第265話

「おうおかき……無事で何よりや……」


「そういうウカさんはなんというか……ずいぶんくたびれてますね」


『まあこちらもこちらで色々あったんだぜぃ』


 ウカが率いる爆弾処理班が大ホールへ踏み込んできたのは、おかきが爆弾を解除してからおよそ30分後のことだった。

 用心するにしてもずいぶん時間がかかったが、そんなことを聞く気も失せるほどウカの顔は憔悴している。

 怪我こそないものの、髪の毛はぼさぼさで自慢の狐耳もペタっと伏せ気味。 それにどことなく焦げた麦のような匂いが煙とともに彼女の身体から漂ってくる。


「あれれパイセンどしたん?」


「殺すで」


「おっと煽ろうとしたら先行入力でジャブを潰されたぞ」


『今のウカっちを煽るのはお勧めしないぞ山田っち、命が惜しかったらお口チャックだ』


「それで何があったんですか? 見たところ穏やかな雰囲気ではないようですけど……」


「安蘭のやつにうた、ピンピンしとったであいつ」


「はっ? パイセンちょっとそれ詳しく」


「アラン……?」


 突然飛び出してきた聞きなれない言葉に首をかしげるおかき。

 2人の反応からそれが人名ということは推測できたが、おかきが知る限り該当する人物に心当たりはない。


『おかきちゃんがやってくる前の話だね。 江戸川 安蘭、“江戸川 安蘭の徒然成儘つれづれなるまま”の主人公であり、カフカ症例第7号体の名前さ』


「ウカさんより番号が若いですね、その人に何か問題が?」


「……死んだはずなんや、江戸川 安蘭は。 半年ほど前の任務でな」


――――――――…………

――――……

――…


「……あったあった。 “江戸川 安蘭の徒然成儘、古い漫画だけど3巻しか出ていないみたいね」


「どうやら連載作家が読みきりで書いた作品が始まりのようですね。 人気があったためその後は不定期で連載が続き、その分刊行冊数も少ないのかと」


 駐車場に停められた偽装車両の中で治療を受ける傍ら、おかきと甘音の2人は各々のスマホから江戸川 安蘭の情報について調べていた。

 原作の媒体は漫画、役割は主人公。 検索結果として出力された画像には、顔に包帯を巻いた中性的な人物が今にも首に縄を掛けようとするインパクトのある表紙が映し出されている。


「その通り。 徒然成儘は売れない推理小説家である江戸川 安蘭が新作のネタを集めるため、新人編集者を連れ回して各地のオカルトや厄ネタに首を突っ込むという漫画だよ」


「キューさん、現場に来ていたんですね」


「こらおかき、動かないで。 綺麗に包帯が巻けないでしょ」


「わはは、動けるぐらいには無事で何よりだよおかきちゃん。 おいらも今さっき到着したばかりでね、安蘭の能力は厄介だから一度この目で現場を確認したかったんだ」


「能力というのは……この本の内容通りですよね」


 ウィキペディアのページをスクロールし、キャラクターの詳細について記述された項目を強調表示するおかき。

 そこには主人公である江戸川 安蘭の特異性、カフカとして最も警戒すべき能力の詳細が載っていた。


「そう、物体に対し書き込んだ内容を反映させる能力だ。 例えば門に“再進入禁止”と書けば誰も建物に入れなくなったり、服の裏地に“神力無効”と書けばウカっちの攻撃を無力化できたり」


「うちは手の内がバレとるからな、あいつに準備時間与えると全部メタられるわ」


「ちょうど私が服だけ融かす薬品を持ってたからなんとかなったけど危ない戦いだったわ」


「さすが甘音さんですね」


「新人ちゃん、今すごくわかりやすい間違い探しあったよ?」


「とはいえ一番の問題は、なぜ死んだはずの江戸川 安蘭がおいらたちの前に姿を現したかだよ」


 宮古野が提示した謎に応える声は誰も上げない。

 おかきからすれば完全に寝耳に水の出来事で、安蘭の存在は誰も予想していなかった闖入者なのだ。 いくら探偵とて会ったこともない相手の行動は推測できない。


「……ウカさん、本人はなにか話していませんでしたか?」


「んー、おかきの邪魔するみたいなことは言うとったな。 実際まんまと時間稼がれたわけなんやけど」


「つまりその安蘭さんは私が爆弾を解除しなきゃいけない状況を作った張本人というわけですか、ラマンさんとも繋がりがありそうですね」


「キューちゃん、あのおっさんたちは今どうしてるの?」


「ラマン氏は別の車両で拘束、おかきちゃんのお母さんは治療……いや修復作業中、中世古氏はおいら宛てのサインを書いてもらいながら同じく骨折の修復作業中だ」


「なにちょっと私欲満たしてんねん」


「いやあ入院手続きとか必要な書類ついでにちゃちゃっとね? 一応彼らは生きた人間として社会に適応しているからさ」


「ということは今は隣の車両にいますね、ちょっと話を聞いてきます」


「あっ、こらおかき!」


 甘音から一通りの応急処置を受けたおかきは席を立ち、静止も聞かずに車外に出る。

 駐車場からはすでに一般車両の姿はなく、ほとんどが警察や救急とそれらに扮したSICKの偽装車両たちばかりだ。 

 現場をうろつくテレビカメラの死角を縫って走れば、目的の車両を探し出すのはそう難しい問題ではなかった。


「えっとSICK車両のナンバープレートは……あったあった」


 事前に暗記した識別ナンバーから目的の車両を発見し、小さな体を駆使してひっそり開けた扉の隙間に身体をねじ込むおかき。

 爆破の余波で軽いやけどを負った腕がやや痛むが、そんなことを気にする余裕が今のおかきにはない。 何もここまで無茶をするのは謎を求める探偵としての本能だけが理由ではなかった。


 無事に爆弾を解除した直後、電話越しのアクタから聞いたがおかきにはずっと引っかかっていたのだ。


「――――やあ、遅かったな早乙女! こうして面と向かって会うのはあの客船以来か、調子はどうだ?」


 アクタから聞いた話の中で出てきた名前、そして中世古が匂わせていた「部長」の存在。

 もしも想像通りの人物がこの事件に関わっているなら、早乙女 雄太の経験から大人しく身を隠すはずがないという自信があった。


「……ここはSICKの車両内なんですけどね、どうして部外者がいるんですか。 


 

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