義妹が【にゃんにゃん症候群】になってしまったようだ。
森林梢
義妹が【にゃんにゃん症候群】になってしまったらしい。
髪は黒のツインテール。コバルト色の
白くきめ細やかな肌。整った目鼻立ち。非の打ち所がない美少女である。
今日のルームウェアは、ピンクベージュのパーカーに、オーバーサイズの黒いスウェットという組み合わせだ。
そんな彼女は、リビングのソファに腰を下ろし、タブレットを弄っている。漫画を読んでいる模様。
不意に奈子が顔を上げた。
俺が入室したことに気付いた彼女は、渋面で吐き捨てる。
「にゃ、にゃんだよ。ジロジロ見んにゃ」
威嚇する猫を彷彿とさせる言動だった。
「気にすんにゃ。にゃんでもにゃい」
「真似するにゃ!」
「真似してにゃいぞ」
「んにゃー!」
さて。
彼女がにゃーにゃー言っている理由について、早めに説明しておこう。
事の
◇
その日の午前七時半。
俺はいつも通り、リビングで朝食を食べていた。
メニューは大盛りのカレーライス。
スポーツマンゆえ、良質かつ大量の栄養が必要なのだ。
よく噛んで食べていると、奈子がリビングに現れた。
彼女は寝ぼけ眼で呟く。
「おはよ」
「うす」
いつも通りの雑な挨拶。
御覧の通り、我々は不仲ではない。
しかし、仲が良いとも言えない有様。この状態が何年も続いている。
前々から、何とかしたいと思ってはいるが、未だ糸口は見つかっていない。
どうすればいいのだろう……。
顔を上げてみれば、奈子がこちらに視線を向けている。
思わず尋ねた。
「俺の顔に、何か付いてるか?」
「にゃんでもにゃい」
「……は?」
反射で
「ちょっと噛んだだけ! いちいち反応すんにゃ!」
無茶を言うな。
いきなり妹がにゃーにゃー言い出したのだ。反応するに決まっている。
「ど、どうしたんだ?」
「にゃんでもにゃいって!」
席を立ち、その場から去ろうとする奈子。
慌てて彼女の手を掴み、コミュニケーションを試みる。
「嘘つけ」
「はにゃせ!」
「ガム食べてるのか?」
「たべてにゃいから! はにゃせ!」
腕をブンブン振り回す奈子と共に、俺は、かかりつけの病院へ行くことにした。
◇
泉医院。
個人経営の小規模な病院で、猫山家は
そんな泉医院の診察室にて。俺と奈子は待機中。
「にゃんで、こんにゃことで病院に来にゃきゃにゃらにゃいんだよ」
「……確認するぞ。『何で、こんなことで病院に来なきゃいけないんだよ』って言ったのか?」
「そんにゃの、確認しにゃくても分かるでしょ!」
いや、結構ギリギリだよ。
ため息を吐くと同時、後方の扉が開き、一人の女性が入ってきた。
綺麗に染めた金の長髪が、歩みに合わせて華麗に
涼しげな目元。通った鼻筋。薄桃の唇。初雪のような、美しく白い肌。
白衣に黒のスキニーパンツという格好。奈子に勝るとも劣らないプロポーションである。
泉美々。この病院の院長だ。
彼女は、革張りのチェアに腰を下ろし、神妙な面持ちを浮かべる。
……
俺の覚悟が決まるのを待たず、泉先生は真顔で言う。
「にゃんにゃん症候群ですね」
数秒の間を置いてから、俺はおずおずと返した。
「……すいません。上手く聞き取れなかったので、もう一度言ってもらってもいいですか?」
「にゃんにゃん症候群ですね」
「……」
俺を置いてきぼりにして『にゃんにゃん症候群』の説明は続く。
「な行から、上手く話せなくなり、最終的には『にゃん』としか言えなくなります」
この人は、真剣な顔で何を言っているんだ?
表情で異を示しても、彼女は止まってくれない。
「猫のように甘えたいという思いが蓄積し、爆発してしまったのです。要するに、彼女はお兄ちゃんに猫みたく甘えたいと思っているのです」
「マジか」
「お、思ってにゃいわ!」
自覚なし。つまり、深層心理の問題か。
改めて、俺は泉先生に尋ねる。
「にゃおす方法はにゃいんですか?」
「にゃす術にゃし、というやつですね」
「にゃんということだ……。にゃんとかしてやってください」
「お兄さん、どうかにゃーばすににゃらにゃいでください。しばらく様子をみて、にゃんともにゃらないと判断したら、また来てください。にゃん」
「お前ら遊んでるだろ!」
奈子の絶叫が診察室に響き渡った。
◇
帰宅直後。俺は言った。
「奈子」
呼びかけに振り返る義妹。
真剣な面持ちで、本音を伝える。
「してほしいことがあれば、遠慮なく言ってくれ」
「そ、そんにゃの、にゃいもん!」
赤面して叫ぶ奈子。廊下を踏み鳴らして階段の方へ。
「お、お兄ちゃんのことにゃんか、にゃんとも思ってにゃいんだから!」
「……」
「調子に乗るにゃよ!」
「分かったから、落ち着け」
◇
翌日。朝七時半。
リビングで朝食を摂っていると、奈子が起きてきた。
彼女は眠そうに目をこすりながら言う。
「おにゃにょ」
「……は?」
反射的に顔を向けると、奈子は声を荒げた。
「おにゃにょうっていっにゃんにゃにょ!」
「……」
おそらく、おはようと言ったのだろう。
――たった一日で、にゃんにゃん症候群は悪化している!
俺は奈子に聞いてみた。
「頼むから、要望があれば言ってくれ。本当にコミュニケーションが取れなくなるぞ」
途端、奈子が紅い顔を伏せて呟く。
「……にゃで、……しにょ」
「え?」
「あ、あにゃまにゃでにゃでしにょ!」
「……頭なでなでしろ、で合ってるか?」
「あってにゅ! はにゃくしにょ!」
指示に従い、優しく頭を撫でる。
さらさらとした感触が心地よい。フローラル系の香りが鼻腔をくすぐった。
「……どうだ?」
「なおった」
よし、決めた。今後も、出来るだけの協力はしよう。
何故かニヤニヤする奈子に頼み込む。
「もう遠慮するなよ。マジでにゃーしか言えなくなったら困るから」
「……言われにゃくても分かってるから」
◇
翌日。
泉医院を訪れた私――猫山奈子――を見て、泉さんは不敵に笑った。
「上手くいったね~。お兄さん、馬鹿で良かったね~」
「うるさい」
「【にゃんにゃん症候群】なんて存在しないのにね~。ちょっと考えたら、分かりそうだけどね~」
「黙って」
鼻を鳴らす私を見て、泉さんは半笑いで言う。
「せっかく協力してあげたのにー。かにゃしいにゃー」
「うるさい!」
軽薄な態度が、腹立たしいことこの上ない。
わざと不愉快な態度を取る私に、泉さんがサムズアップした。
「お兄ちゃんと仲良くなれるように、頑張ってね」
「……い、言われるまでも無いから!」
義妹が【にゃんにゃん症候群】になってしまったようだ。 森林梢 @w167074e
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