藍上 おかきの受難 ~それではSANチェックです~
赤しゃり
第1話
「早乙女
「…………はい」
早乙女 雄太にとってその日は、人生で最も不幸な誕生日だった。
「よろしい、では私の質問に答えてもらうぞ。 それと分かっているとは思うが妙な気は起こすなよ、誕生日プレゼントに鉛玉は欲しくないだろう?」
「…………はい」
雄太は後頭部に当たる冷たい鉄の感触につばを飲み込み、逸る動悸を落ち着けようと息を吐きだす。
目の前に座る白衣を着崩した女性は、ときおり手元のカルテに視線を落としながら、こちらの様子を観察している。
一周回って落ち着いてきた頭で彼は考える。 なぜ、病院の診察室で自分は命の危機に瀕しているのか、と。
彼はただ、朝起きたら女の子になっていただけだというのに。
――――――――…………
――――……
――…
「…………は?」
早乙女
平べったい布団の上から見上げた天井が遠く、部屋もいつもより大きく見える。
スマホの目覚ましアラームを止めた手のひらは、自らが知るごつごつとした無骨なものではなく、丸みを帯びた華奢なものだ。
「なんだ、これ……」
昨日はなんだか熱っぽくて早めに就寝した。 自分はまだ熱に浮かされて夢を見ているのだろうか? いや、体調はむしろ清々しいほどに万全だ。
意識ははっきりとしている、寝ぼけているわけではない。
「どうして……俺……」
自分の声がまるで別人のように聞こえる。 トーンの高いその声はまるで少女のようだ。
いや、「まるで」ではない。 自らの置かれた状況を顧みれば、「まさしく」という方が正しいだろう。
なぜなら部屋に置かれた鏡には、早乙女 雄太という人間の代わりに小さな女の子が顔を蒼くして立ち尽くしていたのだから。
「――――女の子になってる!?」
艶のある黒髪は片目に掛かるほど長く、ニキビ一つない柔肌は肌荒れなど知らぬとばかりに潤いを湛えている。
そして何より下のものがなく、上には(小さいながらたしかに)ある。
「な、なんでどうしてなんで……ふべっ!?」
慌てて起き上がろうとしたところ、丈の合わないズボンに足が引っかかって転んでしまう。
Lサイズの部屋着はブカブカだ、どうやら身長もかなり縮んでしまっている。
そして強かに鼻を打ち付けた痛みは、この悪夢が決して夢ではない事を教えてくれた。
「うぐぐ……なんだよこれぇ……」
痛みと訳の分からない現実に打ちのめされ、思わず涙がにじみだす。
それでも独り暮らしの彼には、助けてくれる友人や隣人などはいない。
泣いている暇などはなく、とにかく現状の把握と解決が要求された。
「び、病院……か? ってか服……」
痛む鼻を抑えて立ち上がると同時に、彼のズボンが脱げ落ちる。
部屋着でこれなら着替えは全滅だ、病院に行こうにも出かける服も靴もない。
どうしようか考え、悩み、苦しみ抜いたのち……雄太は枕元の携帯に手を伸ばした。
「も、もしもし姉貴……? 助けてぇ……」
――――――――…………
――――……
――…
「うわー、マジで子供になってんじゃん。 本当に雄太?」
「早乙女 雄太本日付で26歳になりました趣味は貯金で口座の暗証番号は……」
「あー分かった分かった! とりまその死んだ目やめて部屋入れてくんない?」
雄太のSOSを聞き、駆け付けて来たのは彼の姉である
アパレルメーカーに勤める姉は、幸運にも今日は休暇をとっており、自分の古着を持ってきてくれたのだ。
「ほら、実家から持ってきたから。 ひとまずこれで足りるっしょ」
「うう、サンキュー……でも姉貴、よく信じてくれたな」
「いや、あんたが意味わかんねー嘘つくわけないと思って。 一応聞くけどさ、ドッキリじゃないよね?」
「ドッキリで個人情報教えないよ……俺もどうしてこうなったのか分からないんだ」
何度見ても鏡に映った自分の顔は、自分のものではない。
中学生、下手をすれば小学生程度の子供だ。
だけどどうしてか、雄太はこの顔に何となく見覚えがあるような気がしてならなかった。
「雄太ー? 何呆けてるん、病院行くっしょ?」
「え? ああうん、行き……ます?」
「なんで敬語なん。 車持ってきたから乗りな、その身体じゃ運転も出来ないだろうしさ」
「ああ、そっか。 ……保険証どうしよ」
「行ってから考えるしかないね。 あたし駐車場から車持って来るから、早く着替えてきな」
「了解……」
早乙女 雄太にとっての幸運は、非常に早く家族の理解を得られたことだろう。
「朝起きたら女児になっていました」なんて話を真面目に聞き、ましてや着替えまで持って協力してくれるのだ。
たとえその着替えが姉のお古だとしても恨み言を言える筋合いはない。
「女児服ぅー!!」
てっきり自分の古着を持ってきたと思っていた雄太は、思わず紙袋から取り出した服をベッドに投げつけた。
いくら見た目が変わったからとはいえ、時代遅れのキャラクターものを着る精神力は彼になかったのだ。
とはいえこのままでは着る服がない、姉にもう一度男児服を用意してもらうのも心苦しい。 故に一分ほど葛藤したのち、彼はピンクピンクしい服へと袖を通したのだった。
「お、やっと来た。 うーん、似合わんね!」
「そんなこと言うなら男物の服持ってきてくれよ!」
「いやー、顔に服が追いついてないというか……これならもっと落ち着いた色合いで柄も……今度うちの会社で子供服仕立てるんだけどさ」
「着ないからな! 早く病院に行こう!」
「あいあいさっさー、あとで昼食ぐらい奢ってよ?」
――――――――…………
――――……
――…
「では席に座っておまちください」
「は、はい……」
「なんだ、わりとすんなりいけたじゃん」
姉の車に乗り、最寄の大学病院へ足を運ぶと、拍子抜けするほど簡単に受付は完了した。
保険証も正直に記入した事前問診票も、顔を一瞥された程度で特にこれといった反応もない。
本人が何か間違っているのか、といっそ不安になるほどだ。
「もしかしたら結構よくあることかもね、朝起きたら女の子になってる病」
「あってたまるか。 いや。前例があるなら治る見込みもあるんだろうけど……」
雄太は姉の能天気に少し呆れながらも、異常事態に怖じないその態度に救われる気持ちがあった。
この姿になってから周囲からの視線を感じて仕方がない。 自分の被害妄想だろうと分かっていながらも、すぐそばに家族が寄り添っていることがとても心強く思えた。
「どしたん、雄太? 具合悪い?」
「いや、ただのストレスだと思う。 周りの目がなんか気になって」
「んー、服は似合ってないけど今のあんた
「ふ、複雑……」
容姿を褒められるのはいいことだが、それは自分の身体である場合だ。
今の雄太にとっては自分に張り付いた他人の顔を評価されているようなもの、あまりいい気分がするものではなかった。
「でもなんか見覚えあるんだよなぁ、この顔」
「マジ? 子どもの時の雄太にゃ似てないけども」
雄太はポケットから携帯を取り出し、改めて自分の顔をカメラで確認する。
艶のあるダークブラウンの長髪は、かき上げると生糸のようにさらりと流れる。 目鼻立ちはパッチリとして「早乙女 雄太」としての面影はどこにもない。
自分とは別人だと思いながらも、雄太は何かを思い出せそうでやきもきしていた。
「早乙女さーん、早乙女雄太さーん?」
「あっ、雄太呼ばれとるよ。 こっちでーす!」
「はーい、えっと……早乙女 雄太さんは?」
「じ、自分です……」
「はい、こんにちは。 本日はどうされました?」
カルテを片手に構えた看護師が、気まずそうに手を上げた雄太に向かって軽い問診を始める。
意外にもカルテに記載された名前や年齢と外見の剥離に驚いた様子はない。
だから雄太も変な勇気を出し、正直に答えてしまったのだ。
「あ、朝起きたら……女の子になってました」
隣の姉は「あちゃー」と頭を押さえてやっちまったなというジェスチャーを見せる。
雄太も少し遅れて後悔と羞恥心に襲われた。 前置きもなくこんな話をしたところで、良くて精神科送りだ。
「なるほど……前日に何か気になる症状などはありましたか?」
「えっ……?」
しかし、看護師はこれといった動揺も見せずに問診を続ける。
「早乙女さん?」
「え、えっと……そういえばちょっと熱っぽかった気がしたかな? 正確な熱は測っていませんけど……」
「そうですか、分かりました。 それでは診察室にご案内いたしますね、お姉さんはここでお待ちください」
「あれ、あたしついて行っちゃ駄目なんですか?」
「申し訳ございません、感染症予防の観点からお控えいただけますと助かります……」
「そっかぁ……雄太、一人で大丈夫?」
「子供じゃないんだから大丈夫だよ。 ……いや、今は子どもか?」
少し不安でもあるが、それでも雄太はこの病気(?)を早く治したい焦りから一人で行くことを決めた。
なにも今生の別れではない、診察が終わったらまた姉と合流して結果を報告すればいいだけだ。
あまりにもあっけなく事が進んだので、雄太は何の違和感も懐かずに診察室へと足を運んでしまったのだ。
「先生、早乙女さん入りまーす。 それじゃカギ閉めますね」
「えっ? なんでカギ閉め……」
「――――動くな、両手を上げて前を向け」
診察室に入った途端、鍵を施錠する音に驚き振り返った雄太の額に突きつけられたのは、日本ではまず目にするのことがない、それでもはっきりと分かる――――「拳銃」だった。
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