第93話 半年後 

 あれから、半年くらいが経った。

 いまや日本列島は、完全にゾンビアイランドだ。


 あの無人機による化学兵器攻撃があった後、日本では感染爆発が猛スピードで進み、ゾンビの支配するエリアが拡大していった。

 国防軍や警察も内部での感染拡大で急速に力を失っていった。

 偉い人達や金持ち、その他運よく海外に逃げることができた人達は、続々と日本を去っていった。

 

 幸い、日本は島国でゾンビが海を渡ることはないので、感染拡大のコントロールがきかなくなってからも、海外の列強からは放置されてきた。

 なんでそれが幸いかというと、大陸の小国の中には、ゾンビウイルスの感染拡大を防ぐためという理由で、大国によって核攻撃で消滅させられてしまったところがあるからだ。


 自国民を守るためなら、他国民の命はいくら犠牲にしても構わない。

 それが大国の論理らしい。


 核で消滅させられ、人の住めない土地にされてしまった国と比べたら、日本はずっとラッキーだ。

 特にゾンビがすべてを支配してからは争いも起こらず、みんな平和に暮らしている。

 

 それに、感染爆発が止まらずに滅んだのは、日本だけじゃない。

 人権意識の高い国は、感染者の人権を守ろうとしている内に、みんなゾンビになって滅んでしまった。

 人権意識の低い国は、感染者を容赦なく殺しまくっている内に、国民がみんな殺されて滅んでしまった。

 世界中のほとんどの国が、国家としては滅亡した。


 でも、国家なんてなくても人は生きていける。

 少なくとも、ゾンビは生きていける。

 ゾンビには国境も国籍も関係ない。

 国という概念が存在しなくなった世界で、それぞれ好き勝手に暮らしているだけだ。


 一部の旧大国、例えば、中国、ロシア、アメリカ、ヨーロッパ、あたりにはまだ小さく国らしきものが残っているらしいけど、ゾンビとの戦いはもう諦めているようだ。

 そういった場所では、非感染者が、かつてゾンビを閉じ込めていたように、今度は自分達を閉じ込めて、封鎖地区の中でひっそりと暮らしているという。



 さて、ゾンビアイランド日本は、今日も平和だ。

 俺は今、研究所へと通勤中。

 俺は研究所では寝泊まりしないで、毎日家から徒歩で通勤している。

 母さんの面倒を見ないといけないのもあるけど、俺が帰宅する方が研究所にいる人達の感染リスクを減らせるから。

 ちなみに、父さんはしばらく前から音信不通、行方不明だ。だけど、たぶんどこかで生きてると思う。


 家から研究所までは、散歩がてらにのんびり歩くのにちょうどいい距離だ。

 いい天気だな、と思いながらのんびり空を見上げて歩いていると、俺は突然、挨拶をされた。

 

「おはよう。今日もいい天気ですね」


「おはよう、ペッポー君」


 俺はドッグフードの袋を持ったペッポー君とすれ違った。

 ペッポー君が持つ袋からこぼれ落ちるドッグフードを、365日24時間散歩中の犬と飼い主ゾンビが拾って食べていた。

 道の向こうには、ゾンビのみんなに食糧を配達中のペッポー君もいる。

 これがこの辺りの毎朝の光景だ。


 ゾンビアイランドでは、ゾンビの面倒を見るのはもちろん、食糧生産やインフラの維持も全部ロボットの仕事だ。

 当たり前だけど、ゾンビは一切働かないから。

 中林先生は、ペッポー君達ロボットが働いてくれることで、ゾンビがずっと生きていける世界を創ろうとしている。

 つまり、ロボット開発によって、ゾンビの持続可能な開発目標、略して「ゾンビSDGs」の達成を目指しているのだ。


 今朝もゾンビ達はのんびり好き勝手に過ごしている。

 公園には朝からラグビーやサッカーっぽいことをボールなしでやっているゾンビもいれば、太極拳っぽいことをやっているゾンビ達もいる。

 太極拳は喫茶店マスターが教えているっぽい。太極拳ゾンビ達はみんな、ゆっくりだけど確実に上達している。

 林の中には、いつも素振りや形稽古をしている剣術ゾンビがいる。

 俺はあのゾンビにだけは怖くて近寄れないから、ペッポー君に高たん白質グラノーラとかを運んでもらっているけど、映像を見る限り、ますます動きに磨きがかかっている。


 それから、毎日夕方頃には、公園のステージで橋本率いるゾンビアイドルグループがライブをやっている。

 橋本達のライブは、俺の目には、ぼろぼろの制服を着た橋本達がゾンビっぽい踊りを踊ってウーウー唸っているだけに見える。

 でも、きっと橋本達は、この現実と同時に存在する、俺には見えないゾンビ世界で、華麗なアイドル衣装を着てすばらしい歌唱力とダンスでみんなを魅了しているはずだ。

 だって、観客のゾンビ達はものすごく盛り上がっているから。

 その中に入れない俺は、ちょっと寂しいような気分になる。



 そういえば、ゾンビ治療薬の開発は順調に進んでいる。

 薬の効果がどこまであるかはまだわからないけど、もうすぐ臨床試験という名の人体実験に入れそうな段階だ。


 だけど、俺は正直、人類を元に戻すべきなのかを迷っている。

 

 俺が、ゾンビ羊のいる丘で見聞きしたことが真実なら、ゾンビのみんなは、ゾンビの意識が繋がる世界で幸せに暮らしている。

 たぶん、感染前よりも、幸せに。

 元に戻りたいなんて、誰も思っていないかもしれない。

 元に戻そうなんていうのは、ゾンビ世界に入れない不完全ゾンビな俺の、勝手なわがままなのかもしれない。


 中林先生の方は、相変わらず「ゾンビを元に戻す必要などない」と主張している。

 中林先生が言うには、ゾンビは非感染者より優れた存在なのだ。

 たしかに、ゾンビは生命力が強く、少量の食べ物で生きていける。

 地球温暖化は、ゾンビウイルスのおかげで止まりそうだ。絶滅危惧種の多くは、もう絶滅しそうにない。

 しかも、人類自身にとっても、ゾンビは優しい。ゾンビが支配する土地では、戦争はない。殺人もない。


 だけど、治療薬で元に戻せば、きっと人類はまた、資源を奪い合い、群れては争い、愛しては殺す、あの状態に戻るだろう。

 そして人類は、結局、自ら破滅へと向かうかもしれない。


 そんな未来になるぐらいなら、俺はこの平和でほのぼのしたゾンビアイランドにずっと続いてほしい。


 だったら、元に戻さなければいい。

 中林先生はそう言う。

 

 それに賛成出来たら、話は簡単なんだけど。

 実は俺は、たまに平穏なゾンビアイランドが物足りなくなるのだ。

 ゾンビには愛も憎しみも、やる気も嫉妬も何もない。

 だからこそ平和なんだけど。

 狂気のような愛情や理不尽な嫉妬が存在する人達が、俺はたまに懐かしくなることがあるのだ。


 中林先生によれば、それは俺が「旧人類の感傷に染まった半ゾンビ」だからだそうだ。

 たしかに、俺はゾンビになりきれない中途半端な「人間」なんだろう。

 ゾンビのくせに俺は、心のどこかでやっぱり、ゾンビウイルスがすべてを変えてしまう前の人々と生活に、戻ってきてほしいような気がしてしまうのだ。


 結局、どうすればいいのか、今の俺にはわからない。

 どっちにしろ、まだ治療薬は完成していないし、完成してもすぐに大量生産はできない。

 だから、俺はゆっくり迷いながら決めるつもりだ。

 

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