第266話

「モリアーティ? その男が私にそう伝えろと?」


『そうなの! 酷い話よね、探偵さんのモリアーティは私なのに』


 時間は少し巻き戻り、爆弾を解除した直後のこと。

 治療を受ける手隙の間、おかきはアクタからの愚痴を聞かせられていた。

 愚痴の内容は自分たちがラマンの確保に失敗したいきさつ、そしてそのさなかに現れた“謎の男”についてだ。


「そうですか、見た目は?」


『女殴ってそうなメガネ付き鬼太郎』


「なるほどすべて分かりました、もう結構です」


『ついでにいえば九頭 歩って名乗ってたわ』


「あーもう確定ですね、十分ですありがとうございましたお気をつけてSICKまで連行されておかえりください」


『あーん待って探偵さんここまで頑張ったんだからご褒美n』


 食い下がるアクタからの通信を一方的に切断し、おかきは背もたれに体重を預けて天を見上げる。

 九頭 歩。 それは一癖も二癖もあるボドゲ部員をまとめ上げていた傑物中の傑物、あるいはシンプルに化け物と評価すべき人物。

 雄太の記憶にある中で最も敵に回したくない男であり――――自分がこのことに気づいた以上、もうじき出会うという確信があった。


――――――――…………

――――……

――…


「……さて、感動の再会だな早乙女。 いや、今は藍上と呼ぶべきか?」


「どちらでも結構ですよ。 お変わりないようで何よりです、部長」


 救急車に偽装されたSICK車両の内部は、宮古野が開発した空間拡張技術により見た目よりずっと広い。

 病院の個室をそのまま切り抜いて持ってきたような空間の中、ベッドに横たわる中世古の隣に、彼は座っていた。


。 さて、つもり話もあるがどうも警備の目が厳しい、手短にいこう」


 言葉とは裏腹に、九頭 歩は焦り一つなく紙コップに注いだインスタントコーヒーを啜る。

 湯気でメガネを曇らせる優雅とは程遠い恰好。 こちらが見えているのか怪しいほど伸ばしきった前髪に、同じく長く伸ばした後ろ髪を輪ゴムで束ねた姿は学生時代と何も変わらない。

 だが加齢が停止した中世古とは違い、糊のきいたスーツ姿や成人らしい横顔からは、歩んできた年月の重みを感じ取れた。


「先に言っておく、部長がここまでやるのは自分も聞いていない」


「そうでしょうね中世古先輩、そして忘れてしまったようですね。 部長はいつだって私たちの予想を裏切りますよ」


「ははは! 嬉しいことを言ってくれるじゃないか、その期待には答えねばなるまい――――何を聞きたい?」


「そちらの目的は何ですか?」


 背格好が変わろうとも、あの時と何も変わらない瞳が面白半分におかきを見つめる。

 昔から絡みつく蛇のようなあの目が嫌いだった、物語を面白くするためならばこちらの限界以上の力を絞り尽くすサディストの目つき。 ゆえにおかきも腰を据えて対峙する。

 九頭は「手短に」と言った、であるならば余計な問答を交わすのは悪手。 いろいろと聞きたいことはあったが、おかきはまずは愚直に一番の疑問を突いた。


「ふむ、妥当なところだな。 世界征服と言ったらどうする?」


「ご冗談を、そんな大層な目的を抱えているなら私なんかにかまっている暇はないでしょうに」


「お前の悪い癖だな、自分を過小評価しすぎている。 なあ中世古?」


「あとにしてほしい、今は絵を描きたい気分」


「……うん。 こんな癖の強い部員たちの中でお前だけはまともだったよ、早乙女」


「そろそろ話を戻してください、時間が無いといったのはそちらですよ」


「そうだな、久しぶりの再会を喜び合う暇もない」


 全方位塩対応の絵かき星人に素気無く振られた九頭は、飲み干した紙コップを握りつぶしてゴミ箱へ投げ捨てる。

 そしてわざとらしく足を組み替え、ネクタイを締め直し、表情から笑みを消した青年は改めておかきに問いかける。


「……早乙女、お前が必要だ。 俺と一緒に来い」


「お断りします」


 言葉足らずのスカウトを、おかきは一言で切り捨てた。

 

「ハハハ! 即決か、お前らしいな」


「そもそも部長は頭の回転が速すぎていつも説明が足りないんですよ、まさか今回の事件は私の実力を試すためだとでもいうんですか?」


「そういうお前はいつも足らぬ言葉を補足してくれるな、その通りだとも」


「懐かしく、そして気味悪い光景」


 ツーカーで通じ合う部長と後輩部員のやり取りを眺める中世古が引き気味のコメントをつぶやく。 もしこれが夫婦や恋人同士なら仲が良いで済むが、中身は男同士だ。

 しかも10年以上のブランクを空けた再会直後にこの以心伝心とくれば、哲学的なゾンビでもドン引きするようだ。


「さて、お前の予想通り俺は今の早乙女の力を見たかった。 藍上 おかきのカフカとしてどんな力を身に着けたのか」


「……カフカについては知っているんですね」


「SICKについても知っているさ、そのほかにサーカス団、名もなき神の教団、赤桐工業にすめらぎ連盟、それに……」


「結構です、つまり異常存在について十分知識があると。 では……中世古先輩の状態についてはご存じですね?」


「……ああ、大人になって再会した時にはすでにこの状態だったよ」


 その瞬間に見せた九頭の顔は、おかきには少しだけ悲しそうに思えた。

 確信はない、証拠もない、裏で中世古と口裏を合わせれば何とでも言えるだろう。

 それでもおかきは、九頭の言葉を信じたかった。


「部長の話は、本当。 これは自分が望んだこと、ゾンビになれば一生絵が描けるから」


「お前本当そういうところは死んでも変わらんな中世古、学生時代も何度食事を忘れてぶっ倒れたんだ?」


「部長、思い出話は今度にしてください。 部長が中世古先輩の件に関わっていないならどこで異常存在についての知識を? それに命杖先輩や十文字先輩も……」


「あー待て待て、1つずつだ。 お前がいの一番に知りたいのは俺の目的だろう?」


「そうですね、はぐらかさずに応えてくれるなら聞かせてください」


「ならはっきり答えよう。 俺は今、早乙女たちのような存在を保護する活動をしている」


「……?」


「素晴らしいな、やはりお前は理解が早い。 卓を囲んだ時もずいぶん助けられたものだ」


 一見すればSICKに似た理由を述べる九頭、しかしおかきはこの男の恐ろしさを嫌というほど知っている。

 SICKと活動方針が競合しないならおかきを引き抜く理由はない、そのまま魔女集会のように協力関係を結べばいい。 その発想が浮かばないほど九頭は愚かではない。

 それができないということは、SICKと相いれない“理由”を持っているからだ。


「そうさな。 我々の活動方針を一言でまとめるなら、これに尽きるだろう」


「……冗談も過ぎれば怒りますよ、部長」


「冗談ではないさ、この世界の平穏は薄氷の上で成り立っている。 お前たちのような存在を隠し続けることなど不可能だ、もし不意に露見すれば世間に受け入れられると思うか?」


「…………」


 否定はできなかった。 カフカや中世古のような人並外れた存在は、決して受け入れられない。

 むしろ社会に大きな混乱を招く、だからこそ徹底的な隠ぺいが必要……というのがSICKの方針だった。


「俺は違う、ベールは急にはぎ取るから混乱を招くんだ。 少しずつ違和感を世界へ馴染ませればいい、今は動物園で見かける生き物だって昔はUMAと呼ばれた奴らもいるんだ」


「……最初の言葉は訂正しますよ。 変わってしまいましたね、部長」


「10年も過ぎたからな。 それにお前には言われたくないさ、早乙女」


 九頭の主張にも一理ある、だが一理しかない。

 もし今回のような過激な事件が世間へ異常を馴染ませるために必要な作業なのだとしたら、おかきには到底受け入れられなかった。


「部長、申し訳ないですが今日からあなたは敵です。 その企み、止めなければなりません」


「そうか、残念だが仕方ない――――面白い卓上遊戯ゲームになりそうだな、早乙女よ」

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