第9話 下校
学校の外の道路に降り立った俺は、すぐに学校から離れ、駅にむかおうと思った。
学校から家までは、電車に乗って3駅。自転車通学もできる距離だったけど、雨にも風にも負けるつもりの俺は、いつも電車で通学していた。
駅に向かって歩いていると、再び疲労感が襲ってきた。どちらかというと、精神的な辛さだ。
危険地帯を脱出した安心感から、たまっていたショックや疲労が襲ってきたようだ。
一刻も早く安全な家に帰って、ベッドにもぐりこみたい。すべてを忘れて眠りたい。
今の俺の願いはそれだけだった。
学校の外の住宅地の風景はいつも通りで、壁一つ隔てた向こう側であんな凄惨な殺し合いが起こっているとは想像できない静けさだった。
俺が見たことは全部幻だったのかもしれないとさえ、思えてきた。
よく考えてみれば、あんなことはありえない。俺は居眠りをして悪夢を見て、まだ寝ぼけているのかもしれない。
きっと、そうだ。そうにちがいない。
だけど、歩き出したところで、俺はすぐに現実に引き戻された。
むこうから歩いてきた女性が、俺を見るなり悲鳴をあげて逃げていった。
その様子を見て、俺は自分がどういう状態なのかを思い出した
俺の顔にはゾンビマークがうかんでいる。
包丁で切り裂かれ、あちこちに血痕のついた制服だけでも十分不気味だけど。
ボロボロの服にゾンビの顔。今の俺はどこからどう見ても、ゾンビだろう。
なんとかしてこの顔を隠さないと、とても電車に乗れそうにない。
俺はポケットの中をあさった。
ラッキーなことに、今日はちゃんとハンカチを持ってきていた。薄い大判の。
俺はハンカチを広げ、三角形に二つ折りにして、顔の下半分を覆い、頭の後ろで結んだ。
たぶん、今の俺は海外のニュースで見かける暴徒となったデモ参加者みたいな見た目だろう。
でも、きっとみんな、出会うならゾンビより暴徒の方がましだと思うはずだ。
これでほおや口の周囲はかくせたけど、おでこや目の周囲のゾンビマークはどうしようもない。
帽子とマスクが必要だな。
そう思いながら、俺は駅にむかって歩いて行った。
歩いていて、俺は上履きのままだったことに気がついた。でも、うっかり上履きで帰っちゃうことはありえるから、気にしないことにした。
高校生にもなって上履きで帰っちゃうとか恥ずかしい奴だけど。今は、そんなことは気にしてられない。
それより、この上履きは血染めで赤いから、これに気がつかれると問題だな。
でも、誰も他人の靴なんて見ていないから、きっと大丈夫だ。
色々ありすぎて感覚がマヒしていた俺は、堂々と歩けばのりきれるはずだと思って、強気にそのまま歩いて行った。
駅前は閑散としていた。
駅の中に入ろうとして、俺は改札口前で立ち止った。
駅員さんのアナウンスが響いていた。
電車はとまっているらしい。
しかたがない。歩いて帰ろう。
そう決めたところで、俺はようやく、冷静に今の俺の状態を考えて、気がついた。
そもそも、はじめから歩いて帰るべきだった。
電車は危ない。
逃げ場のない車内でゾンビがいるとバレれば、学校で起きたような大パニックが起こるだろう。俺は電車内で袋叩きにあって殺されていたかもしれない。
むしろ電車が止まっていて、ラッキーだった。
俺はもう少し、ゾンビ(襲われる者)としての自覚をもったほうがいい。
俺は反省しながら駅の外にむかった。
駅の外に出ると、駅前の飲食店の前で、ドアをバンバンと叩いて喚いている男がいた。
男の周囲には人がいない。というより、駅前にほとんど人がいない。
遠巻きに男にむかってスマホを向けている人は1人いたけど。
男は叫んでいた。
「開けろ! 客をいれないってのか! 俺を誰だと思ってるんだ!」
さらに男は、店の名前をSNSで流してやると言って脅していた。有名人なのかもしれない。
だけど。男の顔にはうっすらと、でも確実に、ゾンビマークが浮かんでいる。
店内の人がドアを開けるはずはない。
スマホを構えていた人が、俺の方にスマホを向けた。店の前の迷惑ゾンビ男よりもすごい奴がやってきた、というように。
俺は急いで駅前から走り去った。
しばらく歩いて行くと、飲み屋が並ぶ一画に通りかかった。
よだれをだらだらと流しながら、中年男が自分をゆびさしながら大きな声で叫んでいた。
「俺、ゾンビ」
男の言う通り、その顔にはゾンビマークが浮かんでいる。ゾンビ男は足元もおぼつかない。
もうかなりゾンビウイルスの症状が進んでいて、まっすぐ歩くことができないんだろう。
俺は自暴自棄な気分で、「俺もゾンビ」とゾンビ男に言いに行こうかと思った。
だけど、そこで俺は気がついた。
近くの、接待を伴いそうな飲食店の入り口から、ゾンビ男の様子を見張っている人達がいる。
俺は経験から学んでいた。
ゾンビは怖くないけど、人は怖い。
人の目を引くような行動は避けるべきだ。
どこからか、パトカーのサイレンの音が聞こえ、その音が近づいてきた。
危険を感じ、俺は細い路地に入った。
路地の影に身を隠すようにして、俺はゾンビ男の様子をうかがっていた。
サイレンを鳴らして走ってきたパトカーとボックスカーが飲食店の並ぶ狭い通りの中でとまった。
ゾンビ男の傍にとまったボックスカーから、防護服を着た数人が、さすまたのような道具を持って下りてきた。
パトカーから降りた警官たちは遠まきにゾンビ男を囲んで銃を構えている。抵抗すれば、すぐに撃つ、というように。
防護服を着た人達が、「俺、ゾンビ」とつぶやき続けている男をさすまたのような道具と、先に輪のついた棒のような道具で捕獲した。
人間ではなく動物を相手にしているような様子だった。
両手を胴体に縛り付けられた状態のゾンビ男は、鉄格子のついた車の中に押しこまれた。
ゾンビ男を収容すると、防護服姿の人々と警官は速やかに撤収していった。
次の地点がどうとか言っているのが聞こえた。
あちこちでゾンビを捕まえているのだろう。
ゾンビ男が連れ去られるのを目のあたりにして、俺は頭から冷や水をかけられたように感じた。
俺はもっと警戒する必要がある。
ゾンビだからと襲ってくるのは、パニックになった人達だけじゃない。
俺はすでに、そこにいるだけで公に逮捕される人間なのだ。
今この世界でゾンビであることがバレれば、どんな目にあうかわからない。
学校の外の世界は、あの狂った学校よりマシとはいえなかった。
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