果てのない旅の途中で、友よりも大切なものなどあるだろうか
ウィルの予想通り、ハーマリオンは砂丘の陰で、腰をおろしてへたり込んでいた。両手で握りしめている水筒は、とうに中身が空っぽになってしまっているようだった。大きな尻のほとんどが、砂の海へと埋まっていた。
ゆらりとした純白の服の肩口を、砂犬が咥え込んでいる。砂犬は、頭を左右に揺さぶって、力尽きた主を、必死に揺り起こそうとしているようだった。
その光景は、あるいは捕食の様にも見えた。とはいえ、砂犬は賢い生き物である。この数ヶ月の探索を通して、彼ら旅人と砂犬達との間には確かな絆が育まれていたはずである。まさか噛み付いていたりはしないはずだ。
確かに、この相方は美味しそうではある、とウィルレクローズは苦笑しながら、ひとりそう思った。
「ご苦労だったな。今日はもう引き上げよう」
騎乗してきた砂犬に跨ったまま声をかけると、屍のように力なく折れ曲がっていた身体の頭部が、ゆっくりとコチラに向き直った。もともとの垂れ下がった眉毛が、いつも以上に垂れて見えた。くしゃくしゃの泣き顔に、もはや涙はない。ウィルは自分の水筒を腰袋から取り出して、相方へと放り投げた。
水筒がドサッという音とともに砂丘に埋まる。ハーマリオンは先程までとは打って変わった俊敏さで、その水筒を拾い上げ、飲み干した。
「すいません。すいません、ご主人さまぁ」
水を飲み終えると、ハーマリオンは鼻をすすりあげながら、幼子のような声を漏らした。弱音を吐くのはいつものことだが、今日はまた、一段と参っているようだった。
やはりここ数日の探索は、知らず知らずのうちに、安全な行動の域を越えていたようだった。砂漠での無理は、死に繋がる。ウィルレクローズは、自らの探索姿勢を反省した。
「なにか、なにか見つかりましたか」
慌て尋ねる相方に、ウィルレクローズはゆっくりと首を横に振る。
それを見るとハーマリオンは、わかりやすく、しょんぼりと肩を落とした。
「本当に、本当にあるんですかねぇ」
ハーマリオンがぽつりと漏らす。すぐに、はっと気づいて、その言葉を否定した。
「も、もちろん、ご主人さまを信じてないって訳じゃぁないですよ。あ、あたしは信じてますからね。ウィル様が、神に選ばれた人間だってことを」
ウィルが砂犬から降りて、ハーマリオンに手をのばした。その手をとってハーマリオンが立ち上がる。立ち上がると、たちまち臀部に分散していた体重が、脚へと集中し、ハーマリオンはたちまち脚の脛まで砂に埋まった。
「俺も怖いよ。これで何も見つからなかったら、俺は本当に本当にただの狂れた男だ」
「な、なにを弱気になってるんですか。らしくない。きっと大丈夫です。稀代の冒険家、”旅と浪漫の神”に選ばれた男ウィルレクローズを、あたしはこれっぽっちも、疑っちゃあいないですからね」
そういうとハーマリオンは砂で汚れた歯茎を見せて、にやりと笑った。
「ほぅ。今しがた、疑いの言葉を、はっきりと聞いた気がするんだが」
ウィルは、少しだけ意地悪く、眉を細める。
「ちがいます、ちがいます、今のは、ちょっと、弱い心に負けそうになっただけですよ。そ、それに、すぐに否定したでしょう。だから、だから大丈夫です」
慌てふためきながらハーマリオンが釈明した。
「そうだな。もう少しだけ、あと少しだけ、俺も信じてみるか」
二人は、握りあった手に、ぎゅっと力を込めた。脛まで埋まったハーマリオンを引き揚げるように、ウィルは上腕に力を込めた。その上腕をたよりにハーマリオンが砂を登る。片足を上げれば、片足が埋まる。それでも少しづつ、ウィルの相方ハーマリオンは稜線に向けて上がっていった。
「まったく、今日も散々だ。船に返って、美味いもんでも喰おうじゃないか」
大賛成です、と満面の笑みで答えながらもハーマリオンは
「でも、ご主人、今日の晩御飯の献立は、もう決まっていると思いますよ」
と、現実的な進言を忘れなかった。
「あのガキ、もしも晩飯に肉が入ってなかったら、ひっぱたいてやる」
ウィルの口から暴言が飛び出す。もちろん本気ではないだろうが、今のウィルならやりかねない、とハーマリオンは思った。
それに…、とウィルは付け加えた。
「お前が、大量の砂糖菓子を、道具袋の奥底に隠し持っていることを、俺は知っているのだ。肉がなければ、今晩は、そいつで一杯やるとしよう」
砂稜の上では、沈む夕日を背に、二頭の砂犬が身体を震わせ、纏わり付いた砂の欠片を払い落としているところだった。そのままウィルに手を引かれながら、小太りの男は、ようやく砂丘の上へと戻るのだった。
夕暮れ。空と砂を茜色に染め上げた太陽が、地平の果てで燃えるように世界見下ろしている。その反対側からは、今まさに、夜が始まろうとしていた。
ゆっくりと、だが確かに歩く砂犬達に揺られて、二人は母船への帰路についていた。精魂果てた相方が、途中で振り落とされてはたまらないので、ウィルレクローズはハーマリオンを先に行かせた。先刻までの熱気と違って、あたりはじんわりとした冷気に包まれ始めていた。
砂犬の首筋に抱きつくようにしがみついているハーマリオンを視界に収めながら、ウィルはぼんやりと、昔の記憶を辿ろうとしていた。
まだ今より幾分か若い時、とある神の声を聞いた。聞いた、気がした。
今となっては、ウィル自身をもってしても、もはや”気がした”と言う言葉を使わざるを得ない。そんな曖昧な記憶を頼りに、こんな地の果てへと旅をしてきたのだった。
その時に、何を言われたかは、覚えていない。その時の後に、何かを言われたこともない。それでも確かに惹かれる直感に導かれて、こんな地の果てへと旅をしてきたのだ。
他の神々に選ばれた者の中には、明確に彼らと対話をしたり、継続して啓示を受けたりもしているらしい。彼らの中には、永遠の命や、天変地異の力を授かった者もいる。それに引き換え、ウィルの愛する神が、彼に与えたのは、ぼんやりとした第六感だけだった。
運命というものは、物事が上手くいっている時は愚かなほどに信じやすく、そうでない時になると幻のように信じがたい。己の運命を信じきれず、諦めた時、神もまた自分を見限るのだろう。今はただ信じよう、ウィルは砂犬の手綱をぐっと握りしめた。
それからしばらくして、連なる砂丘の向こう側に、見慣れた帆柱がぼんやりと見え始めた。暗い砂の海に浮かぶその船は、まるで本物の海に浮かんでいるかのようにウィルには見えた。ウィルは砂犬の頭をくしゃりと撫でて、帰投の労をねぎらってやるのだった。
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