第79話

「まず汚れをブラシで落とし、その後リンス→シャンプー→コンディショナーの順で髪を保護し、濡れた後は自然乾燥させず擦らない程度にタオルで水分を拭いドライヤーで早急に乾燥を……」


「センパーイ! 何もしてないのに新人ちゃんが壊れた!」


「退け退け、こうなったらここんとこをこんな感じにこの角度でこうやオラッ!」


「あいった! ……あれ、ここは?」


「おうおかき、戻ってきたな」


 ウカの精神分析チョップによりおかきが正気を取り戻すと、そこは以前も利用したSICKの作戦会議室だった。

 甘音からみっちりと”教育”を受けて記憶が飛んでいる間に、すでに作戦決行日となる土曜を迎えていたのだ。


「おはよう、どうやらずいぶん悪い夢を見ていたようだな」


「局長……すみません、お騒がせしました」


「なに、見ていて面白かったから問題ない。 では会議を始めようか」


「はい……」


 珍しく狼狽していたところを見せてしまったおかきが顔を赤くして着席すると、麻里元は込み上がる笑いを殺しながら、ホワイトボードに向き直る。

 そのまま彼女がサインペンでボードを叩くと、ボード上にノイズが走り、どこかの建物を描いた見取り図が展開された。


「電子モニターだったんですか、そのボード」


「ふっふっふ、おいらの発明品だぜ。 ホワイトボードとしても使えるしいざとなれば食料にもできる!」


「衛生面最悪やろその組み合わせ」


「でも味は悪くないよ、ボクが食べた時はチョコ味だった」


「そんでお前は食ったんかい」


「話を戻そう、これが今夜行われるパーティー会場の見取り図だ。 我々はこの中に潜入し、画竜点睛となった小説原文を回収する」


「回収後、小説はコピーを取ってオリジナルを焼却処分。 そしてコピーしたものを気づかれずに戻すまでがミッションだ、いいね?」


「しつもーん、気になってたんだけどその小説ってどんな内容なの?」


「現代SすこしFふしぎな物語だよ。 舞台は近未来の日本、この世界で人類は22時を超えて夜更かしすることができなくなった」


「健康的やな」


「22:00~6:00の間はみんな強制的に眠りこけてしまうんだ、その中で唯一22時を超えても眠らない“夜更かし体質”の少年が主人公になる」


「少年がいつものように夜の街をぶらついて遊んでいると、月明かりに照らされた銀髪の少女と出会い……というのがこの物語の導入だな」


「んもーおいらの台詞とらないでよ局長! で、問題はこの小説が画竜点睛となり、現実に反映される可能性があるということだ」


「……影響範囲によりますけど、パニックは避けられないですね」


 22時、夜も更けたころだがまだ就寝していない人々も多い時間帯だ。

 自宅で羽を伸ばしているならまだいい、火を扱っていたり、運転中に突如昏睡すればただ事では済まない。

 そうでなくとも、直立姿勢から倒れるだけでも命にかかわる。


「画竜点睛の影響範囲はまちまちだけど、おいらの仮説では小説の知名度・完成度と比例する関係にあるとみている」


「うーん、今回って新作お披露目会なんだよね? もしボクらが失敗したら……」


「影響範囲は過去最大規模になるかもね、ワッハッハ!」


「笑い事ではないんですけどね」


 おかきからすれば、かつての先輩がようやく夢を叶えた矢先に大惨事が待ち構えているのだ。 気が気ではない。

 それに小説をただ回収するだけなら簡単な任務だが、懸念点はもう一つ存在する。


「それとサーカス団の件だが、やはり奴らが関与していることに間違いはない。 現場ではほぼ衝突は避けられないと思ってくれ」


「やっぱりか、死者が出ないか保証できへんで……」


「質問です、そもそもサーカス団が先輩の小説を狙っているというのはどこからの情報なんですか?」


「悪花から提供された情報だ、魔女集会との停戦協定としてSICKの存続を予知した際に知覚したらしい。 今は最悪の未来が確定してしまう可能性もあるため、詳細な予知は控えてもらっている」


「なるほど、悪花さんの能力なら確度は高いですね」


 彼女の能力には、おかきもつい先日の球技大会で世話になったばかりだ。 その恐ろしさは身に染みている。

 彼女の予知に引っかかったのならば、杞憂だと無視できる情報ではない。


「それにSICKの存続を予知する際に見えたというのが気になる、このミッションをしくじれば我々の未来はないかもしれない」


「“22時以降は睡眠状態に移行する”という状態が定着すると、おいらたちが隠していたヴェールがはがされることになる。 そういう意味じゃSICKの終焉だね」


「そうなったら大惨事やな、カスピエロどもに渡したら何されるかわからへんわこんなもん」


「なんか複雑ですね……先輩としては傑作でしょうに」


「作者に罪はないさ、発動条件となる万年筆の回収を見落とした我々の落ち度だ。 おかき、無事に任務を終えたら君からも祝いの言葉を贈るといい」


「……遠慮しておきます、今はこんな身体ですからね」


 今の自分は「藍上 おかき」であり、「早乙女 雄太」ではない。

 ゆえにおかきは胸の中にこみあげる気持ちを飲み込み、首を横に振った。


「むぅ……なんだかただならない感情を感じるけど、もしかしてその作家さんって新人ちゃんの初恋だったりする?」


「いいえ。 ただ部活ではお世話になりましたから、憧れの人というのはありますけど」


「というかおかきちゃん、気になって君の部活メンバー調べてみたら驚いたぜおいら。 命杖氏以外にも驚きのラインナップじゃないか、とくに部長の……」


「そこ、私語は慎め。 サーカス団への対策について話すぞ、君たちにはこれから模倣子に対する抗体剤を摂取してもらう」


「模倣子?」


「そこの概念については難しいから後回しだぜぃ、ようするにクソピエロどものスリラーに対する耐性を作ろうって話さ」


 異常現象への対策を講じないほどSICKは愚かではない、たとえ常識で理解不能の現象であろうとも、ある程度の抵抗はできる。

 だがそれは決して完ぺきではない、やはりカギを握るのは舞台で踊る役者たちだけなのだ。

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