第九話『本能と理性と』
「……ん、う……?」
「ああ、目が覚めたか。しばらく倒れ伏してるからこのまま一日くらい伸びてたらどうしようかと」
目的地に向かって進むカーゴの後部座席でマーシャに膝枕をされていたランスが、唸り声とともに体を起こす。マーシャの全力鎮静術式が発動してから、三十分は経っているかというところだった。
「……ああ、ボクはたしか魔物と戦って、その途中で本能に飲まれかけて――」
「ちょっと歯止めが効かなそうな感じだったから私が軽くのして、そのままマーシャに引き渡したって感じね。今回の術式、相当効いてるんじゃない?」
「ごめんなさいい! ちょっと事情がありまして、かなり強く鎮静術式をかけちゃいましたあ……」
エリーの報告に続くようにして、マーシャが自分の張り切り過ぎを謝罪する。ランスも最初は何が何やらと言った様子だったが、腕をぐるぐるとまわしてみるとその違和感に気が付いたようだった。
「……おかしいな。いつもより、二割り増しくらいで体が重いや……」
「ああ、こりゃかなり効果てきめんだな……。二割くらいじゃ俺たちよりよっぽど動けるし、あの感じを見るとちょうどよかった説もあるが」
「そんなことはありませんよお!ごめんなさい、痛くありませんでしたか……?」
マーシャの問いかけに、ランスは頭をトントンとつつきながら首を傾げる。どうやらその瞬間を思い出そうと奮闘しているようだったが、失敗したらしくランスはうつむいてゆるゆると首を横に振った。
「……幸いなことに、その記憶もろとも吹っ飛んでるみたいだね。もとはと言えばボクが自分を制御しきれなかったから起きたことだし、マーシャには感謝してるくらいだよ。というか、君が居なきゃボクはまともに戦闘することすら許されないだろうし」
「あの程度の戦闘で本能に呑まれちゃうってなるとね……。ほんと、良くも悪くも神童過ぎるのよ、あんた」
「それに関してはボクもそう思ってるよ。才能に恵まれたのは喜ぶべきことではあるけど、要らない授かり物も多すぎた」
エリーの皮肉に、ランスも全くの同感を示す。その言葉に乗った悲しみを知っているからこそ、コウスケはそれに反応することが出来なかった。
初めて出会った時のランスは、間違いなく鬼族の神童と呼ばれていた。戦闘本能に身を任せ、ただ力を振るうその姿はまさに鬼族の理想、アルゲストにおける勇者のようなものだ。……本人の気質が、それを嫌ってさえいなければ。
「鬼族の野蛮な本能に吞まれるなんてごめんだ。どれだけそう思っていても、戦いに身を置いた瞬間に、強い魔力を感じた瞬間に引き寄せられるようにボクの本能は顔を出してくる。……恨めしいよ、この体質から逃げられないことが」
「もしもそれを制御できたら、ランスさんは理性を保ったまま戦えるんでしょうけどねえ。……今それをやるとなると、私が常に鎮静術式を打ち込み続けるくらいでないと」
「あまりに現実味がなさすぎる計画だよね、それは。……だから、ボクは本能に呑まれることを嫌いながら戦うしかないんだ。極限まで否定して、ぎりぎりまで持ちこたえて。……それが決壊した時は、マーシャに収めてもらえばいい。多分、それが今のところ最高の妥協点だよ」
苦い顔をしながら、ランスはそう結論付ける。鬼族として理想的な姿で、体質で生まれてきたからこそ、その人格にそぐわない生き方を強制されることをランスは運命づけられていた。
「……本当に戦いたくないなら、言ってくれればカーゴの中に置くからな?」
「……ああ、それならしばらくそうしてもらおうかな。ふとした時にでも顔を出してくる本能が、ボクは嫌で嫌で仕方がないからさ」
ランスの渋い感情は、全て自分自身に、そして鬼族の本能に向けて発されている。それがどこまでも自分の外に出ていかないからこそ、この悩みを解決できるのはランス本人しかいなかった。
「戦った後じゃなくても、嫌な感じがしたらすぐに言ってくださいねえ。できる限り負担がかからない鎮静術式、私もちょこちょこ研究してますので」
「ああ、助かるよ。……いつも、すまないね」
「いえいえ、これも私の役目ですからあ。私は皆の命綱になれればそれが一番なのです」
「へえ、いい言葉じゃない。あんたがいるからあたしも躊躇なくこいつを引っ張って来れたし、その称号はお似合いかもね」
「えへへえ、そう言ってもらえると励みになりますう」
マーシャの名乗りにエリーは目を細め、その反応にマーシャもまた笑って見せる。色々と不穏なことは数多いが、それでも何とか丸く収まってはくれたようだ。
「……さあ、まだここがゴールじゃねえぞ。むしろこっからが第一ラウンドみたいなもんだ、気合いを入れ直してくれよ?」
「ええ、当然まだまだいけるわよ。……戦場なんて、あたしにとって新鮮なものでもないしね」
「頼りにしてるぞ。ランスに無理させらんねえ以上、お前が一番頼れる戦力だ」
勇ましく胸を叩いてみせるエリーに、コウスケは満足げに微笑む。魔術と魔術、互いの利害が暴力に変換されて飛び交う戦場に、コウスケたちを乗せたカーゴは第三の勢力として足を踏み入れようとしていた。
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