入学式
どうしてハレの日に限って、こうも面倒事に巻き込まれるのか…。
シャーロットは心の中で大きくため息をついた。
*
今日は待ちに待った(わけではないが)学院の入学式。フォンテーヌ王国の貴族は16歳の年に王都にある学院に通うことが通例となっている。学院を卒業してこそ、一人前の貴族と認められる、というわけだ。そして入学式のあとには入学を祝うパーティも控えており、王族も出席する。実質社交界デビューの大切なパーティということもあり、貴族子息・子女たちはみな心待ちにしていた晴れの舞台である。
リヒター伯爵家でも例に倣い、シャーロットが16の年に領地から彼女を呼び戻し、学院に通わせる手続きを行っていた。
制服や学院で必要となる日用品、文房具などはもちろん、パーティに向けて子女のデビュタントの儀礼服でもあるホワイトドレスもオーダーメイドで作らせていた。
婚約者を持つ子女のエスコート役は婚約者が行うが、ここフォンテーヌ王国では小さいころから婚約者を置くのは基本王族のみで、この学院での生活を通して互いに心を通い合わせて婚約する流れが一般的だ。なので、基本的にエスコート役は父親か学院に通う兄弟がいれば兄弟が行うことが多い。
シャーロットも兄サミュエルがエスコートしてくれるんだろうと思っていたが、サミュエルは運営委員に選ばれているようで対応ができず、父がエスコートしてくれることになっていた。
*
父が学院に到着するのを正面門前で待っている間に、面倒事はやってきた。いや、今回は面倒事を目にしてしまった、のほうが正しい。
「あらぁ~? エミリア様おひとりですの?」
「…………」
亜麻色の緩いウェーブヘアをハーフアップにした愛くるしい見た目の令嬢が、不幸体質の美少女もといエミリア・ミュラー公爵令嬢に絡んでいる現場を目撃してしまったのである。
「婚約者であるファビアン様はどうされたんです? あぁ、失礼。彼からエスコートお断りされたんですよね。だって……ファビアン様は私をエスコートしてくださるんですもの」
「…………」
愛くるしいのは見た目だけで、中身はとんだ女狐だった。嘲笑をかけられ、言い返せず黙っているのか、それとも…。どちらにせよ、エミリアが反撃しないことで、見た目詐欺の女狐は調子に乗っているのは確かだった。
シャーロットは先日馬車の中でメイドのアリスから聞いた話を思い出していた。
『ゴードウィン男爵領から始まったとのことですが、発案者はご令嬢のルイーザ様だそうです。ルイーザ様は昨年学院に入られたそうですが、その発案力に……その……』
『ルイーザ様の発案力に第1王子のファビアン様がご執心だそうです』
アリスの話と女狐の話から察するに、かのご令嬢が、ファビアン第1王子がご執心のルイーザ・ゴードウィン男爵令嬢なのだろう。
だとすれば、一介の男爵令嬢が公爵令嬢に対してあまりにも無礼すぎる態度ではないか。たしかに学院では派閥も身分も関係なくみな平等との校則はあるが…。
はっ、と思い付き、シャーロットはエミリアとルイーザの間に割って入った。
「な、何よ…」
ルイーザに視線を送った後、くるりとエミリアのほうへ振り返り、美しいカーテシーを行った。
その行動にエミリアも察して「挨拶を受け入れる」合図を送った。
「お初にお目にかかります、ミュラー公爵令嬢。私はリヒター伯爵家が次女、シャーロットと申します。これからともに学院に通えること、嬉しく思いますわ」
「ミュラー公爵家が長女、エミリアですわ。どうぞ私のことはエミリアと」
「では、私のこともシャーロットとお呼びください、エミリア様」
「ちょっ、ちょっと! 私を無視しないでよ!」
食い下がってくるルイーザにシャーロットはため息をついて、ルイーザのほうを向いた。
「ルイーザ・ゴードウィン男爵令嬢ですよね?」
「えぇ、そうよ!」
「エミリア様が公爵令嬢、私が伯爵令嬢だと知っての行動ですか?」
「はぁ? 何言って…」
「貴族社会では上位の者から許可があって初めて下位の者は口を開けるのです。そんな常識も弁えていらっしゃらないようでしたら、再度お勉強しなおしてきたらどうです?」
「あんたこそ何言ってるのよ。学院では『派閥も身分も関係なくみな平等』よ。あんたこそ勉強しなおしてきたらどうなの?」
「あら、ここは正門の外。学院の外ですわ。よって、学院の校則適用外ではなくて?」
「っ……」
屁理屈ではあるものの、筋の通ったシャーロットに言い分にルイーザは言い返すことができず、ギリっと悔しそうに歯ぎしりをした。
「お前たち、そこで何をしている!」
懐かしい怒声を2オクターブ低くした声が響き渡る。
(あぁ…面倒事がやってきたわ……)
絹織物のような美しいバイオレットの髪を見るのは何年ぶりだろうか。ファビアンがやってくるのがわかった瞬間、ルイーザは愛くるしい桜色の瞳に涙を浮かべ王子にすり寄った。
まるで、ヒロインをいじめていた現場にヒーローが登場したようではないか。
「エミリア! 貴様、また可愛いルイーザをいじめていたのか!」
「いえ、私は……」
「えぇい、喋るなブス! 貴様の言い訳など聞きたくもない!」
池に突き落とされた日から10年、この男は相変わらず自分の見たいもの、聞きたいものしか容認しないようだ。
(そんなんだから、まだ王太子に任命されないのよ…)
要因はそれだけではない。二人の王子の複雑な事情も絡み合っている。
元々正妃は第2王子エミールの母親・アデレートだった。アデレートと国王は幼いころから仲睦まじく、婚姻もスムーズだったが、なかなか子供に恵まれなかった。結婚して10年、世継ぎができないことを懸念した当時の宰相の手によって、彼の娘・リアーナが王の寝台へと潜り込ませ既成事実を作った。そのとき出来た子どもが第1王子ファビアンである。妊娠したことにより妃として迎えられることとなったが、正妃ではなく側妃として、だった。宰相閣下の娘リアーナは国王に次ぐ地位を持つ公爵家の令嬢。そして正妃のアデレートは辺境伯家の伯爵令嬢。ここに身分の歪みができてしまった。さらにアデレートはエミールを生んですぐ亡くなっているため、その後釜にリアーナが収まり、今ではリアーナが正妃となっている。しかし死んでもなお、アデレートの面影を残すエミールを王は大変可愛がっていることと、ファビアンのあの性格だ。国の貴族が2派に分かれて、政権争いをしている、というわけだ。
しかし、こんなにも美少女のエミリアを『ブス』呼ばわりとは、ファビアンの美的感覚はどうなっているのだろうか。美醜が逆転した世界線に住んでいるのだろうか。いや、それなら愛くるしい顔立ちのルイーザはどう説明すれば…。
ファビアンとファビアンの後ろに隠れていやらしい笑みを浮かべるルイーザ、謂れのない言いがかりを一身に受けるエミリアを見ながら考え事をしていると、ファビアンの矛先がシャーロットにまで向いてきた。
「おい、そっちの草ブス! 貴様もこの悪女の手下か?!」
「…ファビアン殿下。仮にもご自身の婚約者に向かって悪女とはいかがなものかと」
「うるさい黙れドブス! ブスたちが寄ってたかって可愛いルイーザをいじめるのがいけないのだ!」
「恐れながら申し上げます。エミリア様はルイーザ様に一言も申されませんでした。お話していたのは私です。そしていじめではなく、貴族社会の常識をお伝えしていただけのこと」
「金の亡者のくせに生意気を言うな!」
ファビアンの右手が天に掲げられ、太陽の光を遮った。シャーロットの顔に右手の影が落ちる。
(叩かれるっ!)
そう思って両目を瞑るも、いつまでたっても痛みは訪れない。恐る恐る目を開けると、アイリスカラーが陽光に照らされキラキラと輝いていた。
「エミール、殿、下……?」
「女の子に手をあげるなんていただけないな、兄上」
「エミール…貴様……っ」
「現行犯だし言い逃れはできないよ?」
7年前の面影ある微笑だが、7年前よりも凄みが増していた。
「ファビアン様、エミール様、私は大丈夫です! この件は水に流しますから。ねっ、エミリア様、シャーロット様。これからの学院生活ではどうぞ“よろしく”ね?」
「……は?」
「おぉ、なんて慈悲深いんだ、ルイーザは! …ごほん。ルイーザに免じてお前たちのいじめは不問としてやる!」
ルイーザとファビアンは悦に入ったまま立ち去った。エミールの「納得いかない」という黒い笑みが見えていないのだろうか。
そののち、エミリアのエスコート役である公爵がやってきて、現場にはシャーロットとエミールだけが残された。
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