Episode.Dreißig.親の影をver.1.1

「ねぇ、トート。私の、マスター、について、教えて」

「は……? いやまて、どうしてそうなった」


 ミアのところへ向かわせてから半日後。迷える仔犬は全く異なる方向に興味を抱いて帰ってきたのである。

 ……始めの頃こそ知的好奇心が悪い方向へ走ったのかと思ったが、実はそうでもないらしい。自分なりの考えをもち、動機を知覚してから動くようになったのは──それなりに嬉しい誤算ではある。しかしそれと同程度の不安要素が育っているのも事実。

 好奇心は猫を殺す、なんて言葉があるくらいなんだ。コイツの事も、より一層注意してやる必要があるだろう。



 ❖❖

「……とは言え、お前に話せる内容はそんなに多くないぞ? オルヴィエート研究機関から離れた後のことは殆ど知らないんだ」

 そう。コイツのマスターである、ルーザー・アンブロシアは私の実の兄だ。そして同じ職場に一定期間在籍していた……兄の方はまだ在籍している様子だったが、確証はない。

 しかし寝食を共にする事は稀だったし、兄も私も研究所で寝泊まりするような生活をしていたのだ。お互いのプライベートな事だって殆ど知らない。職場内での交友関係こそある程度は把握できるが、それ以外となれば殆どわからないのである。事実として兄が研究所にメイシェラを連れてくるまで、彼に恋人がいる事すら知らなかったのだから。

「──どんな、事でも……いい、の。マスターが、好きだったモノ、嫌いなモノ。日々の、ルーティーンや、日常の、癖。トートが、知ってる……トートしか、知らない、マスターを……教えて、欲しい」

「そんな目で見なくても教えてやるって。けど……あんまり期待するなよ?」


 こうして暫しの間、私は兄について知っている事を可能な限り正確に彼女へと伝えた。無糖の珈琲が飲めない事や、同性愛者疑惑が立っていたこと。箸の使い方が致命的に酷いこと。洗顔料で歯を磨いて吐いたこと──仕事の内容についてはある程度省いた。そして代わりに、こういったくだらない日常の一コマを話してやった。

 そうする中で気付いたのは、私が思っているよりも私は兄の事をよく見ていたと言うことだ。兄のくだらないエピソードを一つ語る間に、そう言えばこんな事もあった、と思い出すことも多い。

 ……これはなんだか、不思議な感覚だった。エピソードを語る毎に顔を出す兄の姿を、追いかけるようにして別のエピソードを語る。こんな事は初めての経験だ。


「──……とまぁ、私の中のルーザー・アンブロシアはこんな感じの人物だ。参考になったか?」

 そんな経験に、ある種の高揚感を覚えながら語り終えて──シオは沈黙していた。

 ……別に寝ているわけではない。彼女の蒼き双眸は私を捉えたまま、微動だにしないだけだ。どうしたのかと聞いてみたが、なんだか妙な違和感を覚えたために思考を巡らせていただけらしい。

「トートの知る、マスター、は……なんだろう。凄く、生き生きと、してる気がする。私が知るマスター、は……優しい、だけ、で……子を、見守る……親のような、穏やかさ……? が、前面に、出てた」

「────親、か……まぁ、それはそうだろうな。アイツはお前の産みの親なんだし当たり前の変化だろうよ」

 彼女の感じた違和感はあって然るべきものだろう。殆どの奴は──子を持つことで変わるのだから。愛玩動物を育てるのとは訳が違うんだ、変わってもらわねば困るというものだ。

 ──しかし、この違和感は何だ? シオは先の違和感とは異なるナニかを腹に抱えているような気配がある。上手く言語化は出来ないが、純粋な疑問を抱えている時とは違う反応だ。

 このまま放置すべきか、もう一歩踏み込むべきだろうか? と、思案を巡らせて始めた途端、彼女は私から視線を外しその胸中を語り始めた。


「…………トート。私は、帰還者レウェルティ……だから、初めから、死んでいた……目が覚めた、日から。私は、この身体、で……目に見えるような、身体的成長は、しない。目的在りきで、造られた、呼び戻された、誰かの代わり」

 語る彼女の声は重く、普段よりも辿々しい。その上、視線は少しずつ落ちていく。後半はもう殆ど俯いたままになっていた。

「そうだな」

「言ってしまえば、私達は、故人の代替品、でしか、ない。そんな、私達相手でも、造物主ニンゲンは……慈しみ、愛する事は、あり得る、の? 私達に、向けられる、感情は、本当に、私達へと……向けられて、いるの、かな……」

「なぜ、そう思った」

「……これ、と言った、確証はない、けど。マスターは……私と、誰かを……重ねて、見て、居たんじゃ、ないか……って」

「それは──……」

 わからない。だが、ここでそれを口にして良いのだろうか? 

 過去、帰還者レウェルティ達がこの手の疑問を持ち、精神の安定を失うケースを幾つも見た。コレは自身に求められる姿と、芽生えてしまった自我の乖離による精神の損耗だ。故人の影法師で居続けることに、耐えられなくなった先にあるのは────か、のどちらかだった。

 ほんの少しでもいい。私を私として見て欲しい。故人の影ではなく、私という存在を必要として欲しい──簡単な言葉で済ませるのなら、承認欲求を満たせないが故に生じる葛藤。

 ……だが、そんな欲求を口にしたら最期──そいつはイレギュラーとして排除される事になる。どこまでいっても帰還者レウェルティの役割は変わらない。心の孔を埋める為に造られた穴埋め要員。観客生者からのアンコールに応える為、舞台袖から引きずり出された役者エゴでしかない。

 役割を演じられない役者を許す者などいるだろうか? 決して安くは無い対価を払っているのだから、望み通りのモノを見せて欲しいと考えるのは、極々自然な話だろう。

 

 ──……そう、頭では理解出来る。理解出来るが、芽生えてしまうものは仕方ない。より人らしく、自然な受け答えを求めれば求める程に、自我は芽生え易くなる。自我に魂を見出すのか、魂があるから自我を感じるのか──なんて事はどっちでも良い。ただ、それが在るからこそ私達は私達であると認識出来るのだろう。

 そんな魂という、人体最大のブラック・ボックスを模倣せんとしたが故に生じた障壁は手強い。これはかつて、ヴィクターが生み出した怪物が、怪物とされた要因の一つでもある。

 魂とは、生命を感じるにあたり、必要不可欠な観測不能のナニカ。


 しかしそれは、帰還者レウェルティを望む者にとっては余計なノイズでしか無いのだ。ソレ故、この様な事態に陥った帰還者レウェルティには通常、人格の再調整が行われる。

 ……再調整、だなんて言われるが──その実態は薬剤による脳の限定的な制限だ。これに合わせ催眠紛いの暗示をかける事も多い。それでも改善が見られない場合は、ナノマシンを利用して生前の記録を基に組み上げた仮想人格で上書きしてしまう。

 しかしコイツは──シオにはそれが出来ないのだ。預かり者だという理由もあるが……実際は技術的な側面に依るところが大きい。コイツの血液中には特殊ナノマシンが介在しており、同種のナノマシン以外を徹底的に攻撃する。

 ……攻撃すると言うより、作り替えてしまうという方が正しいのだろう。またこれは余談だが、コイツの驚異的な耐久性はこれに依る所が大きい。

 はっきり言って──セオリー通りの対処が出来ないのは痛手だ。技術的側面による所も在るが、そもそもの問題は模倣すべき故人の輪郭さえ掴めていないところにある。こればかりは兄を恨みたくもなるが、不満を漏らしたところで何の意味もない。

 

「──……いいか、シオ。アタシはお前の親じゃない。だからルーザーがお前に、誰の影を重ねているのかなんてこれっぽっちもわからん」

 私の言葉に、シオは落胆した様子を見せる。

「だが──私が思うにルーザーはお前をお前として見ていた筈だ」

「何故? なぜ、そう、思うの」

「お前の話からの推測と、私の経験からだよ」

 シオの縋るような視線を、まっすぐに受け止めながら答えた。

 正直、シオの話から推察した兄の姿は引っかかる所も在る。けれどその根幹にあるものは殆ど変わっていない。抜けている所は抜けているし、兄が妻に向けていた感情と言動を考慮すれば、ある程度の辻褄は合うのだから。

 ……とは言え、これでシオが納得出来るかどうかはわからない。もしかしなくとも、新たな疑問や不安を抱く原因になる可能性もある。

 しかしソレは仕方のない事。不本意ではあったものの、私だって子育ての経験はあるのだ。兄よりかはきっと、上手く立ち回れる筈だ。

 

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