第4章 この手で取り戻せ、あの頃の情熱と約束を

第23話 この永野県を牛耳る大富豪のリーダみたいな方ですから

 ──どこからか線香の匂いがする。

 あれからあの場所で決死の覚悟で命を投げ捨てたサキタラシとやらは、どうなったのだろう。


 ゆっくりとまぶたをこじ開けるとそこは僕の家だったが、見慣れない仏壇が目の前にあって少しばかり驚いた。


 火のついたばかりの線香の香りが鼻をくすぐる所でしゃがんでいた僕は初めて両手を合わしてることに気づかされる。

 自宅にいることは確かなんだけど、僕の家のリビングに大それたものはなかったはず?


 リビングにあるのも失礼だけど、時が風化しても忘れたくない人が相手なのだろうか?


 手慣れた感覚で眼鏡をかけ、水平に見ると目と鼻の先で笑ってるブレザーの学生服を着た美少女の立てかけ写真。

 見た感じ、お嬢様系のような黒髪ロングの遺影は間違いなく、僕の幼馴染みの深裕紀みゆきそのものだった。


「うわあああー‼」


 ──哲磨てつまは信じられない状況に混乱して叫び声を上げた。

 その声に異変を感じて駆けつける色違いの安物のセーターを着込んだ二人の女性。


「哲磨君、どうしましたか!?」

紫四花しよかお姉ちゃん、また例の発作かも」

「やっぱりそうなのね。梨華未りみか、処方薬を持ってくるから彼を押さえてて」

「分かった」


 栗色と茶髪が混じったショートヘアの黒いセーター姿の梨華未が哲磨の顔を胸に押しつけ、優しく頭を撫でてくる。


「哲磨さん、落ち着いて。何も怖いことなんてないからね」

「……えっ、梨華未って? 何でここにいるんだよ?」


 その柔らかさに一瞬だけ赤子に戻っていた僕は冷静になり、梨華未の擦りを押し退け、思ったことを口に出していた。


「なっ、なあ、正真正銘の本人か!?」

「何、幽霊でも見たような口振りだけど?」

「いや、お前さん行方不明で死んだことになってたんじゃ?」

「嫌だな。死んだら行方不明扱いにならないよ‼ リカは生きるしかばねじゃないんだよ‼」

「イタタ!?」


 バシバシと勢いよく哲磨の背中を叩いてくる彼女。

 此処伊良ここいら紫四花の妹である梨華未は想像とは裏腹にとんでもなくフレンドリーな女の子だった。

 気品が漂い、落ち着いた性格な紫四花の妹だから、もっと淑やかな女性像を思い浮かべていただけに……。


 うっ、安心したら何だか眠くなってきたな……。

 猛烈な眠気に襲われた哲磨はとりあえず近くのソファーに横になることにした。


「──梨華未、処方薬持ってきたわよ」

「大丈夫、もう要らないよ。哲磨さんならまた眠ったから」

「そう。きっと安心したのね」

「無理もないよ。長年連れ添ってた仲良しの深裕紀ちゃんを火事で亡くしたんだから」

「そうね。全焼しかけた建物は修繕しましたけど、喪った人の命までは買えませんものね……」


 白いセーターを着た栗色のツインテールの紫四花が視線を落とす中、梨華未が紫四花の手をとって目線を合わせる。


「もう、お姉ちゃん!! 哲磨さんの彼氏なんでしょ。彼女がそんな調子じゃ、傷心の哲磨さんに失礼だよ!!」

「ですが……あまりにも痛々しくて」


 梨華未がやれやれと両手を胸の前に上げて、呆れた顔つきになる。


「あのねえ、一緒にいながら今さら何を言ってるの?」

「二人なら痛みも苦しみも半分こ出来る。例え傷を癒せなくても痛みを受け入れ、傍で寄り添うくらいならできる。そう言ったのはお姉ちゃんでしょ?」

「そうですけど、ああも変貌してしまうと流石さすがに……」

「あー、もう焦れったいなあ。あーも、いーいも関係ないよ。リカ、これからバイトだから哲磨さんの看病お願い」

「……あっ、はい」


 妹の尻に敷かれた姉は妹の指示通りに白い犬のイラストによるブランケットをかけて横たわる彼の手を優しく握る。


「哲磨君。心配しないで。わたくしがいますから……」


 梨華未が出かけた辺りには静寂しか残らない。

 まるで、新聞記事のコレクターが二人だけの空間だけを切り取ったように……。


****


『ピンポーンー♪』


「……来ましたわね」

「紫四花? どうした?」


 無機質なチャイム音に紫四花がゆっくりと腰を上げ、玄関の方を見つめ、今までにない怖い顔になる。


「哲磨君はここにいて下さい」

「……居てと言われてもここは僕の家だし?」

「いえ、もうわたくしにとっての家でもあるのです。大丈夫です。手短に終わらせますから」


 紫四花は迷いもせず、真っ先に玄関先に向かう。

 玄関のドアを開ける音と同時に冷たい風が吹き込んできた。


 この感覚は木枯らしだろうか。

 哲磨はあまりの寒さに身震いし、壁に貼っていたカレンダーを見やると暦は12月を指していた。


 ついこの前は10月だったのに、月日が流れるのはあっという間だな。


****


「──おい、安良川あらかわの奥さんよ。今日こそは大丈夫なんだろーな?」


 玄関へと長身を生かして大蛇のように入り込む一人の男。

 金髪の頭を丸刈りにし、サングラス越しでも分かる厳つい顔をしたスーツ姿。


 そんな危ない感じの男を前にしても一歩も引かない紫四花が男を通せんぼするように気丈に立っていた。


「はい。昨日は梨華未の給料日でしたので」

「おう、そんぐらい承知さ。そのためにわざわざ来たんだからな」

「それではこちらを」

「おう。分かってんじゃねーか。話が早くて助かるぜ」

「……さてと、一枚、二枚」


 紫四花からの茶封筒を掴み、声に出して中身のお札を確認する上機嫌な男。

 だが、数え終えたと同時にその機嫌もすぐさま崩れ去った。


「……これじゃあ、足りねーな」

「えっ、確かに今月の分は……」

「手数料が足りねーんだよ‼ 俺がわざわざ出向いてやったんだから、そんくらい常識だろーが‼」

「……ったく、奥さんは内職だし、しゃーねーな」


 男が空になった茶封筒を紫四花の体に投げつけ、土足で上がり込もうとする。


「こうなったら金目の物を見つけて差し押さえにするしかねえな」

「や、止めて下さい!」

「うるせえな。足りない物は補うしかねえだろ?」 

「それでも何だ、奥さんの妹さんをこちらに身売りするんなら考えてもいいぜ? 中々のいい女だからなあ?」

「いっ、妹だけは勘弁して下さい!!」

「はははっ、普段は金づるにして、こんな時だけ健気に妹を庇って。お姉さんごっこも大変だねえw」


 男が暴言は違い、生真面目に革靴を脱いで、家に上がり込み、部屋の中を物色し始める。


 靴を脱いだのはせめてもの情けか。

 か弱い女の身である紫四花は、ただ呆然とするしかなかった……。


****


「ほおー、金には出来ねーが、これはこれで立派な作りだねえ」


 僕の前で深裕紀の位牌いはいを眺めているグラサンの男がいる。

 この男は玄関からやって来て何の用だ?


「おいっ、人様の家で何をしてるんだ。泥棒猫め‼」

「うんっ? これはこれはお目覚めでしたか。安良川の旦那様♪」

「旦那とか気安く呼ぶな。警察を呼ぶぞ!!」

「あはははっ、お前も相変わらずだな」


 男がサングラスを外して、哲磨に慈悲た笑いを向けてくる。


「本当、哲磨にはがっかりしたぜ。大事な女すら守れず、反対に別の女が引っついてくるんだからな」

「おっ、お前はあのテルなのか‼」

「おうおう、その呼ばれ方も新鮮だな。俺をそう呼ぶのも高校以来だなw」


『ボカッ‼』

「ぐうっ!?」


 テルが哲磨に近寄り、哲磨を真っ正面から一発ぶん殴る。

 その反動で柱にぶつかり、床に倒れ込む哲磨。


「痛いなあ、何だよ? いきなり殴ることはないだろ!?」

「何だよって? その口の聞き方は非常識だろ?」


 テルが今までにない雰囲気で凄み、哲磨に強烈な言葉の圧をかける。


「なあ、どういう心境の変化か知らねえが、今では立場的には俺が上なんだから、いつものように輝市朗てるいちろう様と呼ばねえとな?」

「……テッ……テル、一体どうしたんだよ?」

「うるせーな、このイカれた病気持ちがあー‼」


 輝市朗ことテルが痛みで寝転がる哲磨に大声を張り上げる。


「哲磨君!?」


 青ざめた紫四花が僕に駆け寄り、白いハンカチで血に汚れた唇を拭ってくれる。

 普段なら優しい気遣いよりも僕の心は別の方へと傾いていた……。


「し、紫四花。なあ、テルの様子がおかしいんだ。別人みたいに成り果てて……」

「ええ、そうです。彼はこの永野ながの県を牛耳る大富豪のリーダーみたいな方ですから」

「はっ、冗談だろ。それは紫四花の方だろ。あの大金持ちの此処伊良財閥はどうなったんだよ?」


 紫四花が首を横に二回振り、切実にこの異変を語り出す。


「此処伊良財閥はある日を境に急成長した西條架さいじょうか財閥に丸ごと吸収…… いいえ、買収されました」

「えっ? あのテルが財閥を!?」


 僕は信じられない気分で親友の姿を見ているとテルは舌打ちをし、今度は喫煙所関係なしに堂々と煙草を吸い始める。


 そこには昔ながらのテルの姿とは別人で、僕が知ってるテルテル坊主としての部分は一欠片もなかった。


 僕がいない間に一体何があったんだ……?


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