第三章 勇者の弟子

第31話 王都、平和な日々

 ディァグランツ王国、王都ディアラント。


 城壁都市である王都を流れる川は、民の生活を潤し、豊かな土壌を育む役割も担っている。

 当然、生命も豊富だ。川魚や貝類の養殖場があり、漁業も盛んである。

 この日も、釣り糸を垂れる者がいた。


 この俺、ティグル・ナーデ・アリュリュオンである。


(…………良い)


 釣り糸に反応はない。だが、焦らずともよい。

 ただ静かに釣り糸を垂れ、川のせせらきや風の音、鳥の声、街の喧騒と一つになる。

 ただ、埋没する。静かに。

 それが……良いのだ。


(至福の時間だ)


 最近、とみに忙しかった。


 慣れぬ生活、貴族とのパーティーに駆り出される日々に、俺の精神は疲弊していた。


 俺は日陰者である。表舞台に立つなどまっぴらごめんだった。

 しかし、国王からのお誘いを断る訳にもいかない。


 勇者という立場、そして――つい先日まで魔王軍に属していた獣王国を手に入れた獣王という立場、そこから押しつけ――もとい与えられた辺境伯という立場。

 それらの手前もあり、本当に多忙であった。


 だから今日くらいはゆっくりしようと思ったのだ。


(釣りをしたい。否――するのだ)


 そう決めたのが一時間前。それからずっと釣り糸を垂らしている。

 何度めかの風が吹き、水面が揺れた。

 その瞬間、竿が大きく引かれた。


「来たか」


 反射的に立ち上がる。全身で竿を引き、リールを巻き上げる。

 水中から現れたのは、鱒のような魚であった。

 何という魚かは知らぬが――鱒でよいだろう。

 

「よし」


 手掴みで捕まえ、暴れ回る魚を籠に入れた。活きがよい。

 再び腰を落として釣りを再開する。


「ふふ……」


 釣りとは良いものだ。

 何も考えずにただひたすらに待つだけでいい。

 否、魚との知恵比べ、真剣勝負である――という声もあるしそれも否定できぬが、しかし今俺が望むのは、ただ無心になれる事た。

 ただ――自然と一体となる。

 釣れずとも良い。

 釣れればもっと良い。

 そこには、ただメリットしかないのだ。


 嗚呼――心が洗われる。


(……お?)


 竿先が何かを引っ張った感覚があった。

 力を込めて引き寄せる。水の中から飛び出してきたのは、またもや立派な鱒のような魚だった。

 それも三匹目だ。籠の中に放り込む。

 そしてしばらくすると、今度は少し間を置いてから竿先に当たりが来た。

 勢いよく引く。

 大きい。

 引きに合わせて立ち上がり、全力で引っ張った。

 水中から姿を現したのは巨大な魚影だった。


「うおっ!?」


 驚いて声が出た。籠の中へと誘導して、改めて確認する。


 それは大きな鯉だった。

 1メートル近い。


(こいつは大物だな)


 釣り上げてみればわかる。今まで釣ってきた奴らとは別格だと。


「これは……美味そうだ」


 籠の中で元気良く跳ねている鯉を見つめながら呟く。

 鯉を食う事に対しては賛否あると聞く。鯉は泥ごと餌を食うので、泥くさくて食べられたものではないという者も多い。

 だが処理しだい、調理しだいでいくらでも美味くなるのだ。


「先輩、なに邪悪な顔でニヤニヤしてるんですか」


「……む」


 後ろから声がかかる。

 俺のかつての部下であり、今は聖女と呼ばれている少女、フィリム・ランだ。

 聖女然とした、ゆったりとした修道服のようなものを身に着けている。


「失敬な。美味そうな獲物を前に顔を綻ばせないのは、失礼だろう」

「……はぁ?」


 彼女は呆れ果てたような表情をした。

 フィリムはアンチ鯉派なのだろうか。

 だが俺は他人の食嗜好は、押し付けられぬ限り否定しないと決めている。許そう。


「相変わらずですね」

「そう言うお前こそ、どうなんだ? 聖女の名が泣くぞ」

「私だっていつもニコニコしているわけじゃないですよ。さっきまで、神官長と難しい話をしていました」


 フィリムはため息をつく。

 この惑星の……この世界の宗教、信仰に疎い彼女には大変だろう。

 俺もよくわからんが。


「それはご苦労様なことだ。大変だったな」


 労ってやる。


「まったくです」


 愚痴っぽく言った後、俺の隣に座った。


 しばらく無言の時間が続いた。時折思い出したように会話を交わす。


「平和になりましたね」

「今のところは、な。平和とは次の戦いへの準備期間だ。そういう認識でいなければならない」

「……先輩らしい考え方ですけど、もっとこう、肩の力を抜いてもいいんじゃないですか?」

「無理だ」


 俺は即答する。


「どうしてそんな頑ななんですかねぇ……。あ、もしかしてあれですか? 先輩の好きな食べ物ってなんですか?」

「いきなり質問の意図がわからん」

「いいから答えてくださいよ。私は甘い物が好きです」

「そうなのか。俺は落雁が好きだが……」

「……渋いですね。ですが、残念! 私の勝ちです!」


 勝ち誇った笑みを浮かべて、人差し指を向けてくる。……何の話だ?


「負けたら罰ゲームという約束でしょう?」

「初耳だぞ」

「そりゃ今言いましたから」


 当然のように言われた。

 それは詐欺というものではないのか。


「では、先輩には罰を受けてもらいます」

「待ってくれ。俺は別に負けてはいない。甘いものと落雁、どちにも本質的に同じだろう。そもなぜ罰を受けねばならないんだ」

「えーと……ノリで?」


 首を傾げられた。


「ふざけるな。そんな理不尽があってたまるか」

「まあまあ、落ち着いてくださいよ」


 宥められる。……解せん。


「それで、罰というのは何をするつもりだ」

「いえ、特に何も考えていません」

「………………」

「………………」


 沈黙が流れる。


「ふっ」

「ははは」


 どちらからともなく笑い出した。


「やっぱり、こうして話していると楽しいですね」

「そうだな。悪くはない」


 俺は目を細めた。


「……」

「……」


 再びの静寂が訪れる。心地よい時間だった。


「……なぁ、フィリム」

「はい、何でしょうか」

「……明日の舞踏会、出たくないのだが」


 心からの本音を言う。

 逃げたい。


「駄目です」


 即座に却下された。


「そうか」

「そうです」

「………………そうか」


 気が重い。


「……戻るか」

「はい」


 腰を上げる。フィリムも立ち上がった。

 歩き出そうとした時、彼女の方を振り向く。


「そういえば、今日の夕食はどうなると思う?」

「侯爵様の屋敷に滞在ですからね。それは食べられないのでは」


 現在俺たちは、ガーヴェイン侯爵の屋敷に滞在している。

 王都の貴族居住区にある豪邸だ。


「……だよな」

「はい、そうです」

「……仕方ない、ギギッガに頼んで保存するか」

「……ミ=ゴ達の異質技術を食料保存に使うのは先輩だけだと思います」

「発想の転換だ」


 ミ=ゴと呼ばれる、ユゴス星出身の宇宙生物は、生物の脳を摘出して容器に保存する。

 脳髄を抜かれた生物の肉体は、ミ=ゴの操り人形のようになる上に、その時点での状態に固定される。老いず死なない、かりそめの不死だ。


 つまり、魚の脳を抜けば、いつまでもとれたて新鮮の魚のまま、腐らないということだ。

 それをギギッガ……先日仲間になったミ=ゴに聞いてみたところ、可能だと言う。

 可能だが、だれもそんなバカな事を考えた事は無かった、と言われた、

 名案だと思うのだがな。食料保存は大切だ。特に、このように冷蔵庫、冷凍庫の普及していない惑星においては。


「無論、弱点もある」

「弱点ですか」

「脳の無い植物の保存は出来ない。あと、解体した肉も無理だ。生きているものでないと無理だからな。

 うまくいかないものだ」

「……アトラナータさんに普通に冷蔵庫作ってもらいましょうよ」


 アトラナータとは、俺たちの乗って来た宇宙船ノーデンスのAIである。

 宇宙船そのものは現在も軌道上で周回中……というか修復中であり、地上では端末ドローンのボデイで活動している。


「……その手があったか」

「……先輩ってそういう所、抜けてますよね」

「……面目ない」


 情けないが、否定できない。


「……まぁ、良い。戻ろう」

「はい」


 二人で並んで屋敷へと戻った。


◇◇


「お帰りなさいませ、ティグル様、フィリム様」

 出迎えてくれたのは、ガーヴェイン家の執事だ。


「ただいま戻りました」

「ただいまですー」

 

 挨拶を返す。


「お帰りなさい! ティグル様! フィリム様!」


 奥から元気な声が響く。


「戻りました、アラム殿。……そしてルミィナ様」


 元気な少年は侯爵の長男、アラム・ベル・ガーヴェイン。そしてその後ろに隠れている少女は、ルミィナ・ティンクル・ガーヴェイン。

 侯爵の娘であり、俺の婚約者でもある。

 ……かような幼女と婚約というのは双方にとって不幸でしかないが、政治的判断でやむなし、というやつだ。

 決して俺の望んで意図したことでもなければ、俺の性的趣向でもない。

 それに、侯爵とはいずれ円満に婚約解消する前提だと話はついている。

 ……ついている、はずだ。俺は侯爵を信じている。


「……なさい」


 小さく挨拶を返して来るルミィナ嬢。当初全く会話してくれなかったから、たいした進歩ではあると思う。


「あ、旦那様!」


 二階のテラスから声がかかる。


「おかえりなさい!」


 そして声の主は、飛び降りた。

 俺は反射的に受け止める。


「……無茶をするな、ラティ」

「えへへ~」


 嬉しそうな笑顔。


「怪我は無いようだな」

「うん!」


 元気よく返事をして抱きついてくる。そのまま抱っこしてやる。


(まったく)


 俺は苦笑する。

 結婚してからさらに懐いてくるようになった。


 この十二歳の犬耳……もとい狼耳少女ラティーファは、俺の妻だ。


 断言するが、俺は幼女趣味では無い。

 これは政略結婚だ。

 

 魔王軍四天王が一人、獣王の治める獣王国を巡る事件を解決した時、獣王の娘である彼女をそのまま押し付けられる事になったのだ。

 そこに愛など無い。


 ……いや、男女としての恋愛、性愛が無いだけで、友愛や親愛や慈愛は介在するだろうが。


 俺は幼女趣味ではない。大事なことなので二度言った。


(まぁ、可愛いとは思うが)


 しかし、それはそれとして、俺の事を慕ってくる姿を見ると、やはり嬉しい気持ちになる。


「仲いいですよね、二人とも」


 フィリムが言って来る。


「ああ」


 俺は素直にうなずいた。


「……でも、私も先輩とあんな風にしたいです」

「お前なら受け止める必要はあるまい」


 この程度の高さなら問題ない。

 もっと高い所からの降下訓練も軍属時代に行っていたからな。


「むぅ、そーいう問題じゃないです」


 不満げな表情の彼女を見て、俺は笑みをこぼす。


「さて、夕食まで少し時間がある。ギギッガに魚を渡してこよう」

「あ、私も行きます!」


 そうして、俺たちは中庭へと向かった。



「ギギッガ、いるか?」


 中庭で声をかける。

 しばらくすると、地面が動き、中から直立歩行する甲殻類……ミ=ゴのギギッガが現れた。


「ゴッギグッ」


 彼は頭を下げた。


「頼む。脳を取って保存してくれ」


 籠を手渡す。中には新鮮な鱒が入っている。


「ゴッギグッグッ」


 ギギッガは本当にするのか、とあきれている。


「まあ、ものは試しだ。確かにお前たちには必要ない発想だろうが」

「グガググッ」


 彼らは特赦な鉱物をエネルギーにする、故に魚や肉は食べないのだ。

 彼らは生命としては、菌類に近い。甲殻類の殻をまとった動くキノコ……というのが近いのだろうか。

 ちなみに彼らは死ぬと溶けるので、食用には向かない。

 ……いや、仮に向いた所で喰わないが。


「頼んだ」

「ギガガッ」


 ギギッガは地面に潜っていった。


「素直ですね、ギギッガさん」


 フィリムが言う。


「そうだな」

「先輩、今晩は何が出るんでしょうかね?」

「期待できるだろう。侯爵の屋敷だからな」

「そうですね!」


 楽しみだ、と彼女は微笑んだ。

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