2つの立て直し

朝、家族で朝食を摂った後、父と一緒に王宮の司法局へと向かう。父の執務室の一角に子供用の机と椅子が用意されており、それに似合わない量の書類の山が積み上がっている。

ここ1年で見極めた父の部下たちの中で書類整理が得意な者に積み上がった書類の山の整理を依頼し、シャーロット自身は父のスケジュール管理などの雑務を粛々とこなしていた。


「シャーロット嬢、クライン卿がお見えです」

「ありがとうございます。客間にお通しください、すぐに参ります」


シャーロットの姉・ヴィクトリアが嫁いだクライン侯爵家は外交を担う一族ではあるが、現公爵(ヴィクトリアの義父)の弟・レオンは外交よりも商売に興味を持つ変わり者だった。自身でも豪語するだけあって、証憑書類の管理・集計に置いて右に出るものはいない。

といっても、この世界に証憑の認識はなく、レオンもただ、取引が成立した証拠として見積書や注文書、納品書、請求書などをまとめて管理していただけで、シャーロットがその才を見出し、管理を徹底させるよう依頼しただけなのだが。おかげで、ここ半年は仕入れ先・取引先とのトラブル時に即座に対応でき、財務部門のクリーンさを証明する形となっている。


「お待たせいたしました、レオン義兄さま」

「やぁ、シャロちゃん。大丈夫、待ってないよ~」


本来であれば「おじ様」と呼びべきところだろうが、レオンが嫌がって「義兄さま」と呼ぶことで落ち着いている。


「義兄さま、変わりございませんか?」

「うんうん、シャロちゃんのおかげでここ数ヶ月はとっても平和さ~。といっても、月末月初はてんてこ舞いだけどねぇ~」


レオンはふにゃっとした笑顔を浮かべて答えた。レオンが醸し出す独特の雰囲気は、シャーロットにとってひそかに癒しになっていた。


「あんな~シャロちゃん。ちょこっとお願いがあるんよ~」

「お願い、ですか?」


シャーロットがこてんっと首をかしげると『その仕草好きなんよ~』とレオンはますますふにゃりと微笑んだ。


「実はな~、クライン領の孤児院でちょこっと問題が起こっててな~」

「問題、というと?」

「シスターの出入りが激しいんよ~。僕も何度か孤児院に出向いて調査しとるんけど、原因がわからんくてな~。視点を変えて、シャロちゃんならなんか気づくんじゃないかな~って思って。一緒に視察してくれんかなぁ?」

「わかりました。視察に同行いたしますね」






そんな話が出たのが1週間前。

王都からクライン領へ向かう馬車にはげんなりとした顔のシャーロットと妹の態度が不敬にあたらないかひやひやしているサミュエル、それからニコニコ顔のエミールが乗っていた。


「お兄様はわかりますが……なぜ、殿下がご一緒なのですか?」

「なぜって、王子教育の一環?」


語尾に「?」をつけながらも、エミールはやはり楽しそうにシャーロットを見つめてくる。そんな王子の態度にシャーロットは盛大にため息をついた。


「ははっ。君は本当に考えていることが顔に出やすいね」

「顔色から考えを見抜ける聡明さがおありでしたら、どうぞ私のことは捨て置きくださいますと

大変嬉しいのですが」

「シャロっ!」

「はははっ、いいよ、サミュエル。ほかの目はないんだ。シャーロット嬢…いや、シャロ。僕のことは“エミール”と呼んでくれて構わないよ」

「ほほほ、ご冗談を。恐れ多くも殿下のことをお名前で呼んだりすればいらぬ誤解を生みますわ。どうぞこのまま“エミール殿下”もしくは“王子殿下”と呼ばせてくださいませ」

「はははっ、“王子殿下”だなんて他人行儀が過ぎるよ」

「あぁあぁぁシャロ……」


胃がキリキリしてそうなサミュエルを横目に、エミールの軽口とシャーロットの容赦ない拒絶が繰り広げられたまま、馬車はクライン領の孤児院に到着した。

先に到着していたレオンと孤児院の院長が3人を出迎えてくれた。


「やぁ、クライン卿。出迎えご苦労」

「エミール殿下、サミュくん、シャロちゃん。長旅お疲れ様やったね~。こちら、クライン領の孤児院の院長をされとるアルベルト・ヒューイ」

「エミール王子殿下に置かれましてはご機嫌麗しゅう。サミュエル様もシャーロット嬢もよくぞ参られました」

「今日の私はただの見学人だ。そう固くならないでくれ」


人のよさそうな穏やかな顔をしたアルベルトが深々と礼をする。しかし、目の下にはくっきりとクマが浮かんでおり、大変な思いをしているのは一目瞭然だった。

話を聞くに、現代風に例えると、この孤児院ではシスターの入退社が激しく、勤務時間に対する給料計算も管理できておらず、時間に対して多く給料をもらっているもの、少ない給料で働いているものがいるようだ。退社するのは費用対効果が合わない低賃金で働くシスターなのだろう。


「実を申しますと、私も3か月ほど前から自身の給料を削ってシスターへの賃金補填や子どもたちの育成等に回しております。とはいえ……」


アルベルトは言いにくそうに視線を迷わせた。


「僕から代弁するな~。つまり、アルベルトさんの給料は今現在雀の涙程度なんよ~。もちろんクライン家からも孤児院に対して十分な額の寄附金は渡しとるけど、それでも…えぇ~と、不正受給しとる黒幕がおりそうなんよ~。寄附金増やしたところで、黒幕の懐にコロコロ転げ込んだら意味ないやろ~? だからシャロちゃんのお知恵を拝借~ってしたかったんよ」


深刻な話をしているのに、レオンの独特な雰囲気が深刻さを打ち消しているように感じてならないが…。


「リヒター領の財政改革に、王宮財政部の改革も手掛けたシャロちゃんなら何かいい案思いつかんかなぁ~と思って視察に同行してもらったんよ~」

「なるほど、お話は分かりました」


シャーロットは人差し指を唇に当てて考えていた。


(従業員名簿の作成と、勤怠チェックはされているのかしら? それだけではないわ。黒幕とやらを探り当てることも望んでいらっしゃるようね)


案の定、やはり従業員名簿作成や勤怠チェックは行っておらず、すべて自己申告で割り振りをしているようだった。

サミュエルが気付いたことだが、自己申告の給料請求書は複数枚筆跡が同じものがあった。つまり、一人の人間が何人もの人間の名を騙って不正に賃金を横領している証拠になる。その証拠がバレないようになのか、不正受給用の給料請求書名義は約2~3ヶ月ごとに名前を変えている。これが“出入りが激しい”と言われていた点なのだろう。

リヒター兄妹が問題に取り組んでいる間、『見学人』といったエミールは二人の様子を見ながら優雅にお茶を飲んでいて口を出すことはなかった。





「やはり、君の才覚は素晴らしいね、シャロ」


クライン領孤児院からの帰りの馬車で、エミールは楽しそうにシャーロットを見つめた。


「あら、それは私ではなくお兄様の才覚あってこそですわ。黒幕を見つけたのはお兄様が筆跡を見抜いたからですもの」

「たしかに、サミュエルの観察眼も素晴らしいね。けど、君がサミュエルに“筆跡をしっかりと観察するよう”きっかけを与えたじゃないか」

「…………」


『お見通しだよ』と言わんばかりのエミールの視線を受けて、シャーロットは思わず目を泳がせた。


「(…やはり、君がいいな)」

「え?」

「いや、なんでもないよ」


エミールはにこりと微笑んで、サミュエルと剣術の話を始めた。


(私との会話は終了ってことね。それは別にいいんだけど…。聞き間違いじゃなきゃ、この王子『私がいい』なんて不審なこと言ってなかった…?)


モヤモヤとした気持ちを抱えたまま、馬車は王都に戻ってきた。

数日後に『財務立て直しの女神』という二つ名で呼ばれるようになることを、このときのシャーロットはまだ知らない。

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