第36話 夫婦になるんだから、これくらい常識だろう
僕は星すらも見えない暗い空間、いや、広々とした室内を漂っていた。
なぜ、こんな辺鄙な場所にいるかは不明だが、人間としての体が浮遊してるからに僕は肉体を無くした魂なんだなと一人で納得していた。
(結局、現実世界の
前回戻った時、深裕紀はこの世から亡くなっており、僕は心も体も病んでいた。
彼女がどうして死んでいたのか、僕はその原因を知りたくて現実世界で色々と探ってみたい気にもかられたが、結局はこうやって旅立ってしまうさまだ。
(何だ、向こうの壁の隙間から光が漏れ出してる?)
僕は先に見える三メートルほどの高さがある大きな扉の前で床にふんわりと着地する。
その瞬間、頭から白い羽が一つ舞い降りてきた。
どうやら無意識のうちに羽の能力で飛んでいたようだ。
(……ということは、僕はまだ生きてるということか?)
僕はあれこれ悩みつつも、とにかく行動に移さないとと思い立ち、目の前にある扉を開けることにした。
扉はろくに加工もせずにはめ込んだざらつきのある石の材質で作られており、動かすうちにホコリのような空気が肩口に降ってくる。
そんな粉雪みたいなホコリを被りながら軽く咳き込む。
もう何年も、この扉を動かしていない重みさえも感じた。
『ギイイイイー、バタン‼』
扉を引きずりながら外向きに開け、次に出た場所は星空をバックに映えた見覚えのある石の神殿だった。
この建物は以前、現実世界に戻れるアイテムが落ちてないかと血眼になって探していた場所でもあった。
僕は着ているボロ切れの麻の服に目を向けて、再度実感する。
「……そうか。僕はまた異世界に舞い戻ってきたのか」
「そうかではないぞ」
外に出て、ここの場所を認知したところで、聞き覚えのある女性の声に素早く反応するサキタラシ。
「えっ? ヒミコ!?」
「お主はいつも唐突に現れるな。それも羽の能力とやらか?」
「えっと、さっきまで空中散歩を楽しんでいたからなあ」
「フフッ。旅芸人にでもなるつもりか」
「旅も楽しめてお金も稼げて、実に美味しいだろ」
「面白ければの話だがの。お主のネタは寒い親父ギャグのようなものばかりだからの」
ヒミコが腕を組み、身を震わし、冷たく刺さるような目つきで僕の目を捉えた。
その表情は誰が見ても判別できる。
恋愛経験が少ないせいか、男を信じきれてない瞳だ。
「それにしてもこんな外れた場所で賑やかなことで」
「明日、村の方でエンマ大王殿と一緒に宴をやるのでな。材料探しにこの神殿に飛んで来たんだが……」
「へっ、あのエンマ大王が生きてる?」
「何を今さら。あの百戦錬磨の男がそう簡単に死ぬわけがなかろう?」
ヒミコが石が材質な戸棚にある陶器の湯飲みを布袋に詰めながら、更なる怪訝そうな雰囲気を放つ。
なるほど、今度の異世界では、まだエンマと僕らは争いにもなってなく、無事に健在なのか。
だとすると、現実世界で脳死状態のあいつも助けれるかも知れない……。
「お主には村で留守番を頼んだのに、ホイホイとこんなところに出てきおって。聞き分けのない子供のようなヤツだな」
さっきから彼女の機嫌が悪いのはそこだったのかと、足を踏み入れたことに後悔するサキタラシ。
だが、後悔先に立たずの言葉通り、行動を起こした後では何もかも遅いのだ。
「でも普段から目立ちたくないヒミコが進んで宴に参加するなんて珍しいな。明日は大雨になるな」
「まあ、エンマ大王殿が直々に村に来るからな。村を治める村長なら当然だ」
「えっ? ヒミコもちょっと見ない間に大人な対応ができるようになったんだな。お父さんは嬉しいよ」
「お父さんは何も、嫌でも明日にはなるんだけど?」
「はあ? ヒミコ正気か?」
いつもの冗談が素で返ってきて、返す言葉が思いつかないサキタラシ。
「まあ、細かいことは良いか。荷物持ちがおった方が気が楽だし」
ヒミコは両手が塞がっていた布袋と茶色い紙切れをサキタラシに押しつけて、背中に『バチーン』と気合いのこもった平手を当てる。
「しっかりせえよ。明日は私たちの宴でもあるんだから」
今日一番の笑顔で僕を背にすると、背中から生やした両対の天使の羽で大きく星空を羽ばたく。
「じゃあ、私は先に帰っておくからな。道具を持ち帰る時は借用書に記入して、神殿の管理人に提出を忘れずにな」
「おい、管理人って誰のことだよ?」
「何だ? この前話したばかりだろう。昔、私と神になるのを目指してたしずくのことだ」
「へっ、しずくがどうかしたか?」
「はあ……。お主、若くて綺麗な女だと付け加えたら、大層ご機嫌だったではないか?」
宙にいたヒミコが低く唸るような咳払いをし、明らかに不機嫌そうにサキタラシの前方で止まる。
「とにかくだ。もうキャンセルはできぬ宴だし、今後の村の存続のためにも大事な宴なのだ。くれぐれもヘマはするなよ?」
「僕ってそんなに信用ない?」
「相手は神であれ、しずくは飛び抜けた美少女だからな。お主なら勢いで口説こうとする恐れもあるからな」
ヒミコがサキタラシに近寄り、彼の顔に影を重ねる。
「ななっ、ヒミコすわーん!?」
「何を今さら動揺しておる。もう夫婦になるんだから、これくらい常識だろう」
頬に触れたヒミコからの口づけに少しだけ後ずさりし、女性に免疫がないゆえに、心臓バクバクなサキタラシ。
しかもそこで驚きではない。
彼の頭の中で人生の大イベントな言葉が行き交いする。
「なっ、僕たち夫婦になんの!?」
「……あのなあ、この宴の準備の行程は三日前に話し合ったばかりだぞ。お主は少しは人の話を聞かんか」
「おわわ……」
サキタラシは困惑しながらもヒミコとコンタクトを取ろうとするが、相手が人生の伴侶になることを意識したせいか、中々、次の言葉が出てこない。
「サキタラシ。安心しろ。宴では私がリードするから、お主は黙って耳を傾けるだけでよい」
「……おおう、首輪を着けた仏像のようにか。かしこまりました」
緊張が解けないサキタラシの両手を手に取り、自身の胸にそっと当てるヒミコ。
朝顔模様の着物越しから指先を通じ、ヒミコの高鳴る音が伝わってくる。
「分かるか。こんな冷静な私でもこんなにも胸がはち切れそうなんだ」
「ヒミコもか?」
「そうだ。だからちょっとは頭を冷やせ。そんな状態でしずくに会っても逆効果だろう?」
「ああ、ありがとう」
サキタラシはヒミコの計らいに感謝すると同時に、こんなできた人が自分の嫁で良かったと素直に安堵する。
「よっしー! 美人でも人参でも何でもかかってこいやー!」
僕は両頬を勢いよく叩いて、気合いを入れ直す。
それから借用書を服の袖口に突っ込み、ヒミコに何言か忠告された後、彼女と一時的な別れをした……。
****
「さて、念願の美少女、しずくちゃんとやらに会いに行くか」
両対の羽で上空をまっ直線に飛び、神殿が豆粒ほどの大きさになったところで、一つの衛星のような星を発見する。
その星の底には大人が入れそうなサイズの三つの穴が空いていた。
星の中央には一つの小さなプレハブ小屋のようなものが建っており、そこからなら何とか挨拶に行けそうである。
僕は地表に静かに足をつけ、しずくがいるであろう小屋へと向かう途中で、今まで目を瞑っていた借用書を読み上げる。
そこには僕とヒミコの筆跡による世帯主を示したサインが書かれてあり、複雑な心境にもなった。
「……異世界でヒミコとの結婚か。人生とは想像も出来ないことだらけだな」
ふと、深裕紀の顔が思い浮かぶ。
僕がずっと好きだった彼女は、こんな僕たちの祝いの宴を笑って祝福してくれるだろうか……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます