第10話

「……最初にこの店に入ってきたときから、違和感はありました」


 額から玉のような汗を流しながら、おかきは気丈に言葉を振るう。

 目の前の女性はそこに立っている、ただそれだけのことがひどく恐ろしい。

 次の瞬間に絶命するかもしれないという恐怖と戦いながら、おかきは必死に頭を回転させていた。


「入店の順番ですが、男性が先だったんですよ、あなたではなく」


「んー、それの何がおかしいんや?」


「えーと、もしウカさんが人質を取るとしたらどうします? 銃やナイフを持っていたとして」


「そりゃ後ろから銃突きつけて……あっ」


 人を脅して移動させる場合、自然と脅迫者は背後に回る形になる。 だが爆弾魔たちは、男が先頭となってこの店に入ってきたのだ。

 おかきもつい最近、背後から銃を突き付けられて拉致された経験があるからこそ気づけたことだ。 


「そのときはまだ違和感程度でした、しかしその後もあなたはちょくちょく命乞いをするようなそぶりで、男性の行動を操っているような気がして」


「あら、その程度の根拠で追い詰めてみたら偶然当たっちゃったわけ?」


「決定的なのは、ウカさんが天井から奇襲を仕掛けた時でした。 私が背後を指さしたとき、


「…………」


「私の演技が棒だったのもあるでしょうけど、それでもあなたがただの被害者なら反射的に振り返ってもおかしくはない」


「騙されなかったのは、あなたの演技がブラフと気づいたから」


 おかきの言葉を、不気味な笑みを浮かべた女性が引き継ぐ。

ヘビのように絡みつくじっとりとした視線に、おかきは一瞬たじろいだ。


「せやからおかきは、うちにこっそりお前の動向を気にしてくれって指示出しとったってわけ。 ……ええ加減往生せえ、お前はいったい何者や?」


「あら、邪魔しないでよ狐ちゃん、私は今こっちのかわい子ちゃんと話してる。 それとも力づくで搾り上げて……」


「“かけまくもかしこき倉稲魂大神うかのみたまのおおかみよ、常世現世とこようつしよの仲執り持ちがかしこみもうす―――――”」


 ウカが厳かな声色で何事かを唱えると、彼女の傍らに二つの狐火が現れる。

 それは瞬く間に1m以上の大きさに膨れ、狐の形を成してうなり声を上げ始めた。


「あら、すごい手品ね。 でも子供だけで火遊びは危険よ?」


「じゃかあしいわ、火傷したくなけりゃさっさと降伏しい」


「うふふ、怖い怖ぁい……けど、こんな火薬まみれの場所で火をたくなんてちょっと不用心じゃない?」


 すると女性は突然、足を振り抜いて自らの靴をウカへと蹴り飛ばす。

 すぐさま傍らの狐火が飛び出て射線を遮るが、靴と炎が触れた瞬間、小さな爆炎を上げてウカとおかきの視界を奪った。


「チッ、靴にまで火薬仕込んどったか! おかき!!」


「ケホッ! わ、私は大丈夫……」


「楽しかったわ、探偵さん。 お礼にこれあげる」


 煙によって視界が奪われたその一瞬、ほんのわずかな隙。

 決して油断していたわけではない、それでも女はウカと狐火の間をすり抜け、おかきの目前まで迫っていた。

 

その手に握った、小さな目覚まし時計をおかきに投げ渡しながら。


「―――――えっ?」


「あかん、逃げろおかき!!」


 ウカの声や心臓の音よりも、おかきの耳には時計が刻む秒針の音の方がはっきりと聞こえた。

 スローモーションに見える景色の中、宙を舞う時計の針は今まさに12時ちょうどを指そうとしている。

 爆弾、時計―――――もしすべての針が12時に重なった時、何が起きるかなんてわかりきっている。


 だが頭の回転に足は追い付かず、逃げようにも残された時間はあまりにも少なかった。



「―――――あっれぇー? もしかしてセンパイしくじっちゃった?」


 おかきが死を覚悟したその時、ガラス窓を蹴破って一陣の風が飛び込んできた。

 ピンク色のそれは瞬く間におかきの目前まで迫ると、華麗な回し蹴りで目覚まし時計を吹き飛ばす。

 そしてガラス戸を突き破った時計は、路上をツキジめいて転がった瞬間、タイマーが作動して哀れ爆発四散した。


「――――いっえーい! やっぱりボクって天才的? 可愛い? しかもピンチに頼れちゃうって最強じゃないかな?」


「えっ、え……? だ、誰?」


「おい山田ァ!! 何遅れてやってきて調子ぶっこいてんねん!!」


「ちょっとぉ、いつも名字で呼ばないでって言ってるじゃんパイセン! しかも後輩ちゃんの前で!!」


 狐火を連れたウカと、乱入してきたピンク髪の少女が言い合いを始める。

 カーディガンを羽織った制服姿に、血のように赤いマフラー。

 そして秋服の厚みからでもわかるほど、その少女の胸は豊満であった。


『やあやあ、助っ人が間に合ったかな。 全員無事?』


「はいはいはーい! ボクこと忍愛しのめが華麗に綺麗に美麗に解決しちゃいましたー、褒めて褒めて?」


「……ウカさん、こちらのギャルは?」


「こいつは山田 忍愛、さっき話しとった11号や。 呼び名は山田かカスでいいで」


「キューちゃーん! いじめだよ、可愛いボクがいじめ受けてるよ!!」


『はいはい、アイドルじゃないんだからその自己主張はやめようね。 それよりあの

爆弾犯は?』


「えっ、爆弾犯? ……あー……ボクのあまりに華麗な登場に怖気づいてどこか行っちゃったかな?」


 今の騒動に紛れて逃げたのか、気絶している男だけを残し、あの女性の姿はどこにもない。

 ウカやおかきの目を逃れて逃げた手際を考えれば、今から追いかけるというのも難しいだろう。


『よーしやっちゃっていいぞウカっち、顔は駄目だよ腹狙え腹』


「よっしゃ歯食いしばれ山田ァ!!」


「ちょっと待ってちょっと待って謝るから痛くしないでやさしくあ゛び゛ぁ゛ー!?」


「……キューさん、いつもこんな感じなんですか?」


『そだねぇ、いつもよりはまだ大人しいかな』


「これでまだ……おっと」


 おかきが尻もちをついてその場に倒れる。 

 一度は爆死しかけ、九死に一生を得た安堵からか、おかきは膝が震えて立ち上がれない。


「おかき、大丈夫か!? すまん、うちの判断ミスや!!」


「だ、大丈夫です……ちょっと安心して、腰が抜けてしまって」


「えー、新人ちゃんちょっとビビりすぎじゃなーい?」


「“かけまくもかしこき……”」


「初めての修羅場にしてはよく頑張ったとボクは思うな!! とても偉い!!!」


「まあまあ、忍愛さん……でしたっけ? ありがとうございます、助けていただいて」


 おかきが膝をついたまま、同じく腹を抑えて地に伏す忍愛へ頭を下げる。

 爆破の威力からして、あのままなら距離のあったウカはともかく、おかきは間違いなく死んでいた。

 あの瞬間、命をつなぐことができたのは、風のような速度で駆け付けてくれた忍愛のおかげに他ならない。


「あんま褒めんといてな、こいつすぐ調子に乗るから」


「センパイ、ムチのほかにアメも与えないと人材って育たないんだよ?」


『なんだ、アメがほしいならやるぞ。 味噌田楽味』


「あっ、局長」


 宮古野と交代したのか、端末のスピーカーから聞こえてきたのは麻里元の声だ。

 

『災難だったな、おかき。 事後処理はこちらで行おう、君たちは三人そろって一度基地に戻る様に』


「ちょっと待ちぃ局長、あの女はどないすんねん?」


『今SICKのエージェントが足取りを追っているが、周囲の監視カメラに手掛かりひとつ映っていない。 追跡は厳しいだろう』


『副局長より伝達ー、ファミレスの映像を解析したところありゃ特殊マスク被ってるよ。 顔認証で探すのも無理だ』


「変装していたってことですか、全然気づかなかった……」


 おかきの胸に若干の後悔がにじむが、あの状況では女性よりも起爆装置を握る男の方へ視線が向いてしまう。

 あの場にいた誰もが気付かない状況で、おかき一人だけに責任があるわけではない。


『なに、おかきちゃんは十分お手柄だったよ。 君がいち早く気付いたからおいらたちも素早く手回しできたんだ、後手後手に回っていたら爆弾の解除する怪しかったぜ?』


「せやせや。 さすが探偵、いい仕事してたで」


「ねえボクは? ボクはもっと褒めてくれないの?」


「心臓に毛が生えとってうらやましいなあ」


「えっへへへへ、それほどでも……」


『そこのバカは放っておけ、そちらに迎えの車が到着しているはずだ。 人目に付く前にさっさと戻ってこい』


「はい、すぐに帰還……おっと」


『どうした、何か気になることが?』


「いえ、危うく忘れ物をするところでした」


 おかきは自分たちが座っていたテーブルから、席に置いてあった荷物を回収する。

 幸いにも服に被害はない、これまで失ってしまったら恭一日の苦労が水の泡になるところだった。

 そして今度は決して忘れぬように、おかきは紙袋を抱きしめながらウカたちとともに帰路についた。

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