第9話

『……稲倉、可能なら状況を手短に伝えてくれ』


「ファミレス、ダイナマイト、人質」


『了解した、犯人を刺激しないように画面は落とせ、こっちで勝手に音声だけ拾おう』


「おおきに〜……ほなまた」


「―――――――――きゃあああああああああアアアアアアア!!!」


 ウカが局長の指示通り、端末の画面を落とすとほぼ同時に、状況を理解した店員の甲高い悲鳴が上がる。

 その瞬間に店内のパニックが一気に炸裂、誰も彼もが我を忘れて逃げ惑い始めた。


「おかき、危ないから壁際に寄っとき、うちらのサイズじゃ巻き込まれたら怪我するで」


「落ち着いてますね、ウカさん」


「おかきもやろ、まあカフカんなった時に比べたらなぁ」


 店内をひっくり返したような騒ぎの中、おかきとウカの2人は人の波に巻き込まれないよう隅の方で静観する。

 後頭部に銃を突き付けられたり、竜の遺体を見せられた時に比べれば、もはや爆弾魔が現れた程度ではおかきの心は揺らがなかった。


「や、やめて! みんなこの人の言う通りにして!!」


「う、うるせえぞテメェら!! 今すぐ店ごと吹き飛びたいのかァ!!?」


 そして浮足立つ客たちに男の怒号が飛ぶと、店内は水を打ったように静まり返る。

 男の目は血走り、爆弾のコードと繋がったスイッチを握りしめている。 逃げようものなら本当に押しかねない。


「ラリっとるんか? 強盗ならよそでやってほしいわ……」


「いえ、ならば爆弾よりも銃か刃物を振り回すはずです。 それに強盗は人質を連れてくるものじゃないですよ」


 男のそばには、青い顔で震えている若い女性が付き添っている。

どうも共犯者という様子ではない、他の客と同じく男に対して怯えた表情を向けていた。


「も、もうやめて……ください……お願い、家に帰して……!」


「サチ、何を言っているんだ? お、思い出すだろう、俺たちはよく母さんとい、一緒にここで食事したじゃないか!」


「知らない、知らない、知らない、私はあんたなんて知らない!! お願いだからこんなことやめて、他の人を巻き込まないで!!」


「痴情のもつれにしては関係性が複雑やな、昼ドラか?」


「いえ、男の方がなにやら妄執に囚われている……ように見えますね」


 見たところ、男は精神的にかなり病んだ状態にある。

 無関係の女性を「サチ」という人物に見立て、思い出の店であるこのファミレスへ足を運んだ、というところだろうか。


「それともあるいは……ウカさん、あのタイマーの表示は読めます?」


「うちには残り10分切ってるように見えるわ、せっかちな犯人やでほんま」


「できれば私の見間違いであってほしかったんですがね……警察は間に合うかな」


 おそらく麻里元たちが手配していると考えても、到着まで3~5分はかかる。

 そこから立てこもる爆弾魔に呼びかけ、突入し、爆弾の解除まで、とても10分で片付くスケジュールとはおかきには思えなかった。


「どないする? おかきだけなら逃がせるで、うち」


「逃げません、私たちで何とかしましょう」


「へえ、即答か」


 おかきの提案に、ウカが犬歯を見せて笑う。

 もしおかきが二つ返事で逃してくれと頼んでも、ウカはきっと応えてくれた。

 だがその場合、ウカは背中を預けられる相手としてこの小さな後輩を信頼しなかっただろう。


「ここから1人で安全圏に逃げる勇気はないですから……それで、どうしますか?」


「一瞬気そらしてくれたらどうにかしたる、いけるか?」


「……努力はしてみます」


 おかきは一瞬だけ思案すると、何を思ったのかおもむろに卓上の呼び出しボタンを押す。

 そして緊張感が張り詰めた店内に鳴った「ピンポーン」と気の抜けたコール音は、爆弾を巻いた男の神経を逆撫でした。


「やめて、この人を刺激しないで!」


「だ、誰だ今のはぁ!? ぶぶぶぶっ殺してやる!」


「ご、ごめんなさい! 間違ってボタンに触ってしまって……!」


 人質の女性の悲鳴と男の剣幕に、おかきが手を上げて答える。

 こっそりグラスの水で目尻を濡らし、涙を演出する名演に、ウカを除く全員の視線がおかきへと向けられた。


「お、お前か、お前が俺とサチの邪魔をぉ!! 台無しじゃないか、せっかくの誕生日が!!」


「ごめんなさいごめんなさい! た、誕生日だったんですか……その、サチさんの」


「そうだ、そうだ……サチはいい子で、あの時も…時…あの頃はよかった、楽しかった! 家族があって、借金もない、みんな幸せだ……幸せだった……?  幸せだ!!」


 頭を掻きむしりながら、男は支離滅裂な言葉を紡ぎ続ける。

 視線は左右で異なる方向を向き、起爆スイッチを握る手は小刻みに震えている。

 その場の誰もが、男がなんらかの薬物中毒に陥っているのだと察せられた。


「なぁサチィ! 一緒に歌おう、ハッピーバースディだ! お父さんな、ロウソクも用意したんだぞ!」


「いや! 来ないで、やめて!!」


「待ってください、一度落ち着い――――ウカさん、そんなもので殴ったら死んじゃいますよ!?」


「なにっ……!?」


 おかきの叫び声にいち早く反応した男が、背後を振り返る。

 だがそこにはウカどころか誰もいない。 騙された、と気づいた時には遅かった。


「ベタやけどようやったな、おかき。 アカデミー賞はお前のもんや」


 たしかに男たちの背後には誰もいなかった、それもその筈だ。

 ウカは背後ではなく、天井に足をつけて男たちを見下ろしていたのだから。


「はっ? な……なんだてめぇ!?」


「じゃかあしいわ、おどれこそよくもランチタイム邪魔してくれたなぁー!!」


 怒りと共にウカは跳躍し、落ちる勢いも合わせて手にしたワインボトルを男の脳天に叩きつける。

 赤い液体とアルコール臭を撒き散らして砕けたボトルは、男の意識を刈り取るのには十分な一撃だった。


「っしゃぁー! 食い物の恨み思い知ったか!!」


「お稲荷様が言うと凄みがありますね、

そんなボトルどこから持ってきたんですか……」


「隣のテーブルに置いてあったから借りたわ、止めは刺してへんから安心してな」


「当たり前ですよ、それより爆弾これどうしよ……」


『はいはーい、聞こえるかなおかきちゃん。 その問題はこの天才が解決しよう』


 おかきが残り5分を切ったタイマーを前に手をこまねいていると、ウカが持つ携帯から気の抜けた声が聞こえて来る。


「キューさん、聞いてたんですね」


『おかげさまでね。 ウカっち、カメラ起動して爆弾撮って』


「ほいほい、こんなもんでええか?」


『100点だ、そして不細工な設計だねぇ。 小賢しいトラップもないから蓋開けてコード切れば止まるよ、刃物かバサミ探して、手順はおいらが指示する』


「カトラリー……じゃ流石に切れませんね」


「店員さん、厨房から包丁かキッチンバサミ持ってきてや! あと客の避難誘導頼むで!」


「は、はい!」


 男が気絶したことで、恐慌から解放された店員が忙しなく動き始める。

 おかきたちの正体なんて気にしている余裕もなく、あっという間に店内には4人の人間のみが取り残された。


「おかき、間に合うか?」


「どうでしょうね、爆弾解体なんて初めてですから。 お先に避難してもらっても構いませんよ」


「アホ、後輩置いて逃げ出せるか。 失敗しても何とか守ったるから安心しぃ」


「心強いですね。 ……それとウカさん、これ」


「ん? ……ああ、了解」


 おかきが自分の携帯に文章を打ち込んで画面を見せると、ウカが短く頷く。

 そしておかきはまず、気絶した男の時限爆弾を解体し始めた。


「えっ、な、なんで……?」


「すまんな嬢ちゃん、ちょっと待っとってな。 順番や順番」


「や、やだ! 死にたくないのに、なんで!? なんでそっちが先なの!?」


『おかきちゃん、そこの束になってるコードは全部切っちゃって良いよ』


「わりと適当なんですね、爆弾解体……」


『今回は子供の工作レベルの出来だからね、おいらなら100均でももう少しマシな仕上げにできるのにな』


「聞かなかったことにしておきますね……全部切りました、次は?」


 泣き叫ぶ女性を無視し、おかきは淡々とコードを切断していく。

 時間はすでに3分を切っている、たとえ男の爆弾を解除したところで、女性の分まで間に合うか怪しくなってきた。


「お、お願い……もう時間がないの、助けてよ、ねえ! 何でそっちの子は見てるだけなの!?」


「すまんな、うち不器用なもんで」


「そもそも、あなたの爆弾は解除する必要がないですよね?」


「…………えっ?」


「タイマーだけのダミーでしょう、それ。 


 おかきの指摘に、女性は凍りついたかのように動きを止める。

 そして次の瞬間、顔面から感情が消えた女性は、気絶する男の側に落ちている起爆装置へと素早く手を伸ばした。


「……ほーう、それがあんたの本性ってことでええんか?」


「―――――は?」


 女性は起爆装置を握り締め、そのスイッチを押した……ように見えた。

 だが爆弾は起爆することなく、代わりに店内に響いたのは「ピンポーン」という気の抜けたコール音だ。


「どないした、ような顔して。 店員呼んでも誰も来ぉへんで?」


 女性が握るスイッチが陽炎のように揺らぐと、それはファミレスの呼び出しベルへと形を変える。

いや、もともと呼び出しベルだったものに、偽の幻を被せてあったのだ。


「おかきの言う通り、警戒しとって正解やったな。 お前何もんや」


「…………いつから気づいてた?」


 これ以上はごまかしきれないと踏んだか、人質の女性は自ら身に着けていた時限爆弾のベルトを外す。

 そこに先ほどまで涙を浮かべて怯えていた被害者の姿はない。

 この日、おかきは生まれて初めて、“殺意”というものを肌で感じた。

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