第75話

 おかきたちが暮らす寮には、簡易的な食堂が併設されている。

 平日の朝はビュッフェ形式の食事が並び、ここで朝食をすませる者も多い。

 つまり、この時間帯が一番他クラスとの生徒と交流できるのだが……


「「ぐああああああああああ筋肉痛があああああああああ!!!!」」


「勝利の代償は重いわね」


「まあ、あれだけ激しい試合でしたから」


 球技大会の翌日、皆が集まる食堂のど真ん中でウカと忍愛は悶えていた。

 野球で激しく衝突した両者の消耗は激しく、その代償が筋肉痛となって全身を蝕んでいたのだ。


「くっ……あかん、調子こきすぎてもうたわ……下らんことで力使ってバチ当たっとる……」


「天罰覿面ね」


「うぅ、死にたくない一心で頑張りすぎたボクも可愛いよね……」


「忍愛さん、行儀が悪いのは可愛くないですよ」


 テーブルに突っ伏した体をおかきに正された忍愛は、油が切れた緩慢な動きでパンにジャムを塗る。

 ほかのテーブルには、忍愛たちと同じく苦しんでいる者も多い。 中には努力も報われず、優勝を逃して意気消沈中の生徒も見受けられた。


「理事長がぶら下げたエサは罪深いわね、しばらく学園の空気が重苦しくなりそうだわ」


「でも球技大会が終わったら学園祭も控えてますよね、落ち込んでいる暇もないのでは?」


「甘いわねおかき、学園祭も大事だけどその前に見過ごせないイベントがあることを忘れているわ」


「見過ごせないイベント?」


「そうよ、学生なら誰しも避けられない死のイベント……」


――――――――…………

――――……

――…


「―――――中間テストの時期でーす!!」


「「「「「うぐああぁぁ……」」」」」


 その日のホームルームでは、クラスメイト一堂のうめき声による合唱が開かれた。

中間(および期末)テスト、それは大多数の生徒を地獄へ引きずり落とす死のイベントである。


「なるほど、テストを乗り越えないと無事に学園祭を迎えられないと」


「それどころか赤点だとAPのペナルティに学園祭も補習が続くわ、まともに参加すらできないと思いなさい」


「そういうことでぇす、まあ私の優秀な生徒たちならまさか赤点なんて取りませんよねぇ?」


「飯酒盃ちゃん、獺祭奢るから答案見せて!!」


「未成年はお酒買っちゃダメですぅー! ……でも詳しい出題範囲なら」


「流されてんじゃないわよアル中教師」


「ひぃん。 とにかくみんな留年や退学にはならないように、授業でわからないところがあれば教えるから頑張ってねー……」


 甘音から釘を刺され、飯酒盃は背中を丸めて教室をあとにする。

 残された生徒たちは一時限目の準備をする気力もなく、天を仰ぐものや頭を抱えるものなど、各々がバリエーション豊かに嘆きを表現していた。


「甘音さん甘音さん、この学園ってそんなにテストが難しいんですか?」


「一芸特化の連中が多いのよ、だから総合力を測るテストは鬼門だわ。 ちなみに私も英語と理数は得意だけど現文や社会科目は全滅!」


「うちは古文と日本神話・農産系の設問ならなんとかってところやな」


「俺は英語とロシア語とスワヒリ語なら……」


「私は数学なら全部わかるけど途中式が書けない……」


「おいどんは薩長同盟時代以外は壊滅でごわす……」


「なるほど、みなさん得意分野が尖ってますね」


 うぞうぞと地を這う生徒たちがおかきの周りに集まってくる。

 各自が手に持った小テストの点数は実に凄惨、この成績で中間に挑めば死屍累々が積み上がるのは火を見るよりも明らかだ。


「ちなみにこれまではどうやって乗り越えてきたんですか?」


「全員で勉強会よ、一芸特化が集まれば欠点は埋められるわ」


「それでも10割万全とは行かへんけどな、そういうおかきは大丈夫なん?」


「これでも教養EDU知識INTは高いです、それでも油断できるわけではないですけどね」


 早乙女 雄太時代から勉強ができないわけではない、そのうえおかきは人生二週目の学生生活をエンジョイしている。

 勉学すらも楽しむ姿勢はスポンジのように知識を吸収し、「藍上 おかき」のステータスも相まって、中間テストへの不安はさほどなかった。


「ありがてえ、勉強ができる人間じゃ!」


「さすが身長以外は高スペックな幼女!!」


「高等部です」


「おいどんたちに試験対策をご教授願いたいでごわす!!」


「散れ、下民たち! おかきに勉強を教わるのは同室の特権よ、去りなさい!」


「幼女独占反対!! APなら払うぞ、俺たちにも教わる権利はある!!」


「高等部です」


 おかきをめぐって内紛が勃発しかける教室に、一時限目を知らせるチャイムが響く。

 それと同時に、制服の内ポケットに収納されている端末がかすかに震えた。

 おかきがちらりと確認した画面には、麻里元からのショートメッセージが映し出されている。


「あー……おかき、放課後飯酒盃ちゃんのところに行くで」


「了解です、下駄箱の前で落ち合いましょう」


 メッセージの内容は簡潔に、「仕事だ」の3文字だけが刻まれていた。


――――――――…………

――――……

――…


「いやぁ、こんな時期にお仕事なんてタイミング悪いよねぇ……先生自棄酒が進んじゃう」


「四六時中飲んでるやろ」


「いやあこれで素面より仕事ができるんだからたちが悪いよね、念のためおいらが立ち会う必要もなかったかな?」


「キューちゃぁん……筋肉痛治せる発明ってない……?」


 放課後、飯酒盃の家ではおかきを含めて4名のカフカが集められていた。

 そして多忙の局長に代わり、今回の指揮を執っているのはたった今12本目のビールを空にした飲んだくれである。


「ふぅ、ではここからは代理指揮責任者として話します。 あなたたち4名に与えられた任務について解説するわね」


「ボクいっつも疑問だったんだけどさ、なんでこの人アルコール量と正気度が反比例してるの?」


「おいらにだってわからないことくらいあるさ、すごいよね人体」


「はいそこ私語厳禁ー! ……ごほん、それではまずこちらの写真を見てちょうだい」


 飯酒盃がスマホの画面に表示された写真には、椅子に腰かけたままカメラに向けてほほ笑みかける女性が写っていた。

 緩くウェーブがかった髪を紐で結い、膝の上に手を重ねて笑う垂れ目の女性の背後には、祝いの花が飾られている。

 一見何らかのイベントを切り抜いた画像だが、おかき――――否、「早乙女 雄太」には写真の女性にどことなく見覚えがあった。


「…………先輩?」


 雄太の脳裏に、数少ない一度目の学生生活の思い出がよみがえる。

 慈母のような穏やかさでほほ笑む女性は、雄太が所属していた部活の先輩だった。

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