第116話

「やったー、私の勝ち♪」


「待ってください先輩、おかしいですよこれは!」


「あら、何が?」


 さっさと割れたダイスを片付ける手を止め、命杖は首を傾げる。

 本人は何がおかしいのかわからないと言いたいようだが、おかきは納得していない。

 あくまで勝負の途中にダイスが割れただけ、勝敗はまだ決していないはずだと。


「器の中に3つ以上のダイスを入れてはいけない、私は最初に確認したわ」


「いやいや、元々は2つだったんですから割れても個数は変わりませんよ」


「あらあら、私は割れた分も含めて数えるルールにしたつもりだけど」


「そんな屁理屈……」


「通らない、というならルールを掲示した時点で疑うべきだったんじゃないかしら?」


「ぐうぅ……」


 命杖の言い分は明らかに屁理屈だ、わかっているがルールの穴を指摘しなかった落ち度がおかきにあることも事実。

 イカサマ探しに執心し、探偵としてもっとも根本的な罠を見抜けなかった負い目が、これ以上の追求をよしとしない。

 これがウカや甘音ならまだ強気に言い返したはずだ、しかしおかきにはできない。 おそろしい心理把握能力、これが命杖 有亜のゲームメイクだ。


「そもそもなんでダイスが割れ……アクタァー!」


「いやん、バレちゃった。 さすが探偵さん」


 おかきが振り入れた時に偶然ダイスが割れた、というのは考えにくい。

 だとすればこの事件には犯人がいる、それも一見異常がないダイスを狙ったタイミングでさせるような芸当ができるような人間が。

 そんな真似ができるのはこの場に1人しかいない。


「ごめんなさい、私も探偵さんの悔しがる顔が見たくて」


「うふふ、相手が私だけと思っていた時点でおかきちゃんの負けね。 出直してきなさい」


「えぐいなこの人、おかきが掌の上やで」


「おかき、あんたの先輩って一般人なのよね?」


「一応は。 ただ個人的には全員化け物だと思ってます」


「ひどい言い様ね」


「うふふ、それはそうと私が勝った以上は~……わかってるわね、おかきちゃん?」


 命杖は今日一番の笑みを浮かべ、手提げカバンから“あるもの”を取り出す。

 おかきは知っている、見覚えがある。 C字に湾曲したプラスチックに1対の突起がくっついたそれを。

 なぜならあのおぞましいネコカフェで、片時も離せず装着していたものだから。


「――――まずは1枚、写真撮らせてもらおうかしら~」


――――――――…………

――――……

――…


「……で、うちがトイレ行ってる間になにがあったん?」


「見てのとおりやおかきのお姉さん、あれが哀れな敗者やで」


「殺せよ」


「探偵さんがグレちゃった」


 化粧直しを終えた陽菜々がカフェに戻ると、愛しの弟は死んだ顔をしながら頭部にネコミミを装着していた。

 衣装もさきほどまでの執事服ではなく、二又の尻尾を装着したメイド服へと変わっている。 

 カフェのコンセプトになぞるならネコマタの仮装だが、どこか急ごしらえで安っぽい印象がぬぐえない。


「あぁー、いいわ……人が積み上げた豪奢な城を切り崩してフランチャイズされたコンビニを建てるかのような感覚。 たまらないわ~!」


「すごいわねあの大作家様、自分の後輩を尊厳破壊して栄養を摂取してるわ」


「もうあの人の方が妖怪ちゃうか?」


「さすがのおいらもドン引きだね。 それはそれとしておかきちゃん、写真撮っていい?」


「一枚5万円でよければ」


 おかきは冗談に冗談を返したつもりだが、次の瞬間にズドンと重い音を立ててテーブルに札束が叩きつけられる。

 出資主のアクタはただただ笑顔を浮かべながら、財布から次なる札束を装填リロードしていた。


「探偵さん探偵さん、ついでに10万出すからカジノの時このまえみたいに痛めつけてかっこよく罵ってほしいわ!」


「あなたさっきお金ないって言ってませんでした?」


「お客さん、うちはそういう店じゃないから困るのよねーお金出されても」


「えー、探偵さんを買えないからって僻まないでくれる? シンデレラちゃん」


「は゛ぁ゛ー!? おかき、100万出すわ! 私が買う!!」


「落ち着いてください甘音さん、とんでもない発言ですよそれは」


「あはは! 好かれてんねぇ、うちのいもうと


 皆に囲まれてもみくちゃにされる弟の姿を眺めながら、片隅で陽菜々はほほ笑む。

 本来ならばあり得なかった光景だ。 早乙女 雄太は姉のために自分の将来をあきらめ、青春を荼毘に伏した。

 本人が望まない形とはいえ、大切な家族にやり直しのチャンスを与えてくれたカフカという病が、陽菜々はどうしても嫌いになれなかった。 だが……


「浮かない顔だね、何か悩みごとかい? オイラで避ければ話を聞くよ」


「あっ、キューちゃん。 おかき争奪戦に加わらなくていいの?」


「さすがに遊びすぎた、おかきちゃん目当ての客もこぞって集まって来たよ。 対岸の火事は離れてカウチポテトするのが一番さ」


「ほんとだ、目の色変えた男子生徒がおるわおるわ。 我が弟ながら魔性だわぁ……」


 みるみるとカフェの中におかきを中心とした人だかりが形成され始める。

 人気作家とのサイコロ勝負で注目を集めたところに、フェチズムをくすぐる露出度の高いメイド服への衣替えだ。 写真撮影会が始まるのはむしろ必然といってもいい。


「さて、悩みの種はその弟君と見たけどいかがかな」


「うへ……さすがっすわぁ、IQ5億だな?」


「おほめにあずかり恐悦至極だ。 盗聴防止の機器は動かしてる、おかきちゃんに注目が集まっている間に聞いてもいいかな?」


「そうだなぁ、おかきってうちと他とで話し方変わるじゃん?」


「そうだね、本人は無意識らしいけどカフカとの融和性の問題かな」


「……学園祭前に電話で話したとき、一瞬だけ“おかき”の話し方だったんだよね」


「……!」


 陽菜々はいつかの通話を思い出す。 大切なルームメイトの話になった時、たしかに口調がおかきのものに変わっていた。

 本人に自覚はない、つまりそれほど自然に“雄太”から“おかき”へ切り替わっていたのだ。


「ね、キューちゃん。 これってどういうことだと思う? なんか嫌な予感がするんだよね、うち」


「うーん、今のところは何とも言えないな。 念のため警戒しておくよ、教えてくれてありがとう」


「うちもなんとなく気になっただけで……あの、雄太のことをお願いします」


「任せてくれ、カフカの謎は必ずおいらたちが解き明かす」


 嘘だ、カフカ症候群に対するSICKの進展は遅々たるものでしかない。

 たとえ原因を買い目敷いたところで、罹患者が元の姿に戻る保証などどこにもないのだ。


「……一瞬だけ話し方が変わった、ね」


 そして宮古野はもう一つ、大きな嘘をついている。

 確証はなくとも理由の推測は簡単だ。 “雄太”と“おかき”へ自然と話し方が切り替わったということは、それだけ精神の融和が進んでいる証なのだから。


 それでも宮古野は話さない、自分の推論を述べたところで陽菜々を不安にさせるだけだ。

 たとえこの場で死んだとしても秘密は墓の底に持っていく。

 たとえ薄氷の上だろうと、今は彼女たちに精いっぱいの平和を楽しんでほしいから。

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