領地改革

太田莉子だったころの記憶が同期してから、シャーロットはますます大人びた発言をするおませな女の子、という肩書を強固にしていた。

27年間の人生経験と5年間の社会人経験、伯爵家のご令嬢としての勉強やマナーレッスンも大人の莉子にとっては容易いもので、唯一手間取るのは経験のないダンスくらいだった。

父と姉の嫁ぎ先が第2王子派へと傾いたこと、第1王子の婚約者がエミリアに決まったこともあり、『エミール殿下も婚約者を置いたほうがいい』と連日やれお茶会だ、やれイブニングパーティだと第2王子派界隈からの招待状がひっきりなしに届くようになった。

『まだ溺れたときのショックで外出がままならない』という言い訳が、果たしてどのくらい効力をもってくれるものなのか。そろそろ諦めてほしいところだが、1週間程度では諦めてくれず、むしろ『リヒター伯爵家でお茶会を行いましょう!』という声が大きくなってきている。

なぜそうまでしてシャーロットを表舞台に立たせたいのだろうか。


(このまま王都にいては面倒事に巻き込まれるだけね)


「おとうさま、おかあさま、おねがいがありますの」

「どうしたんだい、シャロ?」

「わたし、こころのきずをいたすため、りょうちにもどりたいとおもうんです」


もちろん方便である。心の傷もトラウマもない。面倒事に巻き込まれないためには、王都から距離のある領地のほうが都合がいい。


「領地ねぇ。たしかに、リヒター領のほうが心休まるかもしれないけど……お母様も、お父様も、それにお姉様もお兄様もいないのよ?」

「おとうさまも、おかあさまも、おうとからはなれられないのはわかっています。おねえさまもらいげつけっこんしてリヒターはくしゃくけをでるし、おにいさまも、だい2おうじのそっきんこうほでおうとをはなれられないのはわかっています。……さみしいけど、シャロはひとりでもだいじょうぶですよ?」


ダメですか、と言わんばかりに上目遣いのキラキラした目で両親を見つめると折れてくれたのか、条件つきで領地に戻ることを許してもらえた。


リヒター領は王都から馬車で2日の距離にある。山に囲まれた盆地で海はなく、特産物はぶどうとワイン、それから牛肉だ。王宮にも牛肉やワインを卸していることから、『王宮の台所』と呼ばれているらしい。


「おかえりなさいませ、シャーロットお嬢様。」

「ごきげんよう、ベンさん。これからよろしくおねがいしますね」

「ふふっ、旦那様がおっしゃられた通り、ますます賢く可愛らしくなられましたね」


3日3晩寝込んだ後に見た父のやつれ顔をさらにやつれさせ老けさせた顔をしているこの男性が、ベン・ワグナー。父の代わりにリヒター領を収めている。

毎年夏には領地で過ごしていたけど、昨年よりもさらにやつれている。


「ベンさん、ひどいおかおね。なにかあったんですか?」

「あぁ、これは失礼いたしました。……えぇーっと……」

「あぁ、だいじょうぶです。りょうちけいえいのしりょうにはめをとおしましたし、ひととおりまなんできました」


真の5歳児ならどこまで理解しているかわからないだろうが、シャーロットの中身は元27歳の社会人。父の意図はいまだに掴めないが、27歳の頭はこの領の問題点を理解している。


まずは特産品でもあるぶどうをはじめとする農作物について。

驚くことに、農業者が個人で販売を行っているらしい。家族で農業に従事しているにしても、農作物のお世話に、農作物の収穫、営業、販売、売上管理、数えればきりがないがすべてを個々に行っているのだから、手間もコストもかかりすぎてしまうし、自分のところの農作物を買ってもらおうとすると、どうしても価格競争になってしまい、費用対が割に合わなくなってしまう。

そんな状況では農業を続ける人口も年々減少傾向になってしまうし、少しでも楽をしようと考える悪い人が他人が作った農作物を勝手に収穫して勝手に売りさばく、なんてことも横行しているそうだ。

農作物に限らず、他の商品についても同じことが言える。


(JAのような組合は作らないのかしら…)


王都での政治がらみの面倒事から逃げてきたとはいえ、シャーロットはいまだに第2王子の婚約者有力候補として名が挙がっている。あれほど似合わないドレスをあえて着ていったのに、だ。

やはり見初められるの反対語は仇討ちされる、なんじゃなかろうか。第1王子の池突き落とし事件に引き続き、一方的に絡まれるのは御免被りたい。

それに父に出された条件『第2王子8歳の誕生日パーティには王都に戻り、王都の屋敷で生活すること』というものもある。つまり、領地に引きこもれるのはわずか3年間だ。そこからは否応なしに第2王子の婚約者有力候補としていろんなところに連れ出されるだろうし、面倒事に巻き込まれるのは必至である。


(そうだ…。私がこの領に、リヒター伯爵家にとって必要不可欠な人間であると証明できたらいいんじゃない? それならお父様も無理に私を嫁に出すことはないはず。領主の補佐として有能な秘書の地位を築けばいいのよ……)


幸い、転生前の仕事はオンライン秘書。10社のクライアントさんから人事労務、経理、営業事務の仕事からスケジュール管理や日程調整といった秘書業務はもちろん、受電架電対応、アポ取り、書類作成などの業務依頼を受けてきた。


(専門性はないけど、オールマイティラウンダーよ。広く浅く知識は持っているわ)


専門的なことは得意な人にやってもらえばいい。私は上手に人を采配するのが仕事。


「うん、これならいせかいでもつうじるきがしてきたわ」


そうと決まれば、まずはベンをはじめ、屋敷の者たちとの信頼構築からだ。“5歳の賢い子ども”ではなく、“意見を聞ける相手”まで認識を改めてもらわなければならない。

自分の成すべきことを見つけたシャーロットの行動は早かった。

言葉づかいの矯正やマナーはもちろん、屋敷に出入りする人たちの得意不得意を含めた人間観察も怠らなかった。





シャーロットが領地に来て2年が経過した。言葉づかいやマナーを完ぺきに習得するのに1年、人間観察にさらに1年しっかりと時間をかけたおかげでシャーロットとベン、領地の屋敷で働く使用人たちとの間には強固な信頼関係が結ばれている。

6歳のころから領地経営を教えてもらう、という体で徐々にベンの仕事を請け負い、その作業が得意な人に割り振り、シャーロットはWチェックを行い作業ミスを減らし、ベンの負担を軽減していた。ここ最近はベンの顔色も良くなって、やつれも改善されてきている。


(農業の組合を切り出すなら今がチャンスかもしれないわね…)


今月もいつものように、領民が個人商売で売買した特産物の売上清算処理のWチェックを行いながら、シャーロットは世間話をするかのように提案を投げかけた。


「ねぇ、ベン」

「いかがなさいましたか、シャーロットお嬢様?」

「ぶどうの販売をマチルダとライオスに一任してはどうかしら?」

「は……?」


シャーロットはにっこりと微笑み、自身がまとめた売上推移の資料をみせた。


「ほら、みて。マチルダとライオスが販売しているぶどうの価格。ほかの比べて1.5倍は違うし、販路も大規模だわ」

「それは品質の高さや先代からの付き合いがあるからでは?」

「品質の高さなら正直王室御用達のホーリーのぶどうが一番よ。マチルダのところは中の上、ライオスは…並といったところかしら。先代からの付き合いといってもここ4~5年で1.5倍に値上げするのはなかなかのことじゃなくて? それに、大規模販路は新規開拓…新しい取引先よ」


実際、王宮にぶどうを卸しているホーリーのところよりも、一房当たりの価格は1.2倍ほど高く販売されている。王室御用達ブランドにも頼らずのこの販売力である。


(マチルダとライオスはきっと営業としての能力が高いんだと思うわ)


後日、マチルダとライオスは屋敷に招待された。

シャーロットの予想通り、ふたりは農業も好きだけど、どちらかというより対面で営業をするほうが性に合うらしい。それ故なのか、領主の屋敷で領主の娘と対面しているにもかかわらず、堂々としたものである。


「あとはマナーさえ身に着ければ、あの二人を領代表として他領の貴族への営業を任せてもいいわね」


これがリヒター領における商業ギルドの走りとなった。

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