第2話

「騙した私たちが言うべきことはではないが、君はもう少し警戒心を持った方がいいぞ?」


「はい……肝に銘じます」


 そして時系列は冒頭へと戻る。

 やや呆れた口調で話しかけてくるのは、向かい合う席に足を組みながら座っている赤髪の女医だ。

 そして雄太の真後ろには、冷ややかな目で銃口を向ける先ほどの看護婦。 そのほかにも女医の奥で控えている何人かの気配も感じる。


「ちなみに防音設備もしっかりしているので大声を出しても無駄だ、まあ声を出す前に君の眉間に風穴が開くだろうがな」


「……あなたたちは、一体何者ですか? ただの医療従事者ではないですよね」


「話が早くて助かる。 私の名は麻理元 瑠璃まりもと るり特殊Special情報Information封鎖Contain管理局Keeper……あー、通称SICKシックの局長だ。 カフカ症候群症例13号である君をとっ捕まえるために来た」


「シック? カフカ症候群? なんですかそれ……」


「知らなくて当たり前だ、秘密組織なのでな。 君が患っている“カフカ症候群”も徹底的な情報封鎖が行われている」


「私が……って、病気なんですかこれ!?」


「ほう、“私”ね。 自分の変化に気づいているか?」


「……!?」


 雄太は恐ろしい事に気付き、ハッと自分の口を抑える。

 麻理元と名乗る女医に指摘されるまで、自分の事を「私」と呼称した違和感を自覚できなかった。


「ああ、落ち着け。 自覚症状がないのは良いことだ、そのまま自然体でいてほしい」


「………………わ、私の身体に何が起きたか、教えてくれますか?」


「もちろんだよ、その為にこうして顔を合わせたのだからな」


 麻里元は白衣の下からタバコの箱を取り出し、慣れた手つきで一本取り出す。

 仮にも病院で喫煙するのか……と思いきや、取り出されたのはタバコではなく棒付きキャンディーだ。


「禁煙中でね。 君も食うか?」


「…………いえ、遠慮します」


 包み紙に記載された「塩バター昆布味」の文字を確認し、丁重に申し出を辞退する。

 すると麻里元は少し残念そうな顔を見せ、包み紙を剥いたキャンディーを自らの口へと放り込んだ。


「少し話が長くなる。 何から話そうか……まず、フランツ・カフカの"変身”という小説は知っているか?」


「えっと、たしか目を覚ますと虫になっていたという話ですね。 病名の由来もそれですか?」


「話が早くて助かるよ。 事の発端は3年前、ある奇妙な患者がこの病院に担ぎ込まれたことから始まった」


「この病院に、ですか」


「ああ、末期癌を患った女性だった。 結局搬送された時点で手の付けようがなく、1か月後にはなくなった……が、問題はそこではない」


 口内で転がしていたキャンディーをかみ砕くと、手元のパッドを操作し、とある画面を開く。

 それはどうやらこの病院で診察を受けた患者のカルテをまとめた電子アプリのようだ。 雄太に見せられたのは、話題に上がった女性患者のものだろう。

 部外者に見せていいのか? 雄太が一瞬視線を向けると、麻里元はうなづいて許可を出す。


「もう一度言うが、事件の発端は3だ。 カルテの記載をよく見てくれ」


「……あの、この女性は5に亡くなっていますけど」


 麻里元の話と、電子カルテに記載された死亡年月日が合わない。

 麻里元の話しぶりからして、本人の記憶違いということではなさそうだ。 だとすればこの2年間のズレはいったい何なのか。


「当時の病院はてんやわんやだったよ、同じ女性が2年越しに死に直したんだ。 結論から言えば、正しい死亡日時は5年前であっている。 そして3年前に緊急搬送されたドッペルゲンガーは……」


「……カフカ症候群だった?」


「正解だ、褒美にアメちゃんをやろう」


「いえ、結構です。 それより話の続きを」


「そうか……君の予想通りだ。 本人が死亡前に答えてくれたよ、自分は5年前に死亡した女性の恋人だったと」


 麻里元は差し出しかけた「味噌塩辛キャラメル味」のキャンディーを懐に戻し、何事もなかったかのように話を続ける。


「本人曰く、“朝、目を覚ましたらこの姿になっていた”ということだ。 姿だけじゃなく、血液型やDNA、それと死因となる癌症状まで完全に再現した状態でな」


「だから、カフカ症候群……」


「名付け親のしてやったり顔が思い浮かぶようだろう? ちなみに今日に至るまで、君を含め13名の発症者を確認している」


「3年で13名ですか、案外少ないですね」

 

「あくまで我々が確認している数に過ぎない、実際はさらに多いかもしれないな。 それに……おっと、失礼」


 ふいに携帯のコール音が鳴り、麻里元が懐から頑丈そうな端末を取り出す。


「麻里元だ、例の結果か? ……該当なし? そうか、わかった」


「……なんの電話ですか?」


「悪いが場所を変えよう、君に合わせたい人がいる。 裏に車を手配してある、お姉さんにも事情の説明が必要だろう」


――――――――…………

――――……

――…


「で、なぜに目隠しを……?」


「申し訳ないね、秘密組織なもので」


 麻里元によって案内された車内では、自分では外せぬように細工を施された目隠しを着けられた。

 エンジン音とわずかに感じる振動から、かろうじてこの車が走行中であることぐらいしかわからない。

 姉は別の車に乗せられているのか。 少なくともこの車内には、雄太を左右から挟む屈強な男と麻里元しかいない。


「目的地まで少し時間がかかる、なにか質問があれば答えよう」


「……姉貴はどうなりますか?」


「安心してくれ、手荒な真似をする気は一切ない。 我々は至極まっとうな組織だ、別にとって食って改造人間に仕立てたいわけじゃない」


「いきなり銃を突きつけられても信用できないです」


 目隠しをされてもなお、両脇を固める男たちは雄太を強く警戒している。

 まるで蛇に睨まれた蛙だ、挟まれた雄太本人からすれば生きた心地がしない。


「それは失敬、だが理由あってのことだ。 どうか許してほしい」


「まあ、納得できる説明をいただけるなら……」


「後ほど話そう、しかし自分より先に家族の心配か」


「悪いですか?」


「いいや、一人っ子だったものでうらやましくてね。 ほかに質問は?」


「……治るんですか? この病気」


「現状治療法は模索中だ。 便宜上は“病”と呼称しているが、そのメカニズムは我々も把握できていない」


 予想はできていた回答に、雄太の心が重くなる。

 この姿が戻らないのなら、今の仕事は辞めなければならないだろう、毎月の収入はゼロになる。

 そもそも戸籍はどうなるのか、再就職だって難しい。 しばらくは貯金もあるが、アパートの家賃も……


「戸籍などは安心してくれ、SICKが適当なものを用意しよう。 それにだ、カフカ症候群の研究に協力してくれるなら報酬も支払うぞ?」


「ほう、おいくらほどで?」


「返事が早いな、正確な額は担当に聞かなければわからないが……おおよそこのくらいか」


 麻里元が電卓アプリを開いて叩いた数字は、雄太の年収を鼻で笑う額だった。

 目隠しを外され、数字を追う雄太の目がどんどん丸くなる。


「い、いちねんでこんなに……?」


「いいや、毎月の報酬額がこれだ」


「月収!?」


 それはもはや雄太のキャパを超える話だった。

 そしてフリーズした頭は一度考えることをリセットし、全く別の話題に逃げようと口を開く。


「えっ、あ、えー……そ、そういえば目隠し外してよかったのですか……?」


「ああ、問題ない。 もう着いたからな」


「えっ?」


 提示された金額に目が眩んで気づかなかったが、車窓から見える景色は日中の高速道路ではなかった。

 おそらく地下に造られただろう、だだっ広いコンクリ張りの空間と、積み上げられた大小様々なコンテナは巨大な地下倉庫と言った印象を与えた。

 ……ただ、壁一面に展開された巨大なスクリーンと、そこへ映写された白衣を着た少女が怪しい薬を調合しているアニメさえ除けば。


「SICKの地下物資搬入口だ、車ごと運ぶにはこの出入り口が一番手っ取り早くてね」


「いつの間に地下へ……いや、それよりもあのアニメは一体?」


「“カソウケン!”というアニメだ。 12歳でハーバードを卒業した天才飛び級帰国子女が日本のごく一般的な高校に入学し、主人公を巻き込んで仮想科学研究動向会を開いてドタバタ学園青春ラブコメを展開するという……」


「いや、内容ではなくなぜ映写されているのかを聞いているんですけど」


「君に合わせたい人がいると言ったろう? こうしたほうが話が早いからな」


「はあ……?」


「あっ、いたいた。 おーい雄太ー! こっちこっちー!」


 大型スクリーンに圧倒されていると、先に到着していた姉が手を振って駆け寄ってくる。

 雄太とは違い、手厚い拘束や監視などはない。 ただ、姉のそばには白衣を着た背の低い女性が随伴していた。


「聞いたよ、やっぱなんか病気なんだって? 体は大丈夫なん?」


「姉貴……いや、俺は大丈夫だけどそっちの人は?」


「――――やあやあやあ、君がカフカ症例13号か! どれどれちょっと失礼ふむふむふむ、肌の張りは10代ってレベルかな? それにこの造形デザインは二次元モチーフ入ってるよねー、でもデータベースに該当が……」


「え、ええと……?」


「すまないな、そのうるさいのは如月 博士ひろし。 君と同じカフカ症候群患者であり、SICKの職員でもある」


「やめてよーおいらの本名呼ぶのは! おいらのことは原作に沿って宮古野みやこの きゅう、もしくは親しみを込めてキューちゃんと呼んでくれたまえ!」


「は、はぁ……」


 雄太は困惑していた。 しかしそれは目の前の少女が放つハイテンションな早口ばかりが原因ではない。

 視線は少女と背後のスクリーンを行き来する。

 あくまであれは空想アニメで、こちらは現実リアルのはずだ。


「局長、彼女にはどこまで説明を?」


「第一症例について軽く触れた程度だ。 お前に会わせたほうが話も早い」


「なるほどね、じゃあとは初遭遇か。 早乙女 雄太君、カフカ症候群患者は自分じゃない“誰か”に変身することはすでに知っているね?」


「それは、確かに聞きましたが……まさかそういうことですか?」


「そういうことだよ、第一症例は亡くなった自称恋人の肉体に変身した――――が、なにも変身対象モデルは三次元の人間に限った話じゃない!」


 声も、顔も、サイケデリックな髪色も、両手を振った大げさな身振り手振りも、何もかもそっくりだ。

 コスプレなどでは説明できないほどに、


「あらためてはじめまして。 おいらはカフカ症候群第4症例、モデルはカソウケン!ヒロイン 宮古野 究。 繰り返すが親しみを込めてキューちゃんと呼んでくれていいぜぇ?」

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