第86話 サイレン
中林先生は早口で言った。
「早く避難しろ。そのバスはもう動かない。困ったことに他のバスも壊れている。そこからは歩いて移動するしかない」
順調にいきそうだったのに、黒田のせいで面倒なことになってしまった。
非感染者の結生を連れてゾンビの徘徊する町を歩かないといけないらしい。
でも、結生を連れて歩くのは初めてではない。
寧音が引き起こした感応現象でゾンビ達が公園に集まっている分、この辺りのゾンビの数は少ないはずだ。
気をつけて行けば、きっと大丈夫。
「わかりました」
ペッポー君のモニターに地図が浮かんだ。
ここから研究所までは、ほんの数百メートル。すぐそこだ。
なのに、中林先生は厳しい調子で言った。
「急げ。これ以上無駄話をしている暇はない」
(なんでさっきから中林先生は俺をせかすんだ?)
俺は不思議に思った。
あとはほんの数百メートル移動するだけだ。
自衛兵団は壊滅していて、黒田も既に死んでいる。
ゾンビはいるけど、もう他に恐れるものはない。ゆっくり慎重に移動すれば……。
だけど、その時、サイレンとともに放送が流れてきた。
≪封鎖地区および周辺の避難指示区域にいる市民の皆様は、ただちに避難してください。15分後に隔離地区で国防軍の感染拡大防止作戦が開始されます。封鎖地区内は大変危険です。命の危険があります。封鎖地区周辺も非常に危険です。繰り返します。封鎖地区および避難指示区域からただちに避難してください……≫
「国防軍の攻撃が15分後!?」
驚愕する俺に、結生が心配そうに言った。
「しばらく前から、10分おきにあの放送がかかってるんです」
俺はようやく、緊急事態だということに気がついた。
俺は気絶していたから一瞬のように感じていたけど、実は黒田に襲撃されてから、かなりの時間がたっていたようだ。
そして、俺が気絶している間に、国防軍のゾンビ掃討作戦の開始時刻が迫っていた。
あと15分に。
中林先生が断言した。
「当初の予定より少し早まったようだ。国防軍の無人機攻撃がじきに始まる」
「無人機攻撃?」
俺は聞き返した。
国防軍の感染拡大防止作戦の話は何度も聞いているけど、無人機による攻撃だというのは、今はじめて聞いた。
「地上部隊は動かない。すでに半壊している上、さらなる感染リスクがあるからだろう。遠隔操作の無人戦闘機が各隔離地区へ攻撃を行うらしい。具体的な作戦内容はわからないが、戦闘機を使うということは空爆の可能性が高いだろう。経済的損失を考えれば絨毯爆撃で焦土にするとは考えにくいが、ありえなくはない。やつらは追い詰められている」
俺は必死にたずねた。
「攻撃をとめられませんか? 空爆なんてあったら、ゾンビのみんなが……」
俺はこの時まで、結生をたすけるのに夢中で忘れていた。
とても大事なことを。
俺がなぜ研究所に向かっていたのか。
俺がなぜ治療薬を作ろうとしていたのか。
母さんと、ゾンビになった近所のみんなをたすけるためだ。
でも、中林先生はきっぱりと言った。
「無理だ。できることはやってみたが、一市民がどうにかできるものではない。さすがにこの短時間で国防軍の無人機システムに侵入することはできなかった。情報入手が精一杯だ。飛んでくる無人機の通信をクラッキングしようにも、成功する前に爆弾を落とされるだろう。お前は他人の心配をしている暇があったら、早くこの研究所に避難しろ。ここの地下施設は核シェルターを兼ねている。どんな攻撃があってもここなら大丈夫だ」
中林先生の話を聞いている間、俺の脳裏に浮かんでいたのは、頑丈そうな研究所の建物ではなく、うちのマンションだった。
母さんの姿が窓から吹き込む爆風に吹き飛ばされ火炎に包まれて消えた。
のんびり歩いているゾンビ達の上にミサイルが落ちていき、みんなが消滅していった。
俺の脳がそんな想像を勝手に再生していく。
「母さんが、みんなが、殺されちゃう……どうにかして……どうにかして、攻撃をとめないと……」
動転してそう言い続ける俺に、中林先生は冷たい声で言った。
「無理だ。早く移動を開始しろ。お前はここまできて、結生を死なせる気か?」
中林先生の声は人の心がないみたいに冷たい声だった。
でも、おかげで、冷水を浴びせられたように俺は冷静になった。
中林先生がどうにもできないなら、俺には何もできない。
俺はただの無力な17才だ。
俺に超能力なんてない。俺はヒーローになんてなれない。
今の俺にできることは、結生を連れて研究所に逃げこむことだけ。
せめて、結生だけは絶対に助ける。
俺は避難経路を確認するためペッポー君のモニターの地図を見た。
「通常なら5分で着く距離だ」
中林先生の言う通り、何もなければゆっくり歩いても5分、走ればたぶん3分以内に着く距離だ。
ゾンビを避けながら進んでも、あと10分あればちゃんと避難できるはずだ。
俺は地図とルートを頭の中に叩きこんだ。
「結生、急いで研究所まで逃げよう。ゾンビが近くにいる音が聞こえたら教えて」
「わかりました」
せめて少しでも感応現象が起こることを祈りながら、俺は強く願った。
(早く避難しろ。頑丈な建物の地下へ逃げるんだ)
バスの出入り口にあった看板をどかし、俺は外にとびだした。
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