第十二話『我儘な聖剣』

「……さて、と」


 腰に仮面を携えて、『勇者』エリス・アールゼルグは不敵に笑う。どういう魔術の賜物か、その体は空中浮遊を成功していた。


「まさか、こんなところで手放したはずの力に頼ることになるなんてね……」


 我ながら、途轍もなく都合のいい使い方をしていると思う。だけどまだ勇者の加護はエリスの中にあるのだから、それも許されていると解釈していいのだろう。というか、そういうことにしておく。


「あたしは力を使わされてるんじゃない。……ちゃんと、自分の意志で使おうって決めてるんだから」


 ――王国のために剣を振ることが馬鹿らしくなったのは、いったいいつからだっただろうか。戦いの虚しさを知ったのはいつだっただろうか。勇者なんて絶対的な存在が居たとしても、しょうもない戦いは、争いは、汚い人間はいなくなってくれないのだ。それを知ったのは、いったいいつだったか。


 本当にぶっ飛ばさなきゃいけない人は切ることも殴ることもできなくて、その人にあごで使われて戦場に赴き続ける。そんな日常に、過去の勇者はどうして嫌気がささなかったのだろう。意味が分からない。


 だから、自分の方を消すことにした。努力に努力を重ねて城を抜け出して、その近くに構えていたあの店に依頼をして、『自分自身』を遠くに運び出してくれることを祈った。『勇者』エリス・アールゼルグの存在だけを、的確に殺そうとした。


 その結果が今の日常だ。それをもたらしてくれたコウスケには感謝しかないし、どうにかして恩返しがしたいと思っている。……まあ、普段はそんな殊勝な態度を取れないのが不思議なのだけど。


「……多分、あたしって勇者に向いてないのよ」


 純粋な正義感だけで、正義と悪の線引きが出来ればよかった。明確に悪い奴だけを悪い奴って認識して、それを疑わずにいられれば良かった。エリスは、生憎そうじゃなかった。勇者を選定している何者かも、耄碌して視力が弱くなったんじゃないかと疑わざるを得ない。


「……だけど、まあ感謝してあげるわ。……あたしが勇者になったのは、きっと今この瞬間のためだろうから」


 正義とか悪とか、細かい事はどうだっていい。ただ、自分が守りたい人たちを、一緒に居たい人たちを守るために、その剣を振るう。それが、エリスの気質には一番合っていた。


「運び屋としての矜持も、あたし達との未来も求める。それはきっととんでもない我儘で、自分だけの力じゃどうにもならない事。だけど、アイツは求めた。なら、それを叶えるのは従業員である私たちの仕事よね」


 仮面と反対側に携えた聖剣の柄に手をかけ、ゆっくりと引き抜く。バレないように地味な作りにしたその鞘から、まばゆいばかりの刀身が顔を出した。


「……さあ、久々に全力で行くわよ。少し疲れるけど、まあいいでしょ」


 何せ、仕事が終わったら高級スイーツを買ってくれると約束してくれていたから。それを手にすることができるなら、この力を振るうことだってやぶさかではない。


 聖剣をゆっくりと構え、大上段へと引き上げる。そのゆっくりとした動作が進むたびに剣が光を携え、構えが完全に終わったときにはその光は天に向かってどこまでも伸びていた。


「星々の主よ、私を選び給うた目の悪い誰かさんよ。……身勝手な私にでも、力を頂戴」


 世界を震撼させる力なんていらない。ただ、あの我儘な店主を守れるだけの力を。我儘な上司が望んだ未来を、描くための力を。


「せ……えええええええッ‼」


 全身全霊の力を込めて、エリスは剣を振り下ろす。その動きに追随するかのように、光の斬撃が空を覆う魔弾に向かって差し向けられた。


 ほどなくしてそれは互いに衝突し、天高くで途轍もないエネルギーが爆ぜる。しかし、その全ては降り注いだ光に呑みこまれ、地面に届くことはない。相手国の後衛魔術師たちが総力を結集してはなった一撃も、勇者の強い意志を乗せた一撃の前には全てが徒労に終わるのだ。


 その決着はあっけなく、どうしようもなく理不尽だ。だが、それが勇者という存在。かつてその称号を嫌った少女は、たった一人のエゴを叶えるためにその剣を振るったのだ。途轍もなく我儘なそれを、理不尽と言わずしてなんというだろうか。


「ごめん……なんて、言ってやらないからね」


 聖剣を鞘に納めながら、エリスはゆっくりと地面へと降下していく。当然、その時に身分を隠すための仮面をつけておくのも忘れない。


「……ここまで頑張ったんだもの。……そっちも、上手くやってるんでしょうね?」


 着地地点でバレないように少し横に移動しながら、今前線にいるであろうカーゴの姿を探す。すると、ほどなくしてカーゴの傍に立つ我儘な店主の姿がその視界の中にはっきりと映って――


「……そうそう、それでいいのよ」


――その隣にいる大柄な男性が笑顔で荷物を受け取っている様子を見つめて、エリス――否、『オーワ』の店員エリーは満足そうな笑みを浮かべた。

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