第2王子・エミール

「大丈夫ですか、エミリア嬢」

「あ、えっと……」

「あぁ、申し遅れました。私はリヒター伯爵家が長男、サミュエル・リヒターと申します」

「サミュエル様…。申し訳ございません、お手を煩わせてしまいました」

「気にしないでください。妹が絡まれたときのことを思い出してしまい思わず身体が動いてしまったんです。それにあの方には個人的に思うところがありますし…あぁ、これはご内密に」

「妹、さん……」


一連の流れから、エミリアがサミュエルに少なからず好意を抱くには十分だった。が、鈍感な兄は鬼畜にも『妹』として見てしまった、と幼い少女の初恋を打ち砕いた。


(お兄様、それはあんまりです……)


フォローに入りたいが、エミリアは立場上第1王子派の貴族令嬢。ただでさえ、第2王子派のサミュエルが手を貸してしまったのだから、これ以上目立つことはできない。心の中で手を合わせるほかなかった。

それに、この騒ぎをかぎつけてか、こちらにやってくるもう一つの面倒事も気がかりだった。その足音が近づく毎、貴族たちが丁寧な礼を行う布ずれの音が聞こえるものだから、振り返らなくても相手が誰だか察せてしまう。


「おや、そちらにいるのはリヒター伯爵では?」

「これはエミール殿下。お久しゅうございます」

「うん、久しいね。前回会ったのは兄の誕生パーティーのときだから3年ぶりか」

「えぇ。あのときは誠にありがとうございました」

「いや、当然のことをしたまでさ。…ということは、彼女があのときの…?」

「はい、あのとき殿下に救っていただいた末娘のシャーロットにございます。…シャロ、挨拶を」


3年前、薄れゆく記憶の中で見た、アイリスカラーの髪色をした第2王子がにっこりと微笑んでシャーロットを見つめている。


(まだ挨拶の途中でしょうに。3年前と同じく、挨拶に休憩時間でもあるのかしら……)


心の中で不満を並べても、第2王子を前にして挨拶しないなど不敬なことはできない。シャーロットはマリー直伝の淑女の微笑を浮かべ、お手本通りの整ったカーテシーを行った。


「お初にお目にかかります。リヒター伯爵家が次女、シャーロット・リヒターと申します。3年前の記憶は混濁としておりますが、エミール殿下のご指示により助かったと聞き及んでおります。お礼が遅くなってしまい恐縮でございますが、本当にありがとうございました」

「あの事件のあと、心を癒すために領地に戻ったと聞いていたんだ。元気そうで何よりだ」

「元気そうに見えるのであれば、それは家族が側にいるからですわ。今もお父様がいらっしゃらなければ、私はまだ“王宮が”怖くて足が竦んでしまいます」

「ふぅん…。なら、サミュエルが側にいれば“王宮に”来るのは可能かな?」

「ご冗談を。伯爵家令嬢がおいそれと王宮に立ち入るなどできませんわ。いくら兄がエミール殿下の側近候補であろうと、男の世界と女の世界は違いますもの」

「ははっ、手厳しいね」


なぜこの王子はシャーロットを王宮に呼びたがっているのか。秘書として、社長の顔色・声色から何を望んでいるのか汲み取って先んじて動いてきた経験があっても、エミールの顔色・声色から彼が望んでいることが見えなかった。

いや、“気付きたくなかった”。


「それじゃぁさ、リヒター伯爵の補佐として王宮に来なよ」

「……はい?」

「だって君、さっきリヒター伯爵に有益なことを言ってたじゃないか。えぇーっと……『書類の形式を揃える』だっけ?」

「…ご冗談を、殿下。どこの世界に世間知らずの8歳の小娘を大法官の補佐官に任命する国があるんです?」

「おや、君は6歳のころからリヒター領で領地経営を学んでいたよね? それに、君が面白い改革を行ったことも聞いているよ」

「…………」


父が領地改革についてこの王子に言うはずがない。だって、最初の挨拶で『3年ぶり』と言っていたのだから。

シャーロットが不審そうな顔をしていると、エミールは少年らしい笑い声をあげてこういった。


「ははっ、そんなに警戒しないで。私の護衛騎士サムはリヒター領領主代行ベン・ワグナーの息子なんだ」


ベンが息子にシャーロットの有能さを自慢している手紙を“たまたま”エミールが見て知ったそうだが…シャーロットは不審の色をより一層濃くした。


「私も君がいう『書類の形式を揃える』ことに興味がある。ぜひ、大法官補佐官として登城願えないか? もちろん、淑女教育が必要なら、私のほうで教師を用意しよう」


父が何かに気付き、嬉しそうな顔を浮かべると同時に、何かを伺うようにシャーロットの顔を見た。


「末娘が戻ったばかりで、甘やかしたりないと思っていたところでしたのでお申し出は本当にありがたく存じます。…娘が望めば、是非に」

「うん、そうだね。シャーロット嬢の気持ちを優先させたいのは私もだ。…どうかな?」


エミールの微笑に圧は感じないものの、ここで断れるほどの理由が手元になかった。


(お父様に有用性を示したいのなら、お父様の仕事を手伝うのはアリだと思うわ。でも、王宮で淑女教育を受ける、なんて王妃教育を受ける外堀を埋められているようで断固お断りしたいわね…)


シャーロットはすぅっと居住まいを正して、外れていた淑女の仮面を再度付け直した。


「どこまで力及ぶかわかりませんが、お受けいたしますわ。けれど、お父様のお手伝いは午前中だけ。私、王都の屋敷に戻ったばかりで母や兄、嫁いだ姉とも過ごす時間も大切ですもの。午後は家で過ごしたいです。ですので、教師のご用意も不要ですわ」


シャーロットが有無を言わさぬ笑顔を浮かべると、エミールはまた楽しそうに笑って、午前中だけの登城を許可してくれた。

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