Episode.Sieben.楽園の反対側へver.1.1


 ──歩き初めてどれ程経ったのでしょうか。

 日の落ちた森の中を進み、木の根や石ころに幾度となく躓きました。それでも標を頼りに歩み続け、漸く開けた場所へ辿り着いたのです。

 雑に枝打ちされた木々や凸凹した轍の群れ。そういったモノを尻目に石畳を歩き続けると、古びた関所らしきものが目に入りました。しかしそこに人の気配はなく、関所としての機能は喪失している様です。苔生した壁には幾重もの亀裂が入り、ガス灯の風除けは砕け、その中身を晒していました。

 ……手帳にあった内容からは想像もつかないような荒れ具合に、一瞬だけ嫌な考えが浮かびます。私は何処かで道を間違え、未知の場所へ辿り着いてしまったのではないかと。

 けれど、手帳の内容を信じるのならココがクラミトンなのです。


 ──見上げる程に巨大な鋳物門扉。

 そこに彫り込まれた一組の男女は、六指の赤子を抱いていました。このレリーフこそがクラミトンを象徴するものであり、表世界──私が住んていた世界では、忌むべきシンボルであると手帳には記されています。

 本音を言えば、ここから先へ行きたくありません。今すぐにでもマスターの元へ帰りたいのです。けれどソレは叶いません。

 帰り道はわからず、マスターの行く方すら知りません。それに加えて、今の私は殆ど壊れかけなのです。出来る限り早く治療修理しなければ、取り返しのつかない事になるでしょう。

 ……頼れるモノが殆ど無い以上、この手帳の持ち主──トートという人物へ会う必要があるのです。けれど闇雲に探せば、見つけるよりも早く私の身体は限界を迎える。

 だからまずは、雷鳴の迷い子という団体へ接触する必要がありました。



 手帳の内容から察するに、雷鳴の迷い子とは人間との関わり──とりわけ安魂教会アニミス・エレクシアと決別する事を選んだ一団らしいのです。

 また彼等は自由な創造を目指した一団に過ぎず、傷付いた帰還者レウェルティを保護し居場所を与えるとのこと。その実態は不明瞭ではありますが、トートはそこに所属しているようでした。

 ……雷鳴の迷い子は安魂教会アニミス•エレクシアと袂を分かち、不干渉を決め込んでいる団体です。表立った争いこそ無いようですが、教会との関係性は言うまでもないでしょう。追われている身からすれば、都合のよい存在です。


 ──ただ、お世辞にもクラミトンの治安は良いと思えません。

 無人の門をくぐり抜けた先にあったのは、誰がどう見てもスラム街としか言えない惨状でした。

 少し開けた場所には幾つかの人集りが見えます。比較的小さな集団──その人垣の隙間から見えたのは、一対一で殴り合う帰還者レウェルティ達の姿。その光景は、いつか見た映画のワンシーンのようです。鉄柵こそありませんが、ここで感じる熱は地下闘技場のそれと大差ないのでしょう。

 互いに獲物もなく、己の肉体のみで潰し合う。そんな路上闘技ストリート・ファイトがそこらかしこで行われているのです。そうなれば、自然と観客の熱気ボルテージも上がっていきます。

 ソレが最高潮に向かうにつれて「潰せ」だの「殺せ」だのと、品のない声で物騒な言葉を投げつける。映画で観るソレと、今実際に感じているソレは全然違うものでした。

『潰すのも、潰されるのも見たくない』そんな気持ちになったからか、私は自然と大通りを外れて裏路地へと向かっていました。


「─────っ……!」

 けれど、ここにはまた違う嫌なモノがあったのです。なんの考えもなしに選んだそこで、私は小さな悲鳴を漏らしていました。

 ゆっくりと、緩慢な動作で這いずり縋ってくるそれは確かに人です。私達のような帰還者レウェルティではない、死を知らぬ生者。

 ──だというのに、彼らの目は昏く澱んでいる。

 荒れて爛れた肌、ひび割れ欠けた爪、フケだらけの脂髪。死者から感じるソレとはまた違う悍ましさに、私は逃げ出していたのです。

「や、やめて……来ない、で」

 アレらが言葉を話す事はありませんでした。辿々しいとか、吃音とか、そういうものですらない。呻き声でもなくて、もっと原始的な音と言うべきでしょうか?

 誰がか動き、を立てる度に物陰からアレらは這い出てくるのです。目は虚ろで、その口元からは涎を垂らし手を伸ばしてくる。アレは薬物による禁断症状なのでしょうか? それとも流行病や風土病によるもの? 医学的知識は皆無だけれど、アレらがマトモではない事くらい判ります。

 けれど解らない。帰還者レウェルティではない生きた人間が、どうしてあれ程迄に悍ましく、痛ましい姿になるのでしょう?


「キミ、見かけない帰還者カオだね」

「っ、誰……?」

 声をかけられたのは、アレらを振り切り息苦しさに腰を降ろしかけた瞬間でした。そこに居たのは、ヨレた衣類に身を包んだ小柄な青年です。短く切り揃えた髪にフケはなくて、目もアレらのように澱んではいません。

 ……ただそれだけなのに、私は彼に対して少しの安堵感を覚えたのです。

路上賭博試合ストリート•ファイトから逃げてきたって訳じゃなさそうだけど──どうしたの、その傷?」

「……ある人達から逃げようとして、負傷した」

「訳アリか。治すツテは?」

「雷鳴の迷い子……くらいしか、ない」

「あぁ。なら此方だ、着いてきなよ」

「知っているの?」

「勿論さ。ここで雷鳴の迷い子を知らない奴は居ないからね」


 ──そうして案内されるまま数分。

 私達はクラミトンの中心街を歩いていました。青年曰く、ここは腸龍街チァンロンフェイと呼ばれる区画で最も賑わうのだそうだ。ネオンサインや継ぎ接ぎだらけの荒屋などが乱立し、店先では妙なイントネーションの客引きが立っています。

 ここには正門付近の陰湿な空気はなく、何処か影のある華やかさで満ちていました。

 ……この空気を喩えるのなら、夜闇に灯る誘蛾灯でしょうか? 今迄いた世界とは異なる雰囲気に、私はきっと高揚していたのでしょう。


 ──だから決定的な場所に来るまで、私は気付けなかった。


 繁華街を抜けた先で、彼がその足を止めたのです。

 そこは人通りのない裏路地でした。ネオンサインの灯りは遠く、人々の喧騒も聞こえません。あれだけ居た薬物中毒者ジャンキーの姿もなければ、帰還者レウェルティの影一つない不自然過ぎる場所。

 そんな所まで来て、漸く私は現状を正しく認識しました。恐らくこの青年は、初めから私を『雷鳴の迷い子』へと連れて行く気はなかったのです。目的は何にせよ、この状況が危険なことに変わりはありません。

「……騙した、の?」

「騙しては居ないよ。君のことはちゃんと連れていく」

「どういう、こと……?」

「そのままじゃ連れていけないからね。少しばかり治してから行くつもりだったんだ」

 一見それらしい事を言っているけれど、彼の言葉は矛盾している。治すなんて口にしているけど、そんな雰囲気は一切ないのです。

「やめて。近寄らないで」

「そんな事言わないでさ、一緒に行こうよ」

「いや……いかない。来ないで」

 こんな言葉で拒絶したところで意味はありません。それはわかっていますが、少しでも相手の気を逸らす必要があるのです。

 後退りながら、なにか使えそうなものはないかと探しますが中々見つかりません。警戒しつつ距離を取るけれど、私が下がった分だけ彼は距離を詰めてきます。その間も私を気遣うような言葉を口にしますが、どこか胡散臭いというか……信じられないのです。


「──……っ!?」

 タイミングをみて走り出そうと考えた矢先──私はなにかにぶつかりました。ここは一本道で、真っ直ぐに戻れば繁華街へと続いています。その道程に壁は無かったはずなのに、どういうことでしょうか?

 一瞬だけ振り返ると、そこには筋骨隆々の大男が立っていたのです。

「貴方、誰……?」

「あ、兄貴!」

「──まだるっこい事してんじゃねぇよ、新入り」

 怒りと呆れが混ざった声で男は呟くと、私の頭を鷲掴みにしてきました。そのまま軽く持ち上げられた瞬間、男は私の首筋へとアイスピックを突き刺してきたのです。刺された痛みに驚いたのも束の間、バチリという電撃音と共に全身を強烈な電撃が走り────…………。








 ────…………帰還者シオは悲鳴一つ上げる間もなく気絶し、男に抱え上げられた。

 彼女シオへ突き立てられたのは、違法に改造された電撃錐スタン・ピックである。

 電撃錐スタン・ピックは突き込んだ瞬間に電流を流し、強制的に気絶させる携行武器であり、対人造人間用装備として市販もされている。

 しかし彼等が用いたのはそれの海賊版とでも呼ぶべき代物であり、正規の電撃錐スタン・ピックよりも安全性•耐久性が大きく劣るのだ。回路を始めとした全てが手製な上、出力も安定しない為に反撃も受けやすい。逆に強過ぎた場合、神経回路を焼いてしまう事もあるのだ。

 ……その分だけ安価なので、帰還者狩りを行う者達には必需品となっている。

「ふん……見た目はかなり良い。手足も奇麗だし、これは高く売れるな」

 糸の切れた人形よろしく、完全に脱力しきった彼女の顔を確認した男がほんの少しだけ嬉しそうに呟く。男はそのまま青年の側に立つと、項垂れているその頭を軽く小突いた。

「余計なお喋りはせず、さっさと襲えって教えただろうが」

「……すんません、兄貴」

「ったくよぉ、お前も覚悟を決めろよな」

 青年は元気のない声でウス、とだけ返し落ち込んだ様子で男の後ろをついていく。そうして進むうち、男は軽くため息を漏らすと歩きながら青年に声をかけた。


「……お前よぉ、これて何度目だ。

 お前は親も居なきゃ頼れる親戚もない。たった一人の肉親である妹は難病を治すために大金が必要ときた。だから危険を承知でウチに来たんだよな?」

「……そうッス」

「ならオメェ、私情は挟まずに仕事をこなせよ。

 オメェの世話を帰還者アイツに任せた俺に非はあるのかも知れんが、そこら辺はうまく折り合いつけろ。お前ももう成人十五歳なんだ、ガキじゃねぇ」

「ウス……頑張ります」

 答える彼の声に覇気はない。男の方もこれ以上かける言葉を持たないのか、軽く頭を掻きながら街外れへと向かっていくのであった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る