第81話* 黒田順一1

 避難ゲートの周辺には静けさが漂っていた。

 昨日までは少なくとも数人の警官が避難ゲートの見張りをしていたが、今はもう誰もいない。

 黒田順一は避難ゲート近くの建物の影でじっとターゲットを待っていた。


 あいつはきっと、一足早くここへ来るだろう。

 そう予想していた。

 避難ゲートは複数あるが、一か所はすでにゾンビに占領されている。残りのゲートで一番近いのは、ここだった。

 だから、ここで張っていた。


 そして、予想通り、ターゲットはやってきた。

 予想以上に都合よく、一人で。


「あ、黒田君♪」


 だいぶ離れたところで早くも黒田順一に気が付いた広瀬美羽は、笑みを浮かべていた。

 いつも通り裏で何を考えているのかわからない笑顔だ。

 広瀬はどこで調達したのか、防弾バイザー付きの防弾ヘルメットに防弾シールドまで装備していた。自衛兵団には支給されていないものだ。特殊部隊員の死体から奪ったのだろう。


 順一は、パンデミック以降の混沌とした世界へうまく順応してきたつもりだった。

 平和で退屈な高校生活よりも、日常が戦場と化した今の世界の方が居心地が良いくらいだった。

 自分の真価が発揮できる時代が来たように感じていた。

 だが、広瀬美羽を見ると感じる。

 こいつほどではないのかもしれない、と。

 普通の女子高生だったはずの広瀬美羽は、誰よりもこの残酷な世界を楽しんでいた。


「一人で逃げる気か? 広瀬」


 自衛兵団の仲間たちは今頃、犬養団長の命令に従って命がけで「走るゾンビ」こと木根文亮の討伐を行っているはずだ。

 広瀬は後ろめたさなんて微塵も感じさせない明るい声で言った。


「わたしは避難命令に従っているだけだよー♪ 黒田君こそ、なんでこんなところにいるのかなー? 走るゾンビは公園のほうだよ?」


 たしかに、木根文亮を放置してここにいる理由は、順一自身にもよくわからなかった。

 サッカー部の仲間たちは、昨夜全員死んだ。木根文亮のせいで。

 友達より大事な物はないはずだった。木根文亮より憎い相手はいないはずだった。

 だが、いた。もっと憎悪をかきたてる相手が。

 だから、順一はここにいる。


 銃口を広瀬に向けて、順一は咎めるように尋ねた。


「玲に何をした?」


 玲と順一は高1の頃に初めて会った。

 互いの親が、再婚を前に子ども同士を引き合わせたのだ。そして、その数か月後、ふたりの親は再婚し、一緒に住むことになった。

 引越し後、玲は黒田姓に変えて順一と同じ高校に転入することになった。玲は順一と同じ年齢だったため、同学年になった。

 ところが、同級生たちは転入してきた玲のことを、順一の双子の姉か妹だと勝手に思いこんだ。どちらも口数少なく、高身長で顔つきすらどことなく似ていたからだ。


 黒田順一の詰問に、広瀬美羽は明るい調子で答えた。


「あれ? 知らないの? 玲さんは志願してパラダイスに行ったよ?」


 広瀬の笑顔の向こうには嘲笑うような表情が読み取れた。


「知っている。だから、俺はここにいる」


 木根文亮にはめられて同じ隊の仲間を全員失った後、自衛兵団の本部に帰還した順一は、聞かされた。

 玲がパラダイスワンに感染源を持ちこむ自爆攻撃に出かけたと。

 しかも、二日も前に。

 黒田順一はその情報を全く知らなかった。良心がとがめた広瀬隊の隊員がこっそり教えてくれるまで。

 順一の絶望が絶望で上塗りされた。

 そして、驚いたことに、その知らせは親友をこの手で撃ったこと以上に、順一の心に苦痛を与えた。


 しばらく前から、自衛兵団の幹部の間では、ある汚い作戦の存在が知られていた。

 隔離地区内の犯罪者集団のところへ、ゾンビウイルスで汚染した食料や酒、そして感染初期の少女を送りこんで壊滅させる作戦。そんな作戦がこっそりと行われていた。

 立案者は広瀬美羽だった。


 自衛兵団のルールでは、ゾンビウイルスに感染した者は自ら死を選ばなければいけない。

 だから、感染した後、どうせ死ぬのなら迷惑な犯罪者を駆逐するために、と志願する者はこれまでにもいた。

 誰もとめなかった。

 犯罪者集団が全員ゾンビになった後で自衛兵団はゾンビ狩りを行い、自爆攻撃を行った仲間がもしまだゾンビとして生きていれば、確実に殺して手をあわせてやる。

 それが最善の策だと犬養は考え、幹部はみんな同調した。


 だが、玲のケースは違った。

 黒田順一は銃口を広瀬に向けたまま言った。


「玲は感染していなかった。なのに、おまえが玲をそそのかし、感染源を持たせてパラダイスに行かせたんだ」


「ちがうよー。わたしのせいにしないでよー。玲さんは志願していったんだよ。パラダイスの不良達が胡桃ちゃんを誘拐してたから。あれー? 黒田君、知らなかったの? 大好きな玲さんのことなのに?」


 無言の順一にそう問いかける妙に明るい広瀬の声は、腹黒い響きをまとっていた。


 一つ屋根の下で暮らすうちに男女が互いを好きになり恋に落ちる。映画やドラマなら、きっとそんな展開になる。

 でも、現実は違う。互いに好きになるなんて幸運はめったに起こらない。

 好きになったのは、順一の方だけだった。

 玲はバカにするような表情で冷たく「あんたとは、絶対にありえない」と言った。バッサリ心を斬りさるように拒絶して、それっきりだった。


 パンデミックが始まり、順一と玲はそれぞれ自衛兵団に入ったが、互いに相談したことはない。ほとんど会話をしたことはない。

 順一が玲を好きだということは、玲以外にはバレていないはずだった。

 広瀬美羽は悪魔のように目ざとい女だ。

 悪魔は嘲笑の響きを声にまとわりつかせて言った。


「胡桃ちゃんと玲さん、恋人同士だったんだよ♪ 玲さんが隔離地区に残っていたのも、胡桃ちゃんを探すためだもんね。でも、だいぶ前に胡桃ちゃんが誘拐されてたことがわかったの。だから、教えてあげたんだよ♪ たぶん胡桃ちゃんはパラダイスワンの不良達に奴隷にされて散々弄ばれて殺されたんじゃないかなって♪ そしたら、復讐するために、玲さんは志願して感染源を……」


 黒田順一は耐えきれず引き金を引いた。

 銃弾は広瀬美羽の防弾シールドとヘルメットにはじかれた。

 広瀬は片手に拳銃を持ち発砲した。

 あれは距離をつめさせないための牽制だろう。あれでは当たるはずがないが、うかつに近づけない。


 順一は建物の影に身を引いた。そして、あらかじめそこに置いてあった手榴弾を手に取り、広瀬に向かって投げつけた。

 手榴弾は広瀬美羽の持つシールドにぶつかり跳ね返った。

 舌打ちをしながら、順一は転がっていく手榴弾の行方を目で追った。


 跳ね返った手榴弾は道路脇の工事中のビルを覆うバリケードの足場の中へと転がっていった。

 一瞬の静寂の後に爆音が轟き、ビルを覆っていたバリケードが足場とともに崩壊していった。

 轟音と共に、道路へむかってバリケードのパネルが崩れ落ちていく。

 そして、バリケードのパネルと足場の鉄骨が、ぼうぜんと立ち尽くす広瀬美羽の姿の上に降っていった。


 道路は崩壊したバリケードと足場の残骸に覆い尽くされた。

 黒田順一は、数分間、山積みになったバリケードと鉄骨を静かに観察した。

 這い出る者はいない。

 これの下敷きになって生き残ることはできないはずだ。


(広瀬は始末した)


 アサルトライフルを手に、黒田順一は避難ゲートとは反対の方向に歩きだした。

 まだ、順一にはこの隔離地区でやるべきことが残っていた。

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