第82話* 広瀬美羽

 瓦礫の中で広瀬美羽は目をあけた。

 シールドとパネルと鉄パイプが偶然つくった隙間の中に広瀬美羽はいた。少しでも何かがずれていれば、美羽は崩壊したバリケードに押しつぶされて死んでいたはずだ。

 しばらく気配を消してじっとしていた後、美羽はパネルとパネルの間に光が差しこむ隙間があるのを見つけ、そこからずるずると外に這い出た。


 崩れ落ちたバリケードで道路は覆い尽くされていた。

 黒田順一はもういない。


「すっごい崩壊。普通はイチコロだね。ラッキー♪ 神様って、絶対性格悪いよね♪」


 美羽は青空を見上げた。

 もしも神様が存在するのなら、なぜこんな人間が生き残るように仕向けるのだろう。

 ついそう考えてしまうくらいには、美羽は自分の邪悪さを自覚していた。


 美羽は、天使のようにかわいい幼子だった昔から、幸せそうな子が、誰かに愛されている子が、憎くてしようがなかった。

 もちろん美羽は人前でそんな素振りは見せなかった。

 それに、小柄な少女がニコニコとかわいらしい表情をしていれば、みんなすっかり騙されてくれる。

 だけど本当は、美羽は他人の不幸を見たくてたまらなかった。

 親子、兄弟姉妹、恋人、どういう形であれ、そこに愛情があればそれを無惨に引き裂き苦痛を与えたくてたまらなかった。


 美羽が寧音と友達になったのも、寧音が不幸な子だと聞いたからだった。

 父は死に、母には捨てられた不幸な少女。そんな噂を聞いたから、寧音に近づいたのだ。

 でも、実際の寧音は不幸ではなかった。

 祖父母に愛され、妹を愛し守ることに一生懸命な寧音は、美羽よりずっと幸せそうだった。

 それでも不器用な寧音はちょくちょく周囲とケンカをしたり、片思いで失敗したりして落ちこむことがあったので、美羽は傍で励ましながら心の中で嘲笑う愉悦を感じることができた。

 素直で愚直な寧音は、そんな美羽の心のうちには決して気がつかなかった。


 寧音と親しくなるにつれ、美羽は寧音の妹、結生と一緒にいることも多くなった。

 美羽は結生が嫌いだった。もちろん、そんな素振りは見せなかったけれど。

 事実だけを見れば不幸をかき集めたような状態なのに、周囲の人間に愛され幸せに暮らしているかわいらしい盲目の少女。その上、まるでベタベタな昔話のヒロインのように心がきれいな女の子。

 美羽は、いつかこの少女が不幸のどん底に落ちることをいつも夢想していた。


 だから、寧音と結生を避難させる途中、パラダイスワンの残党に襲われた時、美羽はあえて結生を一人逃がして行方不明になるようにした。

 盲目の少女が、ゾンビが徘徊する町をひとりで歩いて無事で済むはずがない。

 無惨にボロボロになった姿を見つけるつもりだった。

 ところが、結生は無事な状態で見つかった。

 奇妙なゾンビ、木根文亮のせいで。


 結生がゾンビの木根文亮とずっと一緒にいたことを、美羽はすぐにしっかりと犬養に報告しておいた。

 その時点では、犬養は結生に興味をもたなかった。

 だが、あとは美羽の口先しだいでどうとでもなる。

 結生を自衛兵団の本部に連れて行ったのは、安全を確保するため、と見せかけて、実は結生を手中に収めた状態で犬養に悪意をささやくためだった。

 寧音の愛する犬養が、寧音の最愛の妹を手にかける。そんな愉快な悲劇を作り出すために。

 実際は結生がかってに犬養の逆鱗に触れたため、美羽が手を下すまでもなかったけれど。

 

 もう寧音にはどうすることもできないだろう。

 ゾンビの大群をつれてきたところで、木根文亮に結生をたすけることはできないはずだ。

 そして、美羽は結生にふりかかる惨劇を想像して、にやけてしまう。

  

 別に美羽は、不幸な家に生まれたせいでこんな風になったわけではない。

 美羽の両親は愛情表現こそ少なかったが、ケンカをするわけでもなく、お金にも困っていなかった。もちろん虐待なんて受けたことはない。

 だが、美羽はとにかく自分より幸せそうな人間、愛されている人間が許せなくて、不幸な人を見るのが楽しくて仕方がないのだ。

 そう感じてしまうんだから、どうしようもない。


 美羽はそんな自分が特別だとは思っていない。むしろ平凡なありふれた存在だと思っている。

(自分よりかわいくて、みんなに愛されている子に嫉妬するのって普通のことだよね。だって女の子だもん♪)と思っている。

 それに、嫌いな人間が不幸になればスカッとするのも普通のことだ。

 だから世間には人が不幸になって「ざまぁみろ」と言われる物語があふれているのだ。

 だからきっと、美羽みたいな人間はたくさんいるのだ。

 きっと、みんな見て見ぬふりをしているだけで、誰もがこんな欲望を心に秘めている。そして、みんなの隣には必ず美羽みたいな子がいるのだ。

 美羽は、そう思っている。


 なにしろ美羽だって、いつも通りの日常が続いている間は、フィクションと妄想の世界で他人の不幸を楽しんでいるだけだった。

 パンデミックが始まり、すべてが崩壊したあの日から、現実が想像を超える不幸と惨劇で溢れていき、そして、美羽の新しい趣味が生まれたのだ。

 こっそりと不幸の種をまき、不幸の芽を見つけ、裏から人の心を操って悲劇を起こす。この状況下では、簡単に不幸な惨劇が起こった。それが、楽しかった。


 今頃、結生ちゃんはどんな目にあっているかな?

 玲さんはパラダイスワンでどんな目にあったのかな?

 黒田君は、これから何を見るのかな?


 バリケード崩壊現場の傍でそんなことを考え、美羽はほくそ笑んだ。

 歩き出そうとして、美羽はふと立ち止まり、自分の足を見た。

 足から出血しているようだ。

 靴下が血で真っ赤に染まっている。


 そして、美羽は近くから小さくゾンビの唸り声がすることに気が付いた。

 崩れ落ちたバリケードの山の中に工事現場の作業員のような服装のゾンビがいた。

 ゾンビの腹部には鉄パイプが突き刺さり、血が流れ出ている。そしてその血は、たぶん、さっき美羽がいたあたりへと流れていた。

 美羽は靴下をずらして足のケガを確認した。足の傷は軽症でほとんど出血していない。

 ということは、布を染め上げている血液は、ゾンビから流れでたものだろう。


 数秒の間、広瀬美羽はこれが意味することを考え、結論に至った。


(あーあ。感染しちゃった♪)


 24時間以内に自分も必ず醜く無能なゾンビに成り果て、そして生ゴミみたいな扱いを受けて惨殺される。

 そんな絶望的な未来を知っても、不思議と美羽の心の中には絶望や失望が生じず、むしろ高揚感がひろがっていった。

 あと残された時間は何時間あるだろう。

 そして、その残り時間で、どれだけ多くの不幸を作り出せるだろうか?

 避難ゲートに向かって歩きながら、美羽は新しい最後のゲームの始まりに強い興奮と喜びを感じた。


 後はただ、できるだけ多くの人に不幸をふりまき、感染させるだけだ。

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