第94話

「うぅー……あかん、頭いったぁ……あと全身いったぁ……」


「そりゃあれだけ暴れりゃそうなるよね……ボクも全身筋肉痛……」


「藍上おかき、メディカルチェック終わりましたー……ってうわっ」


 治療を終えたおかきが帰宅用の車両に乗り込むと、背もたれを目いっぱい倒して横たわるウカと忍愛が待っていた。

 2人ともおかきより先に傷の手当てが終わり、疲労困憊の体を休めている真っ最中である。


「ああ、おかえり新人ちゃん……大丈夫だった……?」


「いやこっちの台詞ですよ、私はキューさん特性ナノマシンなるものを注射されましたけど」


「あー、じゃあ牛乳飲めば治るよ。 骨折でしょ?」


「休日明けには完治しとるやろな、その程度で済んでよかったなぁ」


「ええ、全くその通りで」


「あれ、なんでおかきそっぽ向くん?」


 ウカが会話に加わると、おかきは気まずさから明後日の方向へ顔を逸らす。

 脳裏によみがえるのはセクハラと屈辱の記憶、暴走したウカに引っこ抜かれたブラは今もなお行方不明のままだ。


「えっ、うちもしかして意識乗っ取られとるときになんかした?」


「いいえ別にっ。 ウカさんからは攻撃らしい攻撃も受けなかったのでご心配なく」


「絶対何かあったリアクションやん! 山田、お前なんか心当たりないか!?」


「山田言うな。 うーん、ボクが駆け付けた時はちょうどエロピエロに新人ちゃんが襲われてるところで」


「襲われてませんから!」


「なんだお前たち、まだずいぶん余力があるようだな」


「あっ、局長」


 3人娘が和気あいあいとしている中へ、さらに車両へ乗り込んできたのは麻里元だ。

 さすがSICK局長というべきか、満身創痍の3人に比べて怪我どころか疲労の兆候すら見せていない。


「どうだ、元気が有り余っているなら撤収作業中の職員を手伝って……」


「無理ですぅ! ボクら見ての通り全治500億年ですぅ!!」


「冗談だよ、全員よく働いてくれた。 今は休息に専念してくれ」


「うぅ……ウチだけなーんもしとらん……」


「そんなことはない、ホールでの活躍は今この目で確認してきた。 大量の植物が床から生えた痕跡があったぞ、よくあれだけの民間人を爆発から守ってくれた」


「それで暴走してたら世話ないわ、局長たちにもほんま手間かけてもうて」


「気にするな、飯酒盃もお前のおかげで命拾いしたんだ。 多少の不始末は私が片付ける仕事だ」


「そうですよ、ウカさんはウカさんにしかできない仕事をやってくれました」


「おかき……こっち向いて言ってくれたらもっと嬉しかったで」


「ああ、それとこんなものも見つけてきたんだが」


 ふと(余計なことを)思い出した麻里元は、懐から透明なビニール袋を取り出した。

 現場の証拠品を傷つけないよう丁寧に密封された袋の中には、おかきにとって見覚えのある下着が1枚封入されている。


「………………局長、それはどこで?」


「密林と化した空間異常地帯だ、植物はすべて枯れたが異常性が残っていないか念のために見回っているときに見つけた」


「なんやそれ、ブラか? ずいぶん色気ないな」


「ボクじゃサイズ合わないし、センパイならちょうどいいんじゃオボロブッシャァ!?」


「ちゃうわアホ、うちかて今もつけとるし……って何言わせんねん!」


「嘘でしょ2撃目グボロブゲェ!?」


 肝臓を打ち抜く神速の一撃と、鳩尾を貫く隙を生じぬ二段構えのツッコミに忍愛が悶絶する。

 いつも通りのやり取りだが、そんなことが気にならないくらいおかきの顔には脂汗が滲んでいた。


「おかき、どうしたん? 傷が痛むんか?」


「いえ……決してそういうわけでは……」


「しっかしなんでブラが落ちてんねん、犯人は相当アホやなワハハ!」


「そういえばおかき、暴走したウカに下着をスられたと言っていなかったか?」


「ゑっ」


「………………はい」


 火が出るほどに顔を赤くしたおかきが蚊の鳴くような声で答える。

 それに比べて先ほどまで大笑いしていたウカの顔色は、みるみるうちに蒼白へ染まっていった。


「き、気にしなくていいんですよウカさん……あれは私が迂闊だっただけですから……」


「すまんおかき!! ほんまにすまんかったー!!!!」


「やはりおかきの下着か、床に落ちていたが洗って返すべきか?」


「局長、心臓に毛生えてる?」


「しかし必要だろう? ウカに取られたということは今はノー……」


「良いんですよ、気にしてませんよ! だって男ですし!? 私男ですしー!!」


 思わぬところで羞恥プレイに晒されたおかきの絶叫は、車両の外まで響き渡った。

 なお、結局下着は返してもらったうえで帰路についた。


――――――――…………

――――……

――…


「……ん、無事だったようね」


「ただいま戻りました、甘音さん……こんな時間まで起きていたんですか」


 それからおかきが学園へ戻ってきたのは、翌日日曜日の深夜になってしまった。

 今にも日付が変わるという中、起こさぬようにとこっそり自室の扉を開けると、ベッドの上で枕を抱いた甘音がおかきの帰りを待っていたのだ。


「今日帰って来るって聞いたから待ってたのよ、悪い?」


「悪いです、遅くなるので先に寝てくださいと言ったじゃないですか。 明日からまた授業があるんですよ?」


「一徹ぐらいなんてことはないわよ、それに条件ならあんたも一緒でしょ」


「それはそうですけど……はぁ」


 口喧嘩では甘音に叶わないと観念したおかきは、手荷物を机の上に置いて自分のベッドに身体を投げ出す。

 肩の痛みはすでにほとんどないが、それでも死線を乗り越えた心の疲労は泥のようにおかきの身体にへばりついている。


「おかきー、そのまま寝たら服にシワついちゃうわよ。 あと髪と肌ケアも!」


「そんなのいらないですよ……私男ですしぃー……」


「じゃあ私が勝手にやっておくから寝てていいわよ、とっておきのパジャマ着せてあげるわ」


「………………」


 残る気力を振り絞って体を起こし、おかきはいそいそと部屋着に着替え出す。

 おかきは知っている、2人で共有している衣装棚の奥には甘音秘蔵のファッションが眠っていることを。


「はいお利口さん、髪くらいは私が梳かすからこっちに座りなさい。 どうせぼっさぼさでしょあんた」


「うー……」


 普段なら抵抗もするのだが、疲労が積もり積もった今のおかきにそんな気力は残っていない。

 これが成人男性の姿か、と自己嫌悪に陥りながらもされるがままだ。


「……多少の傷みはあるけどキューティクルが生き生きしてるわね、素でこれだから手入れ覚えたらどれほど化けるのかしら」


「甘音さん、何か言いました?」


「いいや何も。 それよりあんた試験の方は大丈夫?」


「気合と大人としての経験値で勝負します……」


「それでどうにかなるほどこの学園は甘くないわよ、またみんなで集まって勉強会開くわよ」


「はぁい……」


 間接照明が照らす部屋の中、甘音がおかきの髪を梳く音だけが静かに響く。

 櫛が枝毛一つない髪をすり抜けるたび、おかきの瞼もだんだんと重くなってきた。


「……そういえば、ひとつだけ言い忘れてたわね」


「ん……なんですか、あまね……さん……」


「おかえりなさい、おかき。 また明日ね」


 その言葉が聞こえたか聞こえていないか、おかきの意識はすでにまどろみの中へ落ちていた。

 無防備なその体をベッドへ倒すと、甘音は無事に帰って来た友へ安堵の笑みを浮かべ、おかきの頭を撫でる。


「……って、私のベッドで寝るんじゃないわよ。 まったく」


 そして自分のベッドで寝てしまった憎たらしい友の額を指ではじき、甘音も同じ寝床にもぐりこんで眠りにつくのだった。

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