第269話


――――――――…………

――――……

――…


「……はっ!? あれ、ここ……?」


「おっ、起きたかおかき。 もう少し寝とき」


 おかきがうすぼんやりとした意識の中から覚醒すると、そこは揺れる車の中だった。

 倒した座席を寝かされているようで、頭には極上の枕……もとい、ウカの尻尾が1本敷かれており、目を瞑ればまた微睡んでしまいそうなほど心地が良い。


「新人ちゃん大丈夫ー? 急にぶっ倒れたみたいでボクらが回収したんだよ」


「疲れすぎよあんた、ちゃんと休みなさい。 お姉さんにも心配かけたんだからあとで連絡しなさいよね」


「姉貴が……?」


 記憶がぼやける、頭が痛む。 気絶する寸前のことが思い出せない。

 おかきの頭に残っている最後の記憶は清掃作業中のウカたちと別れたあたりまでで、そこから先はパタリと途切れていた。

 ……そもそもおかきはなぜ自分が姉を探していたのか、その理由が分からなかった。


 頭が痛い。 それはまるで浮かんできた疑問をかき消すかのように、思考を巡らせるほどひどく痛む。


「顔真っ青だったわよ、一緒に乗ればよかったのに一人で帰ったみたいだけど……大丈夫かしら?」


「エージェントが監視してるし何かあればすぐにおいらたちへ連絡が届くさ、それよりおかきちゃんは本当に大丈夫かい? 無理させちゃってごめんね」


「はい、頭が痛みますが大丈夫です……」


「ロキソニンあるから飲みなさい、あと体温計もあるから熱測って。 そんな恰好で出歩いて風邪引いたら怒るわよ」


「なんでも出てくるじゃんガハラ様のポケット」


「どこぞの青タヌキのポケットと繋がってへん?」


「ちょっとした収納術よ……うん、平熱ね。 疲労からくる頭痛かしら?」


「頭打ってたらちょっと怖いな、本部に戻ったら精密検査だね」


「ああ、なんだか言われたら全身の痛みを思い出してきました……」


 その言葉でおかきは至近距離で爆破の衝撃を浴びた自らの身体を思い出す。

 四葩のおかげで直撃は避けたものの、身体に残ったダメージは決して0ではない。

 アドレナリンが切れた今、おかきはこれから襲ってくる反動が今から憂鬱で仕方なかった。


「大丈夫よ、ロキソプロフェンはすべてを解決するわ」


「お嬢は鎮痛剤のことなんやと思うとるん」


「おかきちゃん、もしアレなら苦痛を圧縮して高速で治療する方法もあるけど」


「遠慮しておきます……そういえば一緒に巻き込まれた職員の方々は?」


「あいにく定員オーバーで別の車両さ、喜ばしいことに全員命に別状はないぜぃ。 威力が小さかったのと、エージェントたちが鍛えていたおかげで助かったな」


「……そうですか」


 おかきは頭で尻尾の感触を堪能しながら思慮を巡らす。

 あの爆弾には不審な点が多い。 アクタの指摘が正しければ、ラマンの身体に巻き付いていた爆弾は街を1区画消し飛ばす威力を備えていた。

 その中の1つを目標の目の前に転移させ、起爆。 明確な殺意が込められていたわけだが、結果として死傷者はターゲットである四葩含めて0人というキルスコアだ。


「なんだか部長の掌で踊らされている気配がしますね……キューさん、原因の爆弾は?」


「絶賛残業中の職員たちで破片を回収中だ、すでに解析に回している分から門柱と同じインクの成分が検出されている。 十中八九安蘭たちが絡んでいるだろうね」


「たしかウカさんたちの元同僚ですよね、どんな人だったんですか?」


「ドブカス」


「返済能力と文才のない太宰治」


「人間失格を地で行く男」


「ひどい」


 ウカ、宮古野、忍愛、安蘭を知る3人からの回答は迷いがなかった。

 続けて宮古野が空中に映し出されたキーボードを叩くと、おかきの持つスマホにいくつかのPDFデータが送られてくる。

 ファイル名は「異世界シャーク」「ネコも歩けば血濡れ密室」「異世界転生連続殺人事件」など、なんというかなんとも言えないタイトルばかりが並んでいる。


「カフカとして保護した後、安蘭が執筆した異常性のない作品たちだ。 ちなみにSICK内での評価は☆5評価で☆2.1だよ」


「なるほど……心して読む必要がありそうですね」


「そんな面白くないから読まなくていいよ、ボクなんて3行以上読んだことないし」


「おかきももし次に会うたら気ぃつけ、あいつは初対面でも容赦なく金せびってくるで」


「人間性はともかくとして、かつての彼はSICKに所属していたわけではなく“協力者”という立場だった。 ガハラ様のポジションが近いかな」


「その評判の男と同じ立ち位置に扱われるのは微妙な心境ね……」


「わはは悪気はないから許してくれ。 ……そして今から半年ほど前、ある任務中に彼は死亡したものとして扱われた」


「ということは直接死体を確認したわけじゃないんですね」


「ああ、だが死亡とほぼ変わらない異常性に暴露した可能性が高かった。 そして彼の犠牲で世界が救われて今に至るというわけでね」


「…………」


 おかきの頭に敷いた尻尾がうっすらと毛羽立ち始める。

 恐る恐る寝たままウカの顔色を窺うと、宮古野の話を黙って聞いてはいるが明らかに機嫌が悪くなっている。

 江戸川安蘭という男は皆に嫌われてこそいるが、その自己犠牲をウカに怒られる程度には仲間に好かれていた。


「おかきちゃん、基地に戻れば君にも詳しいデータを共有しよう。 もしかしたら敵に回るかもしれないやつだ」


「話し合いで済めばいいんですけどね……」


――――――――…………

――――……

――…


「――――そうか、わかった。 全員無事で何よりだ、あとは油断せず安全運転で帰る様に」


 おかきたちを乗せた車両が高速道路を走っているころ、SICK本部の執務室では、全員の安否を確認した麻里元が安堵の息をこぼす。

 哲学的ゾンビの集団などSICK全体から見れば小さな事件かもしれないが、それでも部下の危機に無関心でいられるほど麻里元の心は死んでいない。

 爆破予告阻止失敗の報告を聞いてから、別件で発生した世界の危機に対応している間も気が気ではなかったのだ。


「…………まさか生きていたとはな、江戸川の奴め」


 咥えた飴から摂取した糖分で3轍目の頭を回し、不謹慎と思いながらも麻里元は笑みを浮かべる。

 新たな勢力や安蘭の敵対など由々しき情報は多いが、まずはかつての部下が生きていたことが嬉しかった。

 だがそれはそれとしてやはり頭痛のタネは多い。 パラソル製薬の(脱法)強壮ドリンクを口に含み、麻里元は机に積まれた資料の山と再び向かい合う。


「まったく、世界を救うのはいつだって楽ではないな……江戸川への対策に魔女集会への報酬、それとアリスという少女の件に――――新たに保護した14のことも考えねばな」

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