令官だったマガール・ブラウシュタイン本人のこと。そして、もともと龍虫側の人類こと《虫使い》には名前を持つという習慣がありません。ですから彼等虫使いたちの通称は《ネームレス》なのです」

 まず「龍虫大戦」が前半戦だったことに、次にエウロペアに冠たる剣聖エドナが敵側司令官だったことに全員が動揺した。

「従って仮称マガールが大戦終結までの、エドナがネームド人類に帰化した大戦終結以降で《十字軍戦争》以降のということなのです。ボルニアの出身ということにしたのは滅ぼした自身がそう望んだからです。更に厳密に言うとが『マガール・ブラウシュタイン』と呼ばれたことは一度もありません。後で人類史全体を書き換えた何者かが必要になり捏造した名前です」

 わずか数十秒しかかからないその説明が法皇ナファドを除く出席者全員の脳天を根底からぶちのめした。

 その結果、全員が顔面蒼白となり絶句した。

 今まで信じてきたなにもかもが嘘だったという告知だ。

「何者かとは今更な話ですがエクセイル公爵家の家祖たる初代ギルバート・エクセイルです。シンクレアの末裔はある時期まではゼダの諸侯でしかなかった。すなわち《真実の鍵もつ者》。同族のフェリオ選王侯爵家筆頭ウェルリフォート侯爵すなわち《砦の男》とは二連星と呼ばれていました」

 ゴクリと唾を飲み込む音が水を打った静けさの漂う会議室に聞こえた。

 その場にいた人間で聞いたことがない者はいない。

 《真実の鍵もつ者》とは騎士たちの祖先シンクレアの直系一族。

 おなじく《砦の男》とは拠点防衛の要として何度も人類を滅亡から救ってきた英雄であり、やはりシンクレアの直系一族。

「さて、真実の《パルム講和会議》とは《十字軍戦争》と呼ばれる虫使い勢力の撤退戦の終幕として、初代剣皇アルフレッド・フェリオンと、虫使いたちの最高指導者龍皇の間に交わされる筈だった終戦協定です。実際、2度は上手く行った。しかし、3度目・・・すなわち21周回において講和会議は崩壊しました。妨害者の策謀で《龍皇》がアルフレッドのミュルンの使徒搭載型真戦兵である《フォートレス》と強制融合させられた。相反する二つの魂は《フォートレス》を《白痴の悪魔》に変えた。そして、講和会議に参列していたほとんどの真戦兵と大型龍虫を融合してしまった。惨禍を免れたのが、既に主を喪いメルヒンに里帰りしていたエリンの剣聖機である《サウダージ》、そして組体不調でフェリオのリンツ工房に調整に出されていたレイゴール卿の《サーガーン》、そして形状的理由から人目に触れさせられないライアック卿の《フェンリル》とリュカイン・アラバスタ卿が起動しなかった《ベーセ・ルガー》。そして、既に内戦に陥りかけていたフェリオ連邦ハメル-フェリオン遊撃騎士団ファーン・スタームの《ゼピュロス》、最後に当時の私ことアストリアホーフェン騎士団臨時代表として龍虫の撤退戦が続く、かの地で戦っていた《黒髪の冥王》ヴォイド・ハイランダーの《フェルレイン》です。それ以外はほとんど食われた。海に逃れたフォートレスは休止状態となったことで、“あるもの”により暗黒大陸に移送されました。それ以後の周回にはアルフレッドも龍皇も存在しない。通常の解脱ではない解脱者としてセカイから消失した。その後はその都度誰かが代役に立っていました」

 周回という耳慣れない言葉に怪訝顔のスレイが反応した。

「ディーン、周回って俺たちは何度も同じような歴史をくり返してきたってことなのかよ?」

 それに対するディーンの答えは冷淡そのものだった。

「如何にも。現在が27周回になります。そもそも我々のセカイは紛い物であり、龍虫が旧世界人類の負の遺産だというのも嘘です。すべてはナノ・マシンと呼ばれる環境再現装置による幻影。だからこそ、騎士たちの本質はナノ・マシン使いという言うならば魔法使いなのです」

 既に緒戦を戦っている者たちにはその言葉がよく理解出来た。

 戦場に立つと時として《蒼きエリシオン》のような奇跡に似た出来事が起きる。

 それを起こすのは騎士たちだった。

「だけど、周回の終わりと次の周回の始まりはいったいどういう仕組みなの?」

 メリエルを一瞥してディーンは厳かに告げる。

「《滅日》。『最後の審判』とも呼ばれる人類終末の日で、もともとは周回開始から3000年経過したときに自動発生する大崩壊でした。大崩壊の後に、ナノ・マシンの再配列によってセカイは新たな始まりの日を迎える。そして《滅日》を越えられるのは《龍虫》、《使徒》と《写本》、《真史》、《筺》だけです。そして前の周回で確定した事実でナノ・マシンたちが有益と判断した事象が事実確定される。しかし、実際に周回を重ねた結果、歴史そのものが圧縮されて千年近く短縮されました」

「千年も短縮して大丈夫なのかよ?」

 セダンの問いかけにディーンは眉根を寄せて一瞬沈黙した。

 おそらくは「大丈夫ではない」のだ。

 だが、ディーンも明確な答えは持っていない。

「おそらくはナノ・マシンたちが学習した結果です。必要な存在を必要なときに産み出す。それは主に人です。ナノ・マシンたちは個々の情報体とは別に集合情報体というものを備えていて、過去に産まれ、死んでいった人々を情報体として記憶しています。つまり、そのときセカイにとって必要な人間を必要な時代と場所に、『魂の同じ存在』として送り込める。だから、ここにいる皆もそうして何度も送り込まれてきたのだし、期待に応えた結果、歴史はいわば正解ルートを進んで結果的に圧縮されたと思われるのです」

 一番無難な回答をしたものの、一瞬だけディーンの見せた険しい表情にレウニッツ・セダンは察した。

 本当に誰も知らないところで終わりの刻が確実に近付いているのだ。

 ディーンの沈黙によりセダンとメリエルを除く他全員が動揺し、お互いの顔を見合わせ、思い思いに話し始めた。

 自分が選ばれた特別な人間だと思うほど傲慢な人間はその場に一人として居ない。

 だが、それこそがナノ・マシンに選ばれた証だった。

 時代に変革をもたらす力を認められて実際に過去に変革した。

 その結果、名前や立場こそその都度違うが、ほぼ同じ人間として再度歴史の担い手となった。

 スレイ・シェリフィスが全員を代弁した。

「だが、もしそうだとすると何度も何度も繰り返し便利使いされる人間がいることにならないか?」

 ディーンは少しだけ表情を曇らせた。

「よく気づいたな、スレイ。その代表格がボクとルイスだ。《黒髪の冥王》と《嘆きの聖女》。ナノ・マシンによる召還ではなく、滅びを免れようというネームド人類の集合無意識による強制召還。けれど、危機を凌いだあとはどうなる?絶大な力もつが故に喚ばれ、絶大な力持つが故に畏れられる」

「危機を脱したあとは抹殺してきたのか、お前たちを・・・」

 『自死に追い込む』、『魔女として火あぶりにする』。

 もととなった人間本来の宿命から逸脱出来ない二人はそうして名前持つ人間達から道具扱いされてきたのだった。

「如何にも。だが、その呪いを解かれて久しいよ。その結果、ボクらはこの時代に『剣皇ディーン』と『紋章騎士ルイス』としてしか出現しなくなった。ああ、先回りして言っておくと夫婦になったのはこれが初めてで、呪いを解かれ共に戦ったことよりも、敵として殺し合ってたことの方が遙かに多いよ」

 他人事のように平然というあたりがディーンらしい。

 だが、『夫婦になったのはこれが初めてだ』というのは大嘘だ。

 しれっと嘘をつくあたりがディーンらしいが、長くなるので端折ったのだ。

 正確に言うのなら“ちゃんと夫婦生活を送ることになるのは今回が初めてになる予定だよ”だった。

 26周期でディーンとルイスは偽典史そのものの運命を辿り、ディーンは「アイラスの戦い」でネームレスサイドに与したトゥドゥールと相討ち同然になり、ルイスはディーンの子を残して早世した。

 夫婦といえば夫婦だが、正に後世に血を遺しただけの話だ。

「先を続けてくれ、少佐。細かい質問は後でする。ただでさえ、話が突飛な上にややこしくてこんがらがっている」

 フェルナン・フィーゴは彼らしい発言をしたので場が和んだ。

 ディーンはニコっと微笑み、咳払いして先を続けた。

「《パルム講和会議》の崩壊が確定した以後の歴史はまさに悲惨そのものとなりました。舞台となったパルム・・・いえ魔都パルムドールのあるパルム平原は血塗られた荒廃地となり、地政学的にパルムが荒廃地ならば、十字軍の終結後も混乱は延々と続き、中原の中心たるゼダはバラバラになりました。それをある方法でなんとかしようと考えた連中が更に事態を悪化させました。つまりはマルガ離宮に安置されていた女皇アリアドネの睡眠凍結を解いて、詩の力でパルムの地を浄化しようと試みたのです。そのせいで、女皇家は一度滅んでしまった。それが語られざる歴史たる《アリアドネの狂気》です」

 狂気のアリアドネのもつ特殊能力テンプテーション。

 見境もなく魅了するその力は黎明期の人類にとって、《虫使い》に統制された龍虫に対抗する唯一の力だったかも知れない。

 人間達は個々の自意識を封じられ、愛するアリアドネのために喜んで捨て石になる。

 あるいは龍虫や《虫使い》をも寝返らせる。

 だが、文明度が進んだセカイでその力が解放されたら大混乱を齎す。

 現にそうなったのだ。

「エスターク・メイヨール公王によるアリアドネ封印作戦。しかし、この試みも何度も失敗しました。なぜならエスタークが男性公爵だったからです。アリアの詩に狂わされた結果、エスタークは文字通りの暴君と化して更に多くの血は流れました。最早どうにもならなくなり、人々の召還に応えた《黒髪の冥王》と《嘆きの聖女》が覇王エスタークを倒したものの、その後の行方を巡って対決し、連続して何度もくり返し召還される事態に陥りました」

 正にそれは悪夢だったろう。

 メルヒンやフェリオも巻き込んで名前持ちの人類同士が相争う。

「しかし、アリアドネ封印を解決する方法はいたって簡単でした。つまり、幼名エセル、成人後はエスターク公王を“女性にする”という方法。アリアドネの血を引き、なおかつ女性ならテンプテーションにも強い耐性を持ちます。もっとぶっちゃけると自由奔放、傍若無人すぎるエセルはアリアドネと並び立つなど思いも寄らなかった。やっつけてマルガに再封印して自分が中原世界の中心たるゼダの支配者になると公言し、法皇から剣皇認定させたのです。そうしてフェイルズ・スターム直系のエセルが剣皇となってアリアドネをマルガに再度封印し、ミロアで法皇との折衝役となり事態収束に協力した《真実の鍵もつ者》たる初代ギルバート・エクセイルと夫婦になりました」

 アリアドネ封印を成功させた剣皇エセルの偉業は讃えられる。

 だが、その後をディーンは険しい顔で続けた。

「ですが、これは明らかな簒奪行為です。実際にはフェリオ、ミロア、メルヒンに在住ないしは亡命していたゼダ皇族もいた。その彼等を影へと追いやり、エセル改め簒奪の新女皇エクセリオンがギルバートと共に残したのが、単独でフェイルズ・スターム家と同等の力宿す『新女皇家』の者たちです。彼等は例外なく強い騎士因子を持ち、自分の代で発現しなくても次世代で発現する。それで可能な限り女皇家連枝の多くの女性騎士たちを既存の騎士家と縁組みさせて次世代により強い血を遺そうとしたのです。その結果、皇分家制度が確立した。皇分家の騎士達はおしなべて強く逞しい。ファルメ、ノヴァ、スレイマン、リーナ、ベルゴール、デュラン・・・ウワサには聞いたことがある筈です。ただし、問題は残りました。彼女たちが夫や子供、恋人たちを巻き込んで龍虫戦争そっちのけで覇権争いを始めてしまった。《虫使い》と龍虫など残った人間たちでいつでも駆逐出来る。それが自分たちと相反する深き闇をもたらすとまでは考えなかった。しかし、エセルがたった一つ勇気と覚悟をもって示したのが簒奪の歴史的事実から逃げないことでした」

 メリエルは母の生家たるリーナ家もゼダ皇分家の一つなのだとこのとき初めて知った。

 ディーンは言葉を切り軽く目を閉じた。

「つまり紋章騎士に与えられる紋章布をよく解析するとメイヨール公爵がゼダ女皇家を簒奪した事実が明らかにされています。証拠となるものを《嘆きの聖女》に委ねた。私の妻であるルイスが身につけているのはそうしたものなのです。事実上、《黒髪の冥王》と《嘆きの聖女》とが、剣皇、紋章騎士としてゼダ新女皇家を監視監督して指揮下に置き、エウロペア大陸諸国を纏めていけという剣皇エセルからのメッセージです。何故なら《白痴の悪魔》がマルガに到達してアリアドネと融合したらセカイは終わります。それを防ぐために私たちはずっと戦ってきたのです。最重要な歴史の分岐点。考え得る最強の布陣で事にあたり、絶対に阻止せよ。だからこそ我々の戦う舞台は人類絶対防衛戦線だということです」

 大陸諸国連合軍の正式名称である人類絶対防衛戦線。

 実際にアルマスを突破されてもそれだけで事は終わったりしない。

 だが、山岳部の法都ミロア、ヴェローム公都ベルヌ、ゼダ旧都ハルファが丸裸も同然になり、平野部の食糧生産拠点は喪失する。

 人口密集地で脆いパルムを中心とした地域がナノ粒子に汚染されたらマルガ陥落は時間の問題だ。

 だからこそメルヒンのフォートセバーンとメイヨール旧公都トレドの二つの要塞を防衛ラインとして阻止せよという意味だった。

「そして既に我々はフォートセバーンを喪失した・・・」と呟きベルレーヌは放心した。

「既に我々は緒戦段階で劣勢だってことか」とイアン・フューリーは呆れ果て、その上で敢えて続けた。「しかし、今の皇分家同士の関係が極めて安定的なのはどういうことなんだろう?」

 実際に現在の皇分家同士の関係性を知るイアンからしたらそれぞれ身勝手な女系一族ではあるが、露骨に対立したりはしていない。

 ディーンは何故かフェルナン・フィーゴにじっと視線を注いでいた。

「我々、ネームドの中から新たな敵対勢力が発生したのです。ルーマー教団と傭兵騎士団エルミタージュです。彼等はミロア法皇国も新女皇家も認めてはいないし、むしろ《白痴の悪魔》はメロウに唆された我々への審判であり、破壊神そのものなのだと、そして偽りだらけのエウロペアは《白痴の悪魔》に蹂躙されて終わるべきだと。そして前の周期ではトゥドゥール・カロリファルが彼等に与し、私たちは戦力を二つに裂いた。私は剣皇騎士団でアイラス要塞に集結した国家騎士団と決戦に及びトゥドゥールと相討ちして戦死しました。ルイスは大陸諸国連合軍と共に《白痴の悪魔》をフォートセバーンの地で復活していたエドナ、エセルらと共に討ち果たした。しかし、《フォートレス》の使徒再生核のある《白痴の悪魔》は《ベリアの悪魔》として300年の眠りから醒めて再度襲来し、既に戦う術を殆ど喪失してしていた我々は簡単に屈し、最後の騎士アーサーの敗北をもってエウロペアは壊滅して西方世界は終焉し、東方世界のハポンとセナも飛来した《ベリアの悪魔》に屈した。それが前の《滅日》です。結局のところ時間稼ぎにしかならなかった。騎士たちが持てる力を最大限に発揮出来る機会は今このときしかない。今こそ剣皇と剣聖の末裔たち、あるいはを集結させられる最後のチャンスなのです。だからこそ、傭兵騎士団エルミタージュのナイトイーター部隊は迎撃戦力を削るため、籠絡と《騎士狩り》とで予定されていた我々の戦力を大幅に削ろうとした。そうして私は本来の剣皇たるおとうとのフィンツを喪失しました・・・」

 セダンもアルバートもフィーゴもミシェルも既に始まっていた戦いの中で重要戦力が喪失していたとは考えてはいなかった。

 ゼダには最強の騎士フィンツ・スターム少佐がいると無邪気に信じていた。

 しかし、フィンツは既に亡く、剣皇の影、あるいは白痴の悪魔に止めを刺すための最終剣皇ディーンが最初から戦いの前面に出ざるを得なくなっていた。

 ディーンの伝えたかった事とはフィーゴにはよく分かった。

 寂しそうなその目をずっと自分に注いでいた理由も。

 一見するとゼダに対して一番不信感を抱いており、嫉みも僻み根性も強いフェルナン・フィーゴがディーンの言わんとすることを一番理解し、その上で自分たちに出来る事とはなんなのかを真剣に考えていた。

 現状で一番立場的に弱いナカリアこそが鍵であり、直弟子にしたミィ・リッテ少尉と、今はただの半端者たちナカリア銅騎士団。

 そして剣皇ディーンがイアン・フューリー少佐と並んで信頼するフェルナン・フィーゴ大佐が今の自分たちにとって苦境を覆す鍵であるという明確な宣告。

 恥じるな、怖れるな、捨てるな今抱えている劣等意識と疎外感。

 そうした負の意識が反転して、自分たちこそがこの絶対防衛戦線を変質させ、ナカリアの勇こそが苦境を変えたのだと言わしめる。

 そのときを辛抱強く待て、だからあのとき私はすべて見せた。

 ミシェルと共に見たミィを鍛えるディーンには一抹の寂しさがあると感じた。

 戦いに勝つ要素を少しでも上げたい。

 だからといって純粋な少女の気持ちと、その心の奥に眠るどす黒い闇まで利用しようとしていることを躊躇っていた。

 リッテ氏族襲撃事件の詳細はフェルナン・フィーゴ大佐とマッキャオ副長のシェリー・オランド少佐しか知らない。

 セリアン国王の勅命でナカリア国内でも厳重に箝口令が敷かれた。

 気まぐれな「ナミブのハゲワシ」としてはぐれ者で飄々とし、高級軍人でも軍閥を作るのに熱心でなかったフィーゴにだからセリアン国王は信頼を寄せ、事情を打ち明けた。

 その実、フェルナンのフィーゴ氏族はナカリア内の部族抗争により家族の大半を喪失して正に落ちぶれていた。

 もともとフィーゴ氏族はリッテやオランドと並ぶナカリアを構成する大氏族であり、敵が多かった。

 敵対氏族の雇い入れた傭兵騎士団エルミタージュの介入があり、真戦騎士だったフェルナンの兄たちや祖父や叔父たちは傭兵騎士たちに討たれていた。

 目端の良さに長け、いずれは族長たる兄の片腕として氏族繁栄の内政担当者になると見做されていたフェルナンにもともと真戦騎士の才はない。

 だがフェルナン・フィーゴが敢えてナカリア軍人になったのは残された氏族のためにも他に侮られないためだったし、目端が良いから自分だけ氏族を見捨て、難を逃れ飛び去って逃げたと誤解されていた事情をセリアンはよく知っていてフェルナンにマッキャオを任せた。

 国王陛下からこれ以上ナカリアが乱されるのを止めてくれと懇願されていた。

 フィーゴがシェリー・オランドと内縁関係となったのもそれが縁だったし、正式に妻に娶らなかったのでなく、

 誰かにシェリーという弱みを握られるのをフィーゴは極度に怖れていた。

 シェリーは一番上の姉が将来有望だったリッテの騎士に嫁いでいて悲劇に巻き込まれた。

 だから、王党派でタッスル内政の要であり穏健的なオランド氏族内で生き残ったミィたちを実の妹のように大切に保護し、氏族内で寡婦を縁組みさせていた。

 リッテの生き残りはオランド氏族に自然吸収されていたので族長の娘たるシェリーが、新鋭艦マッキャオのフィーゴ艦長と縁続きとなるというのは他の氏族たちを極度に警戒させてしまう。

 国際政治に精通したトリエルならともかく、幾ら聡明で情報通でもディーンがそんな話まで知っているとはフェルナン・フィーゴは考えていなかった。

 勘違いだと思いたかったが今日の話を聞き、ルーマーやエルミタージュの話をする間、ディーンの視線が自分に注がれていたことでフィーゴの中で確信に変わっていた。

(子爵もディーンもリッテ襲撃事件の背景と俺達の隠された関係を知っている。フィーゴ、リッテの氏族襲撃が騎士狩り計画や金騎士団内におけるフィーゴ氏族とマルコ・リッテ排除の策動だったのだとも)

 そのフェルナン・フィーゴの表情の変化をよく見ていた男がいた。

 メルヒン西風騎士団のアルバート・ベルレーヌ大佐。

 会議の始まったときと今では明らかに態度と表情が違っていた。

 優秀な指揮官でもあるが、空気を読むのと空気を変えるのが上手い。

 そして切り札は隠す。

 敢えてラームラント猟兵団の関係者を同席させなかった。

 西風騎士団は切り崩されたがラームラント猟兵団は各首長をはじめ、ほぼ全員をトレド方面に逃がした。

 逃がしておきながら猟兵団主力部隊と西風騎士団ラームラント方面軍一個師団と各氏族たちはまだベリア半島内に留まっている。

 メルヒン攻略に持てる戦力を投入した龍虫部隊はラームラントを敢えて無視していた。

 その理由もはっきりしていて“共食いを避けた”のだ。

 ラームラントはもともと帰化したネームレスの国であり、いまだ純粋種のネームレスも多い。

 大国メルヒンが自治領として放置したのもそれが理由だ。

 アルバート・ベルレーヌ大佐はそれを最初から知っていた。

 そしてナファド法皇から提供された使徒素体はよく出来たニセモノだった。

 そのよく出来たニセモノが傑作真戦兵として既に多大な戦果を挙げていた。

 使徒真戦兵にならなかったエリシオンこそがニセモノの使徒素体から作られた傑作真戦兵となり、既に紋章騎士ルイスの愛機となっていた。

 そして、アルバートは初めから会議に招集された幹部の内訳がおかしいと感じていた。

 アルマス防衛司令官の亜羅叛が居ない、臨時司令部最高指揮官マダム・パトリシアが居ない、紋章騎士ルイス・ラファールが居ない。

 そしてメリエルがすっかり孤立し、孤軍奮闘している。

 仕組んだのはディーンやトリエルではない。

 2人ともレマン迎撃作戦自体を疑っていて、トリエルは自身の活躍で奪還したフォートでの物資回収が捗らなかったことを、ディーンはレマンでの大規模会戦などなかったことをアルバートに証明してみせ、いずれ西風を率いるエース騎士フリオを温存している。

 フレアール改修計画やラームラント勢との折衝役をアルバートはミシェル・ファンフリート大佐から全て任されていた。

 そして改修前のフレアールがなんと呼ばれていたかも知っている。

 改修担当者に抜擢された耀公明の家族たち・・・つまりベリアの耀家はラームラントに居る。

 公明だけメルヒンに招聘されていたし、その実、首長さえ凌ぐラームラントの最重要人物はメルヒンに居たし、フォートセバーンから脱出し、既に生存を確認している。

 ラームラント猟兵団とラームラントだけでなくベリアの未来を任せられたその男は、まさに何食わぬ顔をして難民キャンプに潜り込んでじっと息を潜めていた。

 アルバート・ベルレーヌ以外は誰も信用してはならないと言い含められている。

 そしてアルバートの頭には既に一つの作戦計画があった。

 今はまだ名前しかないが計画立案の最高責任者は既にこの席上に居た。

 念入りに人となりを確認し、最高司令官として戦うのはディーンで、作戦立案はにしか任せられないと判断した。

 「レコンギスタ作戦」。

 その中核となるのは亡国のベリア騎士たち。

 ナカリア銅騎士団、メルヒン西風騎士団、ラームラント猟兵団。

 そして、今は萌芽も芽生えていないもう一つの組織がレコンギスタ作戦の核となる。

 ゼダ国家騎士団統括レウニッツ・セダン大佐は現段階でおおよそのプランを明かされている。

 「と金計画」という奇妙な名称をつけている。

 それはすなわち現状では敵味方から軽んじられているものを絶対戦力に化けさせるというもので、ディーンはその支援者だ。

 現状維持に頭を悩ませているトリエルも必要な道具として量産型エリシオン建造計画を進めている。

 そしてアルバート、セダン、スレイ・シェリフィス中尉はバスラン要塞防衛任務にこと寄せ、ゼダ西部方面軍で評価の低い騎士たちとナカリアのひよっこたちを念入りに育てている。

 彼等が化ければ戦況はガラっと変わるし、2つの切り札は同様に温存されているルイス・ラファールがやはり念入りに極秘で鍛えている。

 ルイスを招かなかったことだけはあるいはディーンの配慮だ。

 アルバートはゼダ人のディーン、トリエル、セダン、スレイほどにはメルヒンの騎士たちを自分の直属中隊部下たちも含めて信用出来なかった。

 ここに集まった皆は既に痛い目に遭っていて後ろから刺され大切な存在を喪っている。

 ディーンの口から本来の剣皇でおとうとのフィンツを喪ったと聞き、「それかっ」とうっかり言いそうになった。

 皆痛い目に遭っている。

 痛い目に遭っている者同士はそれぞれ復讐心を抱えている。

 ネガティブな動機だが、それが全員の心を一つにするかも知れないのだ。

 メリエルは大きな嘆息と共につくづく自分はディーン・エクセイルという男を傲慢な男なのだと誤解していたのだと痛感し、その非礼に心の中で詫びた。

 そして、セカイに対し重すぎる責任をその身に担っていたのは彼の妻たる紋章騎士のルイスだけでなく彼自身もだったし、ルイスはルイスで更に重いものを背負った。

 ディーンは「中原世界最強の騎士でありながら史家の名門学者のふりをしていた」のではなく、「中原世界最強の騎士でありすべての歴史を担う当代史家」だ。

 その大前提としてディーンかルイスか二人の子かが生き残るかあるいは産まれるかして、始まったばかりの女皇戦争後にも誰かが引き継がねばならない偽典編纂史家としての責任を持っていた。

 エクセイル家の連枝は他にもいるにせよ、トワントが危篤である以上、エクセイル家の家業を継ぐのは今の所は彼等しかいない。

 気を取り直したディーンの講義は更に続いた。

「さて《龍虫大戦》というものがどんなものだったかわかりやすく言うと龍虫の同時多発的無差別全面侵攻です。つまり中原各地の進入口から大量の龍虫が一気に入り込んだ。その主要経路は中原の南北だった。あとで地図を用いて再確認しますが、今は大戦と十字軍についてだけ集中して説明します。《龍虫大戦》において龍虫戦争の全面指揮を担った《龍皇子》マガールはエウロペア全域を一挙に制圧する方法として一カ所に集中するより各所に火の手をあげて人類戦力を分散させた方が効率的だと判断してそれに踏み切ったのです」

 ディーンは敢えて感情を一切差し挟まない講義調の口調で続けた。

「しかし、それ自体が誤りであると先に気づいたのが初代剣皇アルフレッド・フェリオンらエリンベルク・ロックフォートメルヒン王国先皇妃の見立てで選ばれた『特選隊』の騎士たちだった。ネームド人類はかつてない苦境に立たされたが、それは同時にネームレス勢力の未来をも閉ざすことになっている。苦境に立たされていたのはどちらも同じでした。そこで《龍皇子》マガールを説き伏せるために現在の法都ミロア。かつてのヴェローム公都シェスタで“交渉”のためゼダ皇都ハルファを窺おうとしていたマガールと対峙した。それが《ハルファの戦い》です」

 現在も離宮のある旧都ハルファと現在の法都ミロアは目と鼻の先にある。

 そして、当時の女皇国皇都はハルファだった。

「つまり、アルフレッド・フェリオンは使徒搭載機である《フォートレス》搭乗でマガールとの一騎討ちを所望したのですね?」

「はい。その通りです皇女殿下。しかし、その内容は我々が教えられてきたものとはかけ離れていたのです」とディーンはメリエルの言葉さえ引用して後を続けた。

「《龍皇子》マガールの持つ恐ろしい能力というのが人の認知を誤らせるというものでした。つまり大戦に参加した騎士たちのほとんどがマガールの認知書き換え能力の結果として同士討ちを繰り返してした。そのことを敢えて踏まえた上で、剣皇アルフレッドはその場にいたエリン、レイゴールや、ライアックとカスパール、レイス、リュカインといった他の同志達全員を討ち果たしてでもマガールを止めると宣告したのです。そして、他の特選隊騎士は全員が“無抵抗で死ぬ”と決意を固めていた。マガールの最初の認知誤認の結果、アルフレッド・フェリオンが討ち果たしたのは大恩ある剣聖エリンだった。更には妻のリュカインをもお腹の我が子もろともその手にかけようとしたのでアルフレッドの狂気にマガールが臆した。そして、その場にいる全員の命と引き替えにアルフレッドが求めたのは“勝利ではなく共に滅ぶ未来の回避”だったのです」

「どういうこと?」

 メリエルが全員を代表した。

「マガールによる《龍虫大戦》とゼダとの単独講和の目的とは衰退した龍王家再興でした。龍皇自身を除く龍皇家関係者はマガール含め僅か4人にまで減っていた。それをなんとかしようと焦り、事態を更に悪化させていたのです。そして剣皇アルフレッドたちの悲壮な覚悟はなにより《龍皇子》マガールに本気を見せつけ、話し合いに応じさせるための芝居だったのです。ただし、芝居だったとはいえ剣聖女王エリンはそのとき消滅しました。アルフレッドが狂っているならそれ以上に自分は狂っているとマガールは膝をつきました。そもそもマガールが破滅的な戦争を戦おうとした最大の動機はネームド人類側に奪われた“母親”を取り戻す一心だった。その母親とは正にゼダに囚われていて、龍皇子マガールは“母親の引き渡しを条件にゼダ女皇国単独との講和を考えていて、“それが成る一歩手前だった”のです。そしてそれが成ったならばゼダを除くエウロペア全人類の滅亡が確定する。アルフレッドとエリンがなにより怖れたのは正にその事態です。そうした《虫使い》側とゼダによる“聖別”で途方もない犠牲者が生じる」

 一同はディーンの話の内容に絶句した。

 二の句も継げないとは正にこの通りの状況だ。

 

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