第53話 もう誰もいざこざな関係で苦しむ必要はない

「さあさあ、防戦一方ではやられるだけよ?」

「はぐあっ!?」


 サキタラシが銅の鏡を向けた瞬時に攻撃対象だったイエジにより、鏡ごと蹴りあげられる。

 宙を舞った先での追い打ちのストレートキック。

 4本の腕を軸にし、長い足を活かしたトリッキーな蹴りの連脚は、あっという間にサキタラシ自身を追い詰めていた。


「さあ、どうしたの? ボウヤの力はそんなもんじゃないでしょ?」

「これだけ僕をボコボコにしたくせして、よく言うな」


 駄目だ、身体能力や小さい身体を駆使した身軽さでは到底、僕ではかないっこない。


 どうしたら相手を欺けるのか。

 僕は起き上がり、次の攻撃に備えるが、心にはある迷いがあった。

 そのせいか、剣の柄に力が入りすぎて、大きく重心がずれた空振りになってしまう。


 ──神殿を守っていた竜巻を斬った時は何も考えず、本能のままに斬撃を繰り出していた。

 あの時は多少、乱暴に扱っても体はついてきてくれた。

 ……なのに、今は剣を振るう力さえも残ってない。


「クスクス。ボウヤにはその重厚な剣は早すぎたかしら。動きが止まってみえるわよ」

「くっ、この剣、予想以上に重くね?」


 似たような剣を上空に掲げて行進していたエンマの鎧の軍勢が記憶に浮かぶ。

 昔、読んだ本に書かれていたが、騎士の鎧や剣は何十㎏もあり、素人が装備するとその重さに歩行さえもままならないとか。


 今の僕がまさにそれだ。

 頑丈な防具は身に付けず、軽装な麻の服のままであり、イエジの一発一発の蹴りがイタ過ぎる。


「もういいわ。こうも歯応えがないのなら、わたくしめの剣で一気に止めをさしてあげる」

「そんなもの、どこにもないじゃんか?」

「あるわよ。わたくしめの目の前に」


 イエジが首にかけている十字架のネックレスに我が子の肌に触るよう、そっと触れる。


「……主よ、わたくしめの非礼をお許し下さい」


 首に下げた十字架のネックレスを外すと、ネックレスが激しく光り、ドロドロなオレンジ色の鉄の液体となる。


「コードナンバーゼロ、リミッター解除、バーストウェポン発動!」


 そうして鉄は一定の固まりから、形付けられ、徐々に長細いパンのような形になっていく。

 出来上がった武器はどこから見ても赤い靴、真っ赤なハイヒールだった。


「武器といえば、普通は剣じゃないのか?」

「うーん、普通はそうなんだけど、わたくしめはこのように腕が4本あるでしょ。逆に使いにくいんだよね」

「まあ、確かに。誤って誤爆しそうだ」

「誤爆は余計だわ!」


 ハイヒールを履いたイエジが半回転しながら、僕の体を蹴ろうとする時、ハイヒールの両足の側面から音も立てずに鋭いナイフの刃先が飛び出した。


「うわっ、靴にナイフの仕掛けありとか、何考えてんだよ!?」

「だって、ただ蹴りを入れるだけなんて面白味がないじゃない?」

「僕は君の人間味を疑いたくなるよ!?」

「わたくしめも0(ゼロ)番目のクローンなんだけど?」

「あー、そうなんだ……」


 僕はイエジの連続キックに逃げの戦法になり、神殿の柱の影に隠れる。

 普通のキックなら腕でガードしたり、手で振り払うことも可能だが、刃物付きとなれば、話は別だ。


 僕は息を潜めて隠れる内にも、イエジは居場所を特定するために蹴りをし続けるだろう。

 そうしてできるだけ相手の体力を奪い、デコピン一発で地に触れさす……という消極的な戦法に切り替えたのだった。


 ああ、こんな時、我が家の温もりが恋しくなる。

 ナンバー6だけに、早くもホームシックか。


「あははっ、隠れても無駄よ。どう逃げたって、この武器に勝るものなんてないわ‼」


 あのお姉さん、自分のことをナンバーゼロとか言ってたな。

 ゼロということはファーストやセカンドも存在するという仮説になるけど……。


 どんなクローンたちなんだろう?

 絶世の美女で世の男性たちの注目の的か? 

 男の妄想は広がる一方だ……。


 ──肉体は現実世界に置いて、クローンの体に魂を宿して異世界の街並みを出歩く。

 いずれにせよ、この異世界、クローンが多すぎないか?


『ガリガリガリー!』

『ドスゥゥーン!』


 身を隠していた石柱に一筋の線ができ、そのまま重みにまかせ、柱がずれ落ちる。

 衝撃でホコリが舞い上がり、お互いの場所は特定できなくなったが、まともに空気を吸い込み、思いっきり咳き込む僕に例の女神は素早く反応した。


「そこにいましたか!」


 煙から抜き出てきた長い足は弧を描いたように僕の上半身に下りてくる。


「くっ、何て切れ味なんだ。こうなれば撤退だ!」


 今度の女神は色々と分が悪かった。

 一度体勢を整えて、色々と攻略法を考えなくては。


「フフーン、逃げてしまえばこっちのもんだ」


 僕は僅かな隙をつき、羽を風にのせ、流れるように空へと飛び出す。


「まあ、チャンスはいくらでもある。またいずれ会おうじゃないか」

『スパーン!』

「おわっ!?」


 僕の背中が不意に軽くなり、現実が分かってない心境で二つの天使の羽が落ちていくのをこの目で確認する。


「まさか、僕の羽が……?」


 これは何かのドッキリだろうかと背中を触ってみるが、手につくのは赤い血の感触だけであり、飛んでいた証の羽は付いてない。

 地面へと緩やかに落下したのは間違いなく僕の羽なんだ。


 両対の羽を失い、バランスを崩した無抵抗な身体は無造作な音を立てて、固い床へと転がる。


「あいたたた、せめて受け身くらい取れればな」


 こんなことなら深裕紀の親父さんから護身術くらい習っておけばよかった。

 自分の無力さを噛みしめる中、イエジが僕に近づいてくる。


「……逃げても無駄だから」


 風に羽が飛ばされ、刃物の付いた靴を見せつけたイエジが微かに頬を緩ます。


「こんなこともあろうかと、羽に斬り込みを入れていたのよ。飛び立った反動で千切れるようにね」


 石柱を切り裂いたのは僕に羽を使わすための演出だったのか。

 この女神、物凄く頭が冴えてるな。


「ヤバいな。レベルうんぬんじゃなく、何もかもが段違いの強さじゃないか」

「そりゃそうよ。あのエンマ大王の元妻であり、彼に色々と戦い方を学んだんだから」

「……えっ、今なんて?」

「だからエンマの妻だったのよ。そのせいで彼はわたくしめと禁断の恋に落ちてしまい、罰としてエンマは堕天使と成り果てたけどね」


 エンマとの関係を堂々と告白し、左の薬指を光らすイエジ。

 黒く錆びたリングは二人の愛を象徴したかのようにただ光っていた。


「表向きでは妻になったとしても、わたくしめにはすでに同じ神であるサキタラシという恋人がいたのにね」

「なっ、この期に生じて何の冗談を!?」


 イエジは真面目な目で僕の心意を汲み取ろうとしていた。

 この世間話は作り物ではないことに……。


「同じ神様通しでも、ボウヤとは心も身体の相性も良かったわ。でもボウヤはわたくしめが妻になったという理由であの子、ヒミコを選んだ……」

「だからこうして復讐の機会を伺っていたのに……」


 この子も復讐という玉をこめ、恋愛の引き金を引いてしまった一名に過ぎなかったのか。

 その歪んだ結果が、このような暴発になってしまうとはな……。


「どうしてかな。この世界でクローンになっても、いざ目の前に立たれると、あの人たちとは違い、どうしても情がわいてしまうわね……」


 イエジがスカートのポッケから鎖のようなものを見せて、話の異常さに放心している僕の手に握らせる。


「……これで三種の神器は全て回収ね」

「えっ、どうして?」

「こう見えてわたくしめの心は寛大なの。ありがたく思いなさい」


 どう戦ってもボウヤとは力の差がありすぎた。

 そんな甘い理由から僕との争いではなく、手合わせを止めたイエジ。


「さあ、行きなさい。しずくが待ってるわ」

「イエジ。僕は……」

「黙ってお行きなさい。ヒミコを助けるんでしょ」

「……ありがとう」


 サキタラシはイエジには振り向かず、星の海に身を投げる。


 不思議と怖くはなかった。

 だってこの宇宙空間は見かけだけで創造神による作り物の存在だから。


 本当の神殿は一つしかなく、他の四つはクローンに任せたダミーな建造物。

 僕はイエジとの会話と、ペンダントからの信号で、自身が神だったらしき記憶が少しだけ判明できた。


「……そうじゃないと見ず知らずの男にいきなり神になれとか言わないよな」


 サキタラシは例の神殿の屋根にうまい具合に着陸すると、偽物の星空を見上げながら、握っていたロケットペンダントに程よい力を入れる。


「……ヒミコ、待っててくれよ」


 もう誰もいざこざな関係で苦しむ必要はない。

 神に舞い戻る僕がこの狂った世界を変えてみせるから──。


 ──サキタラシが去り、一人になったイエジがセピアに色褪せた彼の写真を見つめ、涙ながらに別れの言葉を呟いてたことも知らずに……。

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