第76話

「……先輩?」


「えっ、新人ちゃんの知り合い?」


「ほんで飯酒盃ちゃん、この写真の姉ちゃんは誰なん」


「名前は命杖めいじょう 有亜ありあ、PN:アリアンで通ってる新進気鋭の作家さんよ」


「先輩だぁ……」


 飯酒盃の口から名前を聞いた途端、おかきの表情がしわくちゃの電気ネズミじみた疲労感の滲んだものへ変わる。

 その脳裏には、中学時代の苦々しい思い出たちが駆け巡っていた。


「わあ、新人ちゃんのそんな表情初めて見た」


「なんでや、昔の先輩なんやろ? まさかいじめられたとか……」


「まさか、むしろ何も知らない自分にボドゲのあれこれを教えてくれた人ですよ。 シナリオを回す際にも率先してGMをしてくれる人でした」


「TRPGじゃありがたい存在じゃないか、大事にすべきだよ」


「ただメリーバッドエンドを三度の飯より好む人でした」


「生きてちゃいけない存在じゃないか」


「GMとしての腕は本当にいい人だったんですよ……腕は」


 PLプレイヤーを誘導する導線作り、シナリオの進捗と時間配分を管理する進行能力、なにより聞き手を没入させる語り部としての実力。

 そのすべてをあれほど高水準で備えた人物を、おかきはほかに知らない。

 そしてそのすべてを掛けて、上質なメリーバッドエンドへ導き、PLの情緒をグチャグチャにかき乱す人も彼女以外知らなかった。


「どうしてシナリオの8割を共に行動したヒロインが最後脳缶になって、笑顔で別れなきゃいけないんですかね」


「壮絶だねぇ」


「失礼、つい愚痴が……話を戻しましょう、なぜ先輩の写真がここに? しかも最近撮られたものですよね」


 おかきはあらためて端末に表示された写真を観察する。

 写真の人物は、おかきの記憶にある先輩の姿よりも成長している。 それに、背後に写りこんだデジタル時計にはつい先日の年月日が表示されていた。

 

「さすが、よく見てるわね藍上さん。 実はこの作家さんが書いた小説がね、“画竜点睛”になっちゃったの」


「うへぇ、マジか。 あれ全部回収したはずしたはずとちゃうんか?」


「画竜点睛? ってあれですよね、中国古事の」


「あまりにも素晴らしい竜の絵を描いたせいで、最後に瞳を描いた途端実物となって飛び立ったという話だね。 おいらたちもその逸話になぞり、この現象を画竜点睛と呼んでいる」


「ということは、小説が実体化するということですか?」


「察しが良いね、動画を用意したからこちらを見てくれ」


 宮古野は手早く自前の電子パッドを操作し、動画を再生した状態でおかきの前に置く。

 動画では武装した何名もの隊員が原稿用紙の束を囲み、銃器を構えている様子が映し出されている。

 そのまま緊張感がある沈黙が10秒ほど続くと突然画面に激しいノイズが走り、治ったかと思えば、部屋の中央に黒いコートと刀を背負った見知らぬ男性が現れていた。


「それが画竜点睛となった実例記録No3だ。 ちなみに、出現した人型存在は対象原稿用紙に書かれた†暗黒天騎士クロルシルフェル†だ」


「†暗黒天騎士クロルシルフェル†」


「銃器による鎮圧作戦は失敗。 対象は原稿用紙に記載された性能を一通り発揮したのち、媒体となる原稿用紙の破損に連動して消滅したわ。 いやーあの時は本当キツくて日本酒8合も開けちゃった」


 懐かしそうに、あるいは当時の酒を思い出して恍惚の笑みを浮かべた飯酒盃がよだれを垂らす。

 その最中にも動画では†暗黒天騎士クロルシルフェル†が人体の構造を無視したような躍動を見せ、画面に映る武装エージェントたちを鎮圧していた。


「これが画竜点睛現象の一例だ、一度発生すると周囲が創作の世界に飲み込まれていく」


カフカうちらの影響範囲が広くなったもんと思えばええで、けどあれってたしか特定の万年筆がないと発生しないとちゃうんか?」


「そうだね。 画竜点睛現象の発生にはいくつか条件があるけど、その中でもあるブランドが発売していた万年筆が必要になる」


「その万年筆にも何か異常な特性があるんですか?」


「いいや、一般流通しているほかの万年筆と性能に変わりない。 だけどなぜかこのペンじゃないと発現しないのさ、だからSICKが介入して全品回収&流通停止させた」


「だけどどうやら回収にも漏れがあったみたいなのよ、この人はおばあちゃんの形見として大事に持っていたみたいね。 それで今回の原稿を書き上げてしまった、と」

 

「にゃるほど、つまりボクらの仕事ってのはその完成原稿を奪うことだね?」


「もっと詳しく言えば、原稿のすり替えだ。 貴重な原本が無くなれば大騒ぎになるからね」


「加えてもう一つ注意事項、今回のミッションは“サーカス団”が関与してく可能性が高いです」


 飯酒盃の言葉に、ウカと忍愛の背から一瞬だけ殺気が立ち上った。

 1人だけ「サーカス団」について何も知らないおかきでも、決して善い存在ではないと理解できるほどに。


「こりゃボクも筋肉痛なんて言ってられないね、作戦はいつ?」


「今週土曜日に命杖 有亜新作発表会が行われるわ、そこで画竜点睛となった原稿と一緒にお披露目されるって運び」


「人気なんですね、先輩」


 学校を中退して以来、父と母を失った早乙女 雄太は日々の忙しさに圧倒され、かつての学友たちと連絡を取る暇などなかった。

 こんな形で近況を知ることになったが、尊敬していた先輩が夢をかなえた姿におかきは少しだけ安堵の笑みを浮かべる。


「笑うのは全部終わってからだぜおかきちゃん、なにせ今回は厄介な連中が絡んでいるからね」


「せやな、おかきにも話しとかなあかんか。 “サーカス団”について」

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