第5話 目覚め
どれだけの時が経ったのだろう。
目ざめた時、俺の傍にはゾンビがいた。
服がはだけて半裸に近い様子の女子生徒だ。顔はもちろん全身の皮膚にゾンビマークが浮かんでいる。
女子ゾンビは、よだれを垂らしたまま座りこんでいる。
すぐそばに俺がいるのに、俺を気にする様子はまったくない。
俺は、ゆっくりと起き上った。ここは体育館の傍にある倉庫の中だった。ドアは少しだけあいているけど、ほぼ閉まっている。
全身の痛みや激しい頭痛、異様な体の重たさは消えていた。
でも、頭の中に雲がかかったような、頭の中で漏電でも起こっているような、変な感じはする。
年越しに徹夜した後の脳みそみたいな感じだ。ちなみに俺は睡眠は脳の活動に大事だと知っているのでテスト前に無駄に徹夜することはない。テスト期間中は、むしろ10時間睡眠を確保だ。
ちょっと変な感じはするけど、俺はいつも通りの状態に戻っていた。
あのままゾンビになるかと思ったけど、どうやら俺はまだ感染していなかったようだ。
そう思いながら、俺は倉庫の外に出た。
喉が渇いていたので、俺は体育館前のウォータークーラーで水をがぶ飲みした。
水を飲んでいると、体育館の方から奇妙な音が聞こえてくるのに気がついた。「うー」とか「あー」とか唸り声のような音が。
俺は体育館の入り口にそっと近づき、中の様子をうかがった。
体育館のステージ上で、ゾンビになった橋本が、歌にならない歌のような唸り声をあげ、だらりとさがった手足を引きずるように踊っている。
さっきから聞こえている変な音は、橋本の歌声のようだ。
橋本の顔には、もちろんゾンビマークがうかびあがっていて、動きも緩慢だ。
それでも、どことなくアイドルっぽさが残っていて、ゾンビアイドルがライブを行っているみたいに見える。
でも、そういえば昔から橋本は歌も踊りも壊滅的なアイドルだった。見た目はかわいいのに地下アイドルどまりだった理由は、それだ。
実は橋本は以前とあまり変わっていないかもしれない。と、俺は橋本ゾンビの単独ライブを眺めながら思った。
体育館の中には何人も生徒がいるけど、不思議なことに誰もステージ上で歌い踊るゾンビを気にしていない。
生徒達は、バスケットボールを抱えて座り込んでいたり、のんびり寝ころんでいたり。
体育館の中の生徒達の手や顔を観察して、俺は理解した。
みんな、皮膚にはっきりとゾンビマークがうかんでいた。
この体育館にいるのは、みんなゾンビだ。
ゾンビだらけの体育館なんだけど、なぜか休日の公園みたいな妙に平和な空間になっている。
俺はゾンビたちに気がつかれないように、そっと体育館を離れた。
尿意を感じて、俺は近くの男子トイレにむかった。
そっと中をのぞいてみた。男子トイレの中には誰もいない。
俺は背後から襲われないように個室に入った。用を足し終え、俺はふたをした便器に座って休んだ。
男子トイレの中は平和だ。
人の気配もゾンビの気配もない。俺はここでゆっくり休むことにした。
気を失う前のような激しい倦怠感や頭痛はなくなったけど、全身にどっしりとした疲労を感じる。
しばらく休んでも、何も起こらなかった。
俺はそっとドアを開けて個室をでて、手を洗った。
手を洗い終えたところで俺はふと目の前の鏡を見た。
そこで、俺は思わず叫んでしまった。
鏡の中には、ゾンビが映っていた。
ぎょっとして、後ろを見ようとしたところで、俺はもっと酷い現実に気がついた。
これは、俺の顔だ。
恐怖が悪寒になって俺の背筋を走っていった。
俺は、おそるおそる自分の顔にうかぶゾンビマークを手で触れた。
痛みはない。
だけど、俺の指がふれた場所には、まちがいなくゾンビマークがうかんでいる。
生気のない顔に、これでもかと浮かぶ不気味なアザ。
制服とシャツの袖をまくってみれば、腕にもゾンビマークがでていた。
(俺はゾンビになったのか?)
俺の外見は、確実にゾンビウイルスにやられている。ゾンビそのものだ。
だけど、俺の頭は正常だ。体も普通に動く。
ひょっとしたら、これから脳が破壊されるのかもしれないけど。
でも、そんなことより……。
俺は頭に浮かんだ疑問について考え出した。
ゾンビになっても受験はできるのか?
特別室受験は可能か?
いや、でも試験会場まで、どうやっていけばいいんだ?
やっぱり感染者は受験できないのか……?
それに、受験をクリアしても、ゾンビが大学生活を送れるのか……。
いや、そもそも、俺はこんな時に何を考えているんだ?
受験とか言ってる場合じゃないだろう……。
やっぱり、俺の脳はウイルスにやられているのかもしれない。
思考回路が変だ。
以前から、クラスの奴らには変わったやつだと思われていたけど……やっぱり、俺の脳はこんなものかな。
俺はそんなことを考えながらトイレを出て、学校の外に出ようとした。
体育館から校舎の本館の方に移動しながら、俺はカバンをとりに行くことを思いついた。
どうやら俺をゾンビが襲ってくることはなさそうだ。俺はもうゾンビなんだから。
それに、ゾンビの強さは通常の人間並みかそれ以下だから、ゾンビの危険度は普通の人間と同じだ。
すでに感染している俺は、いまさら感染を恐れる必要もない。
つまり、今の状態は、普通に高校生活を送っていた昨日までの状態と何も変わらない。
だったら、荷物を取ってから帰ろう。
いや、腹が減ったから、弁当を食べてから帰るか。
俺は奇妙なほど、平常心と落ち着きを取り戻していた。
こうなってしまえば、俺は安全だ。
そう思いこんでいた。
でも、これが大きな間違いだということに、俺はすぐに気がつくことになった。
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