第一話『運び屋『オーワ』』

――アルゲスト王国。その名にまつわる印象を聞けば、誰もがこう答えるだろう。『不運な国だ』―—と。


 アルゲスト王国には、常に『勇者』の名を冠するものがいた。圧倒的な実力とカリスマで、ただの一度たりとも敗北しない絶対的な存在。『アルゲストの栄光は勇者とともにある』などと、叙事詩などにも語られる古くからの存在なのだが――


「……そんな存在が、なぜだか俺の店で働いている件について」


「誰に向けての報告書よ。王国に向けてだったら今すぐ寄越しなさい、永久に廃棄するから」


 そんな勇者―—エリス・アールゼルグは今、運び屋『オーワ』に身を預けていた。表向きには身寄りのない少女エリーとして、ではあるが。なんにせよ、この国の最高戦力が王都の片隅にいるのは間違いなかった。


 苦しい戦局を伝える新聞の記事を見ながら、コウスケは自らに降りかかった数奇な運命を思う。この店も、初めはただの運び屋だったはずなのだが。


「いや、何回考えてみてもよくわからんことになったなって思ってるだけだ。勇者が居なくなってから戦局が厳しくなってるって噂を聞くたび、どうしてもな」


「そんなのあたしの知ったことじゃないわよ。あたしが居なくなるくらいで瓦解する王国くらいならなくなって取り込まれた方がいくらかマシだわ」


「うわあ、とんでもない事言ってる……君の正体を知ってる身からするとドン引きだよ?」


 ハン、と息を漏らしながらの一言に、ちょうどキッチンから帰ってきたばかりの少年—―ランスが一歩後ずさる。大げさなアクションを取りながらも微動だにしないトレイが、ランスの身体能力の高さを示しているかのようだった。


「別にいいでしょ、あたし城の奴らのこと大嫌いだし。それに、この店ならどこの国に行ってもオープンはできるでしょ?」


 ならこの国が滅んでも問題はないじゃない、とエリーは笑う。かつて王国の最高戦力だったとは到底思えないその態度に、コウスケは苦笑を浮かべるしかなかった。


「まあ、実際それは否定できないしな……俺たち、そこら辺の冒険者たちより強いって自覚あるし」


 というか、いつの間にかそうなってしまったという方が正しいだろうか。はじめはコウスケだけだったこの店も、何時しかかなり大きくなったものだ。―—その成長のベクトルが、コウスケの望んでいたものと同じかどうかは聞かないでほしかったが。


「ええ!このお店、移転しちゃうんですか⁉」


 思い描いていた理想像とのズレにコウスケが首をかしげていると、驚いたような声がランスの皿に向こうから聞こえてくる。緑髪のエルフ――マーシャが、茶菓子を乗せたトレイを持ったまま固まっていた。


「せっかく周りの人とも仲良くなってきたころだったのに……このケーキだって、『日頃のお礼だから』って一個おまけしてもらったんですよ?」


「大丈夫だマーシャ、全部仮にの話だから。よほどのことがない限り、この場所を離れることはねえよ」


 それこそエリーの言った通りこの国が滅びでもしなければ、この店がここ以外の場所にオープンすることは無いだろう。なんだかんだ言いながらも、王都の片隅という立地をコウスケは気に入っている節があった。


「そうですか、良かったです……それなら安心してお茶が出来ますね」


「移転するってなったら、どうしても手間がかかることは増えるだろうからね。……コウスケ、砂糖はなしでいいかい?」


「ああ、それでいい。甘ったるいのは胃にたまるからな……」


 伸びて来た無精ひげを撫でながら、コウスケはランスの気遣いをありがたく受け取ることにする。甘いものを好きに食べられないことに、コウスケは寄る年波を感じてずにはいられなかった。


 コウスケ――須藤幸助は、どういう因果か三十代にして異世界に転生した。こんな年にもなって降りかかってくる出来事かと思いながらもなんとか適応し、今ではもう二年くらいが経つだろうか。


 もちろん、ここに至るまでには多くの紆余曲折があったことは間違いない。異世界に来てすぐのころ、安定した収入源がなかったコウスケが考え出した稼ぎ方こそが、この店『オーワ』なのだが――


「……それがまさか、王都で最強クラスの戦力を保有することになるなんて思わねえよ……」


 何とも言えない感情を吐き出しながら、コウスケは差し出された茶を一気に飲み干す。喉を駆け抜ける清涼感が心地よかった。


「あら、後悔してるの?普段さっぱりしてるアンタにしては珍しいじゃない」


「いや、後悔はしてねえけど……不思議なことになったなあって」


「僕の故郷には『奇縁こそ良縁である』なんて格言があってね。……それに基づくならば、これは最高級の良縁なんじゃないかい?」


「そうですよ! 少なくとも、私にとっては最高級の良縁です!」


「……皆……!」


 純粋な仲間たちの気持ちに、コウスケは年を取ってしまった自分を恥じる。何が理想だったかなんてどうでもいいじゃないか。ただ、今の景色に満足が出来ているならば――


「……すみません、今お時間大丈夫ですか?」


「……っと、依頼者だね。僕が応対してくるよ」


――コウスケが感傷に浸る間もなく、外に取り付けて置いたノッカーが音を立てる。今日もまた訪れた依頼人に、ランスは慣れた足取りで外へと向かっていった。


 ここは運び屋『オーワ』。大きなものでも小さなものでも、たとえそれがどれだけ個人的なものだろうと確実に目的地へとお届けする――それが、コウスケが見出したこの世界での生き方だった。

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