第70話

「いい、ウカ? まともに勝負しちゃダメよ、球数は増えるけど敬遠が無難ね」


「わあっとるけどあいつとの勝負から逃げるのはなんか癪やな……」


 事件が起きたのは2回の裏、山田の打順が回った時だった。

 間違いなく敵の最強打者を前にウカたちも警戒、投球前に軽い作戦会議が行われる。


「へいへーい! ピッチャービビってるぅー! へいへいへーい!!」


「別に出塁させるなら死球でもかまへんとちゃう?」


「それもそうね」


「駄目ですからね?」


「2割冗談や。 ただ山田相手なら敬遠投げるのも一苦労や、多少の悪球は無理やり打ってくるで」


「8割本気じゃないですか」


「なら審判の心象は下がるけどボークでもやってみる? たしか投げるフリだけするとペナルティで進塁されるのよね」


「しかしあれは塁上に走者がいないと成立しないのでは?」


「プレイボ……プレイボ……」


「あかん、審判がぐずりだしたわ。 しゃーない、みんな守備に戻っときー」


 しびれを切らした審判の姿を見て、ウカが皆をそれぞれの守備ポジションへ追いやる。

 タイムを使わずに長々と相談できるのはこれが限界だ、次回からは注意を受けることになる。

 それでも反則スレスレで時間を稼いだおかげで、ウカの疲労も少しは緩和された。


「待たせたなぁ山田、ど真ん中ストレートぶん投げたるから覚悟しとき」


「やだなぁ、センパイそこまでコントロールよくないでしょ? どこでも打って見せるから安心して投げなよ」


「ほんじゃまお言葉に甘えて――――――死に晒せえええええええええええええええ!!!!!」


「8割の殺意!!」


 咆哮とともに放たれた渾身の一球は、忍愛の頭部目掛けて迷いなく飛んでいく。

 スポーツマンシップなど鼻で笑う残虐行為に、チーム・忍愛の生徒(+ゴリラ)は悲鳴を上げた。

 

「――――ま、センパイならそうするよねぇ」


 ただし、当事者である忍愛は一人を除いて。

 プロ野球選手もかくやという剛速球を前に、バッターボックスから一歩も動かず、上体を大きく逸らしてバットを振るう。

 曲芸的な打ち方にもかかわらず、芯を捕らえた打球は一直線に電光掲示板へ飛び込んだ。


「―――――ホームラァーン!! いやー、走者が溜まってないのがもったいないねぇ」


「ん、なぁ……!」


――――――――…………

――――……

――…


「すまん、うちの殺意不足や……!!」


「殺意不足」


「気にすることはないわ、次で取り返せばいいじゃない。 今度こそ確実に仕留めましょう」


「確実に仕留める」


 何とか1点の失点で抑えた返しの3回表、チーム・ウカの空気は重苦しかった。

 たかが1点、されど1点。 いまだ走者を出せない現状、失った1点の重みは計り知れない。


「こういうスポーツには流れっちゅうもんがある、どうにかあのゴリラから一本打たんとこのまま0点で負けるで」


「オレ、シュツルイ、デキナカッタ、セキニン、アル」


「磯野は悪くねえよ、俺たちもゴリラ相手に不甲斐ない……」


「ストライッ!! バッターアウウウゥウゥゥァァ↑!!」


「そうこうしてる間に1アウトや、悔しいけどホンマに上手いなあのゴリラ」


「…………」


 ウカたちが議論を交わす横で、おかきはただ打球のやり取りを観察していた。

 相手ピッチャーの球速はたしかに速いが、さきほどの殺意が籠ったウカの球に比べれば目も慣れてきた。

 コントロールが良いというのもあるかもしれないが、ここまでバットに掠りもしないのがおかきには不自然だった。


「おかき、どうしたの? なんか気になることでも?」


「……甘音さん、ちょっとこれ持っててください。 そのままズームで撮影をお願いします」


「ん、はいはい。 でもこれ私が持ってていい奴?」


 おかきが甘音へ預けたのは、SICK特製の携帯端末スマホだ。

 秘密組織お手製だけあり、一般的な物よりも性能は格段に高い。 もちろん、搭載されたカメラの性能も比べ物にはならない。


「ストライッ!! バッターアアアアアアアアアアゲホッゴホゲホッ!!!!」


「もうあのおっさん退場させとき」


「これで2アウト、私も打てるかわからないわねあれは」


「……何とかなるかもしれませんよ、甘音さん」


「おっ、なんや名探偵。 ゴリラの弱点でも見つけたん?」


「いいえ、どうやら相手もウカさんのようにズルしていたみたいです」


――――――――…………

――――……

――…


「ふっふっふっ、この回も無失点で抑えられそうだねぇ!」


「さすがだぜゴリ山、いいピッチングしてるぜ!」


「野球部のホープは伊達じゃねえ、今日はいつもよりキレてやがる!」


「待ってろよ、必ず優勝してお前の母ちゃんに会わせてやるからな!!」


「そしてこのクラスに念願の女子を迎え入れる!!」


「おっとうちの男子はボクが見えてないのかな?」


 苦虫を嚙み潰すウカたちに比べ、忍愛が率いるチームはすでに勝ちを確信していた。

 そもそも向こうとは勝負に立つ前から違う。 去年球技大会を蹂躙した忍愛がキャプテンを務める以上、そこへ集まるメンバーの質もより取り見取りだ。

 野球部のエースから癖の強い一芸選手まで揃え、さらに今もこうして「細工」を挟むことで三振の山を築いている。 盤石の状況と言ってもいい。


「わっはっはっは! ちょっとむさ苦しいのは玉に瑕だけど、こりゃ目を瞑っても余裕だよ! センパイの悔しがる姿が瞼に浮かんでくるねえ!!」


「忍愛さん忍愛さん、ちょっといいですか?」


「なんだい新人ちゃ……あれぇ新人ちゃん!?」


 ベンチにふんぞりかえって高笑いする忍愛を、おかきが背後から覗き込む。

 本来なら敵チームにいるはずの“優勝賞品”が現れ、周りの選手たちからもどよめきの声が上がった。


「ちょちょちょ、誰かな新人ちゃん通しちゃったの!?」


「はい、自分っす! 可愛かったので顔パスっした!!」


「ボクとどっちが可愛い?」


「おかきさんっす!!」


「連れて行きなさい」


「イヤダアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!!!」


 屈強な選手たちに連行される犠牲者をしり目に、山田は襟を正しておかきへ向き直る。

 目前の名探偵を敵として警戒しているからこそ、佇まいから情報を悟られないように。


「それで、ボクたちに何の用かな? 降伏ならいつでも受け入れるけど」


「とりあえず妨害工作は止めてください」


「な、なんのことかなぁ~?」


「指弾というものですか? ゴリ山さんの投球に合わせて、スイングの瞬間に小石を当てて軌道をずらしてますよね」


「………………」


 目をそらし、脂汗を垂らす忍愛の手から何粒もの小石が零れ落ちる。

 おかきも実際の投球をスロー再生で確認したからこそ、ベンチから石を弾き飛ばして打球の軌道を曲げるという荒唐無稽なトリックに初めて気づけた。

 普通ならば疑う事すらしない、だからこそ忍愛もしらを切り通せると踏んでいた。


「な、なんのことかなぁ? そんなことただの可愛い女学生にできるわけないじゃん? やだなぁ新人ちゃんったら冗談きついんだから~」


「動画も残ってますよ、見ます?」


「いやいやいや、トリック動画でしょ? そんなもの見せても誰も信じてくれないって」


「理事長ならどうでしょうか? “面白い”が最優先なので、私の言いくるめ次第ですがどうにかなるかもしれませんよ」


「よし分かった、ボクの分が悪い。 何が望みかな」


「いえ、なにも。 ただ―――――」

 

 提案を述べるおかきの笑顔には、有無を言わせぬ圧がある。

 どのみち弱みを握られている以上、忍愛に断るすべはない。 選択肢がない二択を迫られ、ただ頷くしかなかった。

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