第71話
「ただいま戻りました」
「おかえりー……って、ずいぶん歓迎されたみたいね」
「ええ、まあ」
敵地から生還したおかきの両手には、山盛りのお菓子やプロテインが抱えられていた。
すべて敵チームからプレゼントされたものであり、相当かわいがられたのが見て取れる。
「ひとまずこのグラウンド上ではお互いにイカサマなしという条件で手を打ちました、ここから先は実力勝負です」
「なんだ、てっきり脅して勝ちをねじ取ってくるものかと思ってたけど」
「さすがにあの証拠だけでそこまでごり押しはできませんよ、それにせっかくの球技大会なのに無効試合はつまらないでしょう?」
「この試合を純粋に楽しんでるのはあんたぐらいよ、おかき」
「そこ2人ー、攻守交代の時間やで。 はよ守備につきー」
「はいはーい! おかき、そのお菓子はベンチに置いておきなさい。 これ以上の失点は防ぐわよー」
「0点で抑えて、まずは1点返すところからですね」
――――――――…………
――――……
――…
「くっそー、新人ちゃんめ! しっかりとこっちに釘を刺してくるー!」
それから先の展開は、どちらも譲らない一進一退の展開が続く。
ウカと忍愛、両者のエースは能力を縛っても人並外れた技量を有するものだ。
7回の裏まで終わってもなお、忍愛たちは1点のリードを首の皮一枚で守っていた。
「やだねぇ、背中から追いかけられる展開ってのは……特に相手がパイセンってのがね」
忍愛は知っている、稲倉 ウカという人物のしつこさを。
一度買った恨みは晴らすまで忘れない、それこそ末代まで祟り尽くすほどに。
ゆえに忍愛はウカをおちょくるさい、常に無意識レベルでこまめに怒りを発散させることを忘れない。 もし本気で狐の尾を踏めばシャレでは済まないと本能で理解しているのだ。
「1点打てば1点取り返す、一度空振ったコースは二度と通さない……敵に回すとこれほど面倒な相手はいないね」
「キャプテン! そろそろゴリ山が投球限界っす!」
「これ以上は部活に支障が出るんでNGです!!」
「OK、わかった。 いよいよここからボクの出番だね」
この日のために用意した野球帽を目深にかぶり直し、ロージンバッグを握った忍愛は自信たっぷりの笑みを浮かべる。
総合的な実力でいえば、ウカと忍愛にそこまで差はない。
だがここまで体力を温存し、さらに「イカサマ禁止」というルールは忍愛にとって大きな追い風だ。 なぜなら、小細工せずとも単純な身体能力ならウカに負けない自信を持っている。
「わっはっはっは! 詰めが甘いね新人ちゃん、ここから先は1点も取らせやしないよ!」
ゴリ山に選手交代のサインを出し、忍愛が堂々とマウンドへ上がる。
……大きな野望を抱いて慢心した忍愛は失念していた、藍上
おかきがその程度の事実を見落とすのかということに。
『3番、サブローに代わりまして代打、藍上』
「うぇっ?」
「どうも、私です」
ウカとの直接対決目前、3番打者に代わって打席に立ったのは、たった今詰めが甘いと揶揄されたおかきだった。
身の丈に合わぬユニフォームとヘルメットを装備し、長いバットを構える様は背伸びをした小学生にも見える。
「だ、大丈夫新人ちゃん!? ここは戦場だよ、女子供でも容赦ないよ!?」
「戦場ではないですけども、球技大会ですよ?」
「そうだけども……」
「キャプテン、加減してくださいよ加減!」
「さすがの山田でもまさか初等部の子どもいじめたりしねえよなぁ!!?」
「高等部です」
「山田ァ! 敬遠でいいって、4番との勝負に集中しろ!」
「山田言うな! ぐぬぬぬ……!」
忍愛はためらう、このままボールを投げて本当にいいのかと。
おかきのフォームはド素人、ホームランどころか忍愛を相手に前へ飛ばすことさえ難しい。
それでも交代するなら何か意味があるはずだが、その意図が読めない。
「…………いいさ、企んでいるなら何もさせなければいい」
忍愛はキャッチャーへ合図を出し、おかきの手が届かない位置へミットを構えさせる。
仲間から言われた通り、敬遠する構えだ。 どんな企みだろうとバットを振らせなければ意味はない。
そもそもおかきはその背丈からしてストライクゾーンが狭い、まともに狙っても死球やフォアボールのリスクが増える。 ならば最初から歩かせた方が安全だ。
「ボールッ!! フォアッボオオオオオオオオオオオオオオオオオッッッル!!!!」
「BOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!!!!」
「まあ、こうなりますよね」
ウカチームからのブーイングを受けながらも、忍愛の配球に迷いはない。
特に危なげなく敬遠が決まり、おかきはバッドを置いて一塁へとゆっくり歩いて行った。
「……こ、こわぁ……新人ちゃん敵に回すと何するかわかんないなこれ」
「ほんなら気心知れたうちと戦ろうや、山田ァ……!!」
「山田言うな! だけど、一年ぶりにぎゃふんと言わせられるチャンスが来たねぇパイセン!」
おかきに続いて打席に立つのは、殺気を漲らせてバッドを構えるウカだ。
この打席は敬遠を投げるわけにはいかない、甘い球は無理やり食らいついて場外まで吹っ飛ばされる。
ベンチの仲間たちをそれを無言で察し、固唾を飲んで2人の戦いを見守った。
「はよ投げえや、雲の上までバチ飛ばしたるわ」
「言ってな、すぐに後悔させてあげるから――――さぁ!!」
ほぼ予備動作もなく、不意打ち気味に投げられた球はまっすぐキャッチャーミット目掛けて飛び込んでいく。
球速は150㎞手前、緊張の隙を狙った投球はそう簡単に打てるものではない。
まずは1ストライク、確実に取った……そのはずだった。
「――――ドンピシャァ!!」
だがしかし、ウカは待ってましたと言わんばかりに飛んできた球を芯でとらえて撃ち返す。
綺麗に跳ね返った打球は、意趣返しと言わんばかりに電光掲示板へと突き刺さる。
「な……なんでぇ!?」
「わはは、なんでやろなぁ? ウチはいっさいズルしてへんでー」
上機嫌に笑いながら、ウカはおかきと一緒にベースを凱旋する。
タネがないはずがない。 忍愛の投球は完璧だった、とっさに反応できても凡打が関の山だ。
それをホームランに変えるなんて、事前に投げられるコースが分かっていない限りは……
「…………あっ」
「ごめんなさい、忍愛さん。 約束しましたからね、このグラウンド上ではイカサマなしと」
ホームベースを踏んだおかきの手には、誰かと通話がつながったままの携帯が握られていた。
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