誕生日パーティー
3年前と同じく、リヒター伯爵家は朝から使用人たちが忙しなく走り回り、慌ただしそうにしている。
今日は第2王子エミール・フォンテーヌの8歳を祝う誕生日パーティだ。
シャーロットが5歳のときに行われたファビアン第1王子の誕生日パーティでは既存の(似合わない)ローズピンクのドレスを着て出席したが、今回は父のごり押しでオーダーメイドのドレスを用意している。
シャーロットの落ち着いた黄緑色の髪色―老竹色―と大人びた雰囲気に良く似合う深みのあるラズベリーカラーのシンプルなドレスだ。シンプルながら、裾には繊細な刺繍が施され、歩くたび刺繍が陽光に照らされキラキラと美しく輝くデザインだ。
両親はプリンセスのようなフリル・リボンがたっぷりあしらわれた可愛らしいドレスデザインを推したが、色味とデザインがアンバランスになるため、丁重にお断りした。
(3年前は似合わないドレスで八つ当たりされたから同じ失敗は繰り返したくないのよね。でも、目立たず、大人しく、が目標だから……)
メイドたちの手によって美しく着飾られている最中、マナーの教師であるマリーが部屋にやってきた。
「あら、マリー先生。ご機嫌麗しゅう。3年ぶりですね」
「シャーロット様、お久しゅうございます。すっかりお美しくなられましたね」
「マリー先生が5歳の私にマナーの基礎を叩きこんでくださったおかげですわ。おかげで領地でもマナーの先生にお褒めいただけましたもの」
「お上手ですこと」
嫌みの応酬が来るかと身構えていたが、普通の挨拶で安心したのもつかの間、マリーは手に持っていた扇子をばさっと広げて口元を隠した。レッスン開始の合図だ。
「シャーロット様は大人びていらして、うらやましい限りですわ」
(デザインが古い、地味、老けてみえる、ということね。それなら……)
シャーロットは淑女の微笑みを浮かべて、そのばでくるりと回ってみせた。
「私、花よりも蝶に憧れていますの」
(受け身でいるんじゃなく、男を追わせるのも淑女の嗜みでしょう?)
シャーロットの解答に満足したのか、マリーは広げていた扇子をパチンと閉じ、美しいカーテシーをみせた。
*
滞りなく準備も終わり、シャーロットは父と兄サミュエルと共に王宮へ向かう馬車に揺られていた。3年ぶりの王都の街並み、王宮までの道は嬉しさなんてなく、非常に気が重いものだった。帰れるものなら今すぐ領地に帰りたいが、貴族の義務として出席せねばならない。
話を聞くに、第2王子はいまだに婚約者を決めていないそうだ。選び放題の立場なのに何をぐずぐず…いや、躊躇っているのか。おかげで婚約者有力候補の家の娘として出たくもないパーティに出席しなければならないのだから。兄が第2王子の側近候補として控えているのだからいいではないか、と思ってしまう。
3年前と同じく、王庭でのガーデンパーティ。第1王子は春生まれだったが、第2王子は秋生まれ。パステルカラーの柔らかい雰囲気から、シャーロットに似合いのシックな雰囲気に変わっている。しかしながら、小さなご令嬢たちのドレスの色は可愛らしいピンクやブルーの華やかなデザインのものが多く、お世辞にも『王庭に映える美しさ』とは言えないものだった。
秋のパーティなのだから、ドレスの色味を秋に合わせて落ち着いたものにする提案はなかったのか、とメイドやデザイナーを思ったが、そもそも彼女らが意見したところで、小さいご令嬢が頷くことは少ないか、と思い直した。
通例通り、公爵家から順に王家への挨拶が始まる。
サミュエルにべったり過ぎると、それはそれで第2王子に近しくなってしまうため、今回は父にべったりとくっついて回ることにした。
前回同様、父は職場の同僚たちから話しかけられ、シャーロットのそばを離れようとしたが、にっこりと微笑んで『お邪魔でなければお父様のそばに控えていたいです』と伝えると、父はでれっとした表情で側にいることを許してくれた。
(お父様って案外娘溺愛なのよね。…あぁ、だから『娘に良縁を』と王家との縁談に必死なのね)
「このような折に仕事の話で申し訳ない、リヒター卿。こちらの書類なのですが……」
「あぁ、東ノ国からの入国許可申請だったね。…ふむふむ、なるほど……」
リヒター伯爵家は代々大法官を務めており、基本的には法務をつかさどっているが、その業務は多岐にわたり、財政部門や国政部門なども総括していた。だから父のもとには確認書類や機密書類が多数やってくる。父に話しかけた男性もその類なのであろう。
(だとしても、書類が乱雑で項目を照らし合わせるだけでも手間になっているようね)
「ねぇ、お父様」
「なんだい、シャロ?」
「書類の形式を揃えないの?」
「え?」
ようやく確認を終えた父にシャーロットは思い切って話を持ち出した。
(請求書や発注書、注文書はもちろん、申請書の類も形式が揃っていれば書き損じも少なくなるし、何より時間短縮になるのになぜしないのかしら?)
「今のお仕事を見ていて思ったんです。差し戻しになっているもののほとんどは転記ミスや記入漏れ。形式を揃えてしまえば、何をどこに書くか一目瞭然になって書く側もチェックする側も楽になると思うのですが……」
「ふむ……」
神妙な面持ちになる父の言葉を待っていると、後ろから聞き覚えのある怒声が発せられた。
「おいブス!お前なんて格好をしているんだ!エミールの服が藍色だと知っての狼藉か?!」
怒声をあげているのは第1王子のファビアンだった。そして怒声を浴びせられているのはファビアンの婚約者となったエミリア・ミュラー公爵令嬢。藍色ではなく菫色のドレスを身にまとった、儚げな美少女だ。決してブスではない。
「…申し訳ございません、ファビアン殿下。…恐れながら、先日ファビアン殿下が此度のパーティで紺色の衣装をお召しになるとおっしゃられておりましたので、それに合わせて菫色のドレスを……」
「うるさい! 俺様に口答えするな!」
あの王子は相変わらずのようだ。エミリアの儚げな様子も相まって、不幸体質の美少女、という表現がしっくりきてしまう。
「俺様は深緑の気分だったんだ。婚約者ならそのくらい察せ!」
「………申し訳ございません」
「まったく辛気臭いブスだ。なんで父上はこんなブスを俺様の婚約者なんかに選んだんだ!」
「………申し訳ございません」
「口を開けば『申し訳ございません』ばかり。はっ! 顔だけでなく会話もつまらないブスだな!」
「その辺でおやめになったほうが良いですよ、ファビアン殿下」
理不尽な修羅場に聞き慣れた声が響く。
(お兄様?!)
サミュエルがエミリアを庇うようにファビアンとの間に立って、笑顔の鉄仮面を浮かべている。あの表情は相当キレているときの表情だ。
「なんだ、リヒターの小童か」
「私を“童”と呼ぶほど歳は離れていないでしょう? それに、これ以上の醜聞は殿下の品格を損ねますよ?」
「何を言っている? 見ているやつなど……」
アホな王子は自分の声のでかさを知らないのだろう。あなたの怒声は悪目立ちをして人目を集めているのをご存じではないのですか?
注目されていることにようやく気付いたアホは舌打ちをして王宮へと引っ込んでいった。挨拶はいいのだろうか。いや、今日のメインは第2王子だからいいのだろう。そういうことにしておこう。
それはそうと、今は派閥が違うエミリアを颯爽と助けたサミュエルのほうが王子様のようではないか。
(さすが、次期大法官のお兄様ね)
妹の欲目を除いても、サミュエルの行動はかっこいいものだった。
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