砂漠の夜 友の夢の欠片

「明日は、少し北を探そう」

 就寝前にウィルに言われて、シャムシャンテは夜のうちに星を見ていた。結局のところ、日の出の位置が最も重要ではあるのだが、夜のうちに覚えた星々の位置は、何の目印もない砂の海で、航路を決める大きな手助けになる。シャムは星々を見終えると、周囲の砂の気配を探った。砂の海は静寂そのものだった。砂地にも様々な生き物が生きていて、中には警戒しなければならない危険な獣もいるのだが、この時期は夏眠しているものが多い。


 睡眠は、各々が好きな場所でとった。とはいえ、実際のところは船の上か、砂の上かの二択であった。ハーマリオンはいつものように船の上で、アッドァは砂漠に広げた絨毯の上で、大の字になって眠りこけていた。シャム自身はというと、いつも砂漠の上で、砂犬たちに囲まれて寝むるのだった。体を丸めて安息している愛犬の背中を、シャムはゆっくりと撫でた。彼らはたとえ寝ていても、即座に敵意を嗅ぎとるのだ。もしも寝ている最中に、なにか危険が訪れても、砂犬たちが教えてくれる。そうして命を救われたことが、シャムには生きていて二度ほどあった。彼は腰を下ろす前に、周囲をもう一度だけ確認した。船の防柵に寄りかかったウィルが、いまだ遠くの闇を見つめ続けているのがみえた。豪胆なはずのこの男が、このところあまり眠れていないのを、他の三人はみな知っていた。


 流浪の旅人ウィルレクローズが、シャムたちのいる集落に初めてやってきたのは、もう十年近くも前のことだった。とにかく何でも訊いて回る妙な男が、砂漠を渡る定期隊商に混じってやってきたのを、シャムははっきりと覚えていた。その時のウィルは、今もそうらしいが、諸国を放浪しながら、地図を書いて売る地図師を生業としていた。短い滞在の間だったが、当時十代だったシャムの話す民承を、ウィルは真剣に聞いていた。シャムもまた、ウィルの話す異国模様を楽しんだ。

 その時からすでに「この砂漠には、なにかがある」とウィルはしきりに話していた。

 そんな騒がしかった男が、いっこうに砂漠を渡った先の大陸から帰ってこないのも、ウィルがシャムの記憶に強く残った、理由でもあった。後日、本人に聞いた話だが、”嫌な予感がした”からその隊商とは別れ、帰りは海路を使ったそうだ。事実、ウィルが往路で同行していた隊商は、その帰り道で砂漠の獣に襲われて、大きな被害を出していた。


 数年がたち、二度目にあった時、ウィルは名の知れた探検家になっていた。”旅と浪漫の神”に選ばれた人間であることも、すでに風の噂となっていた。

 シャムは夕餉のときの、自らの言葉を思い出した。平年通りであれば、夏の終りのこの時期には、秋から始まる隊商の打ち合わせのため、各国の行商人が集まり始める。シャムもまた一人の船頭として、いい条件の契約を取り付けねばならなかったし、族長の息子として揉め事が起こらないように、全体の取りまとめもしなければならなかった。

 もし明日が徒労に終わっても、もう一度だけ探索に出られるよう、帰ったら父に掛け合ってみよう。そんなことを考えながら、シャムは砂犬たちに寄り添うようにして眠りについた。



 翌早朝、砂犬たちを船に載せ、シャムは言われたとおり北の方角へ進路をとった。風はほぼ無風なので帆は張らない。アッドァとハーマリオンが眠たげに、一応それぞれ船の両側に立ち、不測の事態に備えていた。ウィルはシャムと共に舵輪のそばに立ち、遠くで昇る陽の光をじっと見つめていた。

 皆の安全を確認したところで、シャムは砂船を動かし始めた。より正確に云うのであれば船の底にある砂を、少しづつ動かして船体を前方へと移動させてゆく。砂粒が船底に擦れる音が、次第に風の音と混ざり合ってゆく。走り出すときの、風と砂の混じったような匂いがシャムはなんとも言えず好きだった。

 前方の砂を後ろへ運ぶというよりは、周囲の砂を、船体の後方へ集めるように操作する。絶えず集中力を要するが、この時期であれば、活動している野生の生き物も少ないので、本業の繁忙期よりも気が楽だった。気がつくと、船は砂の海を掻き分けるように走り抜けていた。


 一族になにか掟があるわけではないが、集落の殆どの者が”砂と敬意の神”の眷徒であった。シャムも物心ついたときから、砂の神とともに生きていた。あるいはそれは、砂漠に生きる者として、当然の選択なのかもしれない。他の神々のことを教えられなかったわけではなかったが、それでも砂漠に生きるシャムにとっては”砂の神”がもっとも親しみ深く、また必要な存在だった。

 神々の中でも、”砂の神”の力は強大で、シャムのような特に神に選ばれたわけでもない”いち眷徒”であっても、神に対してきちんと誠実でさえいれば、その力の一旦を授かることが出来た。その力のおかげで、シャムたち一族は、この大砂漠で、交易に携わって生きていける。


 もちろんシャムたちは、”砂の神”以外の神々に対しても、それ相応の信仰をもって日々暮らしている。シャムの村は小さいが、村には火の神や風の神の眷徒もいた。生活に密接に結びついた神々の力はより必要であり、信仰者である眷徒の数が多いほど、その神の力も強まると言われている。

 ウィルの信じる”旅の神”は眷徒が少なく、人気の高い神だとは言い難かった。ウィルいわく、ゆえに神がウィルに授けた力も弱く不確かなものなのだそうだ。


 数刻ほど船を進めると、ウィルが停泊の指示を出した。シャムは速度を徐々に落として、比較的平らな砂丘の、なるべく高い位置に船を止めた。そうした場所を選ぶことで、次に砂船を動かす時に楽になる。砂船にも錨は積んであるが、よほど強風の時でない限り降ろさなくても大丈夫だった。船体が完全に静止すると、砂犬たちが早く降ろせと言わんばかりに、元気よく吠え始めた。船が停止する頃にはウィルとアッドァはすでに支度を終えていて、砂犬たちに装具をつけるとすぐに出発した。

「今日こそ、見つけて戻ってくるよ」

 ウィルは力強くそう言い残し、今日もまた出発していった。シャムは努めて笑顔で、小さくなっていく、二人の背中を見送った。


 

 二人を見送り、軽く伸びをしたシャムの視界に、船の縁にぐったりとしている小男が目に入った。昨日の疲れか、それとも単に船酔いであろうか。

「今日はゆっくり、体を休めてくださいね。ハーマリオンさん」

 シャムが朗からかに声をかける。

「いや、すいません。いくら乗っても慣れなくて」

 声に力はなく、はにかみながら、ハーマリオンが答える。シャムはやさしい微笑みで、それに答えた。


 「落ち着いたら、洗濯をお願いしますね」

 そう声をかけると、シャムは居残りしている砂犬の手入れに入った。元来、砂漠に生息している砂犬にとって、数日の探索はなんら負担などではないはずだが、それでも顔周りを中心によく見てやり、体調に異常がないかを確かめる。長年共に過ごしてきた砂犬たちは、もはや家族同然だったが、シャムは彼らに名前を付けない。万が一の非常時には、彼らを喰らわねばならない事もある。それも村に伝わる砂漠の知恵のひとつであり、残酷な砂漠の厳しさをシャムは知っているからだ。


 砂犬の手入れが終わると、次は船体の確認だ。木造りの船体は、特に複雑な機構は持たない簡素な造りであったが、それでも接合部などには砂が溜まりこみやすく、日々の手入れは欠かせなかった。特に舵輪から船尾の舵に連なる機構は、入念に確認をした。幸いに、とりわけ異常は見当たらなかった。



 真昼に差し掛かる頃には、必要な確認作業を終えて、シャムはハーマリオンと共に日陰に絨毯を敷いて休息をとった。砂漠の民は、朝と夕に働き、昼は休息を取るのが常である。ハーマリオンとは、昼間になるといつもこうして日陰で談笑を楽しめる。今日はいったい、どんな話をしてくれるだろうか。

 一方でアッドァと一緒に船で待機する日は、あちらが訓練と称した炎槍の演武を、日中の炎天下ですら欠かさないので、騒がしくて困る。シャムはアッドァを特段嫌っているわけではなかったが、彼のありあまる若さにあてられる様で、一緒にいると心が疲れるような気がするのだった。

 

とはいえこの3カ月、おとこ四人での探索活動は、シャムにとっても本当に楽しいものだった。いずれこの四人で、どこか遠くへ。こんどは、彼らに案内してもらいながら、自分が知らない場所へでも旅をしたいものだ。

 シャムがそんなふうに思った、ちょうどその時だった。天を裂くような砂犬たちの遠吠えが、砂丘の遠く向こう側から鳴り渡った。それはまさに、今朝がた、ウィル達が向かって行った方角からだった。

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神深探譚 旅崎 暇寛 @hammockun

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