第273話

「クゥ~ン……」 「にゃおぉん……」「クックドゥードゥルドゥー……」


「……なるほど、こういうわけですか」


「ね、やっぱり新人ちゃん連れてきて正解だったー」


 第一の難関を乗り越えたおかきたちが次の部屋への扉を開けると、すでに250匹の猛獣イヌネコたちがひれ伏していた。

 土佐犬やピットブル、中にはトラやヒョウにニホンオオカミなどもいるが、誰もかれもが一匹残らず平伏もしくは腹を見せて服従のポーズを取っている。


『いやニホンオオカミは絶滅したはずじゃねえんすか?』


「まあこの学園ですしそういうこともありますよ。 忍愛さん、何かやりました?」


「ボクは軽く威圧しただけだよ、主犯は新人ちゃんでしょ」


「えっ、私ですか?」


『あーなるほど、納得っす』


 ユーコ(in ぬいぐるみ)が腕を組んでうんうんと頷くが、おかきには納得される理由が思い浮かばない。

 むしろ以前のトラウマでネコに苦手意識を持っているのはおかきの方だ。 イヌ科に至っては皆目見当もつかず、ただ首をひねる。


『おかきさんってめっちゃ加護やら呪詛やらの気配纏ってるんすよね、勘のいい動物だと何か感じてしまうぐらいには』


「……あっ、バーストの加護」


 おかきの頭上に電球が灯る。 事の元凶はカフカとなる前、キャラクターシート上の存在だった藍上 おかきに生えた設定だ。

 何度も先輩たちの厄物くさいシナリオに揉まれた結果、藍上 おかきという探索者は多くの神話生命体に魅入られ続けてきた。

 その中にはバースト……エジプト神話におけるバステト神に等しい神格とも接触する機会があった。


「そりゃそうか、バーストはネコの女神ですから」


「そういうこと、あとはボクが軽ーく威圧すればネコ神様のお怒りと勘違いして委縮しちゃうよねって話」


『ほえーすごいっすね、でもワンちゃんたちにも効くんすか?』


「イヌはネコ目イヌ科だからですかね? あるいは鋭角の猟犬に追われたこともあるのでその繋がりでしょうか」


『わー、自分でも知ってるビッグネーム。 よく生き延びたっすねおかきさん』


「出目が良かっただけですよ。 でもアレは犬そのものってわけじゃないんですけどね」


「まあ細かいことは良いじゃん、新人ちゃんのおかげでイージーゲームだし今のうちに進もー!」


 苦々しい記憶を再起するおかきを抱えながら、忍愛はモーゼが如く服従する獣たちの海を悠々闊歩する。

 本来ならば優秀なセキュリティであったはずだが、おかきと目を合わせる獣は一匹もいない。 見事おかきの威を借る忍愛のペテンに皆騙されてしまった。

 しかしおかきとて動物は嫌いではない、むしろタメィゴゥのようなペットでも愛でられるほどには動物好きではある。 だからこそこの反応は地味におかきの心を抉る。


『おかきさん、たぶん高圧的な雰囲気さえなければネコちゃんたちもわかってくれるはずっすよ。 今回は山田さんのせいっすから気にしないで』


「山田言うな、でもその通りだよー。 むしろ本来なら新人ちゃんは好かれやすい体質だからドンマイドンマイ」


「そうですね、好かれすぎて一度ネコの怪異に飲み込まれかけたこともありますから」


「……ごめんて」


――――――――…………

――――……

――…


「さて、ここが最後にして最大の関門!」


「誰がいるかもわからない職員室ですね、ここは慎重に……」


「たのもー!!」


「忍愛さぁん???」


 猛獣が250匹いる部屋を潜り抜け、いよいよ目的の職員室は目の前というところ、忍愛はなんの準備もなく堂々とその扉を開け放つ。

 おかきもこの部屋に関してはある程度出たとこ勝負になるのは仕方ないと考えていたが、さすがにここまですがすがしい正面突破は予想外だった。


「――――来たか、山田。 待っていたよ!」


「山田言うな! 来たよせんせー!」


「あれ、一人だけ……?」


 かつての挑戦者が遺した記録から、職員室には少なくとも3~4名の教師が常駐しているとおかきは予想していた。

 しかしだだっ広い職員室を見渡しても人の気配はない、燕尾服にモノクルを掛けた怪しい女性ただ一人だった。

 キャスターチェアに腰かけたまま、これ見よがしに長い脚を組み替え、両手を広げて忍愛を出迎える様はまるで忍愛の到来を待ち望んでいたかのようだ。


「やあ藍上くん、君とは初めましてかな? わたしは小山内おさない、初等部で情報セキュリティと諜報学を教えている」


「諜報学」


「小山内せんせーは元公安らしいよ、実際すごく賢い」


「へー公安……公安?」


 意味は知っているが決して日常会話で聞くこともないはずだが、おかきはなぜかその言葉に既視感を覚える。

 つい最近どこかで聞いたはずの単語、たしかそれはごく最近――――それもこの24時間以内に聞いたはずの――――


 ――――、借金100億警備員、現役S級人妻、妖怪酒カスダル絡みメガネ、よりどりみどりやな


「…………忍愛さん?」


「新人ちゃん、一手遅かったね。 はいそれじゃ約束のブツ」


「おお、君ならやってくれると信じていたよ! では約束の通りに」


 忍愛は小山内からホチキス止めされた書類束を受け取ると、その返礼とばかりに小脇に抱えていたおかきを受け渡す。

 そしていつの間にか縄で両手を拘束されていたおかきは逃げることもままならないまま、小山内の胸に抱き寄せられてしまった。


「忍愛さん? どういうことですか忍愛さん? 事と次第によっちゃ私の怒りが怒髪天ですよ忍愛さん?」


「悪いな新人ちゃん、これがボクの攻略法だよ。 難攻不落のセキュリティでも内部に人がいるなら賄賂を渡せるんだ」


「ふふふふふ、事前にわたしが人払いを済ませて山田くんがターゲットを連れてくる。 前々から目を付けていたんだよ君には……ふふふふふ……」


「あの、先生? 目と手の仕草が怖いんですけども……小山内先生!?」


「大丈夫、一線は超えないから……うなじとつむじの匂いを堪能させてもらうだけだから……高等部なら合法……高等部なら合法……」


「バチバチ違法ですが!?」


「脱法だとも!」


 人形のように膝へ乗せられたおかきは逃げることもままならず、なされるがまま頭皮の匂いを嗅ぎ回されることしかできない。

 女性に密着されて体臭を堪能されるこの状況、抵抗したいが縄で拘束されているうえに小山内は絶妙な加減でおかきの力を受け流している。


「すううぅぅぅぅ……はああぁぁぁぁ……ああ、生徒でさえなければ……実の生徒でさえなければ……!」


「誰ですかこの人の教員免許を与えたのは!?」


『理事長じゃねえっすかね』


「よし、目的は果たした。 じゃあ新人ちゃん、命と貞操は助かるはずだからお大事に」


「いいんですか忍愛さん……そんな口をきいて……!」


 ユーコもぬいぐるみの中から白旗を振るしかないこの状況、唯一打破できる忍愛はすでに撤収するそぶりを見せている。

 彼女は目的を達成したのだから交渉材料のおかきを切り捨てるのは当然の帰結だろう、しかしおかきは彼女の作戦には最初から見逃せない“穴”があることを知っていた。


「ケーッケッケッケ! パイセンたちに告げ口してもいいさ、明日のボクは地獄を見るだろうけど今日のボクはとりあえず窮地をしのげるからね!!」


「小論文はどうするつもりです?」


「…………新人ちゃん、今なんて?」


 三下の極みめいた笑い声をあげる忍愛の動きが硬直する。

 そう、忍愛は与えられた課題の内容を把握していない。 どうせすべて丸写しすればどうにかなると高をくくっていたのだから。

 忍びの速度とタフネスがあれば筆記自体は間に合うだろう、与えられた課題すべてに数学のような回答が用意されていればの話だが。


「小論文の作成課題ですよ、生徒それぞれ異なるテーマが与えられているのですが知らないですか?」


「…………シラナイデス」


「当然ですが私は手伝うつもりありませんからね、小山内先生もそこまでは契約の範囲外でしょう?」


「スウウウゥゥゥああそうだね、ハァァァァァわたしも今はスウウゥゥゥゥ疑似ロリニウムの摂取に忙しい」


「ほかにも回答を入手しただけではどうにかならない課題がいくつかあるはずですが……まあ頑張ってください、私は見ての通り動けませんから。 誰 か さ ん の せ い で 」


『恨み骨髄っすね』


「…………う、う、う……うわあああああああああ!!!?!!?」


 その夜、誰もいない中央塔からこの世の終わりを嘆くような叫び声が聞こえたという。

 なおこの件と関わりがあるかは一切不明だが、冬休み明けからしばらくの間、忍愛はAPペナルティを受けて極貧生活を送ることとなったらしい。

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