第84話* 黒田順一3

 パラダイスワンの屋上には、いつものようにボウリングピンの看板がそびえたっていた。

 順一は中学生の頃はここによく遊びにきた。

 パンデミックが始まってからパラダイスワンを根城にした連中の中には、順一の小中学校の同級生も数人いた。


 進学校の優等生を中心に組織された自衛兵団と対照的に、パラダイスワンには学校からの落ちこぼれが主に集まっていた。パラダイスワンにすみついた若者の中には地元で有名な札付きの不良もいた一方で、行き場のない家出少年少女もいた。


 パラダイスワンの連中は、最初は享楽的に遊んで暮らしていただけだった。

最初は無人の商店から食料や物資を盗む程度のことしか行っていなかった。

 あの頃は、順一もパラダイスワンにいる昔の友達と会話をすることもあった。

 ところが、だんだんとパラダイスワンの不良の犯行は大胆になり、少女の誘拐まで行うようになっていった。

 自衛兵団との敵対は激しくなり、抗争状態になった。


 順一はパラダイスワンの正面入り口の自動ドアを開けて入った。

 入った所に、さっそくゾンビが死んだように寝ていた。

 順一は反射的に機械的にゾンビの頭に銃弾を撃ちこんだ。もうそれは意識しなくてもできる習慣になっていた。

 近くにいたロボットが、「ケンカはダメですよ」といいながら空き瓶をもって近寄ってきたから、そのロボットにも銃弾を撃ちこんだ。

 ロボットは動かなくなり、同時に、付近にいた他のロボットたちも動作を停止した。まるで、こちらを恐れて死んだふりをするかのように。


 動かないロボットのわきを通りすぎ、順一はエスカレーターのところに移動した。

 地下から血の臭いと腐臭が漂ってきたが、順一はためらわずにエレベーターに乗り、地下1階に降りた。


 そこは、予想通りゾンビの巣窟だった。

 エレベーターの扉が開くなり近寄ってきたゾンビの頭を、順一は反射的にアサルトライフルで吹き飛ばした。

 次々とゾンビの頭に銃弾を撃ちこみながら、順一は進んで行った。まるで、とてもリアルなシューティングゲームのように。

 すでに血に染まっていた床が新たな血で塗り替えられていった。

 途中で、小学生の頃の親友の顔を見かけたような気もしたが、即座に顔に銃弾を撃ちこんだため、順一にはよくわからなかった。


「ビリヤードルーム、クリア」


 仲間はだれもいないのに、順一はクセでそう報告して、移動した。

 次にカラオケコーナーで、各部屋を確認していった。ある部屋の内外には、誘拐監禁に使われたらしき鍵や拘束具が落ちていた。

 だが、少女は一人もいない。


(すでに全員殺され、死体は運び出されたのか?)


 カラオケコーナーにいた数人のゾンビ男を殺し終えると、順一はエレベーターに乗り、2階に向かった。



 2階には、フードコートがあった。 

 そして、フードコートに足を踏み入れた瞬間、順一は立ち尽くした。

 そこには奇妙な光景が広がっていた。


 フードコート内にはたくさんの少女がいて、テーブルの上にはそこら中に飲み物のカップと食べ物が置かれている。

 楽しそうな空間だ。

 まるで少女達がパーティーを開いているかのような。

 だが、その少女達の顔には、はっきりとゾンビマークが浮かんでいた。


(なんだ、これは……?)


 ゾンビがパーティーを開くなんてことは、ありえない。

 ここにいるゾンビは全員あきらかに感染が進んだ状態だが、感染の進んだ完全なゾンビに、自我はない。理性的な行動はとれない。飲食の準備をすることなんて、できるはずがない。


 ゾンビに意志はない。ゾンビには何もできない。非感染者を見つければ襲いかかるだけの生ける屍だ。

 ……そのはずなのに、一瞬、まるでフードコートにいるゾンビ少女達は、ただの人間のように見えた。


 信じてきた常識が揺らぐときの不安と恐怖が、順一の背筋を氷水のように走った。

 そしてその時、順一は、奥のテーブルに玲がいるのを見つけた。

 玲の隣には小柄な少女がいた。


 あの女子生徒が玲と一緒にいるところは、以前、何度も見たことがある。家にも遊びに来ていた。あれが、胡桃という名の……恋人なのだろう。

 胡桃と並んで座る玲は、幸せそうだった。はっきりとゾンビマークが浮かんだ、完全な感染者でありながら。


 玲の視線が動き、順一を見た。視線が合った。

 玲の表情が変わった。まるで「何をしに来たの?」とでも言いそうな、憎しみと敵意のこもった視線だった。まるで身勝手で自己中心的なストーカー男を見るような。

 順一は引き裂かれるような胸の痛みを感じた。


 同時に、玲の視線は、順一が今まで信じてきたもの崩壊させていった。

 ゾンビに感情はない。ゾンビは何も感じない。すでに脳死状態の屍だ。

 だから、感染者は殺さなければいけない。

 この国のため、みんなのために、どんどんとゾンビを殺さなければいけない。

 だから、迷いなく引き金を引け。

 そう信じてきた。


 だが、玲のあの憎しみのこもった冷たい目は、屍の目ではない。

 あの目を見た瞬間、順一は悟った。

 ゾンビは脳死者ではない。ゾンビは感情を持っている。生きている。


 そう気づいた時、頭の中が真っ白になり、順一はまともに考えられなくなった。

 まるで故障した機械のように凍りついたように動けなかった。

 ただ心の中で激しい感情が渦巻いていた。

  

 ゾンビ少女たちが、感染者特有のゆっくりとした、体をひきずるような動きで、立ち尽くす順一に向かって近づいてきていた。

 一方、玲と胡桃は動かない。まるで二人だけの世界にいるように。

 二人はまだ順一に気がついていないかのようだった。本当は気がついているくせに。

 玲の態度は「あんたなんて、どうでもいいの。邪魔をしないで」と言っているようだった。


 順一にはもう何もわからなかった。

 だが、自分の胸の激しい痛みだけは確かだった。

 玲を見ながら思った。

 こんなに強い痛みを感じたことはなかった。こんなに欲しいものはなかった。 

 

 しがみつき、噛みついてくるゾンビ少女達をかき分けながら、順一は進んだ。

 近づくにつれ、胡桃という少女のゾンビは順一に気が付き、ゾンビらしい動きでテーブルにのぼり、手をのばしてきた。

 だが、玲は動かない。

 ゾンビの本能を超えるほど強く順一を嫌っているかのように。


「どうして、お前だけがほしいのに、どうして、お前だけは俺をそんなに嫌うんだ」


 思わず口からでた自分の言葉は、惨めな負け犬の声のように聞こえた。

 順一は手を伸ばせばもう少しで玲に触れられる距離に近づいた。

 だが、どんなに近づいても、決して玲を手に入れることはできない。


 順一の心は、すでに悟っていた。

 ここへ来たことの無意味さに。

 自分は正義の執行者ではなかったことに。

 感染した仲間を殺すことに意味はないことに。


(俺は、今まで何をやってきたんだ?)


 一般市民の、級友の、部活の仲間たちの、親友の、命をひたすら奪ってきただけか?


(……いや、違う。そんなはずはない。そんなことは、ありえない。感染拡大を阻止するために必要な、この国を守るための行動だったんだ。屍だろうと生きていようと、世界を守るために未来を守るために、感染者は殺さなければいけないんだ)


 たとえそれが詭弁だと、自分の心が告げていたとしても、順一には、いまさら全部間違いだったと認めることはできなかった。


(感染者は、殺さなければいけない。迷うな。引き金を引け)


 いつもの言葉を心の中で唱えながら、順一はいつになく震える手で拳銃をつかみ、玲の頭に正確に2発、銃弾を撃ちこんだ。

 次に、自分のこめかみに銃口を当て、順一は、迷いなく、引き金を引いた。

 銃声の爆音と、消えていく意識と絶望の中。


「そういうところが、嫌いなの。最悪」


 最後に玲の声が聞こえた気がした。

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