第39話 異世界の海は僕にも分からないけど、きっと広くて美しい場所に違いないさ

 ──電灯も照明もなく、星明かりだけが頼りな薄暗い藁葺わらぶき小屋に、僕ら二人は居た。


「……ここはどこだ。サキタラシ?」

「あっ、目が覚めたか。ヒミコ」


 サキタラシが平静を装う最中、気がついたヒミコが備え付けの干し草のベッドから起き上がろうとするのを止めて、再び寝かしつける。


「村の休憩所だよ。年甲斐の女の子を自宅に運ぶわけにはいかないだろ」


 お互いに酒を飲んでいて、めったに人の立ち入りのない寝室だけの部屋。

 そこで若い男女が寝泊まりして、何かがあったら後味が悪い。


 ──異世界で禁断の一夜を過ごし、誤って相手に記憶なんか残したら、元の世界で深裕紀みゆきに、どんなをつけられるか分からないし、そのまま深裕紀と破局の可能性もある。

 ……と言うか、男として悲しいさがながら、この異世界で結婚確定だ。


 女性にまるで縁がなく、出会いは幼馴染みからのスタートだっただけに、僕は深裕紀オンリーで、どんな女の子よりも好きなんだ。

 他の女に気を許して、深裕紀を使い捨ての駒にするなど、僕の良心が許せなかった。


「……私はそのまま、お主に奪われても良かったのだぞ?」

「だあー、女の子がそんなこと喋ったらいけないよ‼」


 女の子はもっと優しく扱うべき。

 僕が小さい頃、忙しい母さんの家事を手伝っていた父さんの口癖でもあった。

 父さんは母さんのことを真剣に愛しており、常に母さんを支えていた。


 僕は父さんのような積極的な性格じゃないけど、こんな僕にも大切な女性ができたら、その女性を一途に愛し、影ながらサポートしていこうと……。

 まだ僕には大きすぎるランドセルだったけど、小さな背中を飲み込む低学年という幼さながら、そう心に固く誓っていたのだ。


「えっ、この前収穫した山菜の話なのじゃが? いつものようにカレーの具材に使わんのか?」

「あー、僕のバカバカ!」


 僕ってヤツは何て不埒なんだろう。

 いくら男とはいえ、その性癖を布袋に包んで段ボールに詰め込んでしまいたい。


 そうして、箱を誰の目にも届かない開かずの倉庫に封印し、外から立ち入り禁止のテープをベタベタと貼り付けたい衝動に駆られてしまう。


「フフッ。笑ったと思えば急に怒ってみたり。お主の顔は百面相みたいで面白いな」

「僕って、そんなに面白い顔?」

「まあ、近くでみたら、それなりの男前だがな……ゴホッゴホッ!」


 いけすかない僕にイケメン的な発言をしたヒミコが口に手を当てて、大きく咳き込んだ。

 その重い咳き込みに彼女に与えられた時間は、もう残されてないとサキタラシとしても、しかと思いを受け止める。


「ヒミコ、僕の会話にツッコむ必要はないからさ。今はさ、体を休めて」

「お主の言う通り、そうさせてもらうか」


 サキタラシが横たわるヒミコに布団のように束ねた藁をかけなおす。

 ヒミコは『感謝する……』とポツリと呟き、偶然にも僕と目線が合った瞳を明後日の方へ反らした。

 何だろう、今の僕を見つめていた潤んだ瞳は? 


「……サキタラシ、こんな私に優しくしてくれてありがとう」


 ヒミコが何を思ったのか、今度は僕の方に体の向きを変えて、とこに伏せたままで話を切り出す。


「何だよ、面と向かって言われたら、恥ずかしいじゃんか」

「いや、今だからこそな。もうお主には言えなくなるかも知れぬから……」


 ヒミコがたまに苦しく咳き込みながらも、自身の胸元に添えていた僕の指を絡めてくる。

 弱々しい彼女の反応に、僕は励ましの言葉をかけようとした。


『──病は気から』

 現実世界で人の病気を気持ちから治すという売れ筋な一冊の本を中心に、異様なほどに流行った名言通りに……。


「──ヒミコ、安心しろ。すぐに良くなってまた遊べるようになるって‼」

「じゃあ、これは何なのだ?」


 ──ヒミコは手にした一枚の白い天使の羽を、僕の胸に突き当ててきた。

 これはヒミコの羽でもあり、その羽が徐々に光の粒子となり、空気中に溶け込もうとしている。

 あれだけ目立つように細い背に生えていた両対の羽が、この世から完全に消えようとしているのだ。


「ヒミコ。気をしっかり持て! 安心しろ。僕が必ず君を救ってみせるから。だから、だから!」

「気休めはよせ。自分でも分かるのだ。そう長くない命ということも……」


 ヒミコは背中の羽が、分単位で少しずつ消え行くなか、唇の端から吐血を垂らしながら、穏やかな笑みで不安げな僕の頭を撫でてくる。


 ヒミコにとっても、僕は大切な存在なのだろう。

 自分にとっても、好きな人を心配させたくない……そんな面影も滲み出ていた……。


「ほら、もっと明るい顔をしろよ。ヒミコはまだ若いんだし、これから人生を謳歌するんだ。これからも僕と色んな場所を見ていきたいだろ」


 サキタラシはヒミコが再び眠りにつく前に、心に思っていることが空っぽになるまで、話し尽くしたい概念に変わる。 

 次にヒミコが眠ったら、永遠に目を覚まさないかもと、そんなネガティブな考えが浮かんでいたのだ。


「クレナイオオソウゲン以外にも行ってみたい場所はわんさかあるんだ」


 僕はヒミコとのデート場所を必死になって模索しているが、この世界の名所をほとんど知らない自分の無能さが恨めしい。


「おい、ヒミコは海とか見たことあるか? 異世界の海は僕にも分からないけど、きっと広くて美しい場所に違いないさ」


 有名なデートスポットを知らなくても、海なら、この大陸を行きつつ間に発見できるはず。


 この異世界にも水という壁はある。

 たどり着く終着点は海でもあるし、この世界にもある水と塩が、何よりの証明だったからだ。


「イセカイ? お主は別の国からやって来たとでも?」

「……うーん。かと言っても、肉体は別にあって、ここでは魂だけかな。たまに、ここでのサキタラシとして過ごしてる日々があったんだ」

「そうか。それでたまにサキタラシの行動が不可思議な時があったのじゃな」


 もう僕が、現実世界と異世界を行き来していたことを彼女に隠す必要もない。

 僕は今まで自分がしてきたことをヒミコに全部伝えることに決めた。


 ヒミコは最初は冗談半分で笑っていたが、僕の的外れのない真実に段々と深刻な顔つきになり、話に夢中だった僕に怪訝そうな顔を近づけた。


「ヒミコ、顔が近すぎるってば!?」

「ふむ。私はこのような女ったらしに心を奪われたのか」


 ヒミコの大きな瞳に僕の顔が綺麗に写っている。

 瞳に写した僕の顔は、今、どんな気分なのか。

 別にヒミコとの絡みに良し悪しを決めているわけでもないが、鏡を通さないと自分の表情が分からないのがもどかしい。


「……ならば、ここで私のものに」


 ヒミコは半身の状態から両目を閉じて、僕の唇を奪う。

 柔らかな唇の感触、石鹸のような女の子のいい香り。

 僕はヒミコのなすがままで、電池が切れたおもちゃの人形みたく、ピタリと動きを止めていた。


「……一体、ここで何やってるのですか? 外での朝食の準備はとっくに出来ていますわよ?」

「ほおほお。こちらからの返答がなく、随分と音沙汰がないと思いきや、この部屋で夜通し、愛を囁きおっていたのか。お熱い間柄じゃのう」

「ち、違うって。今回もヒミコからのキスであって、僕からは手出しはしてないというか!? ヒミコも黙ってないで反論してよ!?」


 サキタラシはヒミコの寝床から距離を取って、両手を左右に振りながらエンマ夫婦との誤解を解こうとするが、起きてしまった放送事故はどうしようもない。


「サキタラシも男だろ? 私を嫁に貰うなら、接吻くらいで動ずるな」

「だあー! 誤解されるだろ! もう余計なことは言わんで、ヒミコは大人しく寝てろよ!」

「お主は言うことがコロコロと。やっぱり面白いヤツだなw」


 エンマ夫婦やヒミコから、表面的にキツい言葉で叩かれても、内面では祝福される言葉を送られる騒がしい時間。

 僕は、こんな日常も悪いもんじゃないなと想いに更けながらも、寝静まるヒミコを見守っていた。


 ──それから、数時間後。

 全ての羽が消え去ったヒミコは幸せそうな微笑みをしながら、この休憩所の寝床で温かい家族に看取られ、

静かに息を引き取ったのだった……。

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