第2幕第2話 アルマスとトレド

 統一暦1512年7月20日

 エクセイル邸


 ティルト・リムストンはその古びた佇まいをした屋敷の前に立ち、かつてルイス・ラファールが立ったと思われる位置を歩き回り、其処で何を感じたのだろうかとしばし思いを巡らせた。

 既にティルトはエリザベート・エクセイルとは「ただの共犯者」ではない。

 所謂、「将来を誓い合った仲」であり、「恋人」と呼べる関係だったし、肌も重ねている。

 その事実にエリザベートの実父ケヴィン・レイノルズ教授も薄々は勘付いている。

 最初の疑問の出発点だった亡父の疑念はとうに回答を出していた。

 『剣皇ファーン』は実在していてミロア法皇国建国の立役者であり、エドナ・ラルシュを隣に従えた初代剣皇騎士団長。

 ファーンはその晩年をゼダ北海沿岸のメイヨール公国領セスタで過ごした。

 自身の名跡だった「フェイルズ・スターム」。

 すなわち、フェリオ連邦フェリオン候家とゼダ女皇家、そして純潔騎士血統であるスターム家という「三色の血を持つ者」として「龍虫大戦」で荒れ果てた祖国フェリオでの内戦と、崩壊した「パルム講和会議」後の混乱した中原世界に楔を打ち立て、その後の世界に一定の秩序回復という治績を残した。

 そして表の歴史からは姿を眩ませた。

 やがて偉大な父アルフレッド・フェリオンを喪失した中原世界で足掻き続ける後裔者たち『剣皇エセル』や『剣皇ディーン』の偉大な祖先となった。

 その人となりについても大まかに分かっている。

 ティルトはその答えを開示する相手としてケヴィン・レイノルズ教授を選び、既に幾つかの「答え」を示して見せた。

 それでもまだ、いやまだ「真実の物語」はほんのさわりでしかない。

 今目の前にあるエクセイル邸は建てられてから500年以上経過していた。

 エクセイル家の初代ギルバート・エクセイル1世が私邸として利用して以来、多少は時代の変遷に併せ改築されてきたが、建物と土地そのものは500年前とは大差ない。

 エルシニエ大学の歴史はギルバート・エクセイル1世から始まった。

 大学の創設者だったギルバート・エクセイル1世はおそらくは女の子ばかりだった筆頭公爵家たる自身の系譜に世襲学者としての優秀な血統を遺していった。

 控え目で物静かな人だったのだろう。

 あるいはその後裔たるディーン・エクセイルのように弁は立ち、頭の切れるボヤキ症の気難しさと、感情をつとめて抑制する人物だったのかも知れない。

 あるいはトワント・エクセイルの様に心の内側に激しさを宿しながら、それを控え目にしていたのかも知れない。

「ティルト、どうしたの早く上がって、さっきから父さんはそわそわしながら煙草を吸い続けてるわよ。あんなに落ち着きのない父さんは久々に見るわ」

 バルコニーから顔を覗かせた長身のエリザベートが別の人物と重なっていた。

 ルイス・ラファール。

 いやルイス・エクセイル。

 でも、その本分と性格といったら・・・。

「ベス、少し黙ってボクと一緒にこの屋敷を外から見てみないか?なんだったら、ケヴィン教授も呼んできて欲しい」

 滅多に指図がましい事を言わないティルトが珍しく神妙な顔つきでいるのに、エリザベートはティルトが先程から思索の為にそうしているのだと漸く気づいた。

 ややあって、父ケヴィンを伴い、エリザベートは玄関先で尚も神妙な顔つきをしているティルトに引き合わせた。

「急に臆したのか?恩師の屋敷を訪問するなど、君はこの一年ずっとそうしてきたというではないか」

 待ちくたびれていたケヴィンは「臆病者」の方のティルトの面が出たのだと思ったが、どうやらそうではないらしい。

 転んだカザリン女史を甲斐甲斐しく助け起こしていた時のティルトそのものだった。

 真剣な眼差しで凜としている。

「そうじゃないんです、教授。もし臆したのだとしたらルイス・ラファールのことが脳裏にあったせいでしょうね。彼女だって今のボクとそう変わらない年頃に季節こそ冬でしたがここにこうして立っていた事があった筈です。逆にバルコニーに立つエリザベートの姿にルイス・エクセイルが重なりました。此処に立つ間は『家族』でも『一族』でもなかった。ですが、後半生はあちら側に立って常日頃は家事に勤しみ、来客を迎える側だったのです」

 ティルトの言わんとする意味をケヴィンも噛みしめた。

 同じようにして自分も自宅を外から観てみる。

 自分も婿養子であり、結婚前は「こちら」から「あちら」を見る側だった。

「あらためて見ると立派というより、この家の主の“気骨”そのものの作りだな」

 どこも豪華でなどない。

 派手な物は一切ない。

 門構えなども「歴史在る旧家」と呼べるパルム南区北端の付近一帯の家々とそう変わったところもない。

 だが、500年間ずっとこうだったのだ。

 ケヴィンの代でも内装などは手を入れているし、電線やTVアンテナ、電話線は建てられた当時にはまだ存在していなかった。

「この屋敷を訪問した人々にもそれぞれの人生があり、それぞれの物語があり、その中には初代首相アリアス・レンセンも、その妻メリエル・レンセンもいたのでしょうね」

 第一幕ではメル・リーナは一度もエクセイル邸を訪問してなどいない。

 だが、確実に訪れていた。

 ティルトが敢えて「メリエル・レンセン」という結婚後の名で呼んだのは可愛い我が子を長らく預けていたのがこの家だったからだ。

 首相と首相夫人という生活に忙殺され、国家要人ではあったが、「皇族」ではなくなっていた夫妻は、長男のクルト・レンセンを幼い頃から同様に幼子を抱えていた親友夫妻に預けていた。

 やがて長じたクルト・レンセンは父母たちの果たせなかったエルシニエ大学卒業を果たす。

 それだけの資質はあった通りだ。

 そして、ディーンとルイスの長女エマリー・エクセイルと結ばれ、今のケヴィンと同様に婿養子となった。

 クルト・L・エクセイル。

 そして、もう一人のディーン・エクセイルの後継者だったディーンの半弟ピエール・T・エクセイル。

 運命の皮肉は続き、エルシニエ大学で最終的に史学の教鞭をとったのがピエール・T・エクセイルとなり、クルト・L・エクセイルは革命後に新設されたアルマス大学史学部学部長としてその生を終えていた。

 人生はわからない。

 80余歳まで生きたディーンが後年エルシニエの学長となるが、その後を受け継ぐと思われていたクルト・L・エクセイルは50代で身罷った。

 その父アリアスも、その母メリエルも40代で相次いで他界していたから、早世の家系だった可能性もケヴィンは検証した。

 だが、皮肉にもクルトの母方祖父パトリック・リーナは90歳代まで生きたのだ。

 クルトの死により、ピエール・T・エクセイルが半兄の死後、ベリア共和国の最高学府エリンシア大学から招聘され、やがて学長となった。

 クルトとピエールの二人ともエルシニエ大学院を出ている。

 そして、何故二人がエルシニエ大学でなくアルマス大学やエリンシア大学で史学研究者となったのかの「答え」はティルトが携えていた。

 その二人のいずれが直流でいずれが傍流かを検証研究したのがケヴィン・レイノルズの学者としての前半生だった。

 最大の皮肉がこれと全く同じ事が統一暦1500年代のこのあと立て続けに起きる。

 ケヴィン・R・エクセイルとティルト・L・エクセイル。

 夫婦別姓をそれが誰が定めたのかさておき、頑なにレイノルズ姓を捨てなかったケヴィンはティルトの語った「真実の物語」を通じて、その意味を理解した上でエクセイル家に正式に入り婿した。

 やがてその愛弟子だったティルトもエリザベートを娶って『一族』となる。   

 歴史は普通、後から産まれた者が以前に産まれたものたちのことをその誕生から死に到るまで知った上で成り立っている。

 だが、そうではなかった。

 ティルトの言い方を借りればディーン、クルト、ピエールの三人は「共犯者」だった。

 そして、ディーン・エクセイルの著書だった「中原史」はその実、三人の高名な史学者たちの共著だった。

 何故ならそこに記された激動の時代にあって、其処で本当に起きていた全ての出来事は三人の史学者たちにとり「自身と家族たちの身に起きた物語」だった。

 だから、無関係を敢えて装おうとした。

 その上で登場人物たちをそれと分からないよう変えていった。

 人それぞれにとっての悲劇とそれぞれにとっての喜劇。

 そして、エリザベートがティルトへの報酬提示として戯れに口にしていた「エクセイル家の至宝」とは形なきもの、あるいは形としてあるがそれとは誰もが気づかないものだった。

「先に言っておくよ、ベス。君の言っていた『エクセイル家の至宝』とはキミ自身だ」

 エリザベートは一瞬驚愕の表情を浮かべ、そのあと照れくさそうに笑った。

「まぁ、いいさ。贈与の時期は私が考え・・・」と言いさしたケヴィンをティルトはやんわりと制した。

「そうじゃないんです、教授。教授自身もまた『エクセイル家の至宝』ですからね」

「なんだとっ!?」

 ケヴィンはてっきりエリザベートが花嫁衣装でラッピングされてティルトのものになることで、一年間を費やした調査旅行の報酬となるものだとばかり思っていたし、エリザベートも同様だったのだろう。

 エリザベートの当惑の表情が物語るとおりだった。

「だから、ボクはずっとここで『本当にそれでいいんだろうか?』ということを考え続けていたんです。しかし、ここまで真実を知った以上、もう後戻りなんか出来ないでしょうね」

「どういう意味だ?」

「先を語る前に伝えておきますよ。『ラファール書房』というのは教授もベスも知っているでしょう?」

 200年前から「大学通り」と呼ばれ、革命後の現在は「エルシニエ大学通り」と呼ばれるその通りにある古書専門店のことだ。

 ケヴィンは散々その店の世話になっている。

 なにしろエウロペア各地から必要な古書を依頼されては集めてくれる貴重な存在だった。

 それこそ大金を積んでも取り寄せられないのは「ナコト写本」ぐらいだろう。

「勿論だとも」

「では店主のウィルコット・ラファールもご存じですよね?」

「ああ、彼の先代から私はあの店の世話になっているが」

 ティルトの言葉の意味を図りかねていたケヴィンは次の言葉に顔色を変えた。

「ボクの叔父です。そして、父の死に際して一番頼みになってくれた大恩人です」

「えっ・・・」と言ったきりケヴィンは絶句した。

 店を訪れてウィルコットと世間話した際に、最近身内に不幸があってそれで年端もいかない跡取り息子が父親の骨董店の後始末で大変な思いをしているんで、そちらを手伝っていると聞かされたのが数年前の話だった。

 なかなかに出来た好青年の甥っ子なんで、なんとか力になってやりたいと四方八方手を尽くしているという愚痴話をなんとなしに聞いていた。

「ウィルコットが話していた身内に不幸があったという好青年だというのがキミなのか、ティルト?」

「叔父さんからなにをどう聞いたかは知りませんよ。ですが、多分事実でしょうし、もし噂話であれ叔父から話を聞いていたのなら、その頃から誰かとは分からないまでも教授はボクを知っていたということなのです。そして、そんな話まではエリザベートもアンナマリー夫人も、ファードランド教授もご存じなかったでしょうね」

 ケヴィンの、そしてエリザベートの血の気が僅かにひいた。

 なにが何処まで繋がっているというのだ。

「それにですね、教授。ボクは『ラファール家』に関しては一切調査していません。もともとの事情は大体は知っていましたからね。『ラファール書房』のラファールは偶然でもなんでもなく、あのラファール家ですよ。ルイス・ラファールのラファール。シモン・ラファールのラファール。エイブ・ラファールのラファール」

「なんだって?」

 名門騎士家がその役割を終えた後、古書専門店に変貌していたというのだ。

「もともと6月革命期の軍属だったエイブ・ラファール大将が定年退官後に始めたのが『ラファール書房』です。なにしろ大将の奥さんというのが大変な資産家だった。しかし、そうした資産に関しては奥方が亡くなった後に莫大な資産として残った。しかし、大将は軍人で騎士でしたからね。自分の退職金同様に持て余してしまった。それで相談された義理息子のディーン教授がそれなら中原各地、特に東方戦争後の混乱の著しいフェリオ連邦と、新生ベリア共和国に遺されていた古い文献を買い取ってエルシニエ大学や各地の大学や博物館に売る形にした方がいいし、それで自分の研究も捗ると申し出たのです。古書の買い付けに関してはディーンはうってつけの連中を知っていました。それが旧女皇騎士団調査室。エルシニエ大学職員として働いている者も多くいましたが、さすがに全員は雇いきれず、半分くらいは大将の奥さんの経営していた不動産会社の方に再就職して働いていました。彼等はとても優秀でしたから。不動産会社の方の経営については発行株式だけ引き続き資産として保有して畑違いの経営には口を挟まず、大株主として配当金を受け取り、希望者については古書の買い付け担当者としてエウロペア各地に派遣する。そうして結果的にエルシニエ大学と強い結びつきを持ったのです。大将の跡取りだったシモン大将も共和国陸軍の定年退官後は父親と同様の書房経営者になりました。店も元々はエイブ大将の奥さんの所有する物件の一つでした。そうして慎ましやかにしながらも200年近く続いてきたのです。ただ、慎ましいのは店構えだけで、蓄えていた莫大な資産は今もあります。つまり、ボクの調査費用についても不足分を用立ててくれたのはウィルコット叔父さんです。それにエウロペア各地に強力なツテもあるのでなにかと頼みにもなってくれましたよ」

 気さくで慎ましく暮らしているウィルコットがその実、資産家だというのにも驚いたが、それ以上にティルトの旅を後援していたことにも経済的援助していたことにも驚いた。

「それで、ティルト。アナタはエウロペア中の大学やら博物館での調査や文献集めなんかもいとも簡単にしていたのね」

「まぁ、そういうことです。実際、ファードランド教授には悪いけれど用立ててくれた費用ぐらいじゃ、汽車賃ぐらいにしかならなかったですし、一番大きなスポンサーは叔父さんでした。何故、甥っ子の学生調査なんかに大金をポンと出してくれたかについては、ボクの親父がとても頑固な人で、金銭的な援助に関しては絶対に申し入れない“とても潔癖な人”でしたから。それにボクの調査旅行は叔父さんや従姉妹のシモーヌとも無関係な話じゃなかったんです。祖先の系譜を辿る旅、そして祖先達の本当の運命について叔父さんにも多いに興味はあった。親父と叔父さんは母さんたち姉妹の夫同士という関係でしたけれど、本当の兄弟みたいに仲が良かった。しょっちゅう歴史について語り明かしていた仲だったんです。ボクへの協力は義兄弟というより一番の親友だった親父への餞でもあったんです」

 ティルトの言葉にエリザベートは驚愕しつつも、実際にティルトの言葉通りだったと認めた。

「そこまで来ると偶然だったなんて思う方がどうかしているわ」

「ええ、強い『縁』の力や、あるいは『剣皇ディーン』の本当の想いが結実した。それに、ボクとベスとは決して打算的な関係なんかではありませんでした。まるで磁石みたいに吸い寄せられて、お互いがお互いを強く意識して愛し合うようにもなった。ですから、ボクは調査の途中から『エクセイル家の至宝』というのが既にボクの手の中にもあるのではないかと感じていました。ケヴィン教授がなんにも知らされていなかったのに、簡単にボクを教え子あるいは共同検証者として受け入れてしまった。ベスとの関係についてや、破綻していたファードランド教授の関係についてだって、“そんなのはどうでもいい。早く続きを聞かせろ”という教授の心の声が常に聞こえていて、とても怖くなった。それにファイサル・オクシオン現法皇猊下だって、国王陛下夫妻だって、パトリック・ベルゴールさんだって・・・それ以上にファードランド教授夫妻だってボクという存在に“語り部”あるいは秘密を紐解く“名探偵”として期待するようになっていった。本当の悲劇と、本当の物語。其処までして隠さなければならなかった偉大なる先達たちの本当の想い。それをたかだか一年程度で全部解き明かせただなんてとても思えません」

「歴史の真実識ることへの畏れかっ?」

 ケヴィン・レイノルズ教授は真っ直ぐにティルト・リムストンを見据えた。

「巧妙に改竄しておきながら、ディーン・エクセイルは本当は自分のついた嘘を暴いて欲しかった。其処には彼が関わった様々な人々への想いと愛情とが詰まっている。フィクションの才能に長けた人であり、皆が信じなければならなかった彼の嘘ってなんなんだろうと、この一年間ずっとそればかり考え続けてきたんです。その上で、ボク自身も試されている。ボクが彼の屋敷だったこの家に入るということは“つまりはそういうことであって、真実と嘘の両方を受け入れ、一族の列に加わり、残りの生涯を《嘘つきで真実の番人》という矛盾した存在になれ”と命じられている気がしたんです。だから、かつてルイス・ラファールがそうだったようにボク自身がとても迷いました。この先をケヴィン教授に語るとは“その覚悟をもってせよ”という試しなんです。それにこの玄関を跨いだ先には、ディーンが一番見て欲しかった、あるいは見て欲しくなかった“鍵”になるものが確実に残っている」

「なんのことだ?」

 ケヴィンにはどれだけ考えてもティルトがなにをそんなに畏れているか分からなかった。

 エリザベートは訳も分からずになにかを感じて少しだけ目を潤ませていた。

「ディーンがどうしても処分出来なかった“確たる証拠”とは本当に愛していた義弟フィンツとの私信です。多分、それは屋敷の中に今もまだ遺っています。ただ、後裔たちはそれがどんな意味を持つのか、誰が誰に宛てたものかがわからず、祖先が遺したものだとしてその本当の意味も分からずに大事に保管しているでしょう。費やした時間、労力に見合う確たる証拠ですが、それがかつて大陸全土を覆った悲劇の根源です」

 ティルトは気が付けば男泣きに泣いていた。

 自分に男兄弟がいないティルトは自分の愛する父親と叔父ウィルコットとを重ね合わせていた。

 おこがましいがセオドリック・ファードランドと自分。

 だが、とっくの昔にそうした関係だった。

 義理の兄弟であり最大の理解者であり親友。

 そのやり取りの内容。

 ケヴィン・レイノルズは極めつけに苦い顔をしていた。

「馬鹿だな、私は。娘の戯言をマトモに信じてしまった」

「えっ?」

「婿養子の私も識らない『エクセイル家の至宝』。それがなんであるか考える過程と検証とで、“それ”を見つけてしまった」

「なんですって?」

 あると予想はしていた。

 全て話をした上で、ケヴィン教授やエリザベート、アンナマリーの了解で、屋敷中家捜ししてでも発見しようと考えていたもの。

「ティルト、“それ”はあったよ。差出人の分からない。だが、ふたつを合わせると寸分なく合わさる二つの私信。筆跡の異なる私信の束がこの屋敷の別々の場所から出てきた。片方はハルファから、片方は此処から出されていた。おそらくは稚拙な暗号や隠喩でやり取りしていた年端のいかぬ二人の人物が出したであろう私信をな。おそらくは“絆”だ。二人は兄弟じゃない。だが、ティルト、お前の指摘していた通りの関係だったのだろうさ。今の私にはそれが本当はなにを意味するのか皆目見当がつかない。いや、薄々は分かっているが、全貌を識るのが怖い」

「ええ、それこそがディーンとフィンツは別々の人物だったという紛れもない証拠です。そして、私たちが居たと信じている一人が確実に“居なかった”という証拠です。それ以上のことは今はまだ・・・」

 ティルト・リムストンは俯いて唇を噛んだ。

「逆にティルト。この“動かぬ証拠”以外にお前はどうしてそうだったんだと確信し得たのだ?」

 なにか確たる証拠が他になければ慎重なティルトがそうと確信したりはしない。

 なによりティルトは自分自身の納得のためでなく、ケヴィン・レイノルズ教授の「検証」のために丹念な証拠と証言集めをしてきた。

「それは我々の思いも寄らない人物が当時の日記を克明に書き残していたからです。日付もわかっています。そしてその人物についてのヒントは既に示しています。なにがあろうと自分の記録だけは正確に書き残してはならない人物が、あくまでも自分自身のためだけに遺していた日記帳です。それが遺っていたのも“愛”故にです。日記が遺っていても、それを保管したであろうその人物はおそらくはそれを読んでなどいません。とても大切な人の遺したものだから、処分は出来ずに、いずれは別の誰かが発見するだろうとひっそり仕舞ってあった。そして、あらためて日記を発見した人物は読んでみたが、誰のものだかわかっていても、なんのことだか分からなかった。だが、やはり大切に遺したのです。やはり愛する人のものでしたから・・・」

「書房にあったのだな?売り物としてでなく、祖先の記録として」

 つまり、日記帳を記した人物は当時のディーンとフィンツの関係を知っていた誰かだった。

「はい、ボクも史家を志す者です。当時の膨大な記録を調べていて偶然発見しました。ディーン・エクセイルでさえ、その人物にそんな習慣があるだなんて思わなかったでしょうし、しかしよく考えてみたらそうであっても少しもおかしくなかった。何故ならその人物ほど、あの時代に自分の生きた証を欲していた人もなかったし、記すだけのマメさもあった」

 だからこそ、彼女は投機にも成功していたし、困難な任務にも耐え抜いてその役割を終え、人生の幕もおろしていた。

「もう覚悟は決めたな?」

「ええ、それだけの時間はあり、教授がボクに史家のなんたるかを示された。この先に進むにあたり“なにを識っても動揺するな”という心構えです。おそらくは女皇の全権代理人だったルイス・ラファールもその覚悟を胸に宿してこの玄関をくぐったのです」

「その覚悟は全てを意味するぞ。なにを識っても動揺せず、なにを識っても今在るものを否定しない。僅か一文でさえ、史家は既に記された内容を書き換えるには相応の覚悟が必要になる。的外れな批判が殺到し、中傷が心を壊そうとするだろう。それで怯むそんなヤワな男に大切な娘はやれない。だがな、ティルト」

 その言葉の続きをケヴィンは飲み込んだ。

 落第生どころではない。

 4日前に落第させていたら一生後悔していた。

 なぜこうもティルトの語りを受け入れられ、その口から語られる荒唐無稽な夢物語を信じられるのか?

 答えはシンプルだった。

 その名を呼ぶニュアンスが“ただの教え子”に対してでなく、ティルトが喪った大切な人と、ほとんど変わらない同じニュアンスを含んでいたからだった。

「はい、ボクは教授と共に歩みますよ。かつてクルトやピエールがディーンと共に歩もうとしたようにです」

 真実を隠蔽する「共犯者」になる。

 多くの人々を欺くことになっても怯まず、臆さない強い覚悟。

「ならば話の続きを聞かせて貰おうか。“確たる証拠”は一度お前に預ける。お前の識るすべてでじっくりと検証してから話の続きとするがいいさ」

「マサカっ、もしかして『エクセイル家の至宝』って・・・」

 エリザベートは言い出したのが自分自身だということを失念し、何故ケヴィンまでもがそれを持つのかというティルトの言葉の意味をじっくりと考えてみてそうだと悟った。

「多分、そのマサカだよ、ベス。かつて皆が通った道であり、だからこそキミや教授が居るということなんだ。ボクも加わり、公には“沈黙する”と決めたからね。だけど、同じく“なにを識っても動揺せず、騒いだりはしない”同胞だと思う人たち全てに『真実の物語』とその結末とを語るよ。それが皆が期待を寄せたボクのさだめなんだ」

 ティルトは言い終えてから、優しげに親娘に視線を向けた。

「キミも覚悟はしてくれ。もうボクからのプロポーズの言葉も改めて必要ないだろ?ボクはこの先どうなろうと基本的には『検証作業』に協力してくれるという“お義父さん”に従うよ」

 「エクセイル家の至宝」の正体とは?

 「この数奇なる一族の系譜に連なり血を遺す」という意味だった。

 風が「おかえりなさい」と発したように多感なエリザベートには聞こえたような気がしていた。


(まったく、新しい物好きなんだから、叔父さんは)

 フォートセバーンへの強行突入作戦で使徒搭載型の新型機を受け取る役からディーンは外されていた。

 かわりに任されたのがアルマスの徹底浄化だ。

 覚醒騎士たるトリエル・シェンバッハにはナノ・マシン操作でディーンのフリが出来る。

 つまり自身の姿を「フィンツ・スターム少佐」だと“周囲に認知させる”か、顔立ちの組成組み替えによる“なりすまし”も可能なのだ。

 その全く逆の行為もディーンには出来る。

 だが、覚醒騎士や皇族たちには平然と見破られる。

 そしてトゥドゥール・カロリファル公爵は顎ヒゲ以外はもともと二人に顔立ちが似ていた。

 三人でそれぞれになりすまし、三人で『剣皇ディーン』を演じるというのが《剣皇機関》作戦だ。

 誰か一人欠けてもそれなら残る二人が埋めればいい。

 なにより暗殺者に命を狙われているのはメリエルだけじゃない。

 ディーンもルイスもトリエル自身もトゥドゥールも命を狙われていた。

 適材適所で危険の伴う任務については、その役目に一番相応しい人物が役割を演じるということだった。

 そして、トリエルがディーンに命じた「大将」ことアランハス・ラシールに耀紫苑が完成させたばかりのシャドー・ダーイン・雷神丸を届けろというのは「その機体をホテルシンクレアに届けるまでに周囲に張り込んでいる刺客たちをすべて排除しておけ」という意味だった。

 《虫使い》たちに相当内部まで入り込まれているとディーンとテリーは睨んでいたし、テリーはあまりな状況についてワルトマ・ドライデン“前法皇”と協議の末に特記6号事案発生と見做し、最前線のあるベリアで《墨染めの剣聖》で《鉄舟》こと神殿騎士団副団長のミシェル・ファンフリートが孤立させられ敗死するのを防ぐため、半ば強引な方法でディーンたち四人をアルマスに招聘し、トリエルは股肱の友たるイアン・フューリー、愛妻マリアン・ラムジーと共に人類軍の切り札の一つたる飛空戦艦の《ブラムド・リンク》で共に出立していた。

 実際、そこまで事態が逼迫しているとパルム以東でこの時点で知っていたのはドライデンとテリー、そして『剣皇カール』だけだったし、西部戦線の戦況はメルヒン王都フォートセバーンの陥落と、もっと悪いことになっている。

 当然ながらトリエルたち三人は特記6号条項を一向に発動しないナファドの真意を疑った。

 そこまで一切疑わしい素振りを見せてこなかったというのに一体どうしたのだと三人は思った。

 かつての《墨染めの剣聖》カスパール・エルレインの末裔たちは枝分かれしていた。

 その枝分かれした二つの先にいたのがミシェルとナファドだった。

 共に司祭としても騎士としても有能だと認めたのはワルトマ・ドライデン枢機卿であり、サマリア・エンリケ前法皇の生前退位により内密に法皇に就任しながらも、ファーバ教団内にも知らせずにやはり生前退位で第一線を退いていた。

 そしてゼダの最高司祭たる枢機卿に戻っていたのだ。

 何故そこまで回りくどいやり方をしなければならなかったかは他でもない。

 対龍虫戦争が始まると法皇が一番暗殺や謀殺の危機多く、その座を埋めるための“予備”は事前から沢山いる必要があったからだ。

 現実として《龍虫大戦》で歴代の法皇たちは悲惨なことになった。

 特記6号事案を発令しようとした法皇が“異端者”として殺害されたり、御触れを出す直前に暗殺された。

 《虫使い》たちによってではなく人類自身の手に掛かったのだ。

 サマリア、ワルトマの生前退位の意味は騎士たちなら皆知っている。

 場合によっては再度法皇に就任する事態になる。

 ナファドもミシェルも斃れたならそうするしか他に手がない。

 ある意味、そうした覚悟のない法皇とその経験者がいてはならなかった。

 戦士たちの心を一つにまとめ上げるための法皇。

 剣皇、女皇という三皇の最上位に法皇が位置するのは、まずは三皇が心を一つにし、その上で人心をまとめるためおのおのの職務に当たらねばならないからだった。

 西方に三皇あり、東方に二皇ありというのが「ナコト写本」の真実を識る者たちの常識だ。

 東方の二皇とは東ユラシア大陸皇帝たるセナの大皇帝と、ハポンの天ツ皇であり、彼等は相互監視と相互扶助の精神を分け合っていた。

 このためメロウの仕掛けた検証実験において、悉く最初に脅威を撥ね除けて共生世界を実現した。

 なんのことはない。

 圧倒的な武力とカリスマ持つ大皇帝はいよいよ危なくなったら東の島に逃れ、天ツ皇の援助で軍を立て直し兵站を得ると再度国土奪還戦争に臨んだし、天ツ皇がモノノフたちという少数最精鋭部隊を圧倒する敵を迎えることになったら大陸皇帝が自軍を割いて加勢するのだ。

 そうしてはなから対立するより、兄と弟の関係で助け合う東方二皇の征く真の王道が10周期ほどで明確となり、検証実験の妨げとしてメロウは東方人類生息域を更に二つに割ったが、あまり意味は無かった。

 結局、一、二番を争うのが東方の皇たちだったからだ。

 むしろ仮想敵として海を挟んで睨み合う禁軍とモノノフたちがかえって実力を高めあった。

 皇たちは暴発しない程度に放置していたが暴発して軍事衝突したこともある。

 そして、最後は皇の勅命なり宣旨で事を収めてきた。

 なにしろ東方世界は技術的にはエウロペアよりも数段優れているし、文明的にも進んでいる。

 平和な時代に技術交流と文化交流とで、龍虫との戦いに必要なものはすべて揃えてしまう。

 いつだって東方に遅れを取る西方エウロペアの方がまとまりに欠けていた。

 《真史》を知るディーンはセカイが一つとなった後の時代の記録も知っている。

 そして、原初の段階からエウロペアの概念にはもともと東方発祥の概念が混在していると気づいていた。

 それが騎士をモノノフとする考え方であったり、ファーバの教義であったり、皇に対する概念であったり、航海術や活版印刷といった文明進歩に必要な技術だった。

 セカイを創造したメロウに依怙贔屓されていたのでなく、人類が高度文明化する際に東方由来概念の方が明らかに合理的だった。

 優秀な血を遺すというのも、祖先崇拝も、技術信奉も、人が文明を維持発展させていくのに必要な措置だったし、ある部分に関しては《虫使い》の概念ともよく似ていた。

 東方世界では「氏族」というものを根幹に社会を形成する。

 つまりは家族を最小単位とする同族間で結束し、婚姻についてだけ他の氏族との血縁交流を図る。

 そうして新しい血や新しい風俗を取り込みつつ、「氏族」を豊かなものに変えて行く。

 ネームド、ネームレスにかかわらず「氏族」間の抗争は生じる。

 しかし、それを丸く収めるために皇という存在を置く。

 エウロペアの《龍虫大戦》において剣皇アルフレッドと《龍皇子》マガールの停戦を契機に多くのネームレス「氏族」が「帰化」した。

 「帰化」とは人体のナノ・マシン構成組成を簡単に組み替えることだ。

 ネームド側からネームレスになるのは難しい。

 だが、ネームレスからネームドになるのは容易かった。

 脳の信号制御を言語理解に組み替える。

 信号同調理解といういわゆるテレパシー能力を各言語に置き換えるというものだ。

 そうすることで、一律だったテレパスによる理解が言語としてかなり広範に分化する。

 つまり、表現能力が相当異なるようになっていく。

 また人が固有名詞を持つことで、個性が生まれる。

 それと同時に「恥らい」や「秘密」、「ペルソナ」といったものが形成されていくのだ。

 《虫使い》ことネームレスたちは『名の呪い』と蔑んだ。

 そしてその実、史家エクセイル家が代々密かに研究してきたのは「信仰心」というものがネームレスにも元々あったことだ。

 ネームレスたちが他のなによりネームドを羨んだのは「信仰」という概念を持っていたことだった。

 信号だけでは表せないセカイや実在に対する感謝の念。

 それがヒトとしての尊厳に繋がる。

(さてと、刺客の識別ねぇ)

 難題だったが、ディーンには白の隠密ディーンだから出来る方法があった。

 ナノ・マシン人形の精製。

 通称「ナノ人形」と呼ばれる人体と全く同じ構造の物体を作り出す方法だ。

 スレイとメリエルをよく知るディーンだからこそ、人形たちに二人がしそうな会話や仕草、態度を再現させられる。

 だが、あくまでもディーンの理解して普段認知している二人・・・いや、二体の人形だった。

(こそこそしながらホテル・シンクレアへ入ろうとしている風を装わせる)

 雷神丸を光学迷彩稼働状態にしていたが、気が付けば風神丸もそう遠くないところに迷彩稼働させていた。

(マリアン女史も来てくれたとなると助かる。こっちは人形遣いに徹する)

 旅行鞄をぶら下げたスレイとメリエルは不案内とばかりにホテルの周囲を徘徊していた。

「ディーンの話だとこっちで合ってる筈だけど?」

「でもなんか物々しいよね」

 ホテルシンクレアの周囲にはゼダの国軍兵士達が取り囲んで警備していた。

 早速、刺客と思しき集団が一斉に行動開始する。

(イケメン伊達男のスレイはともかく、ロリっ娘メリエルまですっかり人気者だこと)

 陽動役の一人が物取りを装い中年紳士姿のスレイに近付いて旅行鞄をひったくった。

「なにするんだっ!」

「泥棒っ、誰か捕まえて泥棒よっ!」

 旅行鞄を追って二人が追跡したら路地奥にでも誘い込み、数を頼みにして取り囲んで拉致するか、消すに違いない。

 だからこそディーンはわざとスレイとメリエルに後を追わせた。

 刺客たちは目論見通りの行動をとった二人を取り囲む。

(はい、さようなら刺客の皆様)

 音もなく接近した風神丸が捕捉した刺客の一団を背後から次々と殺害する。

 後に真戦兵内臓兵器「カオティックアンカー」として採用されるシャドー・ダーインシリーズのウィンチワイヤーは、もともと建物の壁や屋根にぶら下がるための登坂牽引装置だったが、高速射出システムにより飛び道具としても使えた。

 それが後年、紫苑の魔改造で三形態可変武器「カオティックブレイド」として採用されることになる。

 隠密戦闘にもってこいの機体だというのはそうした意味でも明白だったが、場慣れしているマリアンにかかると凄まじい凶器だ。

 串刺し状態の刺客たちが見えない真戦兵に引き寄せられ、死体の山になっていく。

「やれやれ、とんでもない機体だな」

 ディーンは油断していたつもりは一切なかったが、背後に人の気配を感じて青ざめる。

「亜羅叛師匠っ!」

 かつての女皇正騎士アランハス・ラシール少佐であり、現在はただの亜羅叛。

 愛弟子にも容赦無い証拠に操縦席のディーンの首元に匕首が突きつけられていた。

「雷神丸を受領したということでいいか、ディーン?それと白の隠密としては少し甘いぞ。ナダルやデュイエならこうはなっていない」

 ディーンは呆気なく白旗を挙げた。

「だから、ボクはあくまで自分の身を護るのがその役目なんですってば。ナノ・マシンでガードした首を切らせておいて腹を刺すってことです」

 ディーンは左手の逆手に小刀を構えて亜羅叛の下腹をしっかり狙っている。

「お見事っ!鍛錬は欠かしていないな」

 久々に耳にする亜羅叛師匠の威勢の良い声にディーンは苦笑いする。

 亜羅叛は凄腕の隠密機動だという割に妙に声がデカいのだ。

(多分、年のせいで耳が少し遠くなってるんだろうけどなぁ)

 ディーンはそんなことを考えていたが、亜羅叛は弟子の心理には無頓着というようにガハハと豪快に笑っている。

「そうでもないと生き抜けませんからね。それに亜羅叛師匠だって強いけど完璧じゃない。お試しで命取られたら、結婚一週間経たずに未亡人になったルイスに泣かれますし、大師匠でも間違いなく報復されますよ」

(っていうか、ルイスと似てるんだよな。ぶっちぎりに強いクセに妙に間の抜けたとことか)

「むぅ。アレから半年で色々あったのだろうなぁ」

 亜羅叛はかつてルイスの「神速」に完敗していたことを思い出して首を捻っている。

 そして亜羅叛がついうっかり口にした“アレ”でディーンには深夜の図書室での出会いの真相がわかってしまった。

 抜け目ないメリエルのカバンからレポート抜いたのも、やはり抜け目ないスレイに気づかれず図書室の机に放り出したのもこの爺さんの仕業だった。

(やっぱりラシールが関わってたか。しかし、ベックス爺ぃは亜羅叛師匠まで引っ張り出すとは其処までしてボクに勝ちたいか)

 ディーンは亜羅叛よりもむしろベックスにイラっとした。

 定期試験での勝負では一度も勝てたことがないのでなんとかディーンに一泡吹かせたいと考えていて、ディーンは一泡のかわりに軽率なルイスの天然発言に紅茶吹いた。

(アイツは筋金入りにニブい。陛下師匠からオドリ・アンドリオン子爵を紹介されてなんも気づかないとか間抜けにも程がある)

 どうもディーンはラファール家の人間とは相性が悪いのだ。

 気は合う義兄のシモンだがなんか調子狂うことが多いので、余計なことを色々と考え過ぎてしまい、結局は手合いで時間切れ引き分けに持ち込まれたりし、エイブとルイスには妙に気苦労させられる。

 カミソリと才媛の親娘・・・な筈なのに妙に嗅覚が鋭くていらんことは気づかれるというのに、変な所でガッカリさせられるのだ。

 まぁ、非常識でドケチなオドリとは昔から一番相性が悪い。

(母さんが多分いちばん苦手だったんだろうなぁ)

 あの女子爵こそ真面目で厳格なアラウネにとっては正に天敵だったろうとディーンは察し、それなのに今や縁者だとかいうのが皮肉にしても最悪だわと思う。

(だいたい亜羅叛師匠も師匠で、ルイスは妙に苦手というのがなんともなぁ)

 亜羅叛は凄腕の隠密だったがルイスには「神速」でまかれて、目の前で愛弟子を拉致された苦い過去があったし、ルイスはディーンが10年近くかけた強化訓練をものの数ヶ月で簡単にクリアした。

 中でもラシール家の奥義たる《傀儡回し》をルイスはいとも簡単に破ったという。

 更にはディーン、アリョーネ、トリエルは一度も勝てなかった《剣鬼》師匠すらルイスはアッサリやっつけたという。

 まさに最強キラーだというのにその自覚が足りないので、騎士廃業とか言い出したとかいうので呆れるよりない。

「まぁ、オマエらは普通じゃないからな」と亜羅叛が言うので、

(アンタもナダルも“普通”のカテゴリーに入らないって)とディーンは内心思ったものの、表情には出さなかった。

 かわりに目一杯にボヤく。

「出来れば騎士として“普通の仕事”に徹したいんですが、どうもそうはならないようです」

 ディーンは軽く苦笑してそのまま「人形遣い」を続けた。

「操縦代わってくださいね。ボクはこのままスレイとメリエルの人形を使って、炙り出す仕事に専念します」

 ディーンはあっさりと雷神丸の操縦席を明け渡す。

 亜羅叛は大きな溜息をついた。

「まったく年寄りの人使いが荒いな」

 ボヤキながらも亜羅叛は操縦系の確認をしている。

「そのつもりで来たクセに何言ってるんです、大師匠。どうせボクやテリー叔父さん、マリアン叔母さんを試すために大量の刺客を放置しといたクセに」

 もっとも亜羅叛があまりにも早く動きすぎたら敵の警戒が更に厳重になり、アルマスが荒れることになる。

「じゃ、続けるぞ」

「はいな、大師匠」

 二機のシャドー・ダーインは都市戦特化機体ぶりを発揮して、刺客たちを日付の変わらぬうちにあらかた片付けてしまった。


 一方、ディーンのフリをしたトリエルは飛空戦艦ブラムド・リンクをトレドに向けて進発させていた。

「コレってツッコむべき?」

 スレイ・シェリフィスは態度だけはディーンせんせっぽいトリエル・シェンバッハの姿にメリエルに小声で囁く。

「いや、ディーンってことでいいのでしょ」とメリエルは取り付く島もない。

 既に《剣皇機関》作戦に入っているのだ。

 多分、これからもこういう機会は増えていく。

「ルイスにはどう見えてるのさ?」

「ちっさいおじさん」

 トリエルの身長は180㎝代のスレイやルイスからしたら頭一つ分も低い。

 聞こえたら怒られるぞぉと思いながら、やはり覚醒騎士らしいルイスには「ディーンせんせ」との見分けは付いているのだとスレイは安心した。

(よく考えたら女皇陛下の全権代理人たる紋章騎士ならトリエル副司令もアゴで使えるんじゃないのかな?)

 多分その発想がないルイスに言うべきか迷った末にスレイはやめておいた。

(間違いなくその方が面白いし、ほっとこう)

 もともとバケモノじみた連中なのだから、よっぽど不都合が生じたときだけは意見させて貰おうとスレイは腹をくくった。

 イアン師兄に到っては敢えて見ようともしていない。

「アルマスからトレドまでってどんぐらいなのかな?」

 スレイは地図上の距離は把握しているがブラムド・リンクのまま飛んだららどんぐらいかかるのかを把握しようとしたら、イアンはあっさりとバルハラ変形を選択していた。

「バルハラ変形。完了後に最大船速でトレドに向かう」

 外側から見たのならば両弦に輸送区画を展開し、船体外観がかなり変わっている筈だが、残念ながら乗っていると分からない。

(やっぱ俺ってば陸向きだわ。なんでも地上から自分の目で確認しないと気が済まないっぽいわ)

 戦術指揮官中尉としての自分の立ち位置をスレイ・シェリフィスは確認して、ブラムド・リンクとバルハラには滅多に乗らないのだと諦めをつける。

「それでトリエル副司ぃ・・・じゃなかったディーンせんせ、どうやって耀家の小僧さんをみつけるので?」

「あー、公明な。俺は本人を知ってるんでね」

(さすがは神出鬼没のトリエル皇子サマっすね、多分「ディーンせんせ」は知りませんでしょ)

 だから適材適所で「ディーンせんせ」をアルマスに置いてきたのだろう。

 マサカ、顔も知らん人間を人で溢れた難民キャンプで探せとかいう無茶なオーダーはトリエル副司令はフィンツ少佐にも出さないだろう。

(けど、結構無茶なオーダーやらせてたんだろうな。特に俺の立案した並の騎士ならお手上げのヤツなんかを) 

 その通りだったからまったく笑えない話だった。

(ありゃ、話も通じる騎士相手だったけど、今度の相手は龍虫なんだぞぉ)


 到着したトレド要塞には思っていたほどの損害はなかった。

 それも高い城壁が四方に張り巡らされ、市街は砲戦も想定して目標となる高い建物はなく、かわりに地下施設が充実していて市民の大半はそこに逃げ込んでいた。

 一方で残念ながらアルマスとは違いトレド要塞敷地内に巨大な空港設備はなく、城外に巨大駐屯地があり、そこに仮設空港を備えていた。

 イアンは其処にバルハラを停泊させ、搭載車両でトレド市内に入った。

 途中で耀公明を探すために仮設難民キャンプに立ち寄る“ディーン”と別れる。

(すっげぇ。俺の考えていた近代戦想定型の最新式要塞かも)

 スレイ・シェリフィスは特に高い城壁の直上に打ち下ろし式の大砲がズラリと並んでおり、ベリア側の森が切り開かれていて龍虫の接近状況がかなり遠くまで確認出来ることに驚いた。

 光学迷彩を稼働させていても鷲の目保有者の観測兵なら視認範囲が広く、迎撃戦の想定される場所は平らな土地になっていて建物はほとんどなかった。

 なるほどこれなら拠点防衛用の真戦兵を城外に並べられると接近も容易ではなく、城壁はスタンピードしたトランプルの突進攻撃にも耐えられる頑強な作りになっていた。

「ルイスぅ。確かにコレならそう簡単に落ちないな」とスレイは笑顔になる。

「戦場地形をよく考慮されているし、少しだけ標高が高いのもミソでしょうね。つまりベリア側から攻めてきた場合、僅かな傾斜に要塞手前で僅かに機動力が落ちる。それを榴弾砲撃で叩く形になっているわね」とルイスも感心している。

「それにしても誰が設計したんだか」とスレイが言った途端にイアンがすかさず言った。「カミソリラファール少将とウチのじさま」

「いっ」と言ってスレイとルイスは顔を見合わせた。

 すなわちトレド要塞はベックス・ロモンド元大佐とエイブ・ラファール少将が設計改造したものだった。

(だからか、師匠の戦術思想とかつてアイラス要塞を任されたラファール少将のアイデアが融合してこうなったんだ)

 突然、「危ない」とメリエルが言ったのでスレイは反射的に背後を振り返った。

 龍虫種フライアイが偵察行動のついでで無防備なスレイを背後から襲おうとしていた。

「あっぶねぇ」

 スレイが慌ててかがんだのでフライアイは諦めて上空に姿を消した。

 戦略的知性持つ龍虫はトレドに接近することを警戒し、トレドから西側の山麓部に制圧用部隊を伏せていたが、偵察型のフライアイを飛ばしていた。

 城壁上にはゼダ国家騎士団のベルグ・ダーイン、神殿騎士団のノートスも並べられている。

 つまり城門は閉じたまま、城壁上から飛び降りて部隊展開出来る様になっている。

 更に城門自体鋼鉄製で蒸気エンジン式の開閉装置があり、開閉門は指揮官が命令して行う形になっていた。

「ワイヤーがあると昇って逃げ込むにも便利よね」とルイスが言うと近くにいた歩哨が「ありますよ」と答えた。

 確かに蒸気エンジン式の自動巻き上げ牽引装置も備えたワイヤー射出装置まで備えていた。

 龍虫の侵入に利用されないよう普段は隠してあるのだ。

「なにからなにまでまさに至り尽くせりだ」とスレイは感心した。

「でも長居は無用みたいね」とメリエルは言い踵を返した。「どうやら空襲みたいよ。蜂みたいなのが一杯来ている」

 光学迷彩で姿を消しているのにメリエルには見えるらしい。

「我々にお任せを。あのストライプスタイプなら真戦兵などなくても我々が対処致します」

 小銃を携えたゼダの国軍兵士たちがぞろぞろと城壁上に集まり一斉に射撃体勢に入っていた。

(なかなかに戦い方が分かっているみたいなのね)

 スレイは3人と共に退避しながらトレドに関してはある程度任せても良いのだと確認していた。

 バルハラに戻るべく車を走らせていたイアンは難民キャンプから出てきた様子のボロを纏った青年たちを伴う“ディーン”と遭遇していた。

 どうやらメルヒンのメンテナンサーたちのようだ。

「よう、トレド要塞はどうだった?」

 “ディーン”は視察の結果を確認する。

「いやはや、なかなか良く戦っているようだね」

 イアン・フューリーはざっとかいつまんで説明する。

「そっか。それで耀家の公明からお願いがあるらしいぞ」

 “ディーン”は見たところ20歳前後の青年を耀公明だと紹介した。

 眼鏡をかけた利発そうな黒髪の青年はフォートセバーンを避難する際に新型機を置き去りにしてきたことを“ディーン”に話していた。

「西風騎士団の発注で作成していたものです。しかし、フォートセバーンが急襲されたときにガエラボルン宮殿の地下区画で作業していた私たちには退避勧告が出て放棄して逃げる他ありませんでした」

 ゼダ公用語なのだが独特のクセがあり聞き取りづらい中、“ディーン”は大まかな事情を察した。

「つまり、そいつが“使徒機”ってわけか」と言って“ディーン”は思案している。

「まさかとは思うがフォートセバーンに乗り込んで回収作戦でもしようって腹なのか?」

 イアン・フューリーはそのつもりで来たというのにあまり乗り気ではなさそうにしている。

 一方、スレイ・シェリフィスは《ブラムド・リンク》ならばそれが可能なのではなかろうかと考えていた。

「《ブラムド・リンク》で光学迷彩を稼働させ、街の東側からガエラボルン宮殿に接近してパージによる空挺作戦を敢行する。初手なので敵の警戒状態は低いでしょう。それとおそらくは飛行型の龍虫の多くは偵察型のフライアイを残し、ストライプはトレド城外に展開中で《ブラムド・リンク》が直接狙われる心配も低い」

 スレイの指摘にイアンは考え込む。

「しかし、今現在の搭載機はスカーレットとトリケロスが1機ずつだけだが。無論、西部方面軍からファング、ベルグを回して貰う手はあるがな」

 イアンは手持ち戦力だけでは心許ないと考えていたのだがスレイは違った。

「いや、迂闊に部隊で乗り込んで哨戒行動中の龍虫を接近警戒させるよりは“ディーン”とルイスとで直接乗り込むというのはどうでしょう。耀公明さんには道案内役をして頂く。つまり3人でガエラボルン宮殿近くにパージで空挺降下し、機体回収したらパージに引き返して退避する」

「ほぅ」と“ディーン”は興味を示した。「まるで押し込み強盗みたいな真似だけどな」

「しかし、人間3人だけの重量だとパージルームは降下中に相当揺れるぞ」とイアンは難点を示す。

 リヤド強襲作戦の実施時にはパージで地上にいるトリエルを引き上げるだけだった。

 引き上げるときにはゆっくりと引き上げ、操艦に注意すればそう危険でもない。

 風速などの気象条件にもよるが海風くらいなら実際になんとかなった。

 問題はパージの降下時だ。

「じゃあ、パージルームには放棄出来るものでも乗せておきましょうか。例えば石塊を詰めた箱をロープで縛って重ねておくとか」というスレイの指摘に“ディーン”は「それだ」となる。

「なるほど、それなら行けそうだな」とイアン・フューリーは眼光を鋭くした。「しかし、建物の内部に侵入する際に出入り口が壊されて侵入が難しい場合も考えなければな。乗り込んではみたが入れませんでしたじゃ、危険を冒すだけの価値がない」

 “ディーン”は即座に答えを提示した。

「対地徹甲弾砲撃だ。徹甲弾の命中爆発程度なら直接ぶち当てるでもしなければ、使徒真戦兵というぐらいだからプラスニュウム装甲に傷はつかないだろう。パージで降下して気づかれぬように潜入して機体回収するのをプランA、破壊された建造物の瓦礫を吹き飛ばす場合の対地徹甲弾砲撃を含む作戦をプランBとする。そして、小型龍虫が多すぎて接近が難しい場合は作戦中止退避というプランCとしよう」

「んー、まぁそれでいってみるかね」と慎重なイアンは尚も懐疑的だったが渋々了承する。

「廃都の状況がよく分からない中での作戦実施になるのと、貴重な人材を3人も危険に晒すのが最大の難点でしょうね」とスレイは纏めた。

「よしっ、アルマスに居るファンフリート大佐に連絡して実施許可を請おう。それとだ。場合によってはそのままフォートセバーン解放作戦とする」

「えっ?」と“ディーン”の言葉にイアンが驚く。

「使徒機の稼働時間耐久テストだな。つまり連続使用時の素体疲労による稼働限界の割り出しだ。そちらはブラムドの艦橋からスレイが観測して計測してくれ」

「わかりました」

(あっ、やべっ。「わかった」で良かったか。つい敬語になっちまった)

 スレイは相変わらずこっちの“ディーン”は大胆不敵だなと感じる。

 しかし、実戦の場においてのトリエルとイアンの手腕を確認する格好の機会になると考えていた。

 3人のやり取りを聞いていたメリエルはスレイも含めてとても優秀な指揮官たちなのだと感心した。

 ルイスはルイスで初めての実戦になるというのに緊張のせいか黙り込んでいた。

「よしっ、早速準備にかかるとするか。それではメルヒンのメンテナンサーたちはバルハラに乗艦してくれ。あるいは乗艦して緊急回収した機体の修理整備を頼む機会が今後もあるかも知れない。上空展開中の飛空戦艦の揺れ具合なんかも確認して適正もみる。公明はガエラボルン宮殿の降下ポイントと突入ルートの具体的な指定を。スレイは箱詰めの作業を国軍兵士たちを使って準備してくれっ、取り敢えずは以上だ」

 “ディーン”の指示により、使徒機回収作戦は開始された。

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