第3話 視聴覚室からの追放

 視聴覚室には廊下側の窓はない。廊下との間には厚い壁と金属のドアがある。つまり、ドアのカギを閉めておけば、とりあえずゾンビに襲われる心配はない。

 ここで落ち着いてどうすべきか考えよう。

 俺がそう考えたところで。


「ここならば、しばらくは安全だ。どうすべきか考えよう」


 俺が考えていたのと同じことを発言したのは、生徒会長の犬養悟だ。

 犬養は超優等生だけど、なにかと俺に敵意をしめす。特に俺のテストの点が、あいつより良かった時から。

 俺は学校のテストは赤点にならなければ良いと思っていて、対策しない。テスト前日に1、2回教科書を読むくらいだ。

 ということを犬養に言ったら、あの時、あいつは真っ赤な顔で歯ぎしりをしていた。あれ以来、俺は犬養にやたらと敵視されている。


 犬養のそばには、洋弓がおかれていた。そういえば、犬養はアーチェリー部だった。

 犬養の横で木刀を手にしているのは、副生徒会長の高木寧音。剣道部の主将だ。

 その後ろに、生徒会書記の宇野もいる。宇野の横には工作用のノコギリがある。


 どうやら、俺は生徒会のやつらと一緒に、この部屋に逃げこんでしまったらしい。

 一方で、ここには2年生も3年生も、加藤をはじめとした俺のクラスのやつらもいた。

 生徒会長の犬養が話しはじめた。


「まず、状況を整理しよう。校内でゾンビウイルス感染者が出たのは間違いない。ゾンビウイルス感染者は周囲の生徒を襲っているようだ」


(襲っている……のか?)


 ゾンビウイルス感染者は、あちこちで感染を広げそうな行動をとっていた。だけど、俺が見る限り、狂暴とはいえない。あきらかに前田より村田の方が狂暴そうだった。

 生徒会副会長の高木が言った。


「ゾンビになった生徒は少なくとも複数いる。校内でクラスターが発生しているようだ」


 犬養は苦々しく言った。


「校内でクラスターとは。感染対策を徹底し、感染者の濃厚接触者や発熱がある者は登校しないように周知していたはずだ」


 俺は犬養に教えておいた。


「発症して30分後にはゾンビになる者もいるんだ。発症者が感染したのは、きっと今朝だ。人によっては、通学中か通学後に感染したのかもしれない」


「30分で発症? それはどこの情報だ? ネットのデタラメじゃないだろうな?」


 犬養は俺につっかかるように言った。

 俺の情報源は父だ。父さんの伝える情報はテレビのニュースより確かだけど、こいつに教える必要もない。

 俺は黙っていた。

 犬養は俺をバカにするように笑った。


「ふん。デマに流されるとは」


「会長。この後どうしますか?」


 生徒会書記の宇野がたずねた。俺なら「ここから無事に逃げることを考えよう」と提案する。

 だけど、犬養の返事は、俺にとって予想外のものだった。


「感染者を野放しにして、この学校から感染を広げるわけにはいかない。やつらを始末する。なんとしてでも感染の拡大をくいとめるんだ」


(始末? 何をするつもりだ?)


 俺が不審に思っていると、ノートに何かを書きこんでいた生徒会書記の宇野が言った。


「目撃情報のあった感染者リストをつくりました。山本玲央、前田太郎、橋本千里……」


(橋本……?)


 その名前を聞いた時、俺の背筋が凍った。


「おい、橋本って。今朝、みんなにフリーキスとか言って、やたらと抱きついてキスをしてたよな」


 誰かが、そう口にした。


「じゃ、橋本のフリーキスで、みんな感染したんじゃ……」


 ゾンビウイルスは感染者の体液で感染する。

 詳しいことはわかっていないけれど、血液からだけではなく、唾液から感染する可能性もあるだろう。

 キスから感染することがあり得るとしたら。もしもフリーキスをふりまいていたあの時点で橋本が感染していたら……。


 それに、今になって思えば、橋本がフリーキスをふりまいていたのは、感染してゾンビウイルスに脳を支配されはじめていたからかもしれない。

 ゾンビウイルスの目的はひとつ。

 感染者の脳を支配し、感染を拡大する行動をとらせることだ。

 

 俺は、急に極度の疲労と動悸を感じ始めた。

 汗がびっしょりと流れ出てシャツをぬらしている。

 前田が橋本のフリーキスを受けていたのかは、わからない。覚えていない。でも、たしか、山本はあの時……。

 その時、聞きおぼえのある声が響いた。


「なぁ、木根って、橋本のフリーキスを受けてたよなぁ?」


 すっとぼけた声でそう発言したのは、加藤だ。俺以上に濃厚に橋本のフリーキスを受けていたはずの。

 加藤の顔は真っ青だ。自分に疑いの目が向く前に俺を売ることにしたらしい。

 加藤のやつ。いちおう友達だと思っていたのに。


 即座に、高木が木刀を俺にむけて構えた。

 犬養のやつはアーチェリーを手に取り、俺に向けた。

 宇野は工作室のノコギリを握りしめている。

 3人とも、今にも手にした武器で俺を攻撃しそうだ。


 俺はできるだけ冷静な声で言った。


「やめろ。俺はゾンビじゃない。それに、もしも俺が感染していたら。そんなもので感染者を攻撃したら、血液から感染がひろがる……」


 犬養は矢の先を俺の目に向けながら、冷たい声で言った。


「これ以上感染を広げるわけにはいかない。まともな思考力があるというなら、ここから出ていけ。出て行かないというなら、感染行動を止めるために殺す。今すぐ出ていくか、ここで死ね」


 犬養の目は本気だった。

 たとえ同級生であろうと容赦なく殺す気らしい。

 部屋の中はシーンとしていて、俺を擁護する声は、ひとつも聞こえない。


「わかった。出ていく。出ていく」


 俺は両手の平を見せながらあとずさりし、ドアにむかった。

 出ていく前に、俺はちらっと加藤を見た。加藤は青い顔でうつむいていた。

 俺が感染しているなら、あいつこそ感染していておかしくない。

 加藤がここにいたら、じきに発症して感染をひろげるかもしれない。


(言うべきか?)


 でも、俺は何も言わずに視聴覚室を出た。

 今さら加藤を助ける義理もないけど、ここにいる他の奴らを助ける義理もない。

 それに、俺や加藤が感染したと決まったわけではない。


 俺が外に出ると、即座にドアが閉じられカギが閉められた。

 視聴覚室前の廊下には、今は人もゾンビもいなかった。廊下の向こう、すこし離れたところにゾンビはいるけど、俺に気がついた気配はない。

 俺は視聴覚室のドアに背をあずけ、ほっと息を吐いた。ゾンビより、生徒会の奴らのあの冷たい目の方が怖かった。

 

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