義妹が【にゃんにゃん症候群】になってしまったようだ。

森林梢

義妹が【にゃんにゃん症候群】になってしまったらしい。

猫山奈子ねこやまなこは、両親の再婚に伴って、俺の義妹となった少女だ。

髪は黒のツインテール。コバルト色の双眸そうぼうが、きらりと輝く。

白くきめ細やかな肌。整った目鼻立ち。非の打ち所がない美少女である。

今日のルームウェアは、ピンクベージュのパーカーに、オーバーサイズの黒いスウェットという組み合わせだ。

そんな彼女は、リビングのソファに腰を下ろし、タブレットを弄っている。漫画を読んでいる模様。

不意に奈子が顔を上げた。

俺が入室したことに気付いた彼女は、渋面で吐き捨てる。


「にゃ、にゃんだよ。ジロジロ見んにゃ」


 威嚇する猫を彷彿とさせる言動だった。


「気にすんにゃ。にゃんでもにゃい」

「真似するにゃ!」

「真似してにゃいぞ」

「んにゃー!」


さて。

彼女がにゃーにゃー言っている理由について、早めに説明しておこう。

事の顛末てんまつは、一週間前まで遡る。



その日の午前七時半。

俺はいつも通り、リビングで朝食を食べていた。

メニューは大盛りのカレーライス。

スポーツマンゆえ、良質かつ大量の栄養が必要なのだ。

よく噛んで食べていると、奈子がリビングに現れた。

彼女は寝ぼけ眼で呟く。


「おはよ」

「うす」


いつも通りの雑な挨拶。

御覧の通り、我々は不仲ではない。

しかし、仲が良いとも言えない有様。この状態が何年も続いている。

前々から、何とかしたいと思ってはいるが、未だ糸口は見つかっていない。

どうすればいいのだろう……。

思索しさくふけっていると、不意に違和感を覚えた。

顔を上げてみれば、奈子がこちらに視線を向けている。

思わず尋ねた。


「俺の顔に、何か付いてるか?」

「にゃんでもにゃい」

「……は?」


反射で眉根まゆねを寄せてしまう。奈子は顔を真っ赤に染めて叫んだ。


「ちょっと噛んだだけ! いちいち反応すんにゃ!」


無茶を言うな。

いきなり妹がにゃーにゃー言い出したのだ。反応するに決まっている。


「ど、どうしたんだ?」

「にゃんでもにゃいって!」


席を立ち、その場から去ろうとする奈子。

慌てて彼女の手を掴み、コミュニケーションを試みる。


「嘘つけ」

「はにゃせ!」

「ガム食べてるのか?」

「たべてにゃいから! はにゃせ!」


腕をブンブン振り回す奈子と共に、俺は、かかりつけの病院へ行くことにした。



 泉医院。

 個人経営の小規模な病院で、猫山家は度々たびたびお世話になっている。

 そんな泉医院の診察室にて。俺と奈子は待機中。


「にゃんで、こんにゃことで病院に来にゃきゃにゃらにゃいんだよ」

「……確認するぞ。『何で、こんなことで病院に来なきゃいけないんだよ』って言ったのか?」

「そんにゃの、確認しにゃくても分かるでしょ!」

 

いや、結構ギリギリだよ。

ため息を吐くと同時、後方の扉が開き、一人の女性が入ってきた。

綺麗に染めた金の長髪が、歩みに合わせて華麗になびく。

涼しげな目元。通った鼻筋。薄桃の唇。初雪のような、美しく白い肌。

白衣に黒のスキニーパンツという格好。奈子に勝るとも劣らないプロポーションである。

泉美々。この病院の院長だ。

彼女は、革張りのチェアに腰を下ろし、神妙な面持ちを浮かべる。

早速さっそく、診断結果を伝えるつもりらしい。

……大病たいびょうの直前には、呂律ろれつが回らなくなると聞いたことがある。心配だ。

 俺の覚悟が決まるのを待たず、泉先生は真顔で言う。


「にゃんにゃん症候群ですね」


数秒の間を置いてから、俺はおずおずと返した。

「……すいません。上手く聞き取れなかったので、もう一度言ってもらってもいいですか?」

「にゃんにゃん症候群ですね」

「……」


俺を置いてきぼりにして『にゃんにゃん症候群』の説明は続く。


「な行から、上手く話せなくなり、最終的には『にゃん』としか言えなくなります」


 この人は、真剣な顔で何を言っているんだ?

 表情で異を示しても、彼女は止まってくれない。


「猫のように甘えたいという思いが蓄積し、爆発してしまったのです。要するに、彼女はお兄ちゃんに猫みたく甘えたいと思っているのです」

「マジか」

「お、思ってにゃいわ!」


自覚なし。つまり、深層心理の問題か。

改めて、俺は泉先生に尋ねる。


「にゃおす方法はにゃいんですか?」

「にゃす術にゃし、というやつですね」

「にゃんということだ……。にゃんとかしてやってください」

「お兄さん、どうかにゃーばすににゃらにゃいでください。しばらく様子をみて、にゃんともにゃらないと判断したら、また来てください。にゃん」

「お前ら遊んでるだろ!」


奈子の絶叫が診察室に響き渡った。



帰宅直後。俺は言った。


「奈子」


呼びかけに振り返る義妹。

真剣な面持ちで、本音を伝える。


「してほしいことがあれば、遠慮なく言ってくれ」

「そ、そんにゃの、にゃいもん!」


赤面して叫ぶ奈子。廊下を踏み鳴らして階段の方へ。


「お、お兄ちゃんのことにゃんか、にゃんとも思ってにゃいんだから!」

「……」

「調子に乗るにゃよ!」

「分かったから、落ち着け」



翌日。朝七時半。

リビングで朝食を摂っていると、奈子が起きてきた。

彼女は眠そうに目をこすりながら言う。


「おにゃにょ」

「……は?」


反射的に顔を向けると、奈子は声を荒げた。


「おにゃにょうっていっにゃんにゃにょ!」

「……」


おそらく、おはようと言ったのだろう。

たまらず戦慄した。


――たった一日で、にゃんにゃん症候群は悪化している!


俺は奈子に聞いてみた。


「頼むから、要望があれば言ってくれ。本当にコミュニケーションが取れなくなるぞ」


 途端、奈子が紅い顔を伏せて呟く。


「……にゃで、……しにょ」

「え?」

「あ、あにゃまにゃでにゃでしにょ!」

「……頭なでなでしろ、で合ってるか?」

「あってにゅ! はにゃくしにょ!」


指示に従い、優しく頭を撫でる。

さらさらとした感触が心地よい。フローラル系の香りが鼻腔をくすぐった。


「……どうだ?」

「なおった」


 効果抜群こうかばつぐんじゃないか!


よし、決めた。今後も、出来るだけの協力はしよう。

何故かニヤニヤする奈子に頼み込む。


「もう遠慮するなよ。マジでにゃーしか言えなくなったら困るから」

「……言われにゃくても分かってるから」



翌日。

泉医院を訪れた私――猫山奈子――を見て、泉さんは不敵に笑った。


「上手くいったね~。お兄さん、馬鹿で良かったね~」

「うるさい」

「【にゃんにゃん症候群】なんて存在しないのにね~。ちょっと考えたら、分かりそうだけどね~」

「黙って」


鼻を鳴らす私を見て、泉さんは半笑いで言う。


「せっかく協力してあげたのにー。かにゃしいにゃー」

「うるさい!」


軽薄な態度が、腹立たしいことこの上ない。

わざと不愉快な態度を取る私に、泉さんがサムズアップした。


「お兄ちゃんと仲良くなれるように、頑張ってね」

「……い、言われるまでも無いから!」


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