第87話

『駄目だ、こっちで君たちの位置を特定できない。 どうやらその部屋が異空間化してるね』


「それはたった今実感してるところですね……」


 鬱蒼と茂る植物をかき分ける手を止め、おかきは額の汗を拭う。

 命杖を探してまっすぐ走り続け、体感でも100m走はとっくに完走している距離だ。

 しかしいまだ部屋の壁は見えず、行く手にはジャングルのように生い茂る植物たちが幾重にも重なり進路を妨げていた。


『おかきちゃん、肩は平気か?』


「一周回って痛みはないです、ただ患部が熱を持ってるのがわかります。 帰ったら甘音さんに怒られますかね」


『なぁに、SICK医療部門を舐めちゃいけない。 君の知らない技術と超常パワーで後遺症もなくしっかり治してやるぜ』


「それは頼もしいようちょっとな恐ろしいような……」


『なら気晴らしに違う話をしようか、ちょうどいま報告が入ってきた。 君の予測通りだったよ、おかきちゃん』


 通信機越しに宮古野がキーボードを叩く音が聞こえる。

 まさに今、宮古野はSICK職員が収集した情報をリアルタイムで確認しているところだ。


『避難者の中に彼女の原稿を閲覧した出版社の人間がいた。 聴取した内容によると、たしかに画竜点睛と化した物語に“神さま”の存在は登場する』


「具体的な姿や能力の描写は?」


『ない。 そもそも作中ほぼ終盤での登場だ、神さまが降り立ったところで次巻に続く形になっている』


「つまり不鮮明な神の描写がウカさんの設定と合致し、物語に引っ張られて暴走した」


『カフカも画竜点睛も創作物から飛び出した存在だ、相性がいい存在が身近にあれば共鳴するのもあり得ない話じゃない』


「では、この状況ではぐれた先輩も何らかの物語に引きつけられている可能性がありますかね」


 暴走したウカによって分断される寸前まで、おかきは常に命杖の動きに注意を払っていた。 それは麻里元も同じであったはずだ。

 しかし同時に2人が命杖の姿を見失い、目の前の騒動に気を取られてしばらくはその事実にさえ気づかなかった。 そんなことがあり得るだろうか。


『神の顕現に対し、命杖氏が割り振られそうな役割は……これかな、神さまと出会う女の子のキャラクターがいる。 主人公と同じ夜更かし体質で、人が眠った地上に神さまを地上に呼ぶのが目的だ』


「何のためにそんなことを? というより、神が降りてくるような世界観なんですね」


『ネタバレになるけど、人が寝静まるおかげで魑魅魍魎がうじゃうじゃ夜をエンジョイする話だよ。 ちなみに少女の目的は1巻ではまだ不明だ』


「本人に聞くしかなさそうですね……」


 おかきが目の前の雑草をかき分けると、ぽっかりと開けた空間に飛び出した。

 そこだけ枯れ果てたかのように草木はなく、崩れた天井からはが降り注いでいる。


「…………キューさん、今は何時ですか?」


『うん? 今は……嘘だろ、21時50分を指してる……』


 おかきも片手で取り出したスマホの画面を確認するが、やはり示された時刻は宮古野が示した数字と変わらない。

 会場に到着した時刻はまだ18時前、それからいざこざはあったが4時間近くも経過するわけがない。 これもまた物語に引き込まれた影響だ。


『まずいぞ、このままじゃ残り10分で影響範囲の人間は皆強制的にぐっすりだ。 神格存在であるウカっちを除いて!』


「先輩! どこですかせんぱーい! 返事をしてください!」


 ――――う……うぅん……


 できる限りの声でおかきが呼びかけると、かすかに呻く命杖の声が耳に届く。

 力の入らない肩をかばいながら懸命に声の聞こえた先を切り開いてみれば、磔のような姿勢で樹木に縛り付けられた命杖の姿がそこにはあった。


「先輩、大丈夫ですか!? 怪我は……していないみたいですね」


『バイタル安定、気絶しているだけだ。 だけどこれは引っ張り出すのは難しいぞ……』


 樹木の幹は太く、命杖の両手足を縛るツタはゴムのような弾力を持ち、片手が使えないおかきでは切断も難しい。

 とてもじゃないが10分そこらで拘束を解くのは不可能だ。


『おかきちゃん、本人が駄目なら元を断とう! 原稿を探し出して破壊するんだ、それだけで画竜点睛は止まる!』


「わかりました! でも原稿はどこに……!?」


 拘束された命杖の周囲には、原稿用紙をしまっていたトートバッグは見当たらない。

 この空間に出るまでそれらしいものを見つけた覚えがない、残り時間を考えれば彼女の周囲にあると仮定して探すしかなかった。


『……待った、おかきちゃん背後警戒! 何か来る!』


「…………!」


 文字通り草の根をかき分けて捜索するおかきの背で、ガサリと茂みが揺れた。

 風ではない、その証拠にガサガサと揺れる茂みの揺れと音はだんだんと近づいてくる。


「誰ですか……出てきなさい!」


「くっ……ハァ、ハァ……! クソッ、クラウンの奴め! 人使いが荒いんだまったく!!」


「ウワーッ!?」


「ウワーッ!! ……って、お前はSICKの!?」


 突然目の前に現れたベネチアンマスクにおかきが驚き、その声でさらに驚いたマスクの男が悲鳴を上げる。

 茂みを突っ切って現れたのは、サーカス団の一員であるジェスターと名乗る男だった。

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