第90話 ゾンビ男はゾンビ羊の夢を見るか(下)
ここはみんながいる場所……。
たしかに橋本が言う通り、ここにはみんながいる。
でも、なぜ?
俺がその謎について考えていると、橋本は言った。
「でもね、人によって風景は違うんだよ。木根君、牧場が好きだったの?」
何の話だかわからない。
意味不明だ。
だけど、ここがあの世じゃないなら、きっと、これは夢だろう。
きっと夢だから、意味不明な状況なんだろう。
これが現実のはずがない。
俺がそう思うとすぐに橋本は言った。
「これは現実だよ。夢みたいな現実。みんな、ここで繋がっているの。ここはみんながいる場所。みんながおしゃべりをする場所。もうなんでも伝えられるよ。ここでは寂しさや孤独なんて感じないんだから」
夢みたいな現実?
みんながおしゃべりをする場所……?
俺は少し理解しかけてきた。
ひょっとして、ここは、ゾンビの意識がテレパシーでつながる場所なのか……?
「そうそう。そんな感じの場所」
橋本は肯定した。
俺は何も言っていないのに。
そういえば、さっきから、俺は何も口に出していないのに、俺が頭の中で考えたことが聞こえているかのように、みんな返事をしてきた。
橋本は再び俺の考えが聞こえたように言った。
「頭の中も外もないでしょ? ここは頭の中なんだから」
ここは頭の中……つまり、ここは俺の意識の中。
俺の意識と他のゾンビ達の意識が繋がり、テレパシーのような能力で意思疎通をしている。
たぶん、そういう状態。
だから、俺が考えたことが、考えた時点で他の人達に伝わっている。
そういうことのようだ。
周囲を眺め、俺は気がついた。
俺達が立っている草原の丘のふもとを川のように流れていたもの。
ぐるぐると俺達がいる場所の周辺を囲うように流れているもの。
俺はそこに流れているのが水ではないことに気がついた。
そこで水のように流れていくのは、半透明でぼんやりとした輪郭で、伸びたり縮んだり捻じれたりして、互いに絡み合い溶け合いながら流れていく、無数の人々だった。
俺が見ていると、その流れの中の人影のひとつが、こぽっと起き上がり、それは一瞬宇野の顔になった。
宇野はこちらを見たかと思うと、興味のなさそうな顔をして、また流れの中に溶けこみ消えていった。
そうかと思うと、水面が盛り上がり、川の流れの中から、緑髪の少年と紫髪の少女が出てきたりした。
紫髪の少女は緑髪の少年に抱き着いたまま、こちらにしきりに手をふっていた。
あの二人、どこかで見たことがあるような気がするけど、誰だか思い出せないな。
そんなことを思っている内に少年少女は再び川の流れの中に消えていった。
そうやって、俺が知っていたり知らなかったりする無数の人達の意識の集合体が川のような流れとなって、この丘の周囲を廻り続けていた。
橋本は俺に言った。
「でもね、ここはあの世じゃないけど、たしかに天国みたいな場所だよ。ライブの時の盛り上がりなんて、すごいんだから!」
俺は今更ながら気がついた。
橋本はすごく立派なアイドル衣装を着ていた。
以前、橋本がアイドル活動をする時に着ていた、素人の手作り感のある安っぽい衣装じゃない。輝くオーラを放つ立派なアイドル衣装だ。
そして、辺りの風景が変わっていった。
草原が消え、羊が消え、気がつけば俺達は巨大なライブ会場のステージ上に立っていた。
注がれる照明が眩しい。
足元ではスモークがたかれていた。
大観衆がこっちに大歓声を送っている。
スポットライトを浴びながら、橋本が歌い踊っていた。
俺が知っている橋本の、才能の欠片もない下手くそな歌と踊りじゃない。
透き通った歌声と可憐な踊り。
橋本が、本物の一流アイドルみたいに歌って踊っていた。
「ここがわたしの場所」
橋本は大観衆に手をふりながら言った。
「ここでは、誰もが夢を叶えられるんだよ」
そう言う橋本はまぶしい笑顔を浮かべていた。
「ぼくらは繋がっているけど、みんな、それぞれの場所を持っているんだ」
ステージの裏手から顔を出していた一郎がそう言うと、周囲の風景が再び変わりはじめた。
大観衆は互いに溶けあうように消えていき、気がつけば、俺達は中世ヨーロッパ風の街並みの中にいた。
一郎はRPGのキャラクターみたいな衣装を着ていた。
「ここなら、なんでもできるんだ」
一郎は空中で3回転ひねりをいれたバク宙をして、魔法の炎みたいなものを手にまとった。
炎が手から出るのにもびっくりだけど、俺が知る限り運動神経の悪い一郎が、ありえないバク宙をしたことに驚きすぎて俺は口をあんぐりと開けて眺めていた。
そんな俺に、一郎は言った。
「ここには、負け犬も底辺もいないんだ。フーミンみたいに頭がよくなくても、誰もが一番になれるんだ」
すると、町中に突然巨大モンスターがあらわれ、「あのモンスターを倒した者には賞金一億ゴル」とか言う声と、町の人の「助けてください」という声が聞こえだした。
一郎は呪文を唱え、巨大な魔法の剣でモンスターを一刀両断にしてから、俺に振り返った。
「ここには、理不尽にいじめてくる奴も怒鳴ってくる奴もいない。生きてるってすばらしい。って、この世界になってくれて初めて思えたよ」
町の人達の歓声を浴びながら、一郎はそう言った。
俺は思い出した。
たしか一郎は数年前から学校でうまくいかなくて不登校ぎみ、引きこもりぎみになっていた。
中世ヨーロッパ風の街並みは消え、気がつけば俺達はまた、最初にいた草原の中に立っていた。
橋本は言った。
「すごいでしょ。ここならみんなが幸せになれるんだよ。早くみんなここに来ればいいのに。もっとみんなをここに呼んでこようって、わたし、いつも言ってるんだ。普段はここに来られないなんて、木根君は可哀そうだね」
俺は同情された。
俺はずっと自分がゾンビウイルスの影響をあまり受けていないことをラッキーだと思っていた。
だけど、ゾンビのみんなは、むしろ俺のことを可哀そうだと思っていたのか?
「フーミンの声は聞こえるけどね。僕らの声が聞こえないとか、フーミン、耳悪すぎでしょ」
一郎は俺をバカにしたように言った。
俺は呆然と、色んな人とゾンビ羊が点在する草原を眺めていた。
俺はずっとゾンビのみんなのことを、可哀そうな存在だと思っていた。
ゾンビになった人達は、以前のような振る舞いができず、話しかけても言葉で返事をしなかった。
だから俺は、ゾンビは何もできない、何も言うことのできない状態だと思いこんでいた。
非感染者たちは、ゾンビは生ける屍だと言っていた。
俺はゾンビが「脳死状態」じゃないことには気がついていた。
だけど、結局、俺もゾンビのことを何も理解していなかった。
ゾンビは何もできないわけじゃない。
俺に見える世界では何もしていなかっただけだった。
ゾンビは何も言えないわけじゃない。
ゾンビは俺に理解できない形でコミュニケーションを取っていただけだった。
俺がゾンビのみんなの本当の姿を見ていなかっただけだ。
俺がゾンビのみんなの声を聞いていなかっただけだ。
ゾンビのみんなは、ゾンビになって何もできなくて不幸なはずなのに、妙に楽しそうだなと俺は思っていたけど。
本当にみんな幸せだったのかもしれない。
俺がこれまで見ることも知ることもできなかったこの場所で、みんなは幸せに生きていたのだ。
「木根君は、可哀そうだね」
俺はもう一度、橋本に同情された。
その時、羊があちこちで一斉に鳴きだした。
草原の色がかすみだした。
俺は体が宙に浮かぶように感じた。
感じただけじゃない。俺の体は空中に浮いていた。
周囲にいた羊たちも、空中に浮かびだした。
一方で、草原に立っているみんなの姿、そして母さんの姿が薄くなっていた。
母さんは、悲しそうな表情で言った。
「もう行っちゃうのね」
「母さん?」
草原の周囲を流れていた無数の人々でできた川の水が溢れ出し、ゆっくりと草原の丘を飲み込んでいく。
ご近所ゾンビのみんなが溢れる水の中へ溶けるように消えていく。
小さな声を残して。
「頼んだぞー」
「おいしいものをもっとくれよー」
「よろしくー」
「虫、食べてみろよー」
その頃には、喫茶店マスターはもういなかった。学校の知り合いたちもすでに川の流れの中に消えていた。
「じゃあね。フーミン」
一郎もおばさんと一緒に溢れる川の中に消えていった。
「バイバイ、木根君。もう行っちゃうなんて。いつも通り、つれないよね」
草原を覆いつくす洪水、無数の人々が溶け合った流れの中に立ち、橋本がそう言った。
その時にはすでに橋本の姿は半透明だった。橋本はぼんやりとした輪郭だけになり、流れて消えていった。
母さんだけは、まだ色の薄れた草原の丘の頂に立っていた。
母さんは丘の上の空に浮かぶ俺に手をふった。
「元気でね」
そして母さんの姿は、海のように地表を覆う、無数の人々が溶け合う流れの中に飲み込まれ、見えなくなった。
もう誰の姿も見えない。
羊たちは空に浮かびゾンビ色の雲になって青空に溶けて消えた。
草原はもう跡も形もない。かわりに人々が溶け合ってできた海が広がっている。
俺はしばらく空と海の間で漂うように浮いていた。
そして俺は急速に、天に向かって引っ張られて行った。
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